もっと大学で音楽教育を行うべき
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例えば文学部は多くの大学で設置されているのになぜ音楽学部は少ないのか。
もともと音楽はモノとして残しにくい上にパフォーマンスという面もあるから
口頭伝承的な色合いが強かったかもしれないけど
記録媒体が発達した現代あるいはこれからの時代では音楽も文学と同列に扱えるはず。
つまり資料や作品が残せる事で、行為としてではなく一つの研究対象になりうる。
もちろん今でも多少はそうだろうけど。
これほどの経済規模であるのに、肝心な音楽そのものが研究不足であるのはおかしい。
そういう面から言えば文学より金になるだろうし力を入れる価値はあるはず。
研究といってもパフォーマンス論や文化論のひとつとして音楽を論じるのではなく
音楽そのものを論じる場を増やすべき。 なので音楽教育といっても声楽科や器楽科のような学科は現状で十分。
現存する音楽大学の学生のほとんどはそういう学科にいると思うけど
変な言い方すればそれは演奏家養成部門みたいなもので職業訓練学校とあまり変わらない。
あくまで楽理、作曲のように技法的あるいは理論的な面を研究するなら
大学で行う学問として適している。
和声や音列などの「構造」あるいは「設計」という面に加え、
認知科学や音響学的なアプローチで「現象」としても捉えて統一的に議論するべき。
もちろん、その他「思想」「文化」としても広い視点で捉える。
それこそ理学部や工学部の一学科としてでも十分やっていけると思う。 とはいっても現実には弊害も多い。
自然科学なら個人の思想うんぬん以前に物理法則という絶対的な下地があるから
皆で知識を磨き合おうという雰囲気があるけど、音楽ではそれが難しいかもしれない。
体系の派閥を作って理論武装してけなし合っても何も生み出さない。
定量的な表現をもっと獲得することができれば
統一的に一つの根源に帰する学問体系として発展できる可能性は十分にあるはず。 そんこと言い出したらそれは音楽だけの話に限った事ではなくなっていくら授業増やしても足りないし教員を雇うのにも限界があるし少子化だし
今の現状で頑張ってるほうなんじゃないのか 現代音楽は音楽じゃないよね、とかいう批判はもううんざり。
結局好き嫌いの話に収束させてしまう人も多いし。
もっと音楽教育を整備すれば今より少しは良い方向に向かうんじゃないかな、と言いたかった。 >>4
確かに難しいかもしれないけどね。
でも音楽産業は市場として規模が大きいし、需要はあると思う。
市場と言っても、アイドル等の商品の副産物としての音楽商品が大部分だとは思うけど
下地が出来ているなら変わる可能性もあるかもしれない。
最初に書いたけど、少なくとも文学部よりは需要あると思う。
例えば工学部の化学系の学科を卒業しても就職は機械系だったりするし
現代音楽やってても就職はポップス業界だったりしても問題ないと思う。
今は作曲科出ても就職がないだろうけど、カリキュラム変えれば解決する可能性はある。
一般教養として経済とかを適当にやってもいいし、音響工学をはじめとして
自然科学寄りな授業をやっておけば技術系として就職できるかもしれない。
とはいっても就職うんぬんより、音楽的な知識を広めるのが大事だと言いたい。
もはや音楽ですら大量消費の対象でしかない時代は変わるべき。
部落民になりたい若者が急増
奈良市環境清美部収集課の男性職員(42)(懲戒免職)が病気を
理由に5年間で8日しか出勤していなかった問題が明るみに出たことで
部落解放同盟には「部落解放同盟に入って部落民になりたい」
という若者からの問い合わせが殺到しているようだ。
これについて部落解放同盟の幹部は「部落民というのは希望してなれる
ものではなく、先祖から受け継いだものだ」と回答しているが、
若者からは「先祖が部落民でないからといって部落民になれないのはおかしい。
部落解放同盟は希望者が全員部落民になれるような社会制度を目指すべき。
不当な差別は即刻やめるべき」として、希望を受け入れない幹部に反発している模様。
一般の大学の学生は大学での勉学を就職のためにやっていることは常識だろう。
純粋に学問をやるのは大学に残って、淳教授>助教授>教授 のコースを登っていく人に
限られる。
したがって一般大学に音楽学部を設置するのは就職口がかなりの量が必要。
しかし今の社会では音楽家(作曲家・演奏家)以外での職業口はかなり少ない。
音楽学者・評論家・音楽事務所・レコード会社・新聞の文化欄担当者くらいか?
このような少ない需要に応えるんであれば今の美学部・音大の学理で十分
であろう。 >>1の2番目の文章(もともと〜扱えるはず。)を読むと、我々は楽譜が
まだ一般的でない時代(中世)に生きているのだろうかと思ってしまう。
なぜ、教育板でも音楽系学校板でもなく、ここに立てたのかと。
とりあえず、スレ立て人は音楽学をきちっと学んでいるわけでも
大学で教えている側でもなさそう、ということだけはいえる。 >>10
こいつが教育関係者かどうかは別に話に関係なくね? これ以上音楽学部を増やしてもニートが増えるだけだろうな
少子化で学部再編の流れにあるのに今さら音楽学部なんて作ってられないだろう 国立芸大は一校しかないのが日本の異常なとこ。
もちろん音楽は個人レッスンだから金はかかるが、
音楽教育とは所詮そういうもの。
音楽家を育てる=その国の文化の尺度なわけだ。
もちろん音大だけ出ても失業者は増えるだけ。
普通の大学の勉強も同時にさせるシステムが欲しいね。 大阪芸大は私立、京都市芸や愛知県芸も国立ではないな イタリアやスペインでも、
誰でも安くどんな地方でも本格的な音楽が学べる、
公立のCocervatorioはあるね。
相当の田舎町にもあるのでびっくりするよ。
まーイタリアやスペインに
誰でも安くどんな地方でも本格的な歌舞伎が学べる学校が無いのも事実だな。 自国の芸術にさえやっとなのに西洋音楽に総力注ぎ込んでどうする(汗)?
まー歌舞伎は全国とは言わんが安く学べる所はあったりする。 >>11
筋道がしっかりしていれば、別に教育関係者でなくても、
音楽学の講義を受けていなくても、音楽教育に関する本1冊さえ
読んでいなくてもかまわんけど。
主張を述べるだけなら簡単なんだべ。 すっぽんぽんになってちんちんが上下に激しく振れるように腰を振る。
コツはペチペチ音が出るように振ること。
これを、1日に100回やると下腹の肉がいつの間にか取れてるお。
歌舞伎は家元に入らないとだめだろう。
事実上のホームレッスンだね。
まあ邦楽は事実上閉ざされていて死んでいるから、
より機能的な西洋音楽に流れるのであろう。
西洋音楽はどこでも通用するしね。
例えばヴァイオリンの調律や奏法は世界共通。
作曲者にとっても演奏家にとっても、
同じ曲が人種や時代に関係なく演奏できるということは凄い魅力に違いない。
邦楽は家元が違うともうスレはそれで全く通用しない死んだ世界!
>>21
邦楽は学校教育のカリキュラムに入れられてから>>21が言う様な閉鎖性は薄れて来ている。
対して西洋音楽は演奏については方法が共通化しているので解放性があるものの
作曲に関して欧州では家元制より恐いマイスター制度という洗脳システムがある。
よって>>21の様な紋切りな意見を何の疑問もなく発言する人物が出来上がる。 閉鎖性は無限にある。
楽器一つ普通の楽器屋では買えない。
需要がない。
楽譜がない。
専門家が少ない。
世界に通用しない。
名作というものが無きに等しい。
応用が利かない。
発展性が全くない。
国境や時代を超えない。
邦楽かが自ら立ち上がらない。
そのための障壁を取り除かない。
まだまだある!
西洋の作曲は別のマイスターは要らない。
武満のように独学でもどんどん出てくるし、
事実委嘱され放送されている。
従がって門下や作曲様式は全く問題にならない。
門下などが合って優遇されても世界の音楽界想像が付かないほど広いので非常に局地的に留まる。
こういうことを知らないこと自体が良くわかっていない証拠。
ほんとにこの西洋音楽の世界は広すぎる。
自分でも全体像がわからないほどだ!
邦楽はほんとに井戸の中の話に過ぎない。
楽器は最近の楽器屋で樹脂製など安い練習用のものが買えます
需要も増えています
五線譜は少ないですが楽譜はあります
日本を離れてどのくらいになりますか?
欧州統べて対日本1国なら少ないでしょうね。
名作が無いと言い切ってしまう事自体井戸の中の蛙の前の句そのもの。まずはベルリンのアーカイブに行きなさい
応用も発展もしています。でなければ琴はいまだ琴のままのはずです。
国境や時代も越えている作品は作られ続けていますがなにか?
欧州で作曲を学ぶ人には師匠を過大評価する走狗となった人がよくいます。殆ど日本人です。
中国や韓国の人の様に上手く立ち回れないのでこびへつらうしかないのでしょうか。
あと、「井戸の中の蛙」の真意を御存じか?
正直既成の「音楽学」を鵜のみにした人の批評は書物をコピペした論評か
作曲マフィアの力関係だけで書いている印象をうける。それは日本より欧州の批評家に強く感じる。
開いているように見えながら閉じているのだ。 まだまだ邦楽はオープン性が足りない。
そんなちょこちょこ小出ししたぐらいで景気が良くなる筈がない。
大切なことは景気と同じ構造改革だよ! 最近音楽学と経済学って似ていると思うきょうこのごろw しかし西洋の人が感動することが多いのは
日本人がつくる現代音楽ではなくて日本の伝統音楽という
この結果。
武満は独学ではないと言っておろうが…。
(しかも武満が評価されていることに日本というキーワードは外せないという
「色眼」にも似た目で見られ続けているというこの現状)
全体像が見えないのは客観的思考が欠けているからなんじゃないの? しかし、邦楽がどんなに優れているかここで証明してみたら? >>1あたりはまともそうな事書いているのに
結局欧州と同じ学者マフィアを日本にも!!て雰囲気になるのは何でだろ 「学者マフィア」というよりも音楽を正常に機能させる専門家ね。
日本にはいないなあ!
ほとんどの新作は初演だけで死んでいくしね。
それよりもクラシックのセンチュリー・オケでさえも危ない。
それを説得できる専門家が欲しいね。
だめは音楽評論家はもう全く要らない! >>32音楽の正常な機能って?
上で書いてた綺麗ごとより本心が知りたい。 大学で専門教育を受けても全員がその専門の職業に就く(就ける)わけではないでしょう。
経済学部---経済学者/アナリスト
文学部----文学者(作家/評論家)
心理学科---心理学者/カウンセラー
工学部----技術者/研究者
適当に並べたけど、ほとんどの人はそうならずに企業に就職して畑違いな仕事をすることも多い。
であるのに、
芸術学部----芸術家(非一般人/異人)
にならなければおかしいと思う。無理だ。
そうじゃなくて大学教育で学んだ知識をおのれの中でよりよいものに熟成し
よりよく生きていくことこそ重要なんじゃないか。
大学は実社会で即役に立つ知識や技術を教え込む(教えてもらう)所なのか?
それだけが大学の役割では貧しい。学問とはそういうもんじゃないと思う。
でも上で出てるように今の大学はハローワークなんだよね 少しでも理想な方向に持っていくのが社会の健全な姿。
芸術家は本当に特別な才能がなければ行かないことだよ。
音楽の教員になりたい人は教員養成課程があるのだからおかしい。
医学部出てない医者に手術したいと思うか? 社会全体で見れば音楽は所詮娯楽でしかないから。
音楽至上主義の人にとってはそりゃ必要に感じるだろうが、少子化の時代に音楽教育を充実させたところで文化に潤いを与えたとしても社会に大きな貢献や見返りは臨めない
文化に潤いを与えたとしたらそれそのものが社会への大きな貢献だな。
見返りなんか期待しているはずがない、
見返りが合ったら貢献とはいわないでただの金儲けというのだよ。
そういうのは商業音楽で語ってくれ。 年金、補助金といった見返りは欲しいだろう?
学問的にシーリアス音楽として権威つけられれば黙っていてもお金が入り込む社会。
それがその手の芸術家にとっての理想なんじゃないかな。 大学の教養課程では音楽/音楽史のようなものはありますか?
私大学行ってないから知りませんが、
あれば最低限の教養として(国などから)認識されているように思われます。 教養課程では音楽/音楽史の教育目的は最終的にはクラシックじゃなくて現代音楽に持っていくべきだな。
クラシックは放っておいても直ぐオタクが出てくるものだよ。 >>31に同意。
>>31さんが、どういう背景で「結局欧州と同じ学者マフィアを日本にも」を
言われたかわからないが、
オレは、20年前なら、当時の作曲家や評論家に人材もいたから賛成もできた。
しかし、今は全くそんな気にならん。あと「研究者」は少なくていい。
他の助成なども減らして、欧州の影響を一度ご破算にした方がいいくらい。
オレですら、こんなことに税金を少しでも使うなら、
医療や福祉の方が大事だと思う。
「欧州と同じ学者マフィア」じゃなくてそういう風に現代音楽の重要性を語れる専門家の人のことだよ。
ドラマトゥルギーなどがそういう役割を果たしている。
日本には全くない職業だね。
知識があり口も達者だよ。
そうやって予算をきちんと獲得するのさ。
音大でもそう教えるしね。
日本みたいにバカしかいないとこは政治家も説得できないので当然予算もないに等しい。
日本の音大はバカ音楽家だけの生産工場だね。
欧米は医療や福祉に予算使わないと思ってるの?
もちろん日本よりもずーっとましですよ。
だから音楽予算も凄いのです。
もっと犬畜生から発想を転換して! ドラマトゥルギーという職業があるの?
まさに劇的な仕事。 でも日本でドラマトゥルクやっている音楽学者さんはかなり無茶しとるw。
演出家より出しゃばって「この作品がどーしてこんな事にッ!?」な事が数件w >欧米は医療や福祉に予算使わないと思ってるの?
欧米だって、福祉に使った方がいいんじゃないか?って言われたら終わりだろって。
そのことと、「だから音楽も凄い」と「現代音楽も凄い」は全部、別々のこと。
武満や湯浅はともかく、同世代の他のすぐれた日本の作曲家のことを、欧州は知っているか?
今のところそういうすぐれた作曲家を知らない。知ろうともせず学ぶ気はさらにない、
要するに単なる内輪受けの域を出ていない。
デュティユーはどうか。それなりにやっていけているのは欧州全体としては立派だが、
「現代音楽界」としてはどうか。きちんと捉えられていない。
結局、相当偏ってるってこと。
「政治的勝利だけ」や「政治的勝利」の先行は、最も悪い。
では日本の「知識もあり口も達者」な連中はどうか。
連中が真っ当なら、予算を獲得することも意味はあるが、
彼らは、おおかた政治的に欧州現音の傀儡政権をつくりたいだけで、
音楽については見識はない(知識と業界事情には通じているとしても)。
だいたい現代音楽がしりすぼみになっている大きな理由の一つは、
日本にいる(いた)すぐれた作曲家の紹介を疎かにしたからではないか。
細川弔旗的なものがふえてきて、友人は新作を聞くことから離れた。
よくわかる。考え方の違いなどの前に、単に、数段、質が低いのだ。
予算を獲得してもらっていいと思える人材がふえなければ、
この分野ごと支持を失うということだ。
残念ながら、現状は、現音界の実状のかなり正しい反映だ。
要するに、今、大学でそういう口をつくるなんて、今のところ害98%益2%。
(武満が、欧州の国家予算の投入に厳しい批評を投げ掛けていた見識も、想起すべし。)
仮にそんな話しが持ち上がったら、よってたかって潰そうじゃないか。
材料はいくらでもある。
大学の予算どころか、他の現音演奏会への補助なんかも一度とっぱらったらどうか。
まず一度、輸入屋を廃業に追い込むことは、よいことだろう。
もちろん、予算獲得にあたいする人材がでてきたら、応援しよう。
困難だが、人材が出てくる方が先だ(困難とは言っても、かつては いたのだし)。
>51-53
なんか要領えんな
いかにも大学なんか関係なさそうな、頭の悪そうな書き方だ 51-53のような書き方だったら日本の現代音楽界は直ぐ潰れるな。 >だいたい現代音楽がしりすぼみになっている大きな理由の一つは、
>日本にいる(いた)すぐれた作曲家の紹介を疎かにしたからではないか。
まあ作曲家自体が二枚舌の「説得力」を持たずに作品だけで勝負しようとしているので
研究者も「説得力」という欧州の作曲家の語彙ばかり使うようになる。「無口な」自国作曲家
から「説得力」を引き出す研究者としての行為を放棄している。
作家は作品で勝負が本筋だと思いますが、最低限のプレゼン能力は必要でしょう。
でも「説得力」は聞く者が作品から受けるのが望ましく、
作家が自作を語るのに「説得力」をあまり持ちすぎるのも
「でしゃばりな奴」とか「巧言令色少なし仁」とか言われてしまうよ。
まあ、おしゃべりが得意な人はこつこつ作品を作る仕事には
合いませんけどね。
その点、TAKEMITSUは作曲中の内容についてよく家族にしゃべっていたそうだし、
自作解説もよくするのでこの点でも異色。(説得・納得かはともかく)
研究者さんは作品の研究と同時に作家の応援活動もしてもらえたら
作家はありがたいと思いますね。
私達ファンにも研究者・解説者の存在は重要です。
TAKEMITSUの全作品アナリーゼ全集を求む。
まあ解説しなくとも作品が理解できればいいけど、
実際はそうは行かない。
作曲家は喋るのも職業の一つ。
作曲自体じゃ食えないし学校の先生でもやって喋って稼ぐしかない。
TAKEMITSUの全作品アナリーゼ何か本とは不可能だよ。
官製で書いてるんだからね。
そのときそう思っただけだよ。 アナリーゼや解説が 官製=陥穽=慣性 とは情けなや。
ぜひとも白石先生、小野先生、長木先生、お楢崎先生、片山先生など
TAKEMITSU_PROJECT総動員体制でお願いしたい。
ちょっと話がそれてすみません。 >まあ作曲家自体が二枚舌の「説得力」を持たずに作品だけで勝負しようとしているので
今の中堅と学者は、作品の説得力はなく、1枚目の舌も無く、2枚目の舌だけで
世に出ようとしている。
>「説得力」を引き出す研究者としての行為
そればかりが仕事じゃないだろうし、まして批評家なら
そういうことでなくていいと思うが、
誰か、その役を負った方がいい。
しかし、今、適役はほとんどいない。
>>62
思わせぶりか知ったかだなあ
じゃ 過去だったら誰がいたっていうの?具体性がないよ
だいたい ここで書いてんのほとんどひとりじゃない?
文体一緒だし、改行なんかも似てるし。ちがうかあ?
で、そのひと、ホントに頭悪そう
複数いたとしても、応じる方も応じる方で、なんかみんな
頭悪そうだぞう
だいたい、ドラマトゥルギー(だっけ)って書いてる時点で
このスレ終わってたと思うんだけど、ま、ここまで読んでる
おれも頭悪そうな気がしてきた・・・すんません
とにかく、スレタイの割に内容がないよ どっかで聞いた
はなしばかりだしさあ いまさらなのよ >>63
確かに、一人で何役も演じ分けられるほど頭はよくないが。
書き込まれた論旨が、1つか2つほどにしか分けられないと思うほど
悪くもないが。
うちの一人である私は確かに頭は悪いです。すんません。 調べればわかることを大学で教えるべきという考えがのさばること自体
大学そのものの水準が恐ろしく下がっていることを意味している 音楽の、というより
音楽学の地位を法学や医学と同等のステイタスに引き上げたい。
そのためには欧州の様な教育・研究・楽壇システムをそのまま移植してしまいたい
ということ? >>68
いや、ここのスレ主で在らせられる菅野先生のご趣旨といたすますては、
ゲソ音の人気が無いのがこの世界の諸問題の根源であると想起し、ゲソ音
の人気を少しでも上げるために、一般大学でゲソ音楽を教育することに
よって、この現状を打破せんがためのご提言かと思われます。
>>ゲソ音の人気が無いのが
自分の作品が人気ないのが の間違いだろ。
自分が招いた現状を人のせいにしてんな。と、言いたい。
「ウェット」な感情でもって議論しても不毛だよ
こういうのはある程度自己を犠牲にしてでも尽力する人物が現れないと無理だろう。
使命感、ということになってくると思う。
自分の境遇とかではなくて社会のこれからを真摯に考え行動できる人…。
少しばかり価値観や美意識が異なるというだけで罵詈雑言を浴びせる連中の言うことが信用できるかっていうんだ。
本当は、みんな何かしら、少しずつでいいから、ささやかにでも、行動しなきゃいけないんだ。 だからゲソの教育は良い事に決まっているでしょ?
なーんにも難しくないよ! >>70
むしろ「自分の境遇とかではなくて社会のこれからを真摯に考え行動できる人」は
>>70の地動説な意識に反感を持つと思うが。
それから「少しばかり価値観や美意識が異なるというだけで罵詈雑言を浴びせる」のはゲソ側からの方がはるかに多いというか
この板みれば「!」を語尾につけてる常習者がいる。 ・・・そういえば
「現代音楽ってキーとかギャーとか」変な雑音でしょ?て言う人は激減しているような気がするが。
統計とってないから分からないけどさ。
ただCD貸すと
「難しくてよくわからない」て言われる。・・・・・・ちょ、単なる音響の構築物で特に意味や表題なんてひねり出さなくともいいのに何故・・・;;;; ゲソは何しろ世界的でも食えないのですから、
人間性が貧しくなるのは当たり前です。
それを了解して作曲やりたい人はやるべきでしょう。
食えなくて当たり前、売れなくて当たり前と考えてください。 まあ欧米のコンテンポラリー音楽の潮流を把握しながらも
自国作曲家のアナリーゼとプレゼンテ−ションが出来る
音楽学者がいればいいのだが。
今現在そう言った能力の人は音楽学者じやなくてゲソヲタクの社会学者の方1人しか確認できていないという危機的状況; 大学で現代音楽を教えるというアイデア自体は悪くない。実現できればいいだろう。
しかしそれをどうやって実現するのか?
現状を語らせればインテリが嬉々としていくらでも語ってくれるだろう、またこのような提言も
いくらでも出来るが、現状を打破する方策を与えてはくれない。
行動するべきというが、ようするにどうやって行動するのか?
大学や企業、官僚や政治家にプレゼンする方法を考えるべきだろうか?
しかし、これを考えると細川さんのように「商業主義に毒されてる・・・」という意見の一派が反対だろし、
どうにもこんな状況ではにっちもさっちも埒があかないぜ。
こういう場合にこそJFCがなんらかの音頭をとって運動しようって気はないのかね? 一般教養に組み込めば問題ない。
違うよ、文科省と文化庁に行って強力なロビー活動するのさ!
でも私立大学なんか勝手にやっても問題はないよ。
今すぐどんどんやっちゃえ! 2ちゃんなんかでそんな議論っちゅーか寝言っちゅーか夢見事書いてて何か実りがあるの?
世の中を変えたいなら議員に立候補しなよ
君らの話は又吉イ×スと似たようなもんだよ
>>4で結論が出てるだろ 一般人を教育しようなんて思い上がったこと考えるより
どうしたら現代音楽が一般に認知されるかポピュラーになるか作曲家やひょーろんか自身が集まって考えたり議論するセミナーでも開催しなよ
答えは出ないだろうけど 議員は親が政治家でないと必ず落選するよ!
供託金没収されるからやめとけよ。
「現代音楽が一般に認知されるか」は「相対論がどうやったら一般に認知されるか」だよ。
難解なわけだから大学で教養として身につけるかしかないね。
相対性理論は「難解」ではなかろう。きわめてシンプルなものだ。
もちろんそこに至った経緯には思考が様々にはりめぐらされているだろうが。
あと、少々気になるのは、みんな「一気」に変えようとしていないか。
リセットボタンというのは、実は、考えるということを半ば放棄した態度だと思うけどな。
大学で現代の音楽についての講座つくりました、と。
別にそれ自体は悪くないけれど、これだけで「解決」しようというのは
やっぱりピントずれているような気がすんだよな。
講座つくっても事態は変わらない。大事なのは「このこと(この結果)」に辛抱できるかどうかだと思うのだがね。
そして、それでも、尚且つ行動できるかどうか。(持続することができるか)
コンスタンスにクオリティの高い作品をつくっていくこと。
価値観や美意識が異なる他の作曲家の作品も紹介していくこと。
自分の世界だけに閉じこもっていないで「社会」にきちんと参加すること。
自分だけが豊かになるのではなく、現代の音楽自体が豊かにならないと(「雑多」でなければならない)
現代の音楽が社会の中に存在感を持って認識されることは、ない。 現代音楽も実はそんなに難しくないよ。
でも曲ごとに文法が違うのだ。
いちいち知らないと理解できない。
大学に音楽の科目がないよりあったほうがいいんじゃない。
もちろんコレで解決はできないが少なくとも理解のためのタシにはなるよ。
現代の音楽自体が豊かにすりにはとにかく初演すること。
そのためには作曲者には切符売りなどの負担をかけてはいけないよ。
NHKもどんどん放送するべきだろうな。
新聞も毎日批評したらいいだろう。 >>83
その意見には概ね同意できる。
一つのこと成し遂げるのに、一つのことでやるべきではない。
いろいろな手法を複合的に現代音楽の理解に繋がるような戦略でいくべきだ。
放送局、一般マスコミ、音楽雑誌、自治体や国、図書館、大学、小中高での教育など
EUでは複合的に現代音楽への理解や社会的な認知に繋がるようにしたり、作曲家や
研究者、ファンに利用しやすいような社会インフラがシステム的に構築されてるような
感じだ。
これをすぐ日本で実現はできないが、徐々に実現していくようにする。
そのための方策を考えなくてはならないわけだが、一気に一つの手で実現はできまい。
>コンスタンスにクオリティの高い作品をつくっていくこと。
本当に一番良いのは、運動や政治的にあれこれ画策するよりにも、評価はいろいろ、
曲の様式も現代は多岐にわたり過ぎているが、曲を大ヒットさせて自然に社会に人気が
出、それで社会的に認知され理解も広まる方向が望ましい。
大学で現大音楽を教える前に小中高で教えたり学生に議論をさせ自分で考えさせたりする
環境がほしい。でないと大学からいきなり初めてもスムーズに繋がって行かない気がする。
ドイツなどでは小学校からそれをやってるが、EUには元々、日本のような
暗記中心の教育ではなく、自分で考える、社会に出て議論に耐える思考力を鍛える伝統が
昔から根付いている。
日本でこれをするならば、そもそも教育の哲学のパラダイム転換をしなくてはならんかもしれん。
公共図書館の音楽図書館があってCDだけじゃなく楽譜もどんどん貸し出しだらいいね。
もちろんポップスやクラシックは黙っていてもみんなが買うので現代音楽中心が良い。
後はどこでも現代音楽が気軽に演奏できること。
高いホールだけじゃなくて、学校の体育館や広い部屋だったらどこでやってもいいんじゃないかな?
外だって良い、過疎で赤字の電車の中やホームでも良い。
空いていたらどこでも良い。
そういうことをたやすく許可すべきだな。
ほんとはクオリティは誰でもわからないものだよ。
マイコンだって尾高賞だって芥川賞とか毎年出ているけど、
再演はまずされないし、
シュトックハウゼンやケージみたいにみたいにまず残らないじゃないか?
ナクソスが100年後に発掘してくれるかな?
とにかく書いて発表するしかない。
客は入らないしホールは高いしそのためのオケを何とかして欲しい!
大学は偏った方法で入試をしないこと。
例えばアメリカのTVがその若手作曲家のレポート組んだら、
入試無しでも入れたらいいんじゃないか?
後は高い入学金や授業料ばっか取らないこと!
そんな学内に2000年収容のべートーヴェン・ホールみたいの作ってどうすんの?
地方のホールがいつも閑古鳥鳴いてるのでそこをどんどん使えば良い。
ピアノなんかどっかの大部屋使えば良い。
暑かったら公園などの野外でも良い。
そんなの客なんか入りやしないんだから。
じゃないとみんな海外に逃げちゃうじゃないか?
後は教育。
ポップはやらなくとも自然に聴く人が来るので公費まで使ってはいらない。
クラシックはやらないよりやったほうが聴衆はつかみやすい。
現代音楽は教育しても聴衆集めは苦労するのでそれに重点を置いたほうが良い。
また来れなかった聴衆にも聴いてもらうために地方のNHKなどもどんどん放送すべきだな。
民間は絶対だめ、絶対スポンサーが付かないから! --快いでしょう
耳にも皮膚にも快いでしょう
こんな簡単なことから
音楽は始まるの----
萩尾望都「銀の三角」 >>86>>87
問題は継続できるか、だ。
少しでも細くても長く継続していれば次第に根付いて行くいくものなのだ。
無理解に会っても根気よく説得して行く事が大切。暴力的な「説得力」は厳禁。
日本人はドイツ人ほど神経が太く無い事をお忘れなく。
>再演はまずされないし、
知らないだけ?多くはないけど、再演されてる。
「海外の潮流」のようなものばかりになって
分野そのものへの信頼が失われたことも、ジリ貧の理由。
もともと日本はこういうことにお金をかけないということもある。
しかし、自分たちの作品の質と、やり方のまずさの反省がなさすぎる。
現代物は国境を越えないと通用しないのよ。
日本国内でチョコチョコ再演しても誰にも知られず邦楽のように死ぬだけだよ。
現代音楽は最初は誰でも快くないもの。
何度も際英されて認められていくんだね。
吉田秀和とか柴田南雄の批評を昔から最近まで読んでみな、
そう変わっているから。
普通はそういうものだよ。
最初からわかるのはミニマルみたいなもんか?
でもあの音楽はいつも使い捨て。
どこでもほとんどやられないね。
もちろん繰り返しばっかりで退屈だからだ。 >>92
なんちゅうひどいつりじゃ
じぶんがどばかだとまず分かれや
おいみたいないのはとっとと入院せえ チョコチョコ再演意味がない
ドカドカ海外雄飛だぞ
オタク批評家いちころよ
日本人など相手にするな
逆輸入で評価され
初めて批評家絶賛だ ああ わし もうだめ
じぶんがないから
ひと くさすしか のうがない
にゅういんする 「海外の潮流」の枠を日本の現代音楽に関するシンポジウムか講習会にでもすれば良いんじゃない? そうじゃなくてもっと教育の基本的なレベルで
音楽(現代まで)を浸透させようということでしょう。
いま、クラシックファンと
現代音楽も好きなファンの間には壁がある。
武満の言った「調性の海」とは
その壁をあいまいにする試みだったのか? ヨーロッパでは現代音楽は大衆に受け入れられてるの? 海外でも日本のように他ジャンルの音楽に魅力を感じている人の方が多いのではないですか?
実状として、現代音楽に親しみを感じている人は少ないのではないでしょうか?
>>101
けど現代音楽がメインになることは少ないよね。
仕方なく演奏してやっているという感じかな。 最近は
近代 現代 近代 というパターンも
概して現代曲は 10〜20分 が多いので(?)トリにはどうかと。 ラフマニノフがあれほど曲が少なかったのはピアニストとして、
彼の曲よりも他の既成のクラシック音楽を弾いてくれと要望が多かったため。
どこでもそうだよ、聴衆が期待しているのは新作ではなく評価の定まった昔の「現代音楽」。
今だったら新作よりもリゲティとかゲージとか古典化しているものに人気がある。 戦後の模索期から60年代を経て70年前後までの前衛時代に作られた
多くの曲たちは今はどこへ行ってしまったの
CDにもされず されても初版だけで廃盤となり
買った人も聞き返すことなく忘れ去り廃棄されてしまった曲よ
歴史の闇に消えていったそれら曲の怨嗟の声が
今この地底から響いてくる 今の大学で教えている先生は、
40〜50歳として60-70年代の風は受けているはず
それぞれ関心は違っても、思春期から青春時代に
当時の時代の多様な音を浴びて音楽生活を送ってきた。
もちろん大学ではアカデミックな教育の洗礼も受けた。
反戦フォークがやさしいニューミュージックに、ロックもプログレからハウス、テクノ、ラップまで取り込んだ。
サザンも休業するほど活動してきたこの長い時代。
いま音楽を教えるなら歴史を無視しては教育はできない。
海外のロックバンドのメンバーがトリビュートで武満を訪ねたこともあったように
様々な世界から吸収するんだ。何でも聞くんだ。何でもやるんだ。
すべておのれの音楽の糧にせよ。
そしてあなただけの音楽を成立させよ。
そこに調和に囚われることなく人を感動させ得る響きが
生まれるだろう。 日本のはほとんど残らなかったね。
ダルムシュタットの3羽鳥を中心としたのは残った。
後はその外様格:ベリオ、クセナキス、リゲティ、ケージ。
日本人はその3羽鳥に入っていなかったせいかも? >>109
>今の大学で教えている先生は・・・・当時の時代の多様な音を浴びて音楽生活を送ってきた。
私の知る限り大学の先生(美学系などは除く)は音楽に関心は無いですね。あってもほとんど
ポップスやロックです、ほんの少数がクラシック音楽を趣味にしてますけど、現代音楽には
関心無いです。
なので2chではシュトックハウゼンの理解がどうのこうの乾き者とのやりとりがどうのこうの
言われてるけど、浅田彰さんは貴重な存在だと思うよ。
実際社会学やってて現代音楽に関心がある学者って日本には見当たらないのでは?
(確実なことは言えないけど私は学問界の人間ではないので)
ここで話されているような「現代音楽をどう啓蒙・普及していくか?」を論じるなら
社会学が一番有効な物ではないだろか?実際それは社会学者の仕事だと思うのだが。
EUにはアドルノはじめ、そんな人がいっぱいいる(いた)けど、あっちでは
ある程度以上のインテリなら音楽の教養があるのは当たり前ですから。
だから官僚が権限を持ってオペラ運営したり、純音楽への補助などをやってたり
してもいいんだろ。
もっともそれはそれでまた官僚の腐敗や勢力争いなどの諸問題は生じてるわけだけど。
武満はそれを「音楽」の中で問題にしてたわけではある。で、そんな発言は菅野先生などは
気にいらん!ってわけね。
武満はすべてが良い発言をしたとはいえないですね。
当時冗談で「オペラハウスなんか要らない」と、
雑誌に書いています。
日本のトップの作曲家が冗談でもこういうことを雑誌に書くということが、
日本のクラシックの音楽界の足を根底から引っ張っています。
極めて言語道断です。
官僚や政治家は頭がとても単純なのでこういうことは信じやすいのですよ。
死人でも贖罪されるべきでしょう。
現代音楽やクラシック音楽をこういうとこでいちいち足を引っ張らない。
コレを警句としておきましょう! ↑113は 武満徹純正スレッド の方がよかったです
その発言は著書に入っているのでしょうか? 「オペラをつくる」じゃない?
私読んでないけど。
小澤との対談本『音楽』(1978-79対談)には国立オペラ座への疑義を呈しているけど、
冗談だけどいらない という言葉はなかった。 当時、多くの音楽家が、質もないのに、国家に取り入って権力だけ手に入れようっていう
音楽屋や音楽官僚を攻撃していた。
その意味も考えずに、113みたいな能天気のこと言ってられるなんて、
やっぱりこの世界も劣化したとつくづく実感。
その質とはどうやって測るのじゃ?
だったら自分でオケを買って音出せというのか?
望月しかそんなことできないだろうが?
じゃ、お前もオケ買ってやったら?
誰もお前の曲に客は来ないよ。
バカなこと言うんじゃないよ! >>119 の文章は論理が滅茶苦茶。
一体何を言いたいのかサッパリわからない。
>>119 はもう一度頭を冷やしてよく考えることだ。 金の出させ方ばかり考えているから、こんなに作曲界がダメになったんだな。
相撲界のニュース聞きながら、作曲の方がひどいかもとか思うわ。
創作の精神なんか、今は皆無だな。
じゃ、無料で小澤とウイーンフィルにやってもらえば?
創作の精神なんか関係無しに、何でも金、金、金だよ。
ま、金が欲しけりゃ俺のように一国傾けさせるくらいはしろってことよ 来年ザルツブルグのコンサートでメイローなる日本人の作品が演奏されるらしい。
日本本国では忘れられた人らしいけど。 金儲けも何も日本国はもう傾いているよ。
お前は日本国のために一切作曲やるなよ。 「日本国は傾いている」と80年あまり前から聞かされ続けている件 金ならポピュラーやれば?
っていうか、音楽に関わるのやめたら?
もう日本は沈んだのだろう。
ここでは現代音楽をどうやって音を出すかを書いている。 ここでは大学でどうやって音楽教育をすべきかを書いているんじゃなかったのでしたっけ? >>87
ベートーヴェン・ホールってあの武蔵野音大の?
何年も前にオペラを聴きに一度だけ行ったことあるな。ツィルヒ先生の指揮で音大OBと教師による演奏者だった。
懐かしい。(私は武蔵野出身者とかではない。誘われて行っただけ)
でもあれ確か昭和42年ごろの建造でなかったかな、だいぶ古い話よね。
>>113
武満の意見は公的資金についての官僚主導にならざるをえない弊害を言っていたんじゃないかな。
それはやはり一考しておかないと。
どうしても音楽家主導にはならないから。
単に「あんな発言は現代音楽の足を引っ張るだけ」という短絡的に捕らえてしまうのもどうでしょうか?
まぁ菅野先生はじめEUにいる人たちはそうとしか受け取れなくなってしまうのですかね。
それについては良いも悪いも私にはわかりませんが。
果たして官僚主導になってもまだ公的資金が出るだけマシだろう?と考えるべきなのか?
という議論もあるだろうけど。
一方で日本には日本社会にあった形でのやり方が良いし、どっち道それしか出来ない、という
意見もあるでしょう。日本はEUのような歴史も社会も国民性もないですからな。
その他のご意見には概ね同意できます。
大学での教育、義務教育・高校での教育。社会インフラの整備、放送局、図書館などでの
支援、現代音楽演奏のしやすい環境などは実現できたらいいですね。
それなりに有意義な話をしているかと覗いてみたらば
程度が低く的外れな意見ばかり
現音板もクラ板並みに地に堕ちたな
ハァ 堕ちた 堕ちたよ 地獄の底へ
○に無の字の おはらハァ 地獄まで
ハ ヨイヨイ ヨイヤシュット
>>126
ドイツのマスコミは何か有ると日本悪い駄目アルヨと続けて80年
もはや伝統芸能である。 でもドイツのエコ政策構想の基となったのは第一次石油ショック時の日本の政策だったりする不思議。 でも太陽光発電なんかは日本がぐずぐずしている間に追い越してしまったぞ? >>137それは安定供給を求めるか求めないかの差
(メーカーと国の癒着みたいなダークな要素もあるが)
夜目の効かない日本人は劣等人種ということで。
どこの音大の音楽ホールでも良いのだよ。
あれって高い入学金で作ったらしいんだけど、
地方公共団体のように毎日使ってないね。
芸大だったらオケは近くの東京文化会館を使う。
私大に行きたい人はその立派なホールがあるから行きたいのか、
それとも本当に音楽の勉強をしたいのか良く考えてくれ! >武満の意見は公的資金についての官僚主導にならざるをえない弊害を言っていたんじゃないかな。
今は、ほとんど音楽家(作曲家)みずから、官僚状態では?
大した曲も作れていないのに。
できるなら税金で食わせて上げたい
そして納得のゆく作曲をしてもらいたい
私自身食うや食わずだけど 税金ではなくてNHKの受信料で食えるようにすればいいんだよ。
だってそういうことをやるのがほんとうの公共放送だからね。 >>141
何らかの権限を握って、演奏の機会や賞を配分するだけってこと。
いっそのこと長木誠司准教授に大臣になってもらえ。
軍隊規律大好きみたいだし。 長木さん、今度新内閣の文化省大臣はどうですか?
一度やってみてくださいよ! 「ロゴスドン」で連載されている高松晃子先生の「音楽哲学」は最高の音楽教養だと思います。 それよりも大学で哲学一般をやったらもっと知識が広がる。
昔の放送大学の藤田健治は凄く良かったな。
まだヴィデオがあるだろう。 「もっと大学で音楽教育を行うべき」よりも寧ろ「もっと大学で現代音楽教育を行うべき」というべきだろうな。
ドイツなんかはその方針でやっている。なぜならクラシックはやらなくとも自然とファンが増えていくから、
税金を節約するために現代音楽だけに絞っている。 >>152
哲学が軽視されてるからなぁ。
現代音楽ファンの半分以上はエリートとしての自分を飾るアクセサリーのようなものとして現代音楽やその理論をを扱っている。 哲学は何もならないようで実はとても大切な学問。
生きることの意味を教えてくれる。
現代音楽も似ている。
何もならないどころか不快で経済的にもダメージを与えるぐらいの邪魔者だが、
いくら経済的・政治的に成功しても韓国の前大統領のように自殺しては何にもならない。
そういう事柄を多くの現代人は見失っている。
詩を書く事は野蛮だといったアドルノ。
詩の無い世界は暴力に満ちていると表現しようとしたピランデルロ。
私は作曲セミナーや外の社会状況をみると、
みとめたくないが、
ピランデルロの方が正しかったのだとおもう。 「アドルノ」はセリエルだけの貢献者だが大学でも教えても役に経つと重いよ。 その権威も後から出てきたケージに一瞬にして潰されたしなあ。 でも健在じゃん「権威」
アメリカの学生がしこしこラッヘンマンをおべんきょうしてるとこみると・・なぁ・・ 哲学のもとは仏教だよw。
音楽教育は、音楽しかできない人が策をねって
どうにかして金儲けしたかったんだろうな。 むしろ、161のような方向性が権威の典型なんじゃない?
それに、
先行する「権威のようなもの」がなければ、全く浮かばれないような
「今の権威」が多すぎ。
今の大学(音大は別にして)なら、音楽と縁がないほうがいいかも。
というか、
ケージがセリエルに代わって権威になってしまったが、
日本では今でもまだまだ認められていないね。
その証拠に音楽大学ではちゃんと真面目に教えていない。
作曲科の試験に絶対出ない。
ラッヘンマンもある程度権威化しているが、
それが全く通用しない地盤はいつでもあるものだよ。
例えばトロッシンゲンやマンハイムではラッヘンマンは今でも無視されているね。
福祉系の大学にももっと
音楽を取り入れるべき!
教授達は今の福祉界に
いかに音楽が必要なのか
わかってないな(∵`) ハゲてる方だけに言いたいことがある。
遂にリアッ●のニューバージョンが販売された。
これって、本当に髪の毛が生えるのだろうか・・?
調べてみたところ、てっぺんハゲには高い効果があるらしい・・
そして、ハゲ疑惑がある、あの若手有名人も利用しているらしい・・
でも、海外には、もっとすごい商品があるらしい・・
ロゲインとか、倍毛DXとか、かなり生えるらしい・・
福祉系の大学にももっと音楽を取り入れるべき!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今は音大のセラピーが充実しているので取り入れるのは困らない筈だ。
やるべきだ!
でもそこで教材として扱われるのはノーノやシュトックハウゼンではないことを
覚悟すべき。 B.Aツィンマーマンは分裂症の症例教材として使われるだろう。 最後には現代音楽を親しめる方向に持っていくのが正規の教育。
クラシックは途中で何もしなくともファンになるしね。
教育なんか向上させてもムダ
音楽好きだけど技術も才能もないやつが無理にすがりつく学部
音大授業はねずみ講や宗教みたいで気持ち悪いよ
音大生達のショパンの真似事は一体何を意味するんだろう
ショパンの真似事で天才だのなんだの競い合ってもねぇ…
てか音楽が好きなやつがピアノや作曲するのは当たり前なんだから学校では経営やマネジメント、著作権などに力を入れるべきです 音大卒の私が通ります。
学者ではありませんので、皆様とは異なった意見を申し上げます。
まず、一般社会において音楽というのは役にたった試しがございません。音大の先生方は幸せなのでしょうか。
私は社会で幸せな音楽家に出会ったことがありません。みんな「お金がない、こんな社会が悪い」と言って卑下している人たち
ばかりでしたよ。音楽学の学者も、4年制の音楽大学を卒業してコンクール入賞した人も、芸大を卒業した人であっても、
言っていることは同じ。
「仕事がないよ」
「お金がないよ」
「社会が悪いんだよ」
「なんで音楽を軽く扱うんだよ」
「私たちは誇りを持って仕事をしているのに、なんで分かってくれないの?」
仕方がないのです。この世において音楽というのは無くても生活できる代物であって、不況下においては
金銭的にも余裕がない人が多くなるものだから、市場はほとんどなくなってる。もしも、音楽が生活に欠かせないものだったら、
人々はもっと学ぶでしょう。例えば、就職に即決しているパソコンがそうですよね。
市場とニーズをふまえても、音楽というのは儲からないということです。
これは変わらないと思います。仕方がないのです。 確かに
バブル期に勘違い音楽家を量産したのがいけなかったね。
社会のせいではない、自分たちが作り上げた音楽界のせいだ。
いま既得権にしがみついている先生方や演奏家を見なさい。恥ずかしい。
ニセモノ達は淘汰されるべき。
社会はそんなに甘くない。 >>172
文系だと学部学科より大学名重視かも知れないけど
理系は志望学科変えてまで東大にこだわる奴はいないよ。上位層なら特に。
だから京大工≒東大理T≧早慶理工≒東工1類>理科大工>東大理Uでほぼ正しい。 首都圏もチェルノブイリ並みに汚染されている(日刊ゲンダイ)2011年8月9日
医師の土井里紗氏はこう言った。
「首都圏はチェルノブイリ事故のような汚染はない、とされてきたが、(調査結果は)それを否定するもの。
降り積もった(高濃度汚染の)砂塵(さじん)が風などで吹き上がれば、皮膚や粘膜に吸着される可能性もあります」 >>1
同意
>>175
藝大と言っても音楽学部の場合早慶より偏差値が低いことに問題がある。
四年制大学ってどこですか?工藤重典さんみたいに慶応出とか三善晃さんみたいに
東大からパリコンセルヴァトワールとかならいいですけど。
音大出全体のレベルが低いことに原因があると思う。 ユニークで個性的な副業情報ドットコム
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