吉田秀和はノーベル文学賞を取るべきだった!
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みんなそう思うだろ。
読んだ事無い人は可哀想。
全集はヤフオクに定期的に格安で出るから読んでみ。 吉田秀和は演奏もできないし、音楽学者でもない。
単なるド素人の評論家だよ。 白州正子氏の青山二郎伝記書が目を引きます。氏によると太平洋戦争前にすでに青山二郎は伊豆にあった別邸で低音高音に多数(おそらく10個程度)のスピーカを並べた大型システムを聴いていたようです。
白州正子が指摘しているように戦後書かれた小林秀雄のモオツァルトはこの壮大なマルチウエイの青山電蓄を聴いてその音に触発されたことが切っ掛けの一つになったことは間違いありません。小林秀雄は戦前からのオーディオファンであり五味康祐や瀬川冬樹に多大な影響を与えたことは良く知られています。
小林秀雄全集にも収録されている評論「蓄音機」では五味の狂人ぶりを優しくからかっており、そのことを五味は大層光栄に思ったようです。小林は五味のことをバスタオルと渾名し「この種の狂人は嫌いではない」と書いていて、戦中戦後のある時期骨董に狂った自分に五味を重ねて見ていたようです。大先生に誉められたことがよほど五味は嬉しかったのでしょうかSS誌に書かれた文章には時折そのことに触れておられます。その経緯を知らないと気付きにくく読んでも何のことか分からない書き方ではありますが。
瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。 蛇足ながら小林秀雄は評論「蓄音機」でオーディオ趣味が壊滅しつつある50数年後の今を、途中の隆盛の時期を含めてほぼ正確に予想していてその鋭い推論推察に全く脱帽せずは居られません。瀬川冬樹も五味康祐も自分が滅んだ後にはいずれそうなると分かっていたとおもいます。
小林秀雄は1950年代末にはパイオニアの無指向性スピーカと思われるものを使っていてその後はテレフンケンの電蓄(S8ではなくオーパス)を買い、晩年にはタンノイ3LZをQUADとEMTで鳴らされていました。
小林がテレフンケン電蓄を買った時、文学仲間の大岡昇平が負けじと同じものを買い1963年頃の芸術新潮に「わがテレフンケン」というエッセイを書いていました。
蛇足ながら白州正子氏は女性ながらデッカステレオデコラをお持ちになられていました。入手にあたっては奔走したそうで、青山が付けた渾名の「韋駄天お正」にふさわしいものでしょう。今それは湘南にお住まいのエンスージャストの手元にあります。 お義理で読んだが、いわゆる「聴き専」の元祖だな
語学が出来る分だけクラヲタより上位 580名無しの笛の踊り2021/12/10(金) 22:12:19.01ID:iXWN7sX+>>581
フルトヴェングラーも死ぬ前は弱ってたし、求心力も落ちてたから、当時旅行してた吉田秀和は、クナッパーツブッシュの方を現地の人に進められてるじゃん。
あのまま生きてても、クレンペラーの方が上になってたかもしれないよ。
583名無しの笛の踊り2021/12/10(金) 22:49:56.63ID:8LpeM2oz
1954年当時でもクナとかゴミ。
今のティーレマンの方が、全然マシ。
吉田秀和の持ち上げるための方便。
クナのリングとか、ブルックナーとかで、眠っていたら、同じとこやっていたとか、
平気で書けるような知覚障害。
日本音楽後進国状況の象徴が吉田秀和、宇野功芳
584名無しの笛の踊り2021/12/10(金) 23:50:36.83ID:8LpeM2oz
だいたい、吉田秀和がやっていた音楽批評とか、
演奏会批評とか、書いてあることは、演奏会場での気分、
レコードとかを聴いた時の自分の気分が書かれてあるだけ。
何かの資料にしようと読んでみると、あまりに中身がないので愕然とします。
茶碗や壺で例えると、窯から出されたちまち叩き割られるポンコツ作品と言うところ。 桐朋学園創立期に関与してプロの演奏家を送り出したのは具体的な貢献では?
単なる批評家じゃ無理でしょう 子供の教育だから学生でもできる仕事だよ:
1948年、斎藤秀雄、井口基成、伊藤武雄、柴田南雄、鈴木乃婦子らと「子供のための音楽教室」を開設し、初代室長。一期生には小澤征爾(指揮者)、中村紘子(ピアニスト)、堤剛(チェリスト、桐朋学園大学前学長)らがいる。「子供のための音楽教室」は、後の桐朋学園音楽部門の母体となった。一般には公にされていないがこのころ諏訪根自子にあったという。 しーぽんさんがリツイート
Kakopon
@kakopontan
日曜討論、大石あきこ議員は大阪の真実を余すところなく発信され、素晴らしかった。絶句した足立議員の姿は、維新が在阪メディアに守られた虚飾の政党だと感じさせた。維新の不都合な真実が露わになったので、慌てて擁護ツイートか。維新の株はこれ以上下がりようがないほど地の果てまで落ちている。
引用ツイート
音喜多 駿(参議院議員 / 日本維新の会・東京都選出)
@otokita
・ 8時間
日曜討論。議論の文脈を無視して決め打ちの批判をしたり、資料を掲示してはいけないというルールを完全に破っている人が一人だけいますが、何なんでしょうね。ご自身の株を下げるだけかと存じますが。
午後2:51 ・ 2021年12月12日・Twitter Web App 取るべきだった!って何なんだ
カルシウムみたいに言うなw 吉田秀和・小林秀夫は東大出で語学が得意というだけの価値しかない、音楽も文学も全くわからなかった
研究能力も調査能力も完全にゼロで単なる感想書きだよ ところが >>1-27 の全員が
秀和よりも学歴が低くて
秀和ほどの語学力もなく
著作の一冊も世に出せないという現実 嗤
便所の落書きがお似合いの底辺クズ 嗤 ブルックナーは知恵遅れで文章も読めなかったけど吉田秀和・小林秀夫より偉いだろ ところが >>28-29 が
秀和よりも学歴が低くて
秀和ほどの語学力もなく
著作の一冊も世に出せないという現実 嗤
便所の落書きがお似合いの底辺クズ 嗤
しかも性懲りもなく >>30-1001 で恥を晒し続けるというオナニー猿 爆笑 吉田秀和・小林秀夫よりフランスの中学生の方が語学力は上だろ。
吉田秀和より音大の学生の方が楽譜の読み方は正確だしね。 小林秀雄だった、三流評論家の名前は書き間違えるんだ。 吉田秀和の業績は立派だったと思う。
しかし都響設立の是非を巡る問題では、税金でオーケストラを作るべきでは
ないと主張した。
一方で自分は後年、税金を使った水戸室内菅の設立には母体の芸術館の館長を務めた事から
清濁併せ持つ人物だった事は忘れてはならない。 吉田秀和も小林秀雄も感想を書いてるだけで、新しい事は何一つ言っていないよ。
文章が上手くなければ誰も読まないよ。 今のやつらはバカだから吉田秀和なんて知らないだろうw 今のバカなやつらでも宇野功芳の名前だけは知っているのは何故かな? こんなガサツな国で必死に品位を保っていたのは痛々しい
演奏家の外見をどうのこうのというけれども、本人は不細工な斜視だったな どうのこうのと、外見を貶すような文章書いてたっけ? 宇野功芳先生はレコード・バカデミー賞(評論部門)を受賞すべきであった 吉田秀和のスレなのに宇野功芳の話題しか出て来ないというのが何かな- 前田五郎さんのYouTube見ているとセザンヌがどれだけキモい奴かがわかるな
一方、白樺派から吉田秀和くらいまでの世代の西洋かぶれにセザンヌがどれだけ神聖視されていたことか…… 内容や感性は宇野の方が圧倒的に上だが、文章や人間があまりにも下品だったせいで、一見知的で品のいい吉田の文章が崇められたんだろう 宇野が評価されるのが理解できない。
例えば宇野は上岡敏之を現代のシューリヒトと評してやらかした。
その際、私はむしろスタイルとしてはクライバーではないかと思った。
先にベルリンフィルを指揮したスピノジとも似ている。
こういう指摘する人、ほんといない。 知り合いの音大生、小林秀雄は笑ってたが吉田秀和は勉強になると言ってた。
もう40年以上前のことだけどね。 今も折に触れてページを繰るのは、「私の好きな曲」。ただ演奏しているだけでは、ましてや聴いているだけでは辿り着けない領域があることを思い知らされました。経験や交友関係など、総合的な人生の厚みが違い過ぎます。 昔は国語の勉強で吉田秀和読めって言われたよな
教科書にも吉田秀和のエッセイが採用されていた ボブディランが取った時に
木綿のハンカチーフ(盗作)ノーベル賞!
って芸スポ祭り思い出した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています