>>892
同じ感覚はウェーバー「魔弾の射手」やバッハ「マタイ受難曲」にも言えて
ウィーンで振ってもらいたい演目は色々あるのに何かのコダワリがあるんだと思う。

その辺はフルベンが本来はウィーン楽派の流儀に属さず
むしろライプツィヒやベルリンの血筋を汲んでることと関係してるかもしれない。
両都市は大バッハと息子カール・フィリップ・エマニュエルの思索的な音楽に始まり
シューマン、ブラームスまで引き継がれるドイツ音楽の本流でもあった。
バッハを「音楽の父」という言い方が、まだ歴然と残っていた時代の価値観だ。

ブラームスを多感様式の最後の灯だ、なんて言うとおかしな気がするが
フルベンの演奏はそういう感性で一貫していると思う。