ふむ、鑑賞する自分と鑑賞される対象である水無瀬川が主体と客体という独立した別個のものとしてあるのではなく、鑑賞という行為の中に於いて一体一味という趣旨かな?
あらゆるもの(物という物質に限らず存在全般)が、それ自体の側から自性をもって成立しているのではなく本質的には空であるのを、概念化作用を通じて一定の実体を持った(かのように見える)対象として認識されるという中観派的な意味合いでしょうか。

それはさておき、物に銘を付けるというのは、日本独自の文化なんだろうか?
銘を付けるにしても、武器に蜻蛉切とか鬼切丸みたいな銘だと説明は分かりやすいけど、たしかに香木に水無瀬川とか恋すてふとかだと、なにそれ?ってところはあるかもw