>>864
だから、いろんな《白鳥の湖》の物語を構築するのは自由だってこと。
もちろん悪魔の計略という考えも、プティパの台本に含まれている。
台本の2幕の最後には:
<悪魔の破滅は、誰か無分別な人が、オデットへの愛のために自分を犠牲
にするときにしか、やってこない。ジークフリートにはその覚悟がある。
・・・・
不幸な娘(オデット)は、舞踏会が開かれる時には白鳥の姿をして
城のそばを飛ぶことが出来るだけである。
・・・・
オデットは、悪魔がジークフリートの誓いを別の娘に向けさせるため
あらゆる手を使うであろうと警告する。>
と述べられている。

ただ、これはチャイコフスキーの弟、モデストが考えたプティパ版での
物語である。それに先立つモスクワ初演では別の台本があるし、
チャイコフスキー自身は、もっと別の物語を頭に描いていたかもしれない。

<ロットバルトの計略と考えるべき。>
バレエを観た人が、どのように物語を受け取るかは自由である。