ゲーム理論って面白いの?
経済学部いくならゲーム理論やりたいって論理が理解できない マクロ専攻から見ると、実証せずに数理モデルいじってる机上の理論にしか見えない >>7
StructuralIOとか事実上ゲームの実証じゃね? もっと言えば実験経済学のほとんどは
制御された環境下でゲーム理論の妥当性をチェックしている研究といえる。 個人が利己的に行動するから社会はうまくいかないんですー
って理論が説明したのを実験でさらに実証するんだよな
不毛な分野だよな 俺は>>11とは違うが>>10の言ってることは的外れもいいところだな
実験経済はむしろゲーム理論でうまく説明できない状況を実験で確かめる研究の
方が論文に掲載されやすいし、そもそもゲーム理論は社会がうまくいかないという
理論ではない >>10と>>12は同一人物か?
ま、いずれにせよ勉強しなおしてこいよ >>20
基本的には数学(応用数学)の分野
プレイヤー間の情報構造や意思決定、利害関係、協力関係を数学的に表現したものについて
プレイヤーそれぞれの意思決定について解析する理論
数学的に表現された事例次第で、経済学の分野だったり生物学の分野だったりする。 >>20
数学で習った確率論(場合の数)の応用なんじゃないだろうか? >>21
どうもありがとうございます。
扱うトピックに依存してなんの学問か決まるということでしょうか。
最近は経済学者でも個人の意思決定を分析するような心理学的な研究をすることも増えてきて、学問の垣根が無くなりつつあるようですね。 ttp://www016.upp.so-net.ne.jp/yh314/hellowork.html
人間を過度に保護するとどういう行動をとるかを実証した例 ゴールがわからない
例えば数学だったら式を解いて答えを出すけどゲーム理論は何をしたら終わりなのか 確率の問題を解くみたいに計算すればいいんだと思うよ。
でも現実問題としては、コンピュータにシュミレーションさせるんでしょうね。 入門書買ったけどあんまりよくわかんねえ
数学の確率みたいなものか? 実際、 大村平さんのはなしシリーズでも、
なっとするシリーズでも、確率のところで
ゲームの理論が扱われているように思ったけどなあ。
ゲーム理論の基礎は確率とか組み合わせ理論でしょう。 面白そうだけど机上の空論っぽくて全く役に立ちそうにないんだが >>34
オークションをやる人ばかりが多くてもしかたないんじゃなかろうか? 共有地の悲劇なんか面白いぞ
各プレイヤーが自分の利得しか考えないと
共有地がやせ衰えて、結局は自分で自分のクビを締めて
最後には全てのプレイヤーが死ぬ、ということを指し示すモデルだ
共有地を日本経済として、
自分の利得しか考えないプレイヤーとして、
リストラしか考えない経営者っておくと
…
なんか日本から脱出したくなる(鬱) (´;ω;`) 自生的秩序から独裁という状態がしばしば生まれてくる事実について
(おそらく民主主義が自然に生まれてくる確率よりも高い)
ゲーム理論はどう説明しているの? >>38
独裁とかは政治板とかじゃないの
そっちで聞いたほうがいいと思うけど 政治もエコノミーです。個人は利害関係で動いている点で経済となんら変わりません。 ここは経済板だからな…
>>38にあるようなお題は、独占禁止法に抵触するだろ!、で
話が終わってしまうような気がするが
しかし、敢えて近しい理論として
利権を振り回して、場を支配しようとするようなものならば
コアとか交渉集合とか、そのあたりが存在するが ゲーム理論派方法論的個人主義だと思うんですが、
合理的経済人を個人モデルとした方法論的個人主義のゲームから
必然的に「独禁法」が合理的に選択されてくるということでしょうか? >>42
一方のプレイヤー A を独占を目論むことにより
自身の利益最大化を志向する主体(例、企業)とし、
もう一方のプレイヤー B を独占を排除することにより
社会全体の余剰の最大化を志向する主体(例、民主主義政府と民衆)とする。
そう、おけばプレイヤー A は独占状態にあれば
プレイヤー B から攻撃を受けることになる。
なぜかは経済学を知っていれば分かるよね。 >>43
ゲーム理論は古典的功利主義を支持しているというわけですか? 40=42=46だよね
貴方の質問の意図するところが理解できない
以下の確認をしたいんだが
1,経済学の知識(余剰分析)がある?
2,ゲーム理論の本を読んだことがある?
推測するに貴方は
政治板から流れてきて経済学板で
経済分析の手法を政治学に適用したらどうなるか
が、知りたいってこと? >>48
おまいが生きていることになにか意味があるとはおもえない 囚人のジレンマって百歩譲って商業的心理には適うとは思うがこれで経済学の範疇かと疑問 >>50
賄賂を受け取ったときの対応
伊野瀬は囚人のジレンマのドツボにはまってもうた 2月27日(日本時間28日)のアメリカデフォルトが決まったぞ。
昨日アメリカ議会で来年の3月まで「借金はし放題」と言う意味の無い法案を可決しました。
それをバカなマスコミは「デフォルトは回避」と嘘報道をしてました。
これは倒産した会社が勝手に「わが社への融資枠は無限にあります」と言ってるのと同じ。
でも誰がお金を貸してくれるのでしょうか。
FRBは「金融緩和は行わない」とはっきりと言っているのです。
これ以上の金融緩和を行うとドルの信用がなくなり、アメリカの金融破綻になるからです。
借金がいくらしても良いような法案を作ったって、借金が出来なかったら意味がないのです。
アメリカ国会は本日から休みに入ります。このまま27日のデフォルトを迎えることにしたのです。
27日のアメリカのデフォルトは確実となったのです。覚悟してください。
誰もそれに触れないのです。世界が終わることに対してそれを言う自分が怖いからです。
こうなったらマスコミや評論家はもう相手にしてはいけません。自分達の弁解にばかり走るからです。
http://richardkosh imizu.at.webry.info/201402/article_73.html
中国経済の爆弾「影の銀行」ついに破綻 49億円が未償還 初のデフォルトか
既に20人以上の銀行家が不審死!今後の米ドルの動き、世界的金融崩壊
中国政府はこれまで裏付けとなる金(ゴールド)を十分に集めていて、
この古い金融システムの崩壊を乗り切れると思っているようです。
日本の場合、連動して米ドルが崩壊した時、
所有している米国債の価値が無くなってしまうので、大変なことになるだろうと思います。
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=60875
それは間もなく日本から始まる世界的株式市場の暴落によって起こるでしょう。
日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、それを引き出すと世界経済全体が破綻します。
株式市場崩壊後に出現する新しい政権は日本国民の側に立つものであろう。
Q 世界的株式市場の崩壊が今でも期待されますか。A おそらくその動きは増大するでしょう。
マイトレーヤは、衛星中継によるテレビ網をとおして全世界に直接語りかけるでしょう。
テレパシーで私たちがパニックにならないようテレビに出演されるのです。 松尾さんの裸の王様の経済学読むとマルケイでもゲームやってたんだってことがわかるよ。
疎外って奴がそれ。 ゲーム理論ってどんなのなの?
ライアーゲームみたいなの? あなたの人生は完全管理システムがつくりだすゲームの駒です。 … 無念 Name としあき 14/07/31(木)23:07:42 No.276694048 del +
メガテンがポケモンになれなかった理由は仲魔を目的と言い切らなかったからかもな。 破産問題
http://bin.t.u-tokyo.ac.jp/game08/cg16.html
1.破産問題の定式化
ユダヤ教の教典タルムードにおける興味深い議論
3人の債権者がいて、債権額がそれぞれ100、200、300であり、遺産額が100、
200、300の場合、どのように遺産を配分するかという問題に対し、遺産100の場
合は3/100, 3/100, 3/100、遺産200の場合は50, 75, 75、遺産300のときは50,
100, 150と記載されていた。均等配分であったり、比例配分であったりとこの
分割に共通した原理がなんであるのかがよくわからなかった。
近年になって、オーマンがこのルールは提携形ゲームの仁であることを明らかに
した。これはゲーム理論的考え方が紀元400〜500年頃には既に行われていること
を意味し、非常に驚くべきことである。
600 ________
|50|50|50|
450|__|__|__|
| |50|50|
350|__|__|__|
| | |50|
300|__|__|__|
| | |50|
250|__|__|__|
| |50|50|
150|__|__|__|
|50|50|50|
0|__|__|__|
A B C
タルムードの遺産分配額
『エコノミックゲームセオリー』(船木由喜彦)34頁より
上記のタルムードの言い伝えは、債券額の小さい方から優遇して救済するという人間の顔の
見えるシステムだと、『新ゲーム理論』(鈴木光男)では解説される。 巣ごもり&自粛して経済活動止めて1ヶ月我慢するのと
自粛要請無視してGWに遠出して回るの
ナッシュ均衡だよな? ゲーム理論やってる奴って
「世の中の全てはゲーム」とか言ってるが、
生物は常になにかを選択しているから、
なにかの利益に基づいて選択している、
と考えれば、すべての生物は常にゲーム理論の
なかにある、などという文言が出てくる。
それ違うから。
常に選択をしているのが生物だから。
それをゲーム理論と呼ぶのか、経済学(の一部)と呼ぶのか
はたまた生物学と呼ぶのか、分野によるだけ。
分野によるだけ、のことを無理して「世の中のすべてがゲーム理論に
よって成り立っている」などと、
くそのようなことを言うのがゲーム屋だ
まあ、本人はかっこいいと思ってるみたいだが
生物学か動物学やったほうがいいんじゃね?
この馬鹿たれがw
としか思わないw いうか、完全競争もナッシュ均衡も似たようなものだよね。
ゲーム理論は数学。 ゲーム理論って経済学に深く根ざしてるよね。
ミニマックス定理が線形不等式や凸解析を派生させたといわれてるし、
フォンノイマンが角谷にブラウアーの不動点定理の拡張をさせたともいわれてるよね。
ゲーム理論というかフォンノイマンか。 ナッシュ交渉解を導き出すための前提となる公理、なんか変だよね。
実現可能領域が対称で、基準点?も対称なら、解も対称といいながらも、
解を含む実現可能領域の部分集合に限っても、解はその限る前の実現可能領域
のもとでの解に等しいとかいう公理もおくよね。これがなんかへんだな。
この公理はマスキン単調性に似てるんじゃないのかな?
あのマスキン単調性っていったいなんなんだろう?不思議な仮定だよね。 ゲーム理論が数学というのは、グラフ理論の用語をつかいながら、数学者が作ったから
なんだな。いろんなものが入っている。 社会とか経済とかそんなもの考えずに数学だとおもって勉強するのが
いいんじゃない? フォンノイマンが関わってたから沢山の数学者が入ってきたし、今も同じでしょう。
工学とか理学分野だよね 社会選択理論てあるけど、よくあんなの考えるもんだな。
嘘つくとか大したことじゃないだろうと思ってた。
しかも応用範囲が広い。オークション、マッチング、
グローブズレジャード >>66
ナッシュ交渉解は、実行可能集合が対象で、
基準点も対象なら、解が対象とか、
基準点をアフィン一次変換したら、解も
そうなる、という公理をおいてるけど
あれが、基準点にたいして対称的な解を
生むんだとおもう。だから双曲線が
一番外のところになるんだろう。
結局意味のあるのは、パレート最適性と
個人合理性だけなんではないのかな。
つまり対称的になるかどうかはそれぞれの
個人の交渉力できまる 対称性をおけば、一番外の双曲線のところに解がくると考えれるところが
数学に慣れた人のやることなんだろうな。 ゼロサムゲームの
max_{p}min_{q}pAq
を解くのはかなり難しい。
単なる計算だけではだめか。
Aの一行目について最小になる列を求めて、
二行目について最小の・・・・
とやって、以上の中の最大になるp_{i}
に全振りすればいいよ。
p_{i}は>=0だから、qはそれぞれの行について最小になる列を
選べばいいよ。
とか考えて求めたら間違いになるんだよね。
Aが五行二列だとして、
各行についてminをする列を選んで、
その時の値の中で最大の行を選ぶというのが上のやり方
だけど、それやると間違いになるんだよね。
ちゃんと展開、整理して場合分けしてやるんだよね。 ゲーム理論て何かと言うと、vnが作った、これまでに
なかった数学。グラフ理論の記述の仕方を流用して表現している。
確率論も入れてます。
ということか。vnは量子力学の数学的基礎が有名だけど、
自分で作った新しい数学だから、入れ込んだんだろうな。
数学が量子力学と比べてやさしそうなのは、ゼロから
作ったから?いや、vnだからな。それにゲールとか
すごい数学者も入ってるし。それほど難しいものということなん
だろうな。利得表でナッシュ均衡です、とか馬鹿みたいにだけど、
あれでゲーム理論がわかった気になりそうだけどそれは
違うということなんだろうな。 自分で作ったということは、ゲーム理論はvn教
ということか。教祖様になったわけで、熱心に
取り組むはずだな。原爆の圧縮レンズはvnだったっけ?
原爆研究も最初はやることが色々あっても、
完成すればあとはなんにもやることがないだろうから
vn はvn 教の教義を深めることに全振りしたのかもしれないな。
ということでゲーム理論の勉強を始めることは
vn教に帰依し服し奉ることを意味します。 ゲームは宗教だから、死生観含め全てを包括するはずだろうな。
そしてその中にあるのは異なる教え。どの教えを重視するかは信者に任されている。 任されているかどうか、知らないけど、
なんかvn 教は面白そうだな ファンデンバーグ ティロールをぱらっと図書館でみたけど、
非協力ゲームばかりだね。そんなに非協力ゲームは難しいのか? ゲームはだいぶ前から流行ってたんだな。
知らなかったな。損をした。 英語もできないわ、ゲーム始めたばかりだわ
前途多難やな コアとはどんな提携を作っても、支配する配分がない配分の集合を言う。 普通に考えるとコアの理論というのは非協力ゲームの応用で、
どんな提携を組むかということが戦略集合に入っていると
いうことなんだろうな。選ぶのはそれぞれの人。
コアリションを組んだ後には、敵側と非協力ゲームをするから、
二段階ゲームか。
交渉ゲームは>>71に書いているとおりなんだよね。
あれってゲームというより、二つの交渉力が同じと仮定しましょう
すると均等分配だよね、というようなことを言っているだけに
すぎないんだと思う。そこで出てくることは、一緒に共同利益を
最大にするとすればどんな選択をする?ということで、敵と
いうのがいないのでゲームともいえない。結託したときに
それぞれの人にとっては結託後に得られるもののほうが
大きくないと結託しないよ、ということだけだよね。 非協力ゲームと協力ゲームの違いを問われて答えられない人もいるんだよね。
協力ゲームは公理から導くとか答える人もいるけど、ちがうよね。
協力ゲームと非協力ゲームはとりえる戦略に制約が非協力ゲームの方には
あるということなんだ。ただそれだけだな。 なんでこんなに一見単純に見えることに数学者が取り組み、
なんとかかんとか最大化と同じように非現実的なことを仮定しながら
熱中して取り組んで、そんなものを用いながら現実を説明できるとか
胸を張れるのか、疑問におもうかもしれないけど、それだけ魅力があると
いうことなのかもしれないね。若気の至りと言ってもいいけど、
ともかく数学は楽しいからね。 xがコアに属するとは、人が他の人とコアリションしたときに、
xよりも全員にとっていいyになる、というようなコアリションが
ない場合だ、というのが定義。
コアリションを組むことで、これまでできなかった選択が可能になる。
1と2がコアリションを組むと、1さんは右、僕も右でいくね、と
2さんが1さんと相談して決めてその手をとれる。そういうことを
すると、いまの配分よりもよくなれる、そんなコアリションがあると
いうことがない、時に、xはコアに属するといいます。
ようするに、
今の配分よりは、コアリションをくんで、組んだ人たちの中で、組む前よりも
全員にとって幸せになれたねという、そんなコアリションがないときに
xはコアだといいます。 これは、二階が安倍と組んでたとします。二階にとっては安倍を切って
竹中と菅と組んだとします。二階と安倍が組んでいる状態よりも、
二階が竹中と菅と組んだときのほうが、二階にとっても竹中にとっても
菅にとっても幸せになったとします。そのときには、もとの二階、安倍の
ときの配分はコアではありません 経済学はマウント取りゲームだとおもいます。だから福しryなんとかさんみたいに
ひどいマウント取りの人も出てくる。それではだめですね。迷惑なだけです。 >>90
あたらしいコアリションを作って、
そのコアリションの中に入っている人
全員にとって、もとの配分よりもよければ
コアじゃないわけだから、
いくらかの人のグループがきたない
ことをして、旨い汁を吸うようなことが
できている配分があるとして、
そういう配分は他の人からすると
いやなわけで、別のグループがコアリションを
作れば、そんなのはダメだといわれる、つまり
その別のグループにとっては、ずるいグループが
旨い汁をすっていた配分よりもいい配分が
あるわけだからもとの配分はコアではない。 逆に、公平な分配をしてる配分があるとして、
きたなくて心の中が腐っているグループにとっては、自分たちが旨い汁を
吸えるようにしたいわけだから、きたないグループがコアリションを
つくれば、そのきたないグループのなかの各構成員にとっては自分たちに
とってもっと都合のいい配分というのがあるわけだから、
公平な分配の配分というのもコアではない。 じゃあ誰だって自分の思ってるものはあるわけだから、その人に好きにやらせれば
いいわけだからお一人様でコアリションというのもありだろ。だから社会の誰かが
気に入らなければそれだけで、元の配分ってコアじゃないじゃん、
いう人がいたら、たしかにそうだな。コアじゃないよね >>94は実はまちがっていて、
現状が気に入らない人がいて、その配分だめじゃん、という人がいたとする。
誰だって自分にとっての理想があるからそういうことは当然あるわけで。
あったときに、じゃあ、自分のできる範囲内でならいいよ。おまえは俺らが
不幸にしまくってやるからそのなかでお前はせいぜい幸福になるようにする
ことだな。そんな惨めな状態でしかお前はありえないから、と言われて、
実際そんなことをされるから、現状よりも自分にとって都合のいい理想が
あるんだけどと思っても、おもうだけで現実の前にあきらめないわけには
いかないので、元の配分は、その配分がいやな個人によって否定されず
コアになりえる、ということか コアってめちゃくちゃ脅しが効くという想定が入ってるんだな。 脅しが効きまくっているからおびえて現状の変更をもとめて戦うことを
誰一人としない社会というわけだね。 でも、コアリション組んで現状を変革していこうとしている人らに対して、おまえらを
全体として不幸にしてやる。お前らは不幸にしてやるから、お前らの幸せ度の合計
よりも小さい幸せ度にしかならんから覚えておけよ、といわれても、あくまでも
この脅しは全体のことについてだから、自分には関係ないわとそれぞれが
考えて、現状の配分よりももっといい配分がある、というふうに変革を
もたらすための活動をする。だから、集団で現状変更をもとめようとすることは
集団というのがそれを構成する個人にとっては、鎮静剤のように働いて、
脅されて怯えることから、個人を大胆にする。だから変革運動に加わっても
へっちゃらと勝手に思い込むから、現状は変わる。 このスレは僕が適当に書いてるだけだから、熱心に書き込んでくれても相手に
しませんよ ようするに、現状を変えるには自己犠牲が必要やで。集団だったらできるやろ?
誰が犠牲になるかわからないから。だから集団やったら革命する、ということに
しよう。自己犠牲をするのが個人なら、個人はそんな自己犠牲はいやがると仮定して
個人が一人で革命の狼煙を上げることはしないんだ、その場合は現状が
つづくよねということです 安定な集合というのはそのなかの配分同士で支配関係にないし、その集合の外の配分は
安定な集合の中に支配する配分を持つ、そんな配分の集合のことです。 ゲームの本ってオズボーン、ルービンシュタインの本以上にはもう読むべき基本書は
ないということなのかな?そんなことたぶんないよね。 数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンの
『ゲームの理論と経済行動』(1944年)は誰でも知っているが、読み通した人は異常に少ない。
数式の数だけで約600もあるので、経済学徒には無理でしょう。 ふーんそうなんだ。文章が多そうなイメージだけど。
古いゲーム理論と新しいゲーム理論の違いってなんなんだろう? ナッシュ均衡だ、囚人のジレンマだ。ゲームってすごいだろ、これが新しいことなんだ、とか
ドヤ顔風に書いてる一般書をめくっていると、馬鹿じゃね?としか思わんけど。 一般的な命題ってあるのかな?ミニマックス定理みたいな?
3人のフォンノイマンモルゲンシュテルン解おもろいね 安定な集合というのは、その中のどの配分にも支配されない配分の集合ですね。
ということはそれに属しない配分は全て、安定集合に属する配分により支配されるということです。 https://cloudlatex.io
という
オンラインtex文書作りサービスがある。 三人ゲームっておもろいね
コアと安定集合の具体例になってる ゲームの理論というのは、ほんとにボードゲームについての理論なんだよね。
もともとは。 シャプレー値は限界生産力で報酬が決まるというのに、ウィキ見たら似てるね。
そうあるべきということなんだろうね。限界生産力で賃金が決まってると言われてもね。
納得できない。理想論なんてどうでもいいよ。 ゲーム理論て、ノイマン本が出た後、経済学では無視されてたってね。
モルゲンシュテルンがいたプリンストンでも同じだったらしい。
ノイマンも近くの研究所にいたのにね。 ボードゲームというと組み合わせゲーム理論てあるみたいだね。
売ってる本をパラパラ見たことはある。
二人ゼロ和ゲームと、線形計画方がどう関係してるかなんて研究も 1947年くらいから始まった
なんてね。経済学てめちゃめちゃ新しい分野だね。 めちゃめちゃ頭のいい人が思いついて、それが論文やら本やらノートやらに記録されてて、
それをまとめたものを読むから、経済学は難しそうだとか、ちゃんとした学問だと思うんだろうね >>104
ありがとう。
ゲーム理論は宗教だから教祖の書いたものは読まないとね、
というのがこのスレッド的だけど、僕は、教祖がいる宗教うさん臭え
と思ってる程度なので、まだ読んでません 先が長そうでクラクラする。シャープレイ値の計算がんばらねば シャプレー値とは、特性関数の値をそれぞれの人に割り当てる割り当て方。
1. すべての人のシャプレー値の合計は、すべての人が提携するときの特性関数の
値に等しく、2. ナルプレイヤーは割り当てを受けず、3. 二人の人が特性関数において
対称的なときには、同じシャプレー値が二人には割り当てられるとか
4. 二つのゲームの特性関数の値が、三つ目のゲームの特性関数に等しければ。
三つ目のゲームのシャプレー値は二つのゲームのシャプレー値の合計に等しい。
こういうのを満たしているときに、この割り当て方法をシャプレー値といいます この前からずっとなやんでて、
(-1)^k * p C kをk=0からk=pまで合計したのが(1-1)^pになるという計算がやっと
わかった。わかってみるとなんてことはなかった。なんか難しいな。
難しいのをいやだとおもうんじゃなくて、ヒャッハーこれから楽しめる宝の
山だぜ!とおもしろがることができる人になりたいもんだ 進まない時は遊んでしまうな。遊んでたらできるようになるかというと、ならん。
仕事しないといけないな。 いろんなことが大変だ。今の終わったら雑誌読めるかもしれないな。
しかし、やってないこともあるからなあ。 >>104
その本の端書きかなにか読んだ。
偉い数学者が3人勉強会をしてその本を
読んだんだって。時間かかったと言ってたな。
勉強会できる環境っていいよね。 サメイションが難しいけど、難しいことは、知らないことがあると、宝の山だ、ヒャッハー
と思うべきなので、悲観はしない シャプレー値の証明難しいな。あの合計って{1, 2, 3}として
確かめてるけど、こういう風にサメイションを書き換えられるみたいに
できるものなのか?難しすぎ。
でも面白いな。できなかったことができるようになるというのが
ゲーム理論の楽しみなんだな。 フォンノイマンがゲーム理論に費やした時間は無駄時間だったというのがハルモスの意見らしい
意味のないただの遊びというかたわ言なのかもしれないね。ゲーム理論って。
何を生んだの?というと、オークションガーとかが有用性を上げるのかもしれない。
経済学自体が役に立たないお遊びなので、気にせずにいたら良いのかもね 交渉集合って難しいよね。異義をしてそれに対して反異義
あの提携をギブンとしてるけど、なんか提携が意味あるのかな?
勝手に提携したらええやん ゲーム理論ってなんやろな思って本読んでるけどようわからんな。
ゲーム理論てなんなんや? B−CはBからBキャップC を引いたものになるんやで フォンノイマンが暇つぶしに書いたものや、フォンノイマンのところに
行って一生懸命本を書いた人たちのやったことから派生したのがゲーム理論らしい。
フォンノイマンの近くにいた数学者の中には、フォンノイマンがした無駄時間使いだ、
すっかりダメですという人もいた。 解がたくさんあるのは場合に応じて使い分けれるようにだ ということだそうです。
真理は複数あるんだ ということのようです 非協調ゲームはつまんないけど協調ゲームは数学らしくて面白いね >>104
おしえてくれてありがとうございます。
再び教えを乞うかもしれません。その時は
よろしく。
カーネルの計算は少し悩んだ。
仁を読むところまで来た。
今のが終わるとどうしようかな。
フォンノイマンか。 >>104
次に読んでみる。今読んでいる本だって
めちゃ日数がかかってる。
たくさんの本やら論文やらが出たから、
ゲーム理論の勉強も難しいよね。どうやって
読めばいいんだろ、と思います。
気が遠くなる。 次に読んでみることにします、と>>141で書いたけど躊躇するんだよね。
まだ迷ってる。その本難しそうだから >>118は僕が書いたんだけど、バカみたいだなと
自分自身を思った。
>>104さん
ありがとう。 カーネル
ベータというのが、人の分割だとして、ひとつの同じ区分に
入っている人二人を考えて、片一方がもともとのベータの分割にとらわれない
提携をして提携の値を得るとして、それと、提携する前の
ベータの分割での、それぞれの人がもらっている値の和、
の差を考える。
この差というのは、
「提携をしてない今はメンバーは合計してこんなに少なくしか得られてないよ。
だけど提携すればこんなに多く得られるのになあ。提携メンバー全体として。」
という提携をしてない今感じる悔しさみたいなもので、
それをベータの同じ区分に入っている二人について比べる。
より悔しさが大きい人は、悔しさが小さい人と比べて(現状に)不満を持つ、と
いうことにする。もしベータのどの区分のどの二人をとっても、
不満を持つ人ではないときに、ベータを決めて、それぞれの人にいくらあげるかを
決めていたけど、それぞれの人にいくらあげるかをカーネルと定義する。
というのが仁の話を始めるときの予備知識になっている。 仁の場合、カーネルとちょっと違うよね。提携の価値から支払いを引いたものを、
大きい順から並べる。支払いが違うものを比べよう。
辞書的に、提携の価値から支払いを引いたものが小さくなる方の
支払いを大きい方のと比べてアクセプタブルと名付ける。
他のどの支払いと比べてアクセプタブルな支払いを仁という
という定義で、同じ区分に属する二人についての残念な気持ちの比較、
つまり不満がない状態というカーネルとは違う。
二人の比較じゃないんだよね もう一度協力ゲームを読み直し。
S_{i}, ただしiはコアリションTの要素
Π[S_{i}]
とか
[ΠS_{i}]の意味がわかったが、難しかったな ゲーム理論についてイチゴのサイトが見つかるけど、ひどいね
あの時点で時代遅れだったことが今なら明らかだし、それに得意げに書いてるところがなんともなあ。
経済学を勉強してると多かれ少なかれああなちゃうんだろうけど。反省すべきだな 何が新しいかじゃないよ。基礎勉強をやったら次は何をするかについては
考えていることはある ゲーム理論は数学なんだな。よくこんなのが経済学で流行るよね。 どうせ経済学だから適当なところまでやって、これ以上は数学で専門の人がやればいいだけ。
と言ってお茶を濁す人も多いのかもしれないけど。ゲームやるなら面白そうなものならなんでもやるというつもりで
勉強すれば面白くなるのかもしれないよね。と初歩そ勉強してる僕は思うのでした 有限の標準形ゲームの特性関数は優加法性を満たす
証明がおもしれ
>>148に尽きる。
a とbの手がある時の閉包は aにpの確率を、bに(1-p)の確率を。(0<=p<=1)
というふうにpを与えることなんだな。
(1,2)と(3,4)の閉包というのと違うよね。 こんなおもしろいことよく考えられるなあなんて思いながら勉強してる。
あほみたいにおもろいな。 なんで、P_1 \times P_2よりもP_T(ただし、Tは1と2のコアリション)かというと
P_1は[0,1]、P_2は[0,1]と制限されてるけど、P_Tの場合はそういう制限は
P_Tのなかの純戦略に当てる確率の合計が1という以外には制約がないからなんやで タッカーとかオーマンとかハーサニーとかゼルテンとかシュービックとかそんな人の名前しか知らんけど
いろんな綺羅星がいてはる。みんな数学者か もう一度読み直し
3人定和協力ゲーム
ちゃんとノート取りながら読むんだったな コアになるのは提携合理性を満たすのと同じ、ということだけど、これを三人ゲームで
考えて、安定集合とコアの関係を求める。コアは安定集合に含まれるから余計なちょび髭分だけ
安定集合の方が大きいということだが自分で導くのはメンドイ ゲームにはいろんな解があるから、そんなものなんでもありだから、やっても意味ないと
いう人もいるみたいだけど、解がたくさんあるのは社会的文脈によって結果は色々だからということを言ってる
訳で、別にどうでもいい 協力ゲームというのは数学だから一つ一つの定理をしっかり押さえなければダメだね。
それにひきかえ非協力ゲームはただの計算。 別の本をパラ見し始めた。
なんやこの本。まとめかいな。
しかし三角形書くなら、01正規化した方がいいと思う。 普通は別の本読んだら詳しく書いててわかりやすいいうことがあると思う。
ないんや。まとめだけあって、簡潔になってる。定理をさらっと証明せずに
普通の文章で書いとる。不親切なんやけど、参考文献読め、そちらに書いてる。
オリジナリティのある参考文献だけ書いたからな、いうてけつかる。
アホか思いながら読ませてもらうことにする。 ゲームはいきなり難しいけど、もともと数学者が考えたことなんやから
それを経済学の学部生に教えよういう方が無理がある。
それにゲームの勉強してもマクロみたいにすぐに役立ついうことないしな。 しかも三角形間違えとる。直線の位置勘違いしとるわな でもおもろいな。コアのところ、コアが解や、いうのを説明すんのに、
なんか提案したら反論があるやろ。そやけどコアを提案したら反論できない。
そやから解なんやと書いてあった。
僕なんか、コアにいたら、別の誰かと提携組んでも、組んだ人ら全員をよくできると
いうことはない、つまり誰かが損するから、そういう提携を組もうとしても
無理なんや、そんな手詰まりだから均衡なんや。と思ってるけどな。
提携組んだら提携値得るんやで。それを提携組んだ人と分け合うんや。もちろん、
個人合理性は満たしとかなあかん。提携値得るんやで、いうのがおもろいな。
タッグ組んだらこんなにええことあるんや。やからワイと組まへんかいう
感じかな 分配というよりもタッグを誰と組むかという問題やと思ってる。 5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 20:51:35 ID:iXv2h1nY
おれの同期に、平易な高校1年レベルの数学で
ゲーム理論の論文を連発している奴がいるんだが。
かなりいいところに載っけてる。
内容は、たいしたことないんだけど他の分野のものに
ゲームなんとか、って名前を付けて登校すると、全て新規の
理論になってしまう、とかいって笑っているが、
論文の数がすごいから、出世競争(アカポスGET競争)に
リードしている。
やはり、ゲーム理論をやっている奴はすごいと思うよ。
いかに楽して勝負に勝つか?をよく考えてる。 166はこちらの間違いで教科書は間違えてなかった。01化も必要ない しかし紙質が悪いだけじゃなくて、簡潔に書きすぎなので良くないな。
ちょろっと読みかけの本 Rが担体であるとき、Rに属しないiはヌルプレイヤー >>169
合理的に考えると大学の先生は割に合わないよ
ロンダならいざ知らず >>169
ゲーム理論って数学だからそういうのが好きじゃないと続かないんじゃない? シャプレイ値をまだ読んでる。
ああいう計算面白いよね。組み合わせの数は高校で習うけど
知らないと辛いよね 全ての始まりがvn本だから、あの本を読んだら?という>>104のアドバイスは的確だろうね。 18954376から三つ選んで合計をします。三つの選び方はいろいろ
ありますが、その都度合計します。さてこの三つの数の合計を全て合計した値はいくらでしょうか?
という問題の答えも考えてわかった 優加法性をvが満たすとします。
コア作って合理的だ、つまりコア作ってそれぞれの人に割り当てる効用の合計
がコア作る人がコア作らずに単独でいる時の効用の合計以上になるという社会的合理性を
満たすことがその割り当てがコアであるための必要十分条件だ、
ということを使って三人ゲームを考える時のコアの図示はやさしいが、それを使わずに
コアを三人ゲームで求めようとしないと理解していることにはならない(キリッ 本に書き込みを書いてるけど、ちゃんとノートに書いておかないとわかりにくいよね
シャプレイ、シュービック指数の例、前読んだ時には面白いとおもったけど
今読むと理解が危なくて、前の書き込みがないと理解できない感じになってる 僕の理解ではこんなの。
許容提携ごとのブロックに人が分かれています。
その中の一つのブロック、つまり提携の中の人を考えましょう。
ある人が別の人をはぶって、そのブロック外の人も巻き込んで提携を作るというとします。
これを異議というわけです。ハブられることになってる人が、ブロックを超えて、
異議にはいっているひとのうち、ハブろうとした張本人のある人をハブるけど、
そのある人の作ろうとした提携でその提携で得られる配分よりも高い利益を得られるような
そんな提携を提案したとします。
これを逆異議と言います。
異議を出せない、あるいは逆異議でカウンターパンチを喰らわない異議を出せないような配分の集合を
交渉集合と言います なんかこれって変やね。なぜかいうたら別ブロックに入っている人が同時に
ブロックごとの交渉をやってたら、他のブロックの事情から、あるブロックの
異議を提案してる人の提案が、それ、あんたと組まん人を提携に入れようとしてんのとちがうの?
というような提携をしてそうやからね。勝手にブロックごとに密室に入って交渉してね、とかいうのが
こも交渉集合やね。言ってみればナッシュ均衡や。 交渉集合とかシャプレイ値はけっこうの本が適当な例を挙げるだけで終わっとるな。
それを持ってその本は終わっとるとか読者に思われたりもするんやで 交渉集合はブロック内でおのおのがホラ吹き回って、お互いウッとなる
状態なんやけど、何でもない配分から到達できるものというよりも、
許容提携があります。この人とこの人とこの人は
グループね、と言うのがあって、こう言う配分やったらな、誰も文句を言いださへんのや。
文句言ってもな、黙らせることができるんや。
そう言う配分の集合を交渉集合というんや。そんないい状態はどうやって到達できるかわからんけどな
と言うことなんやと思うな この交渉集合はオーマン、マシュラーが考えたんやったかな
やからm集合とも言うとか? 提携値が最大になる提携の提携値からその提携の時の配分の合計値の差(Sとする)
を考える。
aを含み、bを含まない提携のSabと、
aを含まず、bを含む提携のSba
を比べる。Sab > Sbaの時にaはbにたいして不満を持つという(話を簡略化している)
aが異議を出す時、bが異議をださないような、異議をaが出せるならば、
ならば、aはbにたいして不満を持つ シャプレイの計算って面白いね。場合の数だったっけ。 毎日仕事せなあかんのにさぼっとる。
いうか他のことやっとる。 仁がむずい
一つの個人合理的利得構成xを考えて、許容提携を考えて、提携値から
その提携の配分の値の合計を引いたものについて、順に並べて、
別の個人合理的利得構成yについても同じことやって、
一番大きいもの通し比べて、xの時の方が、yの時より小さければxの
勝ち。それが等しければ2番目に大きいものについて勝ち負けを決める。
そんな風に辞書式に勝ち負けを決めて、もし
どんな個人合理的利得構成に対してもxが勝つなら、x を仁というという定義です。
でもこれは不満の一番小さいものを選んでるようなもので、
カーネルとかコアみたいな均衡といえるのか? 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
『ある第3セクターの経営する鉄道の試算で、「本鉄道の年間利用客は50万人なので、1人当たり100円の値上げを行えば年間5000万円の増収になる」
という類の報告書があった。値上げを行えば利用客が減るのは当然で、年間5000万円の増収にならないのは当然である。経済学では需要の価格弾力性
というものを使って、このような価格の上下に対する需要の増減を測る。ここまで誤った考え方はしなくても、現状が変化すれば現在のデータは変化するのだ
という考え方は、意外と認識されていない。』
などと著者は書いています。
この試算は「ここまで誤った考え方」などというほどおかしな考え方ではないと思います。
例えば、電気料金の値上げをしたからといって電力消費量が大幅に減るということはないと思います。
著者の考える経済学的に正しい試算をどのようにするのか知りませんが、5000万円の増収という予想よりも正解に近い試算になるのかどうか疑わしいと思います。
それに経済学的な考え方で試算するよりもAIに予測させたほうがいいはずです。
経済学の存在意義が分かりません。まして数理経済学の存在意義などあるのでしょうか? 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
p.125に「ファーストプライスオークションでは、セカンドプライスオークションのように弱支配でも「すべての」戦略を支配するような戦略は存在しない。」
などと書かれていますが、買い手1の1000円という戦略はすべての戦略を弱支配しています。 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
この本では、1000円で入札することを「1000円を入札する」などと書いています。
これは正しい日本語なのでしょうか? 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
ヤフオクなどの「セカンドプライスオークション」についても頓珍漢なことを書いています。
なんども入札を繰り返す入札者がいるというのが合理的でないと言っています:
「セカンドプライスオークションでは、評価額をしっかり見極めて、その評価額を入札することがどんな入札より悪くないというゲーム理論の含意を知れば、
このような入札行動は起きないのではないだろうか。」
イメージとして、入札数の非常に多いオークションは人気のあるオークションだから、高値で決まりそうだと考えて敬遠する人がいると思います。
これだけ入札があったのだから、既に正しい評価額に近い金額まで到達してしまっているのではないかという印象を持つ人も多いと思います。
バーゲンハンターはそのように見えるオークションを敬遠すると思います。
ですので、自分が落札したいオークションがあったとき、自分の評価額で1度だけ入札するのではなく、最低単位で何度も何度も入札を繰り返してせり上がっていく
という戦略をとる人もいるはずです。自分以外のすべての人が敬遠していなくなれば、自分の評価額よりも低い金額で落札することができる可能性もあります。 2ちゃんで言っても便所の落書きだし、本にするにしても「渡辺ゲームにツッコむ」では本として成立しないし難しいね つーか、これ単なる出来損ないの学部生が考えそうな「ゲーム理論批判」だろ
本人の頭の中では華麗にゲーム理論論破したつもりだけど周囲からは哂われているだけのパターン 仁ならばカーネルという命題の証明が難しかった。
誤植があったり、他の証明をみても、似たような証明については
簡単に書いているか、間違っているかしているんだろうな、と思った。
証明がかなり異なっているものについてはみなかった。 すべての基本的な結果の上に順序関係があること(推移律)
クジの間の選好関係(単調性)
クジと基本的な結果の間の選好関係(連続性)
クジのクジと普通のクジの間の選好関係
クジのクジと普通のクジの間の確率分布について
むずいね vnは議論をしてたけど、実質msが書いたんでしょ?
大昔なのにmsはすごいね。 A,B,C3人で羊羹をわける。すべての人が満足のいくようにしたい。
Aが三つに切る。
Bが1番大きいとおもうものを切って2番目のものに揃える。
Cが三つの中から好きなものを一つ選ぶ。
Bが次に選ぶ。
最後にAが好きなものを一つ選ぶ。
Cは好きなものを選べる最初の人だから一番好きなものを選べる。
Bは一番好きなものを二つ作ったので、一番好きなものを選べる。
Aは最初に三つ同じ大きさになるように三つ切ったので、どれをB, Cが
選んでも余裕で一番好きなものを選べるはずだ。
というのも間違いで、Aが三つ同じものを作ってもそのうち一つをCが
選び、Bが自分で切って揃えた方をとらずにもう一つのほうをとれば、
Aに残るのはBが切ったもので、これはもともとAが作った3つの一つ一つよりも
小さい。だからAだけが惨めだ。こうならないようにするには
Bが切ったならば、Bは切ったものを責任をもってとる、としないといけない。 じゃあ、A,B,C,Dの四人がいて、Aが4つにわけ、Bが一番好きなものを3つ作るように、
一番好きなものと2番目に好きなものを3番目にそろえる。
Cは一番好きなものを2つ作るように、一番好きなものを2番目にすきなものに
そろえる。
D, C, B, Aの順に選ぶとする。Dは問題ない。Cも問題ない。Bも問題ない。
だけど、Bは二つに手を入れているかもしれず、そのうちの一つを
責任をもってとるだけだ。具体的には、Dがひとつとり、
Cが一つに手をいれてそれをとり、
Bが二つに手を入れてそのうちの一つをとると、
Aにのこされたものは、Bの手が入っているものかもしれない。
だとすればAは惨めになってしまう。
このように自分で手を入れたものを責任をもって引き受けない
人がいれば、最後の人が不幸になってしまうのだ。
じゃあどうすればいいだろう?Aは5つに羊羹をわければいい。
そして4人が選んだ後、一つ羊羹が残ってしまうが、
それは冷蔵庫にいれてこっそり後で食べればいい。 冷蔵庫にいれてこっそりというのをやれるならもとからお互い公平になるように
わけるなんて考える必要もないから、ゴミ箱に捨てると考えた方がいいかも
しれない。切れ端がいくつかでるし、5等分の一つは確実に捨てなければならない。
この捨てる羊羹は公平を保つための社会的コストだ。公平の価格だと経済学
ならいうのかもしれない。どうでもいいことだ。 公平分割はちょっと離れすぎか。もうちょっとゲームやりたい。 入門書読んだ印象では、
フォンノイマンが一番なんだろうけど、
次にシャプレー
オーマン
タッカー
ずっと離れて
ナッシュ
という感じかな。 渡辺隆裕著『ゼミナールゲーム理論入門』
6.4 【発展】 マキシミニ戦略とミニマックス値を求める
の説明がおかしいですね。
プレイヤー1は混合戦略を考えているのに、プレイヤー2のほうは純粋戦略です。
プレイヤー2の戦略は純粋戦略のみ考えればいいということを言わないと駄目ですよね。 マキシミンとミニマックスの値が等しいつまり、確定的な解がある場合は、
それでもいいのでは?マクシミンの上限はミニマックス値だし、ミニマックス値の
下限はマクシミン値だから このミニマックス定理こそがゲーム理論の始まりで、そして線形不等式論や
凸解析の始まりをももたらすすごい発見だった、らしい i_0,j_0が鞍点であることとi_0,j_0でミニマックス値が等しいことは同値 ミニマックス値がマックスミニ値と等しいところは鞍点というのは定義から明らかだけど
逆が言えるかなというところかな ミニマックス値とマクシミン値が等しいというのとその時のi,jは鞍点だと
いうのは同じなんだけど、命題があたりまえのように思えるので、
証明は少し難しい。命題が何を言ってるのかを理解するのに時間がかかる 本を読むということはその本を材料に使って考えるということを意味するのです マクシミンのように考えるというのは、慎重な個人を考えることで
そういうのが一般的なわけはないわけで >>208みたいな変なこと書く人もいるんやな
最大化プレーヤーは自分がある混合戦略をとったとき、もう1人のプレーヤーがどんな純戦略を取っても期待値がゲーム値
以上になり、最小化プレイヤーは自分がある混合戦略をとるとき、もう1人のプレイヤーがどんな順戦略をとっても
期待値がゲーム値が期待値が以下になる時、それぞれの混合戦略の組とゲーム値の組を合わせて、ゲームの解というんやで 経済学寄りの本が数学っぽくないみたいだ。非協力ゲームがつまんなくて協力ゲームが
面白いと言うだけじゃないと思った。 なんて言いますか、ミニマックスというのと、サドルポイントというのと、
相手が最適戦略の選択をしているときに、最大化プレイヤーに取っては
どの選択をしても、ゲームの値よりも以下の利得、最小化プレイヤーに
取っては....というのが同値だということはわかった。 ひょっとしたらミニマックス定理の解とナッシュ均衡はゼロサムゲームだと同じになるんかな? ミニマックス定理やったら、これ数学やなとわかるわな。
だけど入門書読んだだけなら、これなんだろとしか思わないかもな なんか、凸で、有界で、閉な集合はエクストリームポイントの凸包に
なっているとか言われましても
弱るよね。 ゲーム理論というのは、こういう仮説でプレイヤーが行動すると仮定したときに、
合理的な行動の結果はどうなるのかを調べる分野。
行動の仮定によって結果が違うから、それぞれの結果を解概念と言います。
ミクロ経済学では、効用最大化、利潤最大化するというのが行動仮説。
そこで出てくるものが解概念。1つしかない。 ケースバイケースで解概念が現実に当てはまる場合もあれば当てはまらない場合も
ある。それで実験によって解概念が当てはまるかを確かめる。 ミニマックスの行動仮説も一つの行動仮説に過ぎない。
ナッシュ均衡の方はもうちょっと難しいらしい。
安定的な解というただそれだけではないらしい。 マトリックスゲームの解は次のものだ
P_1を最大化プレイヤー、P_2を最小化プレイヤーとして
a_{i,j}が、P_1が純戦略 i 行、P_2が純戦略 j 列をとるに、P_2がP_1に支払う
金額とすると、P_1, P_2の混合戦略X, Y、数vがあり、
b)X*A(j) >= v, j=1..n
c)A(i)*Y <=v, i =1..m
となるときの{X, Y, v}をマトリックスゲームの解という。
b)の意味は、P_2が間違った手を取ったときには、Xを取ったP_1は、vよりも
大きな期待値を得ることができる。P_2が正しい手を取ったときにはP_1の
期待値はv以上だが、P_2が間違った手を取ったときにはP_1はもっけの
幸いを得るわけだ。
c)の意味は、P_1が間違った手を取ったときには、Yを取ったP_2は、vよりも
小さな期待値にP_1の期待値を止めることができる。
ということを意味している。P_1が正しい手を取ったときにはP_1が得る
期待値をP_2はv以下に保つことができるが、P_1が間違った手を取ったときには
P_2はもっけの幸いとばかり、P_1の期待値をさらに下げることができるのだ。
そしてこのゲームにはvon Neumanが証明した
「マトリックスゲームには解が必ず存在する」という基本定理がある。 フェンヒルが凸解析の最初の人で、
その後にそれが例えばゲーム理論で使われた。
その流れでキューンタッカーの定理もあるし
一般均衡の解の存在証明もあった。
経済学での数学利用の核になっていたのは
フォンノイマンだな。 なんかずっと気色悪いな。Cが0を含む凸集合だとする。
DをCの点を非負倍して得られる点の全体とする。
もし、DがR^nだとすると、0はCの内点となる。
この証明が難し過ぎる DがR^nと背理法の仮定を置くと
Cの適当な一次独立なV1, …Vnを使って、Cに属する任意のxについて、
-x=a * (V1+…Vn)となる。ただしaは1より小さい正数。
これから0は内点になる。0は境界点という仮定に矛盾。よって
DはR^nではない。 さらに1ヶ月経ったか。
秋やんがややこしいことをやってたからな。クズやろう 効用関数は効用の差を比較できるということを仮定してる。
事象aと、事象bとcがd, 1-dの確率で起こる組み合わせとしよう。
aはbより好まれないが、cより好まれるとしよう。
aとb, cの組み合わせが無差別な時のdに対して、
e>dならbとcがe,1-eの確率で起こる組み合わせの方が好まれる。
この時にd を事象aの効用と呼ぶ、とかうんたらかんたら 交渉の結果は数が多くなれば一意に収束する、なんて言われますが嘘ですね。
というのはそれまでに提携が起こるからです。提携の起こり方によっては、その後の収束のあり方が変わってくるはず、
なんちゃってね フェンヒェルの本で訳してる方の本は有名な方じゃないよな。
訳者さんがあちらを選んだ意図はなんだろう? 非協力ゲームで発展があったというのはどんな意味なんだろう ポーカーとかバックギャモンとか知らないと
理論は理解できない レイズ、コール、フォールド、チェック、アンティ
くらいは知らないとポーカーはできない。
バックギャモンは双六だが、ブロック、ヒット、エンター、ダンス
は覚えておこう anteriorityは推移性を満たすが、preliminarity は満たさない 一つのmoveではどのプレイヤーがプレイするのか、
選択肢の個数、そのmove でわかっている過去の戦略が
わかっているというのがゲームのルール 集合論とツリー
部分分割というのを考えて、それが枝に当たると考えて、
部分分割に属する集合の部分分割は次の枝になるし、ということで
集合とツリーの関係は出来上がり $B_{\kappa}(0)$に含まれるすべての$A_{\kappa}$について\\
その$A_{\kappa}$のすべての部分集合$C_{\kappa}$について\\
$P(C_{\kappa}) \ge 0$,\ $\sum P(C_{\kappa}) =1$\\
和は その$A_{\kappa}$のすべての部分集合$C_{\kappa}$について。
日本語とtexは難しい。tex練習にこのスレを使うか k手番の時のチャンスムーブの時の取り扱いは、
チャンスムーブになるための1からk-1番目の手になるものをAk
とする時、Akは複数になる場合があって、それぞれのAk
をAkの分割Ckで分割してそれぞれに確率を与え、一つのAk
上の確率の和が1となるようにするもの
という理解 Akというのが1からk-1までのことがわかってることだからkによってさらに分けるとすれば、Ak
よりさらに細かくなるよね わかったことがあった。ゲームとか色々言っても、選択肢がたくさんあって、
そのうちのどれを選ぶかというだけなんだな。つまり、将棋で自分が指し始めてから最後の手番に至るまでの、
相手があれこれ取る手番の条件付きでの自分の手を選ぶだけなんだ。最初から最後までのそんな戦略など誰が
全ての戦略をあらかじめ精査してとるというんだろう。通りで、将棋のようなゲームですら分析されないわけだ ここに書き込むと1月からあまり進んでないこともわかって良い。 なんで2月からこれまでほとんど進んでいないのだろう? ミニマックス定理がノイマンで、他のはそれじゃない、いうオチかも。 >>232
秋やんは大嘘つきでクズ野郎だな
阪大の院というのが曲者だな。たくさん出てるみたいだな 運良く面白いと思えるような本に出会える時に、
関心を持てるし、そうでなければつまらないとしか思えない。