☆コンテンポラリーダンス・Part5☆
彩の国にきてたよ。あと、ローザスはびわ湖。何故か、いつも来てる。 幼なじみとSEXしてる夢見て夢精した
逝く寸前で目が覚め必死に堪えて、なんとか被害を最小限に抑えた
次に会うときな、変に意識しちゃいそうだわ
男同士なのに いよいよ、カステルッチの神曲だな。
3つ全部行くぜ〜 井手茂太がCMで踊ってるね〜
楽曲のようにダンサーも名前が出ればいいのにね 背中で康本雅子さんに惚れたんですが、
なんかお勧めの映像作品とかありませんか?
ちなみコンテンポラリーダンスって言葉をこの時初めて知りました バレエやミュージカルに比べたらチケットも安いんだから生の舞台を観ようよ。
映像じゃ伝わらないことの方が多い。
康本さんは確かにトップクラスに素敵なダンサーだけど、まだまだ凄い人は沢山いるし。
背中に着目した貴方ならば、絶対に惚れる人が他にもいるはず。
レスありがとうございます。
でも、こういうのって頻繁にやってるもんなんですか?
情報少なくてよく分からなくて…
あと他のコンテポラリー関連の映像も色々見てみましたが、
難解なものが多くて素人の自分には何から手をつけていいのかさっぱりです。 関東在住なら沢山あるんだけど…
今だと横浜赤レンガ倉庫で「横浜ダンスコレクションR」やっていて
無料で見られるショーケースがあったね。(ちゃんとした公演も)
3月には「東京芸術見本市」で池袋周辺で様々な公演やパフォーマンスが。
あとは全国を回る「踊りに行くぜ」
「神楽坂セッションハウス」では(当たり外れは激しいかもだけど)毎週のように
何かしらやってる。
もっと大御所的にメジャーな人を観たいなら、新国立劇場やBunkamuraオーチャードホール。
どこか舞台を観にいくと、沢山チラシを渡されると思うので、それを参考にするのも吉。
参考文献的には「乗越 たかお」の著作かな。 チェックすべき会場として、>>575が挙げた小屋のほかに
新国立劇場小劇場
東京芸術劇場小ホール
世田谷パブリックシアター/シアタートラム
さいたま芸術劇場
シアターX
スパイラルホール
スペースゼロ
こまばアゴラ
d-倉庫
あうるすぽっと
吉祥寺シアター
アサヒ・アートスクエア(ちょっとアレなことが多いかも)
あたりはどうだろうか。
舞踏ならテルプシコールも >>575-576
ありがとうございます。
一応都内といえば都内に住んでるので、行ってみようと思います。
とりあえずその前に受験を乗り越えなければ! サクライのコドモ身体の嘘くささが、冷静に検証され始めている。
http://twitter.com/yanoz
「コドモ身体」論を適切に形容する日本語の語句は「屁理屈」だろう。 #kodomomitai >>577はもうチェック済みかもしれないが…。
3月27日に新国立美術館で、康本さんの無料パフォーマンスがあるらしいよ。
その頃には入試も終わっているだろうし、行ってみたら? 桜井論文って読み手に理解してほしくて書いてる文章とは思えないんだけど。
なんかうだうだ小難しくこねくり回して、字数だけ多いけど伝わるものが何もない。
煙に巻いて読む気をなくさせるのが狙いかね。要旨を書け要旨を 受験終わりましたー
>>580
あるのは知ってましたが無料だったんですか
というかこの六本木アートナイトって何かすごい大きなイベントなんですか?
>>586
お疲れでした。卒業、入学までの時間を有意義に使いましょう。
さて、六本木アートナイトですが、今回で第2回目の開催とのこと。
美術館が中心となっていることから、展示や講演もそちらよりのものが多い印象ですね。
詳しくは、公式HPをググってみてください。
今日から始まった「東京芸術見本市2010」は、「舞台芸術のマーケット」と銘打っているだけあり
演劇、ダンス、音楽が中心です。
劇場公演のほかにも、様々なアーティストや劇場のプレゼンテーションが観られます。(要入場料)
こちらも公式HPあります。
今までこういったものに縁のない高校生が、初めて一人で観にいくのなら、
先に紹介した無料イベントが気楽かもね。
一般的なコンテンポラリーダンスの公演とは違った雰囲気かもしれないが、
気になるダンサーさんを生で観られるチャンスだし。 >>587
ありがとうございます。そういうのもあるんですね。もう終わっちゃってましたが・・・
アートナイトは行こうと思ってるんですが、卒業祝会と重なってしまいました
早めに帰らないと康本さんに間に合わない。ついてないなー >>588
急ぐ必要はないですが、なるたけ貪欲に、康本さん以外も手当たり次第に何でも見る式で
経験を積むと評価眼が養われます。特定ダンサーのファンになってのめり込むのも
楽しいですが、広汎なダンス観を持つにはいろいろ見るのがいいです。 大分前にNHK教育で深夜に見たダンスについて教えてください。
多分コンテンポラリーの範疇だと思うんですが・・・
赤いワンピースの衣装で、女性ばかり10人くらいが
ターンで回ってバタンとひっくり返る、をひたすら繰り返していました。
続く場面では、ハイヒールにつばをたらしたりする演出もありました。
エンドロールとか見逃したので、出演者とか作品名とかわかりませんが、
ずっと気になっています。
出演者は全員日本人の若手女性でした。
まさにそれです!
すごくすっきりしました。
HPよく見てみます、ありがとうございました! とりあえず噛みつく、なぜなら見たことないから。って感じですかね。 9頭身とはいわない、せめて8頭身で手足の長いダンサーはいないものか コンチンポラリーダンス=キチガイの痙攣
がここに証明されました。 ____
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\
/ ⌒(__人__)⌒ \ 痙攣系しか見たことないのか
| |r┬-| | 貧しい鑑賞経験だな
\ `ー'´ /
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
____
/_ノ ヽ、_\
ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒)
| / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // だっておwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/
| ノ | | | \ / ) /
ヽ / `ー'´ ヽ / / バ
| | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l バ ン
ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、 ン
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒)) わざわざ過疎スレ見に来てまで書き込むところに
深いコンプレックスを感じるね。
コンチンポラリーダンスのせいでトラウマになりました。
謝罪と賠償を要求します。 要するに才能がなかったってこと。
鑑賞眼か踊る方かは知らんが。 見当違い甚だしい。ゴミクズの分際で調子に乗るんじゃない。 セリフなしの舞台パフォーマンスを何でも「ダンス」と呼ぼうとするからいかんのだ 大野さん、亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。 以前にNHK?で見てすごく気になっている人がいます。
コンテンポラリーダンスのくくりで相応しいのか分からないのですが
金髪で長く、変な髪型の若い男性で、細めの筋肉質な方でした。
上半身裸だったように思います。
ものすごい躍動感に感動した記憶があります。
どなたかご存知の方、教えてください。
よろしくお願いします。 誰も書かないから書くけど、キムさんが「輝く未来」が解散を表明したよ。
「輝く未来」の伊藤キムといい、レニバッソの北村明子といい、
大学で教鞭を取る代わりであるかのようににカンパニーを解散させてしまうのは少々悲しいが、現実的な選択ではある。 そうすると勅使川原三郎はすごいな。
大学の先生やって公演だってかなり行っているよな。 それは比べられないんじゃないかな。
テッシーが自分中心で少人数の固定カンパニーで公演するのと
沢山の若手を育てることを目的にした「未来」は違うから。
平山素子とか近藤良平とか、その他今は大学で教えながら精力的に舞台も
こなしているダンサーは多いよ。
大学の給料がどれほどのものかはわからないけれど、
一般社会的な信用という点で仕事しやすくなるのかなと思う。
後進を育てるにも環境設備が揃っているしね。 そうそう、育成カンパニー(あるいは「お教室」?)で成果を挙げるのと
自分で公演活動して結果を出すってことは全然別の話だよ。
大体、前者の場合はひとえにいいメンバーが来るかどうかにかかってるでしょ。 キムさん、北村明子さんに関しては、大学の立地の問題もある。
あと、セゾンの助成金との関連も。
金の切れ目が縁の切れ目と、制作が手を引いてしまうからね。
食べていくためには仕方ないけど、助成金の皿がもう出てこないと見ると、ご馳走様っていうのも残念な話だね。 コンテとモダンの教室だけどヒデ・ダ●ス・ラボは糞。
研究生の質もピンキリだけど代表はまじで粕。
金にしか目がない亡者だよ。レッスン代は安いけど発表会代や公演費は
他の教室の倍してる。
しかも生徒が出た公演の出演費とかワークショップの講師代ネコババしてるよ。
一般人が参加したワークショップでも「記念になるから」とか言って
無理矢理DVDとか写真買わせてる。勧誘の電話もしてくるし
電話出なかったら留守電に超長いメッセージ入れてくる。
旦那と旅行に行くからって理由で2週間もレッスン休むし(生徒達に理由は言わない)
体調管理も全然できてない。「お腹痛いから」ってだけで公演来なくて
ゲネと本番、生徒の管理は講師補佐とかアシスタントにおしつける。
そのくせに照明合わせの日にインフルにかかった生徒には「熱でも来い」って言う。
現代舞踊協会からの評判もよくないし
こんな欲にまみれた奴が先生してる意味がわかんない。
こんなとこ行ってたらお先真っ暗だよ〜 >>627
辞めて、他の所を探せばいいんじゃない? 杏奈って有名なの?
知り合いがその人に習ってるらしいんだけど… ダンスに縁のない一般人にはまず知られていないだろうけど、
コンテンポラリー周辺の人なら、知っているはず。
受賞歴も結構あるし、いろんなところで名前を目にする。 ずいぶん低レベルなものを持ってきたね
だらしない体で脱がれても迷惑だよ >>634に同意。
音も振付もつまらん。脱ぐ以外にとりえなし。ほんとにレベル低いなこれ。
上からポスターカラーみたいのを垂らすって、オリーブオイル垂らすやつのパクリかよ。
日本人で自称コンテをやってる人の多くは体系的に不向きを悟ってバレエから離れたり
最初からバレエの訓練なんか受けたことがなかったりだから、大概脱いでも似合わんのだ。 s/体系/体型/
「体系的に不向き」の方がかっこいいけどw このカテゴリの評判する方は人と仲良くできないのかね… 「コンテは何でもアリ」だから、ほんとに何でもアリだと思ってる奴が多すぎよ。
パフォーマンスとしてお客を納得させられるものがないと成立しないってことを理解してないか、
あえて知らないふりをして自分が不向きだって現実から目を背けてるとか、そんなのばっか 顔・スタイルがいい踊れるダンサーみたい…誰か教えてぽん コンテは、芸術的創造分野だから、
単純な「何でもあり」とは異なり、大衆的あるいは通俗的な表現は
評価に値しない。
「個人的には」と明記しておけよ。あんたの評価軸なんてあんた自身のものでしかないんだから >>644
おれの意見じゃないから
決め付けるなよ、頭のゆるいヤツだな、お前は。
頭が固くて頭がゆるい。
背筋を伸ばせば腹が出て。
まっしろけっけのけむりむしー おいお前ら!!
Googleのロゴがなんとマーサグラハムだぞ!!
要JavaスクリプトON 「様式美という名のマンネリズム、即興という思いつき、こういうもの
は私のダンスには無い!
・・・というから観にいったのにただの思い付きをどっかでみたような
ステップで動いて見せるだけ。看板に偽りありとはこいうことですな。
その点わたくしはバレエの技術を駆使し客席との掛け合いで表現をしている。
わたくしこそ注目されてしかるべきですな。 大口叩く奴でろくなの見たことない。
>>649
つぎいつどこで踊るか書いてみな。時間が合えば、見に行ったげる(関東限定) 133 :踊る名無しさん:2011/02/05(土) 14:01:06
外国のものをそれほどたくさん見たわけじゃないけど、確かに日本では
身体の訓練もよくできていないような人が私小説的な心象表現をして
「ダンサー」を名乗っていたり、ドタバタ喜劇みたいな集団も
「ダンス集団」と言っていたりしますよね。
以前日芸の洋舞科の公演を見たことがありますが、ダンスというより
演劇を感じる作品が多かったような。
芸大にも音楽学部音楽環境創造科に身体表現のプロジェクトがありますが、
明確な方向性もなくダンスのトレーニングもどれほどやるのかあいまいで
せいぜい個人のための身体表現の追及という感じで、世の中にむけて
何かを発信ししようという感じではないですね。
それにしても、バレエコンクールの「モダン」とか「現代舞踊」
に出てくる踊りって、どうしてみんなあざとい情念の世界を踊るようなものが
多いんでしょうか?(特に女性)
クラシックがファンタジー系だから、その対極としてああなってしまうんでしょうかね?
昔、私の友人のピアノ弾きが、トラで河内音頭の伴奏を頼まれた時期があった。
私は河内音頭と言えば、昔の鉄砲光三郎さんくらいしか知らなかったが、色々あるという。
それぞれの違いは、節回しが少し違うらしい。
もちろん、その違う節回し、つまり、ニュアンスの違いがそれぞれの生命線的価値なのだ。
その世界の人、その世界のファンであれば、節回しの違いにうっとりしたり、逆に「やっぱり○がいいわ」となるのだろう。
しかし、全くそれを知らない人にとっては、よく分からない。
「あんまり変わらないけど、そんなに違うの、だからどうなの」ということになる。
私自身もそれを聞いて、へえ〜そんなものなのか、と思ったことがある。
それぞれの世界の中には、そういった微妙な違いを「明らかな違い」だとして、それぞれに付加価値を作り出している。
もちろん、それは間違ったことではない。
その世界ではそのことが存在理由になるからだ。
同じような事がダンスの世界にもある。
特にコンテンポラリーダンスの世界には「変わった動き」という価値観があるようだ。
その変わった動きというのは、ヨーロッパではクラシックバレエが、ダンスの基礎や基本になっているが、話を簡略すると、そのバレエ以外の動きが高じて「変わった動き」という事になっているのだ。
しかし、変わった動き、そのものが目的になった時、それはダンスと呼べるものなのか、という大問題が浮かび上がってくる。
ヨーロッパでは、コンテンポラリーダンスというのは、ダンスという括りではなくパフォーマンスという括りになりつつあるという。
それはそうだろうと思う。
「変わった動き」を目的とした時、それこそ変わった動きコンテストのような様相を呈してくる。
だから、一挙にアカデミックなダンス(この場合はバレエ)界以外の人達がなだれ込んでくる。
それが極端化すると、昨日まで事務の仕事をしていた人、絵を描いていた人、全く芸術とは無関係の人。
とにかく多種多様な人達がその世界になだれ込み、変わった動きを目指す。
というよりも、ダンサーではないのだから既に変わった動きなのだ。
別の角度から見れば、それらの人の変わった動きとは、稚拙な動きでもあるのだ。
しかし、それを稚拙な動きとは評せず「面白い」と、無責任に自分自身の成長していない主観でものをいう人も少なくない。
もし、その「面白い」と評した人が、有名な人であれば、その稚拙な動きを「面白い=価値がある」と、烏合の衆は誘導される。
そうなると、確かに変わった動きではあるが、舞台としての質がとんでもなく低いものも舞台に現れる。
それは、一過性の舞台としては、成立するかもしれないが、舞台に歴史を創っていくことは出来ない。
また、成長していない主観とは「面白い=興味深い」と「面白い=滑稽」「面白い=一過性のものとしては」という意味の使い分けが自分の中で出来ていない人のことだ。
大方がそうだ。
それが今のコンテンポラリーダンス界の現状だ。
しかし、ここで見方を逆転させると、観客は「変わった動き」だけを本当に見たいと思っているのか、がある。
もちろん、観客に迎合する必要など全くない。
しかし、いずれにしても観客を感動という武器でノックアウトする必要はある。
でなければ舞台表現という相互関係は成立しない。
つまり、観客から入場料を貰う、その見返りという関係が成立しないということだ。
冒頭に戻るが、それぞれの河内音頭の節回しの差異は、知らない人にとってはさほど分からない。
つまり、違いは分かっても、質的に横並びに聞こえるということだ。
もちろん、河内音頭の場合は、それぞれに伝統がありファンがおり、表現としては立派に成立している。
ただ、知らない人にとっては、というところの例として扱っただけである。
そういったところで、コンテンポラリーダンスの世界を知らない人にとっては、変わった動きというけれど、何一つ質的に変わったものはない、ということなのだ。
そこにこころの感動など湧き上がる筈も無い。
そこで、違いを出す為に舞台装置や照明を工夫する。
もちろん、それも舞台表現として大切な要素だ。
しかし、それら付属物を取り払った時、そこに見える動きや身体は、観客に幻想を見せさせるような、こころを震え上がらせるような、高度な質をもっていない。
舞台装置の工夫は大事だ。
そこに必然があれば、という話だが。
大方が、道具の為の道具でしかない。
それは家電製品と同じで、一度家電の便利さを覚えると、もっと便利なものという欲求が生まれる。
しかし、欲求している自分自身は、欲求のレベルは高くなっても、生活は何一つ変わらない。
それと同じなのだ。
スイッチを押している自分は、家電が便利になったからといっても、何一つ向上していないのだ。
あるいは、全く別のジャンルの有名な人と共演する、という手法を取る。
それ自身が相当興味深いものであれば、つまり、相互に優れた芸術性を持ち合わせているのなら、そこに起こることが予測不可能な素晴らしいものになるだろう。
しかし、それも大方が「面白い」の履け違いで、何も起こらない。
ただ、そこに、つまり、舞台で異種の人が一緒にした、というだけなのだ。
大分以前に、能だったか、狂言だったかの人と、コンテンポラリーの若い人がコラボをしたのを見た。
明らかに舞台での在りようが違う。
当然、舞台では何も起こらなかった。
身体の違いが赤裸々に表出されていたから、表現しようとしているものなど素っ飛んでしまったのだ。
それを知らないダンサーだったし、製作スタッフだったのだ。
つまり、そこに関係性など存在していないのだが、舞台では同じ時間が経過される為、面白いコラボだったと評されていた。
大方の評論家など、その程度のものなのだ。
その混沌さが、観客の劇場離れ舞台離れに繋がっているのだ。
ヨーロッパでは、サーカスの方に客は流れているという。
それはそうだろうと合点がいく。
サーカスは単純にやっている事が面白い。
例えば、定番の綱渡り等、何をするか分かっているが、その事自体の難易度が高いので、スリルがある。
相当単純なレベルで感動できる。
と、エンターティメントの殆どを備えているから、そちらに流れて当然だ。
もっと、根本的な事を言えば、観客を楽しませる為、という大前提が明確にあるのがサーカスであり、そこが欠落しているのが、コンテンポラリーダンスなのだ。
もちろん、観客に迎合することではない。
観客と対峙することが抜け落ちているのだ。
もっと根本的には、ダンスという核を持ち合わせた人など、皆無だということだ。
だから「変な動き」に価値を持たせるのだ。
コンテンポラリーダンスの振り付けや制作をする人、そしてダンサー達はここまで考えて、観客に感動を贈られるような舞台を創って欲しいものだ。 長文乙
ふだんダンス見てない人?
ちょうどd-倉庫でいろいろやってるから、それを全部見てからもういっぺん書いてね でも まぁ部分的に一理はあるよね。
質の悪い「コンテンポラリーモドキ」も多いから。
そういうのに比べると、徹底した訓練を行う古典芸能や
観客を喜ばせることを目的にしたエンタメの方が ずいぶんとましに思えるもの。 うん、動きの質の訓練なくして見せ物にはならないんだが、キッチュなことやって見せて
コンテだの舞踏だのと自称する連中が多い。バレエみたいにトレーニングメソッドが
確立されてるわけじゃないから、身体性の高い人を発掘できる割合も低いしねえ。
そうかと思うとNoismみたいにストイックなところまで行っちゃったりして、極端な業界だ >>659
> キッチュなことやって見せてコンテだの舞踏だのと自称する連中が多い。
だからそんなの、もうないって。
今はワークショップや大学でテクニックを叩き込まれた人たちが主流。 >ワークショップや大学でテクニックを叩き込まれた人たち
あはは、んな短期間に踊りを見せる身体ができれば苦労ないわ 創作ダンスって、
お化け屋敷みたいなセットや衣装でコンテやってるだけで、
舞台や衣装の創作性は派手だけど、ダンス自体の創作性はゼロに等しい。