○○古銭(穴銭収集を語る○○ [無断転載禁止]©2ch.net
穴銭を中心に古銭全般を語るスレです。
個人が古銭趣味紹介を目的としたホームページへの
いわれなき誹謗中傷およびやっかみはご遠慮くださひ。
同様に即売会などで会った個人の悪口はご遠慮くださひ。
尚、残念ですが一部マニアが偽物と知りながら古銭会で販売し
小銭を稼いでいます。ベテランコレクターは皆ご存じで
半笑いで見守っていますが初心者の方には分からないと思うので
注意喚起の意味で一部伏せ字で書き込んでもよいものとします。
荒らしおよび意味のない長文類はご遠慮ください。
またそのようなものはスルーしませう。
初心者は質問する前に自分で調べませう。
ベテランは初心者をいじめないようにしませう。 https://auctions.yahoo.co.jp/jp/show/rating?userID=ybb_hideaki
氏名 永田 幸彦
住所 〒1910003
東京都 日野市 日野台1-19-3-802
電話番号 09066006150
取引する気がないのに入札するバカ。 日本の貨幣収集界が底辺を広げてもっと盛り上がってもらいたいので
オイラは底辺ですか、そうですか。 ○○丸という人は他人の所有品をアップしてますが
そこんとこ、どうよ? 古銭会に行かれる方へ注意
ハゲでポニーテールの人に注意してね。 守礼門2000円札の3枚(Z212261、Z212262Z、AA476477A)を9000円で落札して、
出張先でインフルになったので帰ったら入金しますと嘘を言って出品者を信用させて、
落札代金の支払いよりも先に、落札品を送ってくれたのをいいことに落札代金の支払いを
しない、落札品の返品もしない悪質な詐欺の落札者です。
(発送は簡易書留、44753927352)
ヤフオクID、nana386688
住所、和歌山市宇田森50
名前、丸山 和彦
電話番号、09036239755 ネットの競争入札で、自分が絶対に欲しい物(不知小字等)の時は沈黙を貫き
珍品でも既に入手している場合は高騰を承知で(どうでもいいし、高騰すれば相対的に所有品の価値を保てるし)ネットに公開する。
これじゃ一握りの金持ち爺さん達を喜ばせるだけで、金のない若者にとっては縁遠いことになってしまいます。
ご自分で申されている「斯界の隆興」にはなってませんよ。 コレクターの心理は誰も同じ。
自分より良い物を他人に持って欲しくない、羨ましいと思って欲しい。
あなたは彼のことが羨ましくて羨ましくてたまらないので、まんまと彼の思う壺になっています。では。 コレクターが亡くなり蔵品がオークションに出て
賑わすことがある。
生きていて活躍することばかりが斯界の隆興
にはつながらないのである。
おいらって嫌なやつ? いやいや、コレクターの世界ではよくあること。
「みんなあの人が死ぬのを待ってる」なんて、もちろん冗談だけど
言うこともあるしね。 判断力の低下した方による事故が続いています。
言いたいこと・・・わかりますよね? 古銭屋になって成功したいです。
最初にすべきことは? コレ見て 落ち着こう...
◆ 天保通宝 (百文銭)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fe/Tenpo-tsuho-chokaku.jpg
◆ 寛永通宝 四文銭 (十一波)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/M4-1769-Kaneitsuho-11NamiMeiwa.jpg
◆ 寛永通宝 一文銭 (文銭)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/B-1668-1-Kaneitsuho-Bunsen.jpg
最近 YouTuberが汚れがなかなか落ちないとか言いながら
黒い部分を一生懸命落としてピカピカにしてる動画があるけど
この黒い部分は錆でも手垢汚れでも無くて
「床焼工程」で古墨と油を混ぜた物で煮て
床面を江戸黒(つやの出ない漆喰の黒=漆黒)にして
一文銭の銅色や四文銭と天保通宝の真鍮色の文字と
模様と縁輪郭を際立たせる為にわざわざ1工程加えたもの
全体ピカピカより墨入れの方がかっこいいんだ
もしピカピカにするのであれば黒はなるべく残して
文字と模様と縁輪郭と側面をピカピカにすればいい 個人的には文字の形状も結構だが
床焼の黒い部分が多く残っているものが大好き
ジーンズやデニムジャケットみたいだけど 一文銭と四文銭のデザインは
縁輪郭の太さの差を付けるのみならず
それぞれが貨幣の大きさとのバランスが上手く取れている
四文銭の裏の波模様は特に十一波の波間のバランスが
縁輪郭とも丁度見映え良く合わされていて
物凄く調和の取れた素晴らしいデザインだ 中国の大中通寶は 小平 折二 折三 折五 折十 と
ちゃんと5種類あって この点は好きだが
デザイン面に於いては何ら変更が成されておらず
あくまで貨幣の大きさの違いだけに留まっている
http://www5b.biglobe.ne.jp/~bobsan/daicu.jpg あのさあ、『穴の細道』とか泉符とか全部読めないだろ 天聖に関しては手代わりの実在数が極めて少ない
一天とか兀天とか最初からファンタジーだろう 江戸時代の貨幣制度
https:/www.bk.mufg.jp/currency_museum/exhibit/japan/imgs/japan_lightbox_07.jpg
江戸時代の貨幣の種類は複数ありましたが
一般庶民が実際に使うお金の種類は
一文銭、江戸後期は四文銭や天保通宝(百文銭)、
銀貨の豆板銀・一朱銀・二朱銀が多かったようです。
同じ一朱、二朱の額面でも一般への流通量が多く
大きく使い勝手もよく、紛失しにくい銀貨の方がよく使われてました。
https:/kaitori-navisan.com/kosen/wp-content/uploads/2018/01/bf6f9a8c073e862f425082a388e1c71f-1.jpg 🟣 おおよその江戸時代
🔴 おおよその相場
江戸時代 前期 中期 後期 幕末
1両 = 4000文 5000文 6000文 10000文
🟠 おおよその円換算
五両 50万円 50万円 45万円 60万円 五両判金 1837年~
一両 10万円 10万円 9万円 12万円 一両判金 1601年~
二分 5万円 5万円 4万5000円 6万円 二分金 1818年~
一分 2万5000円 2万5000円 2万2500円 3万円 一分(金) 1601年~ (銀) 1837年~
二朱 1万2500円 1万2500円 1万1250円 1万5000円 二朱(金) 1697~1710年 1832年~ (銀) 1770年~
一朱 6250円 6250円 5625円 7500円 一朱(金) 1824年~ (銀) 1829年~
百文 2500円 2000円 1500円 1200円 天保通宝 1835年~
四文 100円 80円 60円 48円 寛永通宝 四文銭 1768年~
一文 25円 20円 15円 12円 寛永通宝 一文銭 1636年~ 貨幣の国産化、貨幣制度の整備統一、貨幣経済への移行
また、明治維新へすんなり移行出来るだけの
社会構造の構築
など教科書的な列記に加えて
特筆すべきなのはその材料となる
金、銀、銅を日本国内で賄っていた事である
今では全世界的に見ても考えられないですね 江戸時代の独身男性は洗濯はどうしてたのか…?
仕事前や後に毎日自分で洗ってたのだろうか…?
江戸の庶民はほぼ毎日銭湯に通ってひとっ風呂浴びてたのだが
その際着ていた服やふんどしを銭湯に預けて洗濯してもらい
お風呂から上がった時に前日以前に預けて洗ってもらった
服やふんどしを受け取って着換えていたとされる
風呂から上がってその日の洗っていない衣類を着てた訳ではない
また銭湯側も1人8~12文程度の湯代だけでは勿論やって活けないので…
洗濯業務プラス2階に風呂上がりの人がくつろげて
ちょっとしたお酒や小料理を摘める座敷も備えて
それぞれの商売で別途にお金を受け取ってたとされる 江戸時代の庶民はよく「夜越しの銭は持たねぇ」と伝えられてますが
何もその日1日稼ぎを全額毎日使い切ってた訳では無い
江戸時代は基本細かい寛永通宝などで無いと買い物が出来ないので
頂いた日当を両替屋に行って崩していた
その際全額を寛永通宝の束だらけにしてた訳では無く
その日使う分だけを寛永通宝に崩して手元に持ってコレがいわゆる「夜越しの銭」
残りの使わない分は勿論預けていた
日当を支払う側も寛永通宝の束だらけになって支払いをしていた訳では無く
二朱銀や一朱銀、その登場前は証紙みたいな物を渡していたらしい
勿論、貯金した際は控えとなる証紙を受け取っていた 江戸時代の後期から幕末にかけては銭の価値が下がったので
大抵の人は1日一朱ぐらいは稼ぐので両替して貰える寛永通宝の数そのものは増えた
しかしながらそれ以上に物価が高騰していました
幕末ほど極端では無いですが今と状況が似てますね… 葛飾北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉?
~ 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉
1824年 文政南鐐二朱銀 発行
幕府「だいぶ古くなって来てたし流通の便宜を図るため小型化したよ」
一般人「銀の量減らしてクスねてるよw」
北斎「彫師大変だったろうな…」
1829年 文政南鐐一朱銀 発行
幕府「一朱金の件はごめんなさい… 銀で作ったよ… 大きくなって使いやすいでしょ」
一般人「南鐐二朱銀の半分より小さいだろw」
北斎「彫師大変だったろうな…」