それ以前に経済学者の立てる予想の前提条件がおかしいことが多い
分析が正しくても解釈が不正確になる

例えば労働生産性

労働者の能力と見なされるが、実際には労働者の能力とあまり関係がない
これを無理やり労働者の能力と帰結させると、ほとんど労働価値説と同じになる
労働生産性はあくまでも労働者一人あたりの単位時間あたりに創出される付加価値の測定値であって、能力というのは結果論に過ぎない

例えばギリシャ人、イタリア人と日本人の労働者の能力を比べたら、日本人が圧倒的に上回る
これは学力テストなどで簡単に測れる
だが、実際に産業の中では労働生産性に差異がほとんどない

少なくとも事務処理能力では日本人労働者が圧倒的に優位にあるのにも関わらず、価値が生み出されていないことになる

これは労働生産性が労働者の能力とあまり関係ない指標であるということを意味する
そしてさらに前提となる「経営者は100%経済合理的な行動を取る」という前提が間違いであるということを示唆している
日本のように長時間労働で生産性が出ていないのであれば、それは経営者のスキルが非常に低く、効率の良い経営が出来ていない、すなわち労働者に無駄ばたらきをさせていることを意味する