50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート★2
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一人ひとりに思い出のコンサートあり
鋭敏な耳と繊細な感性で数多の音楽を吸収した経験豊富な50歳以上の
オッサン(もちろんオバサンも含む)限定のスレです
昭和平成名演駄演なんでも結構
あなたの心に残るコンサートを上げて下さい
なおナウなヤングは御遠慮願います
前スレ
50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1557141035/ 一〇〇みたいなヤシって妬ましくてしょうがないんだな
確かに、最近は感動出来るような演奏会に出くわすことってなかなかないものな
幾ら妬んだところで、自分が惨めになるだけだよw サントリーホール/オープニング・シリーズ
1986年10月17日-18日
マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノ:ルチア・ポップ、豊田喜代美、佐藤しのぶ
アルト:白井光子、伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル
バス:フランツ・マイヤー
合唱:東京芸術大学合唱団、NHK児童合唱団
演奏:東京都交響楽団
指揮:若杉弘
東京に初めて開館したクラシック専用ホールで連日
国内外の演奏家が熱演を繰り広げたオープニング
シリーズプログラムのひとつ
当時は今以上に演奏の機会の少なかった千人ですが、
桶の音を潰すことのない少数精鋭の合唱団と充実の
ソリスト陣、そして絶頂期のマエストロのタクトに追従
する都響がまさに伝説を残しました >>108
その年のすぐあとに新交響楽団の演奏会で歌いました
ソリスト陣のうち豊田さんは共通してますね
指揮は山田一雄 ごめんなさい、演奏日はそれよりも少し前です
何故ならゲネプロでオープン前のサントリーホールを使ったからです
そうなんです、カラヤンよりも先にあの舞台で演奏したんですよ 一昨日の都響
不思議な役人
リストPC第1番
ハーリヤーノシュは楽しかった
両親の墓参りに行った流れで 国際フォーラムでのフィリッパジョルダーノでした。魂が震えました。 1987年、グルベローヴァ、サントリーホール、オペラアリアの夕べ。ホールの中央付近に陣取った。
ルチアの狂乱の場、彼女が最高音を長く張り上げた途端、あの広いサントリーホールの空間が完全に飽和して鳴り響いて、声が前方のステージから聞こえてくるのではなくて自分の左右前後、周囲の全方向から彼女の声が押し寄せて、あたかも自分が宇宙空間に放り出されたかのように方向感覚が失われた。拍手の嵐、茫然自失。声楽は結構行ったが、あのような経験は二度となかった。 1981年10月
カラヤン/ベルリン・フィル
ブラームス第3番・第1番(上野文化)
DGGの音がした。
第1番終楽章の金管には翔ばされた
目の前真っ赤
同じ経験はスヴェトラーノフ/ソビエト国立交響楽団のタコ5しかない(厚生年金会館) >>110
カラヤンは体調を崩してサントリーホール
オープニングシリーズに来日できませんでしたね
代わりに小澤が日本では初めてベルリンフィルを
振ってある意味話題となりました >>119
カラヤンはブルックナーの第9番を予定してたんでしたっけ? >>120
もともと3日目にブルックナー9番が予定されていたが
「英雄の生涯」に変更
初日と2日目はベト4とブラ1に変わった >>122
前座はなんでしたか?
ブルにしても英雄にしても いつだったか忘れたが80年代末期の防府か徳山の読響のマラ5
なけなしの金でチケット買ってのりこんだ
演奏は地方公演のせいか明らかにやる気なしチェロのトップ裏は満足に弓を動かすことができないようにすら見えた
マラ5終了直後に泣きながらダッシュで帰ったからアンコールがあったかどうかも知らぬ若き日の過ち ≫123
「英雄の生涯」の日の前半は「未完成」でしたね。
英雄の生涯での途中、戦いのあたりで舞台下手にいたハープ首席の
弦が「バン」と言う音とともに切れて演奏中いったん退席、
すぐに戻って弦を張り替えて、何事もなかったかのように演奏復帰したのには
ハラハラしました。 クラシック聞くとアタマが良くなるとかいう俗説は
全くのデタラメだってことが証明されたねぇww
聞き専ジジイ、ざまぁwww 1988年4月、カラヤン最期の来日。
大阪ザ・シンフォニーホールで「展覧会の絵」が終わった途端、ホールの全員が歓声と共に、一斉に立ち上がったこと。
普通、スタンディングオベーションと言っても、前が見えなくなって立ち上がるのが、ほとんどだが、
終わった途端、全員がだぜ。
あれから35年も経つけど、あんなことは、もう無いね。 カラヤン聞くとアタマが良くなるとかいう俗説は
全くのデタラメだってことが証明されたねぇww
聞き専ジジイ、ざまぁwww 88年っていったら、よれよれボロボロの演奏垂れ流してた時か
なにがスタンディングオベーションだよw チェリとミケランジェリ。人見で。さっぱり良くなかったが、威張れる。 1986年10月15日 東京文化会館
セルジュ・チェリビダッケ、ミュンヘン・フィル
どろぼうかささぎ、死と変容、ブラームス4番
2007年10月15日 サントリーホール
リッカルド・ムーティ ウィーン・フィル
シューベルト4番 ヒンデミット 至高の幻想 死と変容
10月15日と同じで双方とも「死と変容」が素晴らしかったです 人見で聴いたブレンデルの「展覧会の絵」
陰湿で、ねちっこくって、実にイヤな演奏だったw 2023年4月28日(金) 深夜1:25~4:25 激論!広島サミット
ド~する?!ウクライナ・核なき世界
G7広島サミット開催迫る!
泥沼化するウクライナ戦争…
双方に広がる人的被害…
“停戦”は可能なのか?!
“核なき世界”は可能なのか?!
各国の思惑と本音とは?!
緊張続く東アジア情勢…
米・中の狭間で日本はド~する?!
東アジアの平和をド~構築する?!
唯一の戦争被爆国ニッポン…
だからこそ、議長国・日本が
いま、世界に向けて言えることとは?!
【番組進行】
渡辺宜嗣(テレビ朝日)下平さやか(テレビ朝日)
【司会】
田原総一朗
【パネリスト】
片山さつき(自民党・参議院議員)
階猛(立憲民主党・衆議院議員)
大空幸星(NPOあなたのいばしょ理事長)
小原凡司(笹川平和財団上席研究員、元駐中国防衛駐在官)
木村三浩(対米自立・民族派「一水会」代表)
猿田佐世(新外交イニシアティブ代表、弁護士)
武隈喜一(国際情勢ウォッチャー、元テレビ朝日報道局長(米ロ駐在))
中村涼香(KNOW NUKES TOKYO共同代表、上智大学在籍)
羽場久美子(青山学院大学名誉教授、世界国際関係学会アジア太平洋会長)
森本敏(拓殖大学顧問、元防衛大臣) >>125
あの頃の読響は「ガクタイ」丸出しだったな
練習嫌いな伝統は今に受け継がれていると聞いた こんな面白いスレッド発見したから書き込んでみます。
54歳、一番(一生)の思い出。
1988年頃?カーネギーホール。カラヤン&ウィーンフィル。
当時大学生でクラシックを好きになり始め、転勤でNY在住の親元に遊びに行ったら
なぜかチケットを取って連れていってくれた。2階席(なんかbox席だった気がしたが、忘れた)。
今になってネットで調べたら、カラヤン最晩年のコンサートツアーだったらしい(曲目は悲愴?)。
勘違いだろうが、拍手の時にカラヤンが自分(東洋人の少年)の方を見た気がしたのが思い出。
親に感謝です。なのでいま、恩返ししたいと思って、今年11月のコンセントヘボウを3枚買って
「あの時のお礼に、30年以上ぶりに3人で行こう」って言ったら、「80代で腰が痛いから嫌だ」と言われた。
2枚余った。 カラヤンにゆかりがあるウィーン、ベルリンも11月に
来るのに、あえてヘボウにした動機を聞きたくなった。 1987年6月6日
結婚式を挙げて、晩に東京文化会館へ
学生オケメンバー同士の結婚だからと
直前になって取ったチケ お金もそんなにないし 取れればなんでもよかった
マーラーの1番 懐かしいねこれやったよね
バーミンガム市交響楽団? 上手いなあ
このモジャモジャ頭のイギリス人の指揮者もなんかすごくいいなあ
32歳? 若いね サイモン・ラトルっていうんだ へえ >>143
行きました。「みなさ〜ん。ありがとうございま〜す。」とラトルが挨拶してから
アンコールのキャンディード序曲を演奏しましたね。
もう36年前ですか。www 1988年、コリン・デイヴィス &バイエルン放送響@サントリーホール。
TDKの冠コンサートだったけど、懸賞で当たって招待券もらった。
オレは浪人生だったけど、生まれて初めて聴くライヴでのクラシック。
当時はオケが上手かったの、指揮者が凄かったのってのが全然わかんなかったけど、ホールに響く音響の素晴らしいさは瞬間的にわかった。
プログラムはモーツァルトの40番とマーラーの1番。ライヴのど迫力があまりの素晴らしく茫然自失となった。以来、クラオタの道を歩み始めたオレ。
童貞の少年が絶世の美女で筆下ろししてもらった感じ? 1990年夏、札幌厚生年金会館(当時)
第一回PMFのメインイベントでロンドン交響楽団をバーンスタインが指揮
演目の途中でホルンメンバーの1人が倒れて演奏中断
一旦バーンスタイン始めキャストが袖に下がりその人抜きで再び演奏会続行
ハプニングもあったしどんな演奏だったかほとんど覚えてないのだが
ウエストサイドのシンフォニックダンス演奏したけどそれはなぜか大植が指揮
バーンスタインはシベリウス1番だけだったと思う
その後ロンドン響と東京大阪公演の予定だったけど天覧演奏会だけこなしてそのあとキャンセルになったと記憶してる
帰国後10月にバーンスタイン死去
日本公演キャンセルは病気を伏せてたせいでかなり批判出てたんだよな カラヤン、バーンスタインと相次いで亡くなった。
当時就職したばかりで音楽どころじゃなかったが、かなりショックだったな・・ 1973年のバレンボイム来日
当時俺は幼稚園だった
姉が「うわーっすっごいハンサム(イケメン)」と騒いでたな
舞台姿に身震いがするとも言ってた
今のハゲのブサイクジジイからは想像もつかないほどの
イケメンだったんだよw 1978年、初めての外来オケ体験は、マゼール/クリーヴランドOでした。ひたすらパワーに圧倒されて、細かい事は覚えていません。チケットはB5800円でした。 それ行ったけど、マゼールの指揮は手抜きにしか見えなかったw 1976年来日の小澤&サンフランシスコ響。東京文化会館でダフニス全曲を初めて聴いた。
アメリカのオケの恐るべき巧さに腰抜かすほど驚いたな。
かつてパリ音楽院管弦楽団の来日で「日本のオケがこのレベルに達する日は永遠にこないのでは」
と言われたそうだが、それと同じ感想を持った。 ギーレンが振ったN響だな
ボンクラにスパルタ制裁仕込んだ感じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています