>>509
「昔」がどの位昔を指すかにもよるが、バブル初期迄は寧ろ厳格だったよ。今の方が実態は(阿呆に対してだけ)甘いと思う。
昔はTOEICで切っていた訳ではなくて、主に経理系の知識を昇格試験の時に勉強させられて満点でないと即落とされた。
(子会社はどうしていたかは知らん)

とはいえパブリック系の当時の管理職には既に何故あんな奴がという人事があったからSBUによっては政治力も働いていたと思われるが、
それでも今よりは雲泥の差がある程健全だった。

試験ができる人と仕事のできる人が必ずしも一致しないという反省からバブルが崩壊した頃、その辺の厳格さが緩和されて、今までの業績や心証点の比率が高くなり、経理系の筆記試験が芳しくなくても、JDあたりの根回しでK(今のM相当)への昇格ができるようになった。
そのやり方も2〜3年はまあうまく回っていたと思うが、以前として昇格試験に落ちた場合の再チャレンジがオファーされることはめったになかった。
(今でも多分そうだろう)

当時は昇格試験に落ちると出向して子会社でKにしてもらうことが多かった。
(今では給与以外本社も子会社も同じ役職は同格に扱われているが、以前はれっきとした格差があった)

この緩和策が露骨にうまく回らなくなったのは恐らく西垣社長の世代からだと思う。
(西垣社長が金融事業の支配人だった頃から既に金融のSEは残業月300時間を叩き出していたからマネジメントの面で既に悪い前兆はあったが)

西垣社長以降の経営陣はこの緩和策を悪用して阿呆を次々と管理職に登用、矢野社長以降は一般職から総合職を経由してS、Mに昇格する人事まで頻繁に起こるようになった。