12音て 飽きるよな
聴き始めは新鮮だった
ヴェーベルンにもしばらくハマった
でも もう飽きた
12音の響きってどの曲も同じ 昨日はクレーネクの室内楽を聴いた
終始同じような響きが続く退屈な時間・・・
リズムやダイナミクスや音の密度で変化をつけてはいるが
結局どこを聴いても似たり寄ったりだ
本当に飽きてしまったよ 「機能和声って飽きるよな
聴き始めは新鮮だった
ベートーベンにもしばらくハマった
でも もう飽きた
機能和声の響きってどの曲も同じ」
っていう人たちが始めた音楽だからしかたない。 >機能和声の響きってどの曲も同じ
↑
まずこれが成り立たないよ 12音で数分もやれば響きは出尽くしてしまう
だからヴェーベルンの曲は短い
しかしそれ以上続けるバカも居て誰にも相手にされなくなる 新ウィーンのやり方だけがセリーだと思ってるばか発見 べリオには13音音列なんてのもある
7音でも音列は作れるが、12を超えた方が当然無調性は高くなる
数はともかくローテーション的な方法(アナグラム的な)を使えば響きのバリエーションは増える
音群作法的なものにもつながる
ストラヴィンスキーの12音音楽以前の初期の曲でも音群的操作がある 順列組合せを変えようが、響きのニュートラル感はたいして変化しないじゃん
そこでダイナミクスや音の密度を激変する方向に行かざるを得ない
結局誰のどの曲も似たり寄ったりになる
ストラヴィンスキーの12音時代や初期ブレーズはまだ退屈しないで聴ける
前者はリズム、後者は音色のセンスが卓越しているのだろう
たとえば弦楽四重奏で12音で新しいことやるのはもう無理だろう というか>>8のイメージしてるうぇーべるん像がダメダメだ
そういうのは古典。音大の初歩の授業レベル
ベルクのほうがずっとずっと近代的 >>12
実際ベルクをはるかに好んで聴いてます
13音以上〜微分音:弦楽器以外だと演奏至難〜不可能
結局音列作法は「機能和声じゃなくてもいいじゃん」という価値観を広めた功績以外は
歴史的役割を完全に終了したんじゃないでしょうか じゃ機能和声にもどれ
ゲンダイオンガクなんてヤメチマエ
ロックの和声本でも読め(ロックも先鋭なのは機能を超越してるけど) >>1
12音は全体の響きというより一音一音の音の運動の面白さ これからの課題は見えたな。
いかに12音を面白くするか。
イラネというのは解せん。あらゆる理論は後世において必要だ。 12音の響きが好きになると必然的にさらに細かい音に興味が出てくる。
ヴィシネグラツキーが音を細分化していったのもうなづける。