ムソルグスキーについて語ろうそのA
最近ホヴァンシチナばかり聴いている(RK版とショスタコーヴィチ版両方)
ロシア音楽はいいねえ
この情勢下でアンタッチャブルな存在になってしまったが >>169
そんな事はない
聴きたいだけ聴き
愛したいだけ愛すればよい! ホヴァンシチナにはゴロヴァノフ版もある
エルムレルの録音で聴ける 単独スレ立てるほどの作曲家か?ロシア総合スレで十分だろ 新国のボリスは嬉しいけれど指揮者が大野なのが嫌すぎる
彼の指揮で感心したためしがないわ 未完のままに終わったピアノ、ハープと管弦楽のための南コーカサス組曲を聴いてみたかった 生家が没落しなかったら抱一ばりに芸術に邁進して傑作を残せたと思うと悔しいよ >>184
これの頭の中どうなっているんだろうね!!
阿呆すぎてもうwwww https://www4.nhk.or.jp/opera-f/x/2022-10-28/07/10285/4678552/
10月28日金曜
NHKFM 午後2時00分~ 午後6時00分
オペラ・ファンタスティカ ウィーン国立歌劇場公演 歌劇「ボリス・ゴドノフ」
中田朱美 収録:2022年5月15日 ウィーン国立歌劇場 録音:オーストリア放送協会
楽曲
「歌劇「ボリス・ゴドノフ」」
ムソルグスキー:作曲
ボリス・ゴドノフ…(バス・バリトン)アレクサンドル・ツィムバリュク、ピーメン…(バス)ヴィターリ・コワリョフ、
シュイスキー公爵…(テノール)トーマス・エベンシュタイン、グリゴリー…(テノール)ドミートリー・ゴロヴニン、ほか、
(合唱)ウィーン国立歌劇場合唱団、(管弦楽)ウィーン国立歌劇場管弦楽団、(指揮)セバスティアン・ヴァイグレ
~2022年5月15日 ウィーン国立歌劇場~ ムソルグスキーがウクライナの文化に関心を示していたのはもっと認知されていい ホヴァンシチナの歌詞でウクライナが小ルーシなのに
歌曲(ドニプロ河にて)ではウクライナがウクライナと使い分けられているのは
何か作曲家にウクライナに関してこだわりがあったのだろうか ウクライナの人々には申し訳ないけれど
ムソルグスキーの時代には(現代の)ウクライナの概念がなかったし
当時のキーウはキエフだったので
キエフの門をキーウの門と書かれると何だか違和感を感じてしまう ムソちゃんの展覧会の絵の直筆楽譜の コピー持ってるよ >ムソルグスキーの時代には(現代の)ウクライナの概念がなかったし
ウクライナ人をいじめる悪いロシア人のレス 2022ウクライナ事変をきっかけに
このスレの人たちが宇露問題に目覚めているのには草を生やさずにはいられない
笑いごとじゃないんだけど
ホヴァンシチナ(ホヴァーンスキー事変)のようにオペラ化できないのかな カラヤンは展覧会の絵を3度も録音したのに
はげ山の一夜は手をつけなかったな はげ山はバーバリズムがないと面白くないから、洗練されすぎたカラヤンじゃダメだろう 同じベルリンフィルのシェフでも
カラヤンはムソルグスキーに関するレパートリーを絞ったのに
お洒落なミラネーゼのアバドが取り憑かれたようにいろいろな作品を取り上げたのは興味深い
ムソルグスキーの野性味の中に潜む貴族趣味に惹かれたんだろうね メンデルスゾーン専用指揮者=マズア
ムソルグスキィ専用指揮者=アバド カラヤンの上品すぎるはげ山もそれはそれで聴いてみたかった 42歳で亡くなったのが本当に惜しい
せめてホヴァンシチナは完成させてから逝って欲しかった ムソルグスキーとパガニーニは闇の力を感じさせるところが少し似ている モンスターストライクというゲームで
ムソルグスキーが闇属性に設定されているのは
ネタを仕込んだ人の解像度が高いなと思った
ムソルグスキーが老人として描写されているのが残念だけど 歌曲「ドニプロ河(ドニエプル河)にて」にはユダヤ教徒を揶揄する描写がある
ポリコレに配慮してムソルグスキーの作品を取り上げなくなる日がますます近づいてきてしまった…… 同時代の作曲家の中では
ユダヤ人に対する偏見が少ない作曲家だけどね。 展覧会もサムエルゴールデンベルクとシュミイレ、飛ばして演奏するようになったりしてな ユダヤ人が弾くときはOKになるよ、今までもそうなんだし ムソルグスキーはもちろん純粋なロシア人でウクライナの血は流れていない
当時のキーウはロシア領キエフだからムソルグスキーにとってはキーウはキエフ
それをキーウの大門とわざわざ呼び変えて
ウクライナの不屈の闘志のシンボルになっているのは何だかなあと思う
ウクライナ人もロシア人も違和感を感じないの?