50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート★2
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一人ひとりに思い出のコンサートあり
鋭敏な耳と繊細な感性で数多の音楽を吸収した経験豊富な50歳以上の
オッサン(もちろんオバサンも含む)限定のスレです
昭和平成名演駄演なんでも結構
あなたの心に残るコンサートを上げて下さい
なおナウなヤングは御遠慮願います
前スレ
50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1557141035/ 確か2000年代の初頭
コバケン+ハンガリーの桶/サントリーホール
ショパン/P協(たぶん)/中村紘子さん
ベルリオーズ/幻想交響曲
(ネットで検索してもヒットできず)
当時の皇太子殿下&妃殿下ご観覧のロイヤルコンサート
ご入場時に正対する左翼席からスタンディングして拍手したら、
体中に狙撃銃の光線が投射されて死ぬかと思った
(話を盛っています)
コバケンさんはノリノリに唸りまくり、幻想のフィナーレは圧巻
さらにアンコールでも第5楽章を途中から繰り返し、場内大盛り
上がりで楽しかった 2001-2004年に我が国の誇るナショナルオペラハウスが総力を結集し、
現役第一線級のワーグナー歌手をずらりと揃えて上演したトーキョー
リングはまさに鮮烈な体験でした。
現在30代、40代の方もたくさんご覧になられたと思いますが、聴衆の
主力は我々およびそれ以上の世代と思われます。
極東の島国である日本が、リング上演において世界に伍すための秘策
として起用した、キース・ウォーナー氏のポップな世界観にすっかり魅了
されました。
白眉は、劇場の機能を最大限に生かした、ワルキューレ第三幕における
救急病棟(生涯No.1のワルキューレの騎行!)から二回にわたる舞台の
大どんでん返しで、まさに度肝を抜かれました。
時を経て、情報センタでこの素晴らしいプロダクションをあらためて視聴
しましたが、円盤化しなかったことは本当に悔やまれます。
もっとも、ラインの黄金とワルキューレを担当した東フィルはアップアップ
でちょっと海外へ問うには力不足。対して後半のジークフリードと神々の
黄昏を担当したN響が格の違いを見せつけて、話題になったことも懐かし
いです。
以上長文をお許しください。 85年のバンスタ、マーラー9番
20世紀最大の大物の来日といわれたホロビッツの来日公演 フェドセーエフ&モスクワ放送響の展覧会の絵はよかったなあ。 1982年ヨッフムとバンベルクのブル8
コンサートの少し後、レコ芸にヨッフムのインタビュー記事が載ったけど
特別難しいことは言ってないのに、教養がにじみ出るというか…
指揮者の人格そのものを聴くような演奏会だった
ライヴCDやDVDも出て話題になったけれど、もっともっと評価が高くてもいいのでは >>5
バンスタ/マラ9はイスラエル・フィルですね
今だったら万難を排してチケットを獲っただろうが、当時は大学生で金もなく、
またマーラーの交響曲もあまり馴染みがなかった (´;ω;`) 35年以上前まだ学生のとき、クラスの女子に「一度年末の第九というものを
聴いてみたい」と言われ、「じゃ、これ読んどけ」とスコアを渡した。
無駄にとがってたなぁw
フリューベック・デ・ブルゴス、藤沢市民会館
どんな演奏だったか覚えてないし、スコアも未だに返ってこないw >>3
ラインの黄金の初回の上演にはヴォルフガング・ワーグナー氏が来てた。
確か3月末に来日の歓迎会が開かれたんだが、当日は季節外れの雪が降ってたのを覚えてる。
ラインの黄金の上演日にロビーで見かけてサインをもらった人もいたと思うw 一番忘れられないのは、東京文化会館でのフィッシャー・ディースカウのリサイタルだな。
1983年でシューマンの詩人の恋とリーダークライスのプログラムだった。
かなり前の席だったので、DFDの表情や動きが手に取るように分かった。
周りの席の人たちが、見送りに行こうみたいなことを言っていたので、オレもご一緒して
DFDが会場から車で帰るのを見送ったのを覚えてる。 >>10
ラインの黄金に続くその後の3作のどれだったか忘れましたが
やはりご招待されていましたね
幕間に、ブログラムへサインしてもらった至福の思い出 行ったわけじゃないがカラヤン最後の来日のとき、知人のツテで並んでもらってあと数人というところで
チケット(整理券?)が売り切れになったというのが今でも悔やまれる
昭和の最後の年だったと思う; カラヤンバブルは最後の十年ほどで、日本のバブル期とピッタリ一致していた
実質的な人気と知名度はそれ以前の方が高かったと思う 最後の来日公演から四半世紀も過ぎれば、
クライバーの公演に行ったことをちょっぴり自慢してもいいかな? >>15
そのような羨ましい貴重な体験をどんどんご披露して欲しいщ(゚Д゚щ)カモーン テンシュテットとロンドンフィル1988年来日公演
市川で聴いたベートーヴェンの英雄が作曲者が乗り移ったような超名演
数日後のサントリーホールのワーグナーの夕べが大評判で
ベートーヴェンの方は全然話題にならなかったけれど、自分的には一生の思い出 >>17
ワシが横浜で聴いたのはエロイカだったのかな?
プログラムすら忘れてしまったけど、性能があまりよろしくないロンドンフィルというのが残念でね
それはよく覚えている
テンシュテットにはもっといい楽器を持たせてあげたかったな ベルリンドイツオペラで指環全曲
指揮はハインリヒホルライザー 東側だったウンターデンリンデンのシュターツオーパーもよく来てたな。
タンホイザー、マイスタージンガー、魔弾の射手とかやってた。
歌手は、テオ・アダム、ペーター・シュライアー、ゴールドベルクとかだったね。
シュライアーがテノール歌ってる第九のコンサートも聞いたことあるので、コンサートもやってたな。
(ドレスデンとごっちゃになってるかな?) 儂はクライバーの最後の来日で薔薇の騎士観た
あのときはJRのみどりの窓口でチケットが買えたんでそれで取れた クライバーはオペラはメトで観たがコンサートは聴けなかった 30年ほど前にウィーン国立歌劇場引っ越し公演でパルジファル観た
猫に小判、豚に真珠で長くて退屈という印象しかなかったw
どんな歌手が出てたかも全く覚えていないw
指揮者はホルライザーだったかも知れない 無死一二塁で二番打者にバントさせずにゲッツーって
低能な原は氏んでほしい >>23
1987年だったかな
バイロイトでバレンボ指揮のパルジファルを観たけど、それはそれは異常なまでの緊張感と灼熱の炎のように熱い完全燃焼の音楽だった
あの日あの時、バレンボにはフルヴェンの魂が確かに憑依していた
イェルザレム・マイヤー・ゾーティンそれぞれ良かったが、フランツ・マズーラの悪人っぷりが申し分のない出来栄え >>20
1982年にNHKが招へいしたライプツィヒ放送交響楽団&合唱団
(指揮:ウォルフ・ディーター・ハウシルト )のベートーヴェン第9
のテノールがペーター・シュライアーで、当時話題になった
コンサートは観ていないが、素晴らしい演奏だったこともありNHK
で何回か放送された記憶 >>27
ミサソレ聴いた
ソリストも東独の代表格を揃えて申し分ないけれど、それ以上にコーラスの純度の高いハーモニーに驚嘆した
コーラスの総勢50人程度だったか
でも決して痩せたり箱庭的に小さくまとまることなく、広がりと厚みを伴っていたことが当時高校生だったオレには不思議でならず、これが本場物の強みなんだろうと自身に言い聞かせていた
ポジションはNHKホールの天井桟敷だったが、条件の悪さなど毛ほども気にならず、東独の至宝にひたすら酔いしれていた
やはり若い時分の貪欲さや吸収力にはかなわないね ロジェヴェンとソ連国立文化省オケ(1986年)
演目にロジェヴェンらしいマイナーな曲があって、楽譜(団員全員の分)を
日本に持ってくるのを忘れ、日本でも調達できず、曲目変更があったと記憶する
オケはバカ上手で、日本の楽団とは次元が違い過ぎた >>21
俺も薔薇の騎士を最終日に見た。
最後にクライバー含めて鏡割りをするところまで見ていた。 ティーレマンとベルリンドイツオペラ
→ボロクソ言われてたけどそんなに悪くなかったような
メータとベルリンフィルのブル8
→絶賛の嵐だったけどそれほどでもなかったような メータとウィーンフィル
→楽しみにしていたラン・ランとのショパンP協よりも
英雄の生涯の方が熱演だった
メータはNYフィルとバイエルン国立歌劇場の来日
公演も聴いているが、引っ張りだこですねぇ あれは夏だった
ニューヨークと来たときにホールの空調が故障したとかで蒸し風呂みたいな暑さの中でやったことがあった
メインはリングの抜粋だったか
メータもメンバー全員も上着を脱いで白シャツ一枚で指揮演奏してた
3階席のオレも汗だくで聴いた スガは総理大臣の任命権者である天皇によって26日の国会招集日に「総理に任命しない」と言われる
「未来志向」「従来の枠にとらわれない」「前例のない」・・・ 朝鮮系在日が使うチョン電痛在日語
チョン電痛は解散となる
選挙で勝てば何をやってもいいと考える、民主主義をはき違えた土人だな
選挙公約では都合の悪い事は一切言わず、当選すれば手のひらを返す詐欺師
日本国憲法はトップダウン政治を否定しており
小泉以降の政策は憲法違反で無効
党首が選挙区候補者を公認する制度も憲法違反
今回の総理による日本学術会議の任命拒否も違憲であり
学者はスガに直ちに辞職するよう要求し全国にて訴訟すべき
公認を得られない立候補予定者も提訴すべき
(選挙区の候補者はその選挙区の党員の平等投票のみによって決定されなければならない。
また必ず5割を超える獲得率の者が出るまで決選投票を繰り返して決めなければならない。)
今回の自民党総裁選も無効であり、スガは党首ではない
したがってスガは総理でもない
総理、総裁の地位否定の訴訟を全国で起こすべき
小泉以降の無茶苦茶な法否定政治は 全国的な訴訟の嵐によって潰れる
ほとんどの悪政、悪措置、公私混同に対し訴訟の嵐が起こる
野党は毎週街宣し、訴訟もしなさい
世論調査を不正に操作したメディアには国家予算の1パーセント相当額を賠償する責任があるので
これも訴訟。
政権からの委託により公費でステマをした企業には解散命令と賠償責任。これも訴訟。
チョンアベ・あきえ・スガは 「法に基づいて適切に対応した結果」刑務所で余生を過ごせ 同じくメータがNYフィルと来日したとき、なんと日本武道館で
開催し、キャパがでかいので\10,000を切る破格の安さ
新世界は、桶からの直接音と奥から跳ね返ってくる遅れた
残響音が、客席上でぶつかり合い滅茶苦茶だったw
定番アンコールの星条旗よ永遠なれが一番盛り上がった コンヴィチュニー&ゲヴァントハウスを観た人居ますか? ワシの祖父が聴いてる
来日公演のプログラムがあるけど、コンビとメンバー数人に青の万年筆でサイン入れてもらってる SACDとか出たせいかあちこちでコンヴィチュニーが話題だね
俺はムラヴィンスキー&レニングラードとショルティ&ロンドンフィル聴いた
まだ高校〜大学生だったけど、クライマックスでバカでかい音だったのはよく覚えている 最近(10年ぐらい前)のコンサートですが
キエフ国立フィルハーモニーinサントリーホール
チャイコフスキー/Vn協奏曲
ラフマニノフ/P協奏曲第2番
ドボルザーク/新世界
チケットはそんなに高くなく、買ったときは「何てお得なコンサートだろう♪」
と思ったが、いざ聴くと、デスマッチのような耐久プログラムにお腹一杯で
もうヘロヘロ
対して、最後まで強音を響かせ続けた桶は、流石おそロシア
因みにピアノは アリス=紗良・オット さんでした(*´艸`*) >>40
失礼いたしました
ソビエト社会主義共和国連邦全盛期世代ですのでご容赦を... ピエロフラーヴェク チェコフィル1991年
この来日はノイマン、クーペリックと共に
来日。ノイマンで既に聴いていたけど、柏が売れ残っていたので買った。
小さなホールだったが、そこで聴いた第九を超える演奏に出逢っていない。会場の殆どが歓声をあげたのでは。
この演奏を最後に
ピエロフラーヴェクはチェコフィルを離れた。
たまたま買った公演にそんな歴史的瞬間を共にできたのは幸せだった 東京芸術劇場のフリペ『芸劇BUZZ』vol.33 2020 10|11|12
舞台管理担当係長の石丸耕一(音響統括)なる人物が
開館記念公演のマーラー・チクルスの回顧談で
芸劇の音は「華やかでリッチ」。その個性がマーラーの音楽によく合う。
当時はまだ、マーラーが一部のマニアを除いて、一般には知られていないなかでのチャレンジだった。
などとほざいている。
公立施設と、そこの職員は、やっぱりダメなんだと嘆息。 >>14
ちょっと認識が違う
たとえば1966年の来日騒動、おれも古雑誌で見ただけだが、
何日もプレイガイド(死語)に並んでチケット入手してる光景は異常だよ
晩年は晩年として、人気のピークはウィーンフィルと来た59年から
77年ごろだと思う。 >>35
キャンディード、パリのアメリカ人
コープランドの初演モノと新世界
・・・・懐かしい >>44
取れる取れないは今のネット予約だとほぼ運次第だけど、あの当時は努力と熱意で何とかなったんだよね
それが愛好家のバロメーターみたいな
オレも経験あるけど、何日も並ぶオレってよほどのクラキチなんだと呆れる反面、そんな自分に酔っていたんじゃないかと思う ここだと最近の話と言われそうだが、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターを聞いてみたいと思っていたら、
ケント・ナガノ指揮リヨン歌劇場で来日したので聞きに行ったな。当時はもう、オクタヴィアンやセストなどの
男役からカルメン役などに移った時期でカルメンの舞台を見た。
現在はいつの間にかもう白髪のおばあちゃんになってしまっていて、老けるの早いなと驚いた。
あとは、聞いた当時はもうオペラの舞台は引退してリサイタルだったが、ニコライ・ゲッダをよく覚えてる。
録音で聴く通りのとてもうまい人だった。
プロクラムはおそらく誰もがゲッダで聞きたいであろうと思うような、愛の妙薬とかメリーウィドーからの
曲が入っていて会場も和やかな雰囲気だった。 オッターは30年前にメトでオクタビアンを聴いた
売り出し中でやんやの喝采だった
同じ頃ルードウィヒがワルトラウテ歌って大喝采
世代交代を感じた >>43
池袋のホールトーンは「貧相で地味」だろw
そいつ、耳が腐ってんのか?
シノーポリのマーラー・チクルスは音響の点でも
同時期のベルティーニ@サントリーの後塵を拝していた 24 名無しの笛の踊り 2020/10/28(水) 20:29:59.71 ID:AMGVkYN6
ショルティといえば1990年の来日の時
楽屋に押し寄せたファンにサイン会を始めたものの、
最前列常連で有名なデブジジイが何十枚ものCDジャケにサインをせがみ
ショルティがマジ激怒してサイン会を即刻中止にしたことがあった。
以後、ショルティは日本ではサイン会をしなくなった。
これはウソでもネタでもなく、実話。 >>35
その時の五反田に行ったな〜
ブラ4に始まり、バッハのVnコン、ワーグナー
だったと思う
洋楽も好きなので武道館は何度も行ったことがあり、あそこでクラシックはイヤだなと思った。
でも友人が祭り気分で武道館公演に行った
夏休みでもあり客席ガラガラだった、と言っていた
大阪城ホールでもその「新世界」プログラムやったはず
80年代半ばくらいだったと記憶している
あちこちパンフ探したが見つからない
前に増えすぎて超巨匠のを残して処分したことがあるから、そのとき捨ててしまったみたい >>51
アレは確かグンゼの冠コンサートだったな
チケをクラとは縁遠いキョードー東京で買った記憶がある 1984年
8月18日:大阪城ホール
8月22日:日本武道館
バーンスタイン/キャンディード序曲
コープランド/静かな都市
ガーシュウィン/パリのアメリカ人
ドヴォルザーク/交響曲第9番
8月20日:簡易保険ホール
ブラームス/交響曲第4番
バッハ/二つのヴァイオリンの為の協奏曲
ワーグナー/神々の黄昏より夜明けとジークフリートのラインの旅
ワーグナー/神々の黄昏よりジークフリートの葬送行進曲
ワーグナー/ワルキューレよりワルキューレの騎行
メータ+NYフィルは指環の管弦楽曲集を録音していましたね 武道館といえば
ナベサダさん&東京フィルのライヴに行った
D・グルーシンのアレンジがいまいち
それにPAも下手くそだった
でもラストの「マイ・ディア・ライフ」で号泣した 1993年4月 ラザレフ/ボリショイ
タコ8フラ拍手→キモヲタ暴動w 書き込みもないようだし思い出を
バブル時代アメリカの田舎の総合大学に留学していた
そこでは二つのコンサートシリーズがあってなかなかの内容
大講堂でやる一般的なのはラローチャ、ゴールウェイ、チョントリオ、アイザックスターン、ジンマン/ロチェスターPOなど痛恨はブレンデル/オルフェウスの組合せを試験とぶつかって前半聞き逃したこと
もう一つは教会でのモダンのシリーズで箸にも棒にもかからないのもあったがフィリップグラスのソロコンサートやクロノスもあった カラヤンの実演を初めて聴いた
1979年10月21日:普門館
ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
トモワ=シントウ(S) バルダーニ(A)
シュライヤー(T) ファン・ダム(Br)
ウィーン楽友協会合唱団 カラヤンは普門館での演奏が多かったですかねー
当時は新宿厚生年金会館とか日比谷公会堂とか、
クラシックを演奏するのにロコな箱が無かった 1983年のイ・ムジチ合奏団。
ピーナ・カルミレッリ以降のイ・ムジチはピリオド的傾向になってしまい残念。 擦り切れるほど聴いたアーヨ&イムヂチの四季。
しかし実演には一度も接したことのないイムヂチ。 とくに「春」ではアーヨの流れるような雰囲気から一転して、
ミケルッチでの快活とした音楽作りは好みの分かれるところ。 そーいえば
ソティエ音楽工房が夜逃げしてから
今年で20年経つなぁ 鳥取市民会館に来た大阪フィルと朝比奈隆だな
俺は中学生だった
ブラームス交響曲4番とチャイコフスキー交響曲5番をやった
ドサ回りらしい濃いプログラムだった; >>65
世界のギタリスト、セット券が紙切れになったよ 代表者は今も音楽関係のトークショーに呼ばれたりしてるようだが 昭和30年前後の神戸国際会館での原智恵子
ガスパール・カサド チェロリサイタル
母親に連れられ行きました。また小学生。 ソティエ音楽工房、懐かしー
たしか社長は倒産した新芸の残党 1975.5.13に東京文化会館でムラヴィンスキー指揮
レニングラードフィルのチャイコフスキー 交響曲第5番
の迫力のある素晴らしい演奏で感動しました。
, 1979.4.30 日比谷公会堂で ウィルヘルム・ケンプ(p)リサイタル
ケンプが到達した深遠な境地に深い感銘を受けました。
特にプログラム後半のブラームス 間奏曲&狂詩曲は素晴らしかったです。 生意気盛りの中高生だった70年代ピアノは故バックハウスがドイツ音楽の頂点として尊敬され、アシュケナージ、ポリーニ、アルゲリッチなど若手が次々と新譜を出しブレンデルがドイツ音楽の正統な解釈者としての地位を確立しつつあった
その中でケンプはなまじ存命故に老大家、老いぼれのイメージが強く乏しい小遣いを費やす対象にはなりにくかかった
しかし今改めて残された録音を聴くとその音楽がまるで音楽がその場で生成されているかのようになんと瑞々しいことか >>73
わかるなあ
当時ケンプは「まだ生きて弾いてるのか」みたいに思われてたふしがある
しかし、それならばケンプより更に年長のアルトゥール・ルービンシュタインが「老大家」の名を欲しいままにして敬愛されていたのは何故なんだろうか ルビンシュタインはバレンボイムとのベートーベンの力が大きかったと思う
あれはあの年齢にして徹底的に練習し直して臨んだそうだ
もっともその後のメータとのブラームスはみんな沈黙してしまったが >>1-75
キモヲタの成れの果てが、これw
こういう人生だけはゴメンだねぇw 70歳になる叔母が音大ピアノ科の学生だった時、アルゲリッチのドタキャン、
ミケランジェリのドタキャン、リヒテルの貧血中断と言う事件に
立て続けに遭遇したそうな。ある意味時代の証言者。 >>76
運よく巨匠の時代を知らないから無駄にオタなどになることもなく、
細かい知識についていく必要もない。
ただネット時代に相応しく正当に人を揶揄することだけは誰よりも長けている、
こういう現代の常識人に憧れますわ〜 ゲルギエフがロッテルダム連れてきて演ったシエラザード
最後の嵐のところは、どんどんテンポ上がってオケが壊れるんじゃないかと思ったくらいスリリング >>79
昔キーロフと来たとき大宮で聴いたな
名演だった >>79
同じ組み合わせでラヴァルス。
こんなに複雑な曲なのに、なんであんな指揮にオケは合わせられるんだ?って衝撃 >>83
でも興味津々で読むのやめられないんでしょ? 1995年3月八尾市民会館での千住真理子のコンサートくらい。クラシックはこれしかない。たまたま職場の同僚と行った。震災直後で物々しい頃だった。 >>85
東日本大震災の直後来日中止が相次ぐ中メトロポリタンオペラが来た
素晴らしかった >>1-86
キモヲタの成れの果てが、これ w
こういう人生だけはゴメンだねぇ w 一九九二年三月二七日県民ホールでのアシュケナージ。ベートーベンのソナタ31,32ぶらーむすのOP79、ヘンデルバリエーション、すばらしかった
衰える前のアシュケを聞けたのは最高の思い出
其れと、九五年九月一八日サントリーホールでのブレンデル、ベートーベンの最後の三つのソナタ。これも素晴らしかった
あと、九三年だったか忘れたが、ビアノーバ四重奏団の東京文化会館でのフォーレ、ラベル、フランクの四重奏曲
これも最高だったね。特にフランクの四重奏曲は録音自体も少ないが、これを生で聞くことがで来たのは最高の思い出
フィッツウィリアム四重奏団のCDを何とか見つけて手に入れ、予習したことも懐かしい 1. 1979年4月たぶん14日 (物置のダンボールにしまってあるチケットを探せばいいけど、だるい)
ウィーン国立歌劇場 当時のイスラエルの首相ベギン氏来場 「コシ・ファン・トゥッテ」 ペーム指揮
ペーター・シュライヤー、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、レナーテ・ホルム、あと誰だったっけな。
大学の友だちと2人でイタリア〜オーストリア〜ハンガリーに2か月間+貧乏旅行していて、ウィーンには3週間くらいいた。
だいたい2週間後のプログラムなら歌劇場のチケット売り場で座席が取れたので(当時)、ウィーンについてすぐ買った中の一つ。
2人で毎日何かのオペラかコンサートに行って(だいたい立ち見か天井桟敷)、
ノルトゼーかヴィーナーワルドのチェーンレストランで何か食べながらおしゃべりしてホテルに帰るんだけど、
その晩は友だちも自分も、ホテルの部屋に帰るまで言葉が出なかった。
2. 1986年5月19日 人見記念講堂 クライバー/バイエルン響追加公演 「伝説の」ベートーベンの4番、7番。
コンマスの前あたり3列目。実は4番はレコードで期待していたほどではなく、首を振りながらテキトーに拍手した覚えがある。
だけど、7番はなんだかオケの音も4番に比べて大きかったような気がしたし、
4楽章に入ってからは「こんなんありかよ」という感じで顔が笑いっぱなしになった。
コンマスは顔真っ赤にして汗だくで、その後ろの女性奏者は観客の熱狂を見て微笑んでた。
終わった時の怒涛のような歓声は忘れられない。
続く 3. 2000年10月か11月 紀尾井ホール ウィーン弦楽四重奏団+シュミードル他 「シューベルト八重奏曲、ブラームスクラリネット五重奏曲」
ブラームスでのウェルナー・ヒンクのヴァイオリンが絶妙で、この曲は中年になった自分のために書かれていたのだとか妄想した。
4. 2002年12月31日 ウィーンムジークフェライン ウィーン・フィル ジルベスターコンサート アーノンクール指揮 コンマスはヒンク
12月の終わりに何日間か同じプロをやるんだけど「2003 ニューイヤーコンサート」の前日の晩に行われた同プロのもの。
後でDVDを買って気づいたのだが、DVDの音源は元日のとは限らないみたいね。
2曲目のSchatz Walzer のはじめにせき込んだのは自分です。あまりにもきれいな響きだったので息をつめて聞いてたら、むせた。
みなさん、まことに申し訳ありません。
いや、元日も誰かむせたのかもしれないけどw
あと思いつくのは、1970年代 県民会館の小ホールも埋まらなかった、バルトーク弦楽四重奏団 ラズモフスキーとバルトークのプロ。
後半、ばらばらに座っていた客がみんな前に詰めてきて聞いてた。バルトークは圧巻だった。
客は100人もいなかったと思うが、演奏者も手を抜かなかった。つくづくもったいないと感じたわ。
もったいないと言えば、1966年のカラヤン/ベルリン・フィル 東京文化会館 田園 運命
丸の内に勤めてた叔母が、当時小学生でピアノとヴァイオリンを習っていた自分にチケットを取ってくれたのだが、
クライバーを聞くまでベートーヴェンつまんねと思っていたのはこのコンサートが原因だと思う。
耳と感受性がガキすぎて、猫に小判だった。
スレちだけど、ブルース・スプリングスティーン、ゲイリー・バートン&チック・コリア、キース・ジャレットもいいコンサートだったよ。
ここ2年どこにも行けてないよ。来年はコンサートに行けるといいんだが。
オンラインでショパンコンクールを全部見られるなんて、法外の幸せだったけど、やっぱりね。 人見といえばベーム
人見のベームといえばキモヲタwwwwwwwwwwww
あれから40年、あのキモヲタどももキモジジイになったことだろう 朝比奈信徒とかもだけど
ニヤついて一般参賀とかやってる輩って
なんであんなにキモいんだろ? ギレリス最後の来日(1984)で弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲第27番。
超一流とはこういうものかと悟った初めての機会でした。 >>94 いるいる
その場で殴り潰して構わないっすよ 1983年5月、大阪フェスティバルホール。
アバド指揮ロンドン交響楽団。初めて行ったクラシックのコンサート。
完売間際で購入のため、最前列の左端に近い席。
一流オーケストラの生の演奏に恐ろしいほど興奮した。
でもアバドの横顔しか見えなかった。雑誌で見たのと同じ顔だった。www 一〇〇みたいなヤシって妬ましくてしょうがないんだな
確かに、最近は感動出来るような演奏会に出くわすことってなかなかないものな
幾ら妬んだところで、自分が惨めになるだけだよw サントリーホール/オープニング・シリーズ
1986年10月17日-18日
マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノ:ルチア・ポップ、豊田喜代美、佐藤しのぶ
アルト:白井光子、伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル
バス:フランツ・マイヤー
合唱:東京芸術大学合唱団、NHK児童合唱団
演奏:東京都交響楽団
指揮:若杉弘
東京に初めて開館したクラシック専用ホールで連日
国内外の演奏家が熱演を繰り広げたオープニング
シリーズプログラムのひとつ
当時は今以上に演奏の機会の少なかった千人ですが、
桶の音を潰すことのない少数精鋭の合唱団と充実の
ソリスト陣、そして絶頂期のマエストロのタクトに追従
する都響がまさに伝説を残しました >>108
その年のすぐあとに新交響楽団の演奏会で歌いました
ソリスト陣のうち豊田さんは共通してますね
指揮は山田一雄 ごめんなさい、演奏日はそれよりも少し前です
何故ならゲネプロでオープン前のサントリーホールを使ったからです
そうなんです、カラヤンよりも先にあの舞台で演奏したんですよ 一昨日の都響
不思議な役人
リストPC第1番
ハーリヤーノシュは楽しかった
両親の墓参りに行った流れで 国際フォーラムでのフィリッパジョルダーノでした。魂が震えました。 1987年、グルベローヴァ、サントリーホール、オペラアリアの夕べ。ホールの中央付近に陣取った。
ルチアの狂乱の場、彼女が最高音を長く張り上げた途端、あの広いサントリーホールの空間が完全に飽和して鳴り響いて、声が前方のステージから聞こえてくるのではなくて自分の左右前後、周囲の全方向から彼女の声が押し寄せて、あたかも自分が宇宙空間に放り出されたかのように方向感覚が失われた。拍手の嵐、茫然自失。声楽は結構行ったが、あのような経験は二度となかった。 1981年10月
カラヤン/ベルリン・フィル
ブラームス第3番・第1番(上野文化)
DGGの音がした。
第1番終楽章の金管には翔ばされた
目の前真っ赤
同じ経験はスヴェトラーノフ/ソビエト国立交響楽団のタコ5しかない(厚生年金会館) >>110
カラヤンは体調を崩してサントリーホール
オープニングシリーズに来日できませんでしたね
代わりに小澤が日本では初めてベルリンフィルを
振ってある意味話題となりました >>119
カラヤンはブルックナーの第9番を予定してたんでしたっけ? >>120
もともと3日目にブルックナー9番が予定されていたが
「英雄の生涯」に変更
初日と2日目はベト4とブラ1に変わった >>122
前座はなんでしたか?
ブルにしても英雄にしても いつだったか忘れたが80年代末期の防府か徳山の読響のマラ5
なけなしの金でチケット買ってのりこんだ
演奏は地方公演のせいか明らかにやる気なしチェロのトップ裏は満足に弓を動かすことができないようにすら見えた
マラ5終了直後に泣きながらダッシュで帰ったからアンコールがあったかどうかも知らぬ若き日の過ち ≫123
「英雄の生涯」の日の前半は「未完成」でしたね。
英雄の生涯での途中、戦いのあたりで舞台下手にいたハープ首席の
弦が「バン」と言う音とともに切れて演奏中いったん退席、
すぐに戻って弦を張り替えて、何事もなかったかのように演奏復帰したのには
ハラハラしました。 クラシック聞くとアタマが良くなるとかいう俗説は
全くのデタラメだってことが証明されたねぇww
聞き専ジジイ、ざまぁwww 1988年4月、カラヤン最期の来日。
大阪ザ・シンフォニーホールで「展覧会の絵」が終わった途端、ホールの全員が歓声と共に、一斉に立ち上がったこと。
普通、スタンディングオベーションと言っても、前が見えなくなって立ち上がるのが、ほとんどだが、
終わった途端、全員がだぜ。
あれから35年も経つけど、あんなことは、もう無いね。 カラヤン聞くとアタマが良くなるとかいう俗説は
全くのデタラメだってことが証明されたねぇww
聞き専ジジイ、ざまぁwww 88年っていったら、よれよれボロボロの演奏垂れ流してた時か
なにがスタンディングオベーションだよw チェリとミケランジェリ。人見で。さっぱり良くなかったが、威張れる。 1986年10月15日 東京文化会館
セルジュ・チェリビダッケ、ミュンヘン・フィル
どろぼうかささぎ、死と変容、ブラームス4番
2007年10月15日 サントリーホール
リッカルド・ムーティ ウィーン・フィル
シューベルト4番 ヒンデミット 至高の幻想 死と変容
10月15日と同じで双方とも「死と変容」が素晴らしかったです 人見で聴いたブレンデルの「展覧会の絵」
陰湿で、ねちっこくって、実にイヤな演奏だったw 2023年4月28日(金) 深夜1:25~4:25 激論!広島サミット
ド~する?!ウクライナ・核なき世界
G7広島サミット開催迫る!
泥沼化するウクライナ戦争…
双方に広がる人的被害…
“停戦”は可能なのか?!
“核なき世界”は可能なのか?!
各国の思惑と本音とは?!
緊張続く東アジア情勢…
米・中の狭間で日本はド~する?!
東アジアの平和をド~構築する?!
唯一の戦争被爆国ニッポン…
だからこそ、議長国・日本が
いま、世界に向けて言えることとは?!
【番組進行】
渡辺宜嗣(テレビ朝日)下平さやか(テレビ朝日)
【司会】
田原総一朗
【パネリスト】
片山さつき(自民党・参議院議員)
階猛(立憲民主党・衆議院議員)
大空幸星(NPOあなたのいばしょ理事長)
小原凡司(笹川平和財団上席研究員、元駐中国防衛駐在官)
木村三浩(対米自立・民族派「一水会」代表)
猿田佐世(新外交イニシアティブ代表、弁護士)
武隈喜一(国際情勢ウォッチャー、元テレビ朝日報道局長(米ロ駐在))
中村涼香(KNOW NUKES TOKYO共同代表、上智大学在籍)
羽場久美子(青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会アジア太平洋会長)
森本敏(拓殖大学顧問、元防衛大臣) >>125
あの頃の読響は「ガクタイ」丸出しだったな
練習嫌いな伝統は今に受け継がれていると聞いた こんな面白いスレッド発見したから書き込んでみます。
54歳、一番(一生)の思い出。
1988年頃?カーネギーホール。カラヤン&ウィーンフィル。
当時大学生でクラシックを好きになり始め、転勤でNY在住の親元に遊びに行ったら
なぜかチケットを取って連れていってくれた。2階席(なんかbox席だった気がしたが、忘れた)。
今になってネットで調べたら、カラヤン最晩年のコンサートツアーだったらしい(曲目は悲愴?)。
勘違いだろうが、拍手の時にカラヤンが自分(東洋人の少年)の方を見た気がしたのが思い出。
親に感謝です。なのでいま、恩返ししたいと思って、今年11月のコンセントヘボウを3枚買って
「あの時のお礼に、30年以上ぶりに3人で行こう」って言ったら、「80代で腰が痛いから嫌だ」と言われた。
2枚余った。 カラヤンにゆかりがあるウィーン、ベルリンも11月に
来るのに、あえてヘボウにした動機を聞きたくなった。 1987年6月6日
結婚式を挙げて、晩に東京文化会館へ
学生オケメンバー同士の結婚だからと
直前になって取ったチケ お金もそんなにないし 取れればなんでもよかった
マーラーの1番 懐かしいねこれやったよね
バーミンガム市交響楽団? 上手いなあ
このモジャモジャ頭のイギリス人の指揮者もなんかすごくいいなあ
32歳? 若いね サイモン・ラトルっていうんだ へえ >>143
行きました。「みなさ〜ん。ありがとうございま〜す。」とラトルが挨拶してから
アンコールのキャンディード序曲を演奏しましたね。
もう36年前ですか。www 1988年、コリン・デイヴィス &バイエルン放送響@サントリーホール。
TDKの冠コンサートだったけど、懸賞で当たって招待券もらった。
オレは浪人生だったけど、生まれて初めて聴くライヴでのクラシック。
当時はオケが上手かったの、指揮者が凄かったのってのが全然わかんなかったけど、ホールに響く音響の素晴らしいさは瞬間的にわかった。
プログラムはモーツァルトの40番とマーラーの1番。ライヴのど迫力があまりの素晴らしく茫然自失となった。以来、クラオタの道を歩み始めたオレ。
童貞の少年が絶世の美女で筆下ろししてもらった感じ? 1990年夏、札幌厚生年金会館(当時)
第一回PMFのメインイベントでロンドン交響楽団をバーンスタインが指揮
演目の途中でホルンメンバーの1人が倒れて演奏中断
一旦バーンスタイン始めキャストが袖に下がりその人抜きで再び演奏会続行
ハプニングもあったしどんな演奏だったかほとんど覚えてないのだが
ウエストサイドのシンフォニックダンス演奏したけどそれはなぜか大植が指揮
バーンスタインはシベリウス1番だけだったと思う
その後ロンドン響と東京大阪公演の予定だったけど天覧演奏会だけこなしてそのあとキャンセルになったと記憶してる
帰国後10月にバーンスタイン死去
日本公演キャンセルは病気を伏せてたせいでかなり批判出てたんだよな カラヤン、バーンスタインと相次いで亡くなった。
当時就職したばかりで音楽どころじゃなかったが、かなりショックだったな・・ 1973年のバレンボイム来日
当時俺は幼稚園だった
姉が「うわーっすっごいハンサム(イケメン)」と騒いでたな
舞台姿に身震いがするとも言ってた
今のハゲのブサイクジジイからは想像もつかないほどの
イケメンだったんだよw 1978年、初めての外来オケ体験は、マゼール/クリーヴランドOでした。ひたすらパワーに圧倒されて、細かい事は覚えていません。チケットはB5800円でした。 それ行ったけど、マゼールの指揮は手抜きにしか見えなかったw 1976年来日の小澤&サンフランシスコ響。東京文化会館でダフニス全曲を初めて聴いた。
アメリカのオケの恐るべき巧さに腰抜かすほど驚いたな。
かつてパリ音楽院管弦楽団の来日で「日本のオケがこのレベルに達する日は永遠にこないのでは」
と言われたそうだが、それと同じ感想を持った。 ギーレンが振ったN響だな
ボンクラにスパルタ制裁仕込んだ感じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています