現代音楽って音楽じゃないよねw
21世紀には我々がまだ経験したことのない現代音楽の第5次元が出現する!
でも 文化が爛熟したあとに頽廃がやって来るのは歴史の必然。
これからの百年はムジーク・デカダンの時代だ 音は放たれた瞬間に既に空気中で崩壊している
その拡散した断片を君のその耳で新たな芸術として構築し直すのだ! 放たれた音はもう遅いのでコントロールできないよ!
放つ前に何とかしないとなあ。 しゃぼん玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉飛ばそ 譜面の上で完結してるんだから、ワザワザ鳴らさなくてもいいんだけどね。 fと書いたらfが出るんだよ。
鳴らすテクニック?お前クラシック音楽と勘違いしてんじゃ? 演奏家が汗流しながら一生懸命、楽器弾いてんだけど
全然感動が伝わらないんだ。
現代曲といわれるシロモノで、印象に残るメロディに
出会ったことないよ。
後世に残す気あるのかね。現代の作曲家は 騒音だろうが無音だろうが単なる音の羅列だろうが
現代音楽だ、と言い張ればそれが現代音楽となる。 このテリトリー内で発すれば全ては現代音楽よ
エレキギターもオカリナも。 いや、演歌を現代音楽にするわけにはいかん!!!!! 例えば曽根幸明が安部幸明のふりをして
原音発表会で新作を披露しても、
「ああ、これは安部じゃなくて曽根のほうだ!」
とバレるようなもの。
他人の音楽を否定するのは失礼だろ。
どんな音楽も、
作った本人が、音楽だと思ってるんだから、それは音楽なんだよ。
聞きたくなきゃ聞かなければいいだけだろ。
わざわざ、否定したり、罵倒したりするのは何様だよ。
おまいらの物差しではかられるために、音楽があるわけじゃねぇよ。 現代音楽はその多くが作曲家の哲学、精神世界の反映のため、普段音楽を聴くような感覚で聴いても訳わからんよ。
それなりの聴き方ってのがある。
まぁそこまで聴き手に強いるのはどうなの?って問題はあるわな 現代のステレオだと音場再生能力が皆無なので、現代音楽の魅力の
十分の一も伝わらない。
小難しい屁理屈ひねくり回すわりには、自然音を収録した
環境CDにすら売り上げが(おそらく)勝てない。w
自然音に比べて、あざとらしい作為を感じる上に、
現在のオーディオ装置や日本の再生環境じゃ、
音響的魅力の十分の一も伝わらない。 売り上げで音楽を測ろうとする奴はなんなの?
売れない音楽を書いちゃいけないわけ?
彼らには彼らの音楽がある。それだけだろ。 >>215>>216
あほか、まだまともなオーディオ装置で聴けてるやつはまだマシだ。
ほとんどの現ヲン作曲家はド貧乏なんだからせいぜいパソコンかなんかで
聴いてるのが現状。
現ヲタも貧乏なんだから似たようなもんだな。 売り上げも、まぁ一種のステータスと見ることはできるが、最初から売り上げを気にしていないものを対象にして「これは売れてないからダメだ」というのはナンセンス。
売れてナンボの音楽か、単純に芸術としてみる音楽か。
取り違えてはいけないな 特に現代音楽は何十年以上も経って認められることが多いので、
特別扱いしないと生き残らないね。 「音楽じゃない?褒め言葉だ。」って内容の話をしたのは誰だっけ? というか、「誰からも受け入れられない音楽」ってことで、
「現代音楽全般」をくくる、というのが無茶じゃないの?
たとえ少数であっても、熱心な支持者がいるからやっていけるのだと思うが。
俺は、多分他人から見れば「現代音楽ファン」なのだろうけど、
タン・ドゥンとか吉松隆なら、とくに聞けなくても残念ではないが、
ラッヘンマンやファーニホウの音楽なら金と時間の許す限り、
聴きに行きたいと思う。
いわゆるクラシックにしても、オール・ショパンのピアノ・リサイタルなら
よほど好きなピアニストでない限りは聴きに行きたいとは思わないが、
シューマンが一曲入っていれば、どうしようかなと思う。
サン・サーンスの動物の謝肉祭をやります、っつーならやめたと思うが、
フォレのピアノ5重奏をやる、っつーのならできるだけ行きたい。
クラシックなら何でもいいわけじゃないのと同じように、
「現代音楽」なら何でもいい、ってわけじゃない。
そんなのは当たり前のことだと思うのだが、
偏見のある連中はどうも十把ひとからげにして話したがる。 というか、「コピペ」ってことで、
「コピペ」をくくる、というのがコピペじゃないの?
たとえコピペであっても、コピペなコピペがいるからやっていけるのだとコピペ。
コピペは、多分コピペから見れば「コピペファン」なのだろうけど、
タン・コピペとかコピペ隆なら、とくにコピペもコピペではないが、
コピペマンやコーピペウのコピペならコピペとコピペの許すコピペ、
聴きにコピペとコピペ。
いわゆるコピペにしても、オール・コピペのコピペ・リサイタルなら
よほどコピペなコピペニストでない限りはコピペにコピペとはコピペないが、
コピペが一曲コピペれば、コピペかなと思コピペ。
サン・コーピペのコピペの謝肉祭をやりコピペ、っつーならコピペと思コピペが、
コピペのコピペ5重奏をやる、っコピペーのならコピペだけ行きコピペ。
コピペなら何でもいいコピペじゃコピペのとコピペようコピペ、
「現代コピペ」なら何でもコピペ、ってコピペじゃコピペ。
コピペのはコピペ前のこコピペとだとコピペだコピペ、
コピペのあコピペるコピペはどコピペうもコピペひコピペとかコピペらげにコピペ話コピペしコピペがコピペるコピペ。
コピペコピペコピペコピペコピペコピペパピコピペコピペコピペコピコピコピペコピペ
コピペコピペコーヒーコピペコピペコピペコペコペコペコピペコピペコピペコピペコップ
>>233
とりあえずさコピペを現代音楽にしたいなら、本物の現代音楽聴いてみなよ
>>233の心の壁を作りまくりの狭い耳なら、確実に拒絶反応示す世界だから。
あとな、現代音楽板の住民は単なる音楽ファンじゃなく、音楽を専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板だから
お前とは音楽知識が桁違いだから、あんまり調子に乗らない方がいいよ >音楽を専門的に学び歴史に名を残そうとする野心的な強者がうじゃうじゃ板
そうなの!?
俺的にも良いと思える瞬間はないよね
非クラの方が金になるからね。才能があっちに流れた時に終わってる
行き場のない奴がウダウダ言ってるだけだろ
とはいうものの、蓼食う虫も好き好きだからね。いわゆる耳ブス専だろ
というわけで許してやれ >1
非クラの方が金になる。
才能があっちに流れた時に終わってる
才能もなく行き場のない奴がウダウダ言ってるだけだね
とはいうものの、蓼食う虫も好き好き
いわゆる耳ブス専 ww クラシックをアフリカの民族に聴かせても退屈にしか感じないかもしれん
なのに‘普遍’やら一概に‘騒音’やら、制度化された耳はなんとふやけていることでしょう 現代音楽が雑音とか言ってる人間は、
「理科と家庭科の区別が付かない」
ってのとだいたい同じです。
非クラの方が金になる。
才能が他所に流れた時にクラは終わった
才能もなく行き場のない奴がウダウダ言ってるだけ
とはいうものの、蓼食う虫も好き好き
「耳ブス専だっていいさ、人間だもの」
by みつを __-=ニ二ニ=-_
// ヽ
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iヽ /,_;:;:;ノ /| ー-..j
ヾ_i| 、__, . i/ <ギリギリ最高!
リi 、__,__, /
リヽ ー / ∩_
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/ `./| | 倫 | |\ /
\ ヽ| lゝ 魔 | | \__/
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結構前にNHKでやってた実験
専門学校の人に怖いリンゴをかかせた。
どんな表現をしてもいいと言ったら
みんなリンゴに顔を書いたり、牙を書いたりして、
結局個性的な作品はできなかった。
つぎにリンゴの形は変えないという条件をつけ
怖いリンゴを書きなさいと言ったところ
色塗りを工夫したりコラージュをしたりして、
じつに個性的な作品ができた。
これって音楽にも当てはまらない?
昔はソナタ形式や調性という条件のもとに
いい作品ができた。
今は何でもありで
逆にみんな同じ作品になってない? ttp://usaoasako.jugem.jp/?page=1 現代音楽なんて映画の効果音でしかないよ。「2001年宇宙の旅」で
使われたべリオとか。ま、新しい表現には違いないが、本来の音楽らしさ
とは別物。シュトックハウゼンとかケージなんて一度耳にしたらそれで終わり。
バルトークはさすがにそんなレベルではないが、頑なに感傷性を拒否したところ
は、現代音楽の本質的なところを先取りしている。
もちろん、俺はバルトークが嫌いなのだ。 べリオは「ルクス・エテルナ」が使われている。リゲティも使われている。 過小評価で自演していたバルトーク嫌いっ子はさぁ、まず色々基本的なこと押さえておけよ…
まあ、恥ずかしくて顔が真っ赤になっているだろうからしばらくここに来れないだろうが。 以前どっかで聞いたんだけどさ、例えば普通のアラブ人は、ベートーヴェンの音楽なんかを聴かされると頭の中が三角になるそうな。
要するに、彼らの耳にはリズムやテンポの動きがカチンコチンに凍り付いているみたいに聴こえて、さっぱり面白くないそうな。 脳内ではつねに小数点で拍を数えるんだっけかあそこらの人間は 現音を愛好していた人が後年それこそ童謡のような素朴なものを愛でるようになる場合ってありますか?トルストイの小説に対する姿勢が変わったように。それとも自分の葬式も現音流すんですか? >>277
ペンデレツキとかその典型じゃないかな?
でも晩年に調性に戻る作曲家って多いよね。 現音は作曲家の自己満足。
作品の主義主張は作曲家自身だけにしかわからず、
聴衆も演奏者も正しく理解するのは困難を極める。
うっとり聴き入るようなメロディーもなく、
大衆に受け容れられる要素は皆無。
理解できなくても俺様の音楽を聴けと言うのはエゴでしかない。
「俺って偉いんだよ。すごいんだよ。どうだ愚民ども、俺の作品を理解できないだろ」
という自己愛の歪んだ表現にすぎん。 それはちょっと違うと思うけど。
俺もそうだけど作曲家じゃないリスナーとしてのマニアも多いわけだから。
単純に一般的な嗜好とは違う人も少数ながらいるってことだと思うよ。
てゆーか他人の趣味を否定したいだけの為にわざわざ2chまで来て書き込んでるの? >>281
> うっとり聴き入るようなメロディーもなく、
「音楽は大衆、聴き手の気分に付き合ってくれるもの」という思い上がりなのでは?
現代音楽はそうはいかない >>284
我を捨てるべきは聴き手の方だと思うけど >>285
音楽ってのは何かの修行か?
それとも宗教?
本当に優れた作品なら無調の曲でも大衆に受け容れられると思うが
現音なんてほとんど駄作だろ。
しかも、その駄作を仲間内だけで論評しあってる閉鎖的なサークル活動にすぎん。
奇を衒っただけの騒音公害の発生源でしかない五流作曲家だらけの現状では
現音は「狂人の音楽」、「独善の押し売り」だと思われても仕方なかろう。 >>286
だから282でも書いたけど、どんな曲でも感じ方は人それぞれだって
俺なんて子供のころから一般的な音楽が嫌いだったせいで中学くらいで不協和音だらけの現音が好きになったし
自分でもマイノリティなことは分かってるけど別に人の目を気にして音楽を聴いたりするのも嫌だしさ〜
俺みたいな一般人が気持ち悪がる音しか受け付けないリスナーも多少はいるのよ 他人の価値観を批判してはいけませんと道徳の時間に習わなかった?w
嫌いだったら聞かなければいいだけで、自分が嫌いな理由をそれが好きな奴に説いたところで
意味ない事くらい分かるよね? 単純に「うおっ!そんな音出しちゃうか!」という楽しみがまずあって、
予測不能なことが次々起こるから注意深く耳を澄ますという感じ。
しかもその先にただならぬ世界が広がっていたりするから、これはやめられない。
否定派には理解できないだろうけど、楽しいんだ。すごく。 まあ否定派が多いのは分かるけど、わざわざ2ちゃんにスレ立てまで言うほどのことじゃないと思う。
そんなものブログででも書いてくれてればいいのに。
好きな人間は世間からはそう思われてるのは既に前提として好きで聞いているんだしさ。 >>287
子供の頃から一般的な音楽(調性音楽)が嫌いというのは
どちらかというと異常な部類です。
現代音楽擁護派が好む「現代音楽を嫌う人が多いのは調性音楽に慣れているから」
という言い訳は嘘ですから。
特に教えられたわけではないのに協和音や協和的な音楽を好むという傾向は、
ヒトでは乳児期早期から確認されています。
しかもそれはヒトだけでなくチンパンジー等でもみられる傾向のようです。
http://www.kyushu-u.ac.jp/pressrelease/2009/2009-07-22-02.pdf 誤解されると嫌なので言っておきますが、
だから現代音楽が不要とかいう意味じゃありません。
食べ物には甘いものも苦いものもあるように、
音楽も色々あってよいでしょう。
ただ、知能の高低や学識の有無とは無関係に
大多数の人は調性音楽を好みます。
それを低俗とみなすのは、「ニガウリ・ピーマン・パセリ・セロリなど
味や香りに癖のある野菜以外を食べる人こそエリート」と言ってるようなもので、
かなり偏った意見です。
一番困るのは、それを単なる趣味趣向の問題で片付けられないことです。
果たして、「調性音楽を作曲する者は、アカデミックな知識のない馬鹿者か
大衆に媚びる俗物であるという風潮が皆無であると言えるでしょうか?
「無調音楽は調性音楽の進化形」とか「調性音楽なんて安っぽい抒情主義の産物で、知的でない」
などと思い上がり、調性音楽を好む聴衆を侮蔑する輩は少なからずいます。 >>291
だからマイノリティだと自覚して聞いていると書いてるじゃん
貴方はマイノリティの意味も分からないの?w