間違っても合理的期待形成が完成した経済主体の近似方程式ではないことは確かだろう。
新古典派がベースとする合理的期待形成が強い仮定を置いていることは事実であるが、
複雑系だから屈服せざるを得ないと白旗を揚げるというネガティブな姿勢よりも、
無理がわかっていてもまずはモデルを組み立てるという姿勢のほうが学問としては正しいようにも思える。

よく新古典派の研究者が言うように、あくまでもそれはピザの生地であって、それに具を載せていく
ことで現実により近づけていく、というのが現在の経済学の在り方。

確かにピザの生地自体のことを見直すこともとても重要であるけど、俺は塩沢はそういう
問題意識を抱いている、というよりも、ただ単に新古典派を攻撃しているような印象を受けた。

前にも書いたが、塩沢が可哀相だと思ったのは、研究者の姿勢として新古典派の研究者達のほうが
前向きにモデル改善に取り組んでいるのではないかと思ったからなのかもしれない。