経済学は数学を誤用している part2 [無断転載禁止]©2ch.net
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実測値ならば四則計算と統計学と(一部の)確率を使えるが
効用(人間の心理である満足度)なんてのは単位が不明ゆえ四則計算すらやってはならん
(例えば物理でいえばメートルやキログラムは単位が厳密だから1m+1m=2mが成り立つ) まともに帰されてぐうの音も出ない経済学者www
こんなもん理系なら学部生でも誰でも知っとるわww >>399
やっぱ答えられることは答えちゃうんだなwww 加算集合と非加算集合の区別すら知らない経済学者
そりゃ誤用するわけですわ
もうゲームセットでしょ >>394 >>396
純粋数学の話をしているんじゃないんだから
経済学への応用範囲で無限を想定する必要もないでしょう。 実際問題、
>整数の集合の大きさは実数の集合の大きさと等しいと考えていいとすれば
という仮定は要らない。
効用や価値を小数点以下無限に測るなんてことが現実的だとは思えない。 >>404
そのノリで>>129と>>135にもレス返してくれや 実際、>>390みたいなこと経済学で誰もやってないので、>>394のようにツッコミが入る >>405
素人が適当なこと言うからへんな奴が調子づく ある事象において複数の選択肢がAからEまで5個あったとして、
ある個人がそれらの選択肢のどれを相対的により好むか決めてもらって
それらの選択肢の間に順位を付けてもらうとしよう。
分かりやすくするため、より好む選択肢ほど値は大きくなりように割り振ろう。
5 B
4 E
3 A
2 D
1 C
現実社会においてその人が得られた選択がDであったとすると2だ。
これをその社会を構成するすべての個人について分析する。
そしてこの値を合計してその値が大きいほどその社会は他の社会と比べて
人びとをより幸福にしている社会だとは言えないだろうか? まず、より幸福な社会とは何かを言っていただかないと
もう帰れよ >>408
あほ
誰もやってないどころか誰もが習うことだ
加算集合と非加算集合の濃度の違いも効用関数の非存在で
もろに使う しかし実際には人びとは
5>4>3>>>>>>>>2>1
のようにそれぞれの選択肢の間の格差の違いまで評価するかもしれない。
3と2の間にある大きな格差は誤差として切り捨てられてしまうわけだ。
こういう問題があるにしても、>>410はいぜんとして合理性を持つとは言えないだろうか? >>413
日本語って難しいね
(整数と実数の濃度を等しいとするなんてそんな馬鹿げた真似なんか)経済学で誰もやってない
実際>>394でツッコミいれたの俺だし 単にお前の日本語能力がないだけ
経済学者は数学どころか日本語もできないといういい例 >>416
> >>390みたいなこと
をどう読んだらそうなるんだよ
>>333でも言ったけどお前日本語読めなさすぎな >>418,419
はいそうやって反論できないから感情的に相手を否定する
経済学者の断末魔ですわ >>413が「あやまって」よんで内ゲバ起こしたわけで>>408の日本語能力がないのは
明らかだろう
別にこのスレは日本語能力問うスレじゃない
経済学がいかに数学を誤用しているかを問うスレだ >>422
>内ゲバ
お前うちわに入った気でいたのかよー >>413
>加算集合と非加算集合の濃度の違いも効用関数の非存在で
もろに使う
どんな効用関数の非存在を示す時に使うのか分からなすぎて咽び泣く。
アウトカムが整数な効用関数とかだとトリビアルだし、そもそも誰も使わない。
辞書型選好だと関係ない、、、 加算じゃなくて可算だって誰か突っ込んであげて。
英語でいう可算名詞と同じような意味でしょ? >>425
2chで漢字の間違いに突っ込むのは野暮だと何度言えば >>426
>>413だが>>399,404とは別人だぞ
>>413みたら経済屋ってわかりそうなもんだが…
書き込みがてら一応指摘しておくとID:5/4IN1oxは経済学および数学の理解が
なさすぎ。上の方にも書き込みあったがこういうやつらのせいで経済学が不当に
貶められる
経済学は数学を誤用しているとか言われたくなければID:5/4IN1oxはもう黙っておくべきだわ 可算・不可算は、離散的集合か連続的集合かという説明ですでに書かれていたはず。
それなのに
> 加算集合と非加算集合の区別すら知らない経済学者 >>404
と書かれてあったもんだから、はて、加算・非加算とはどういうつもりなのかと。
単なる誤字なのか違う意図があるのかはっきりしなかったw そもそも>>1さんが書いていることは、
数理社会科学の基礎の基礎で出てくる序数効用の話で、
経済学徒の間ではすでに定番のはず。
基数効用には単位がつくが、序数効用には単位がつかない。
そういうこともお決まりのように書かれてあることが多い。
だから>>1さんは既存の経済学そのもので、
そのドグマ、教条主義を批判しているわけでは全然ない。 >>433
単なる誤字に決まってるだろうが
数学わからないから誤字を指摘することでしかやることがなくなった哀れな経済学者w
哀れだねぇ 今日も数学でまともに反論できないから意味不明な煽りでごまかす経済学者たちであったw ほら、ちゃんと読まなきゃw
可算・不可算は、離散的集合か連続的集合かという説明ですでに書かれていたはず。
それなのに
> 加算集合と非加算集合の区別すら知らない経済学者 >>404
と書かれてあったもんだから、はて、加算・非加算とはどういうつもりなのかと。
単なる誤字なのか違う意図があるのかはっきりしなかったw ほら、ちゃんと読まなきゃw
435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 05:23:56.17 ID:ZGbHZD94
>>433
単なる誤字に決まってるだろうが
数学わからないから誤字を指摘することでしかやることがなくなった哀れな経済学者w
哀れだねぇ >>439
つ
>可算・不可算は、離散的集合か連続的集合かという説明ですでに書かれていたはず。
>それなのに
>> 加算集合と非加算集合の区別すら知らない経済学者 >>404 >可算・不可算は、離散的集合か連続的集合かという説明ですでに書かれていたはず。
これ具体的にどこでいってるの? ほんとに経済学者お縄につかなきゃいけないくらいの失態犯してるからなぁ
数学の誤用しまくりで数学にも迷惑をかけている スレ違い覚悟で質問させてください。
マクロ経済学のライフサイクル仮説の問題の解き方が分かりません。
そういう趣旨のスレでないのは承知していますが解法と解答を教えていただけないでしょうか。
問題文は
現在60万円の資産を保有している個人が、毎年300万円の年収を得ているものとする。
現在20歳であり60歳で定年を迎え80歳で死亡すると予想する。
もしこの個人がライフサイクル仮説に従って行動するならば、この個人の毎年の消費水準はいくらになるか求めなさい。
ただし、この個人は毎年同額の消費を行うものとする。
よろしくお願いします ゲーム理論は全体量が決まっているから基数的数学を復活させ得た
ただしノイマンの成長理論はまた別で、これはイデオロギーに基づいた恣意的な世界観の
数学的表現なのだ
一方マルクスはマルクスで貨幣を絶対化してしまった
マルクスの価値形態論の不十分さはゲーデル不完全定理と比べるとわかる vNM効用関数は基数的かどうかは気になったことがある。
ぱっと見基数っぽいんだけど、あくまで、特定の公理に基づくくじに関する選好の順序を、期待値の大小と対応させるための関数であって、期待効用自体は序数でしかないんじゃないかと。 >>451
まったくもって理解してないねアンタ
ピント外れすぎる >>451
結論部だけもってきても論破したかのように言われても。
マルクス経済学は経済学の主流とまったく違うでしょ。
経済学の隅っこを批判しても経済学の本流はびくともしないよw ところで数学を駆使すると金儲けできるの?
金融工学ってリスク管理らしいけど どちらかというとインチキコンサル自称エコノミストが不正をしたら社会や市場から排除するのに使う方が社会の役に立つのだが。 都合のいいデータだけ取り出して、それで法則とか理論とかw >>450
なんだ>>386って加算集合と非加算集合の濃度が同じとか言ってたやつじゃんw
何もわかってないくせにわかったふりするなww
しかも>>386には可算、非可算という言葉がでていない(わからないんだから当然だが)ww 出てないと分かってない扱いとか最近のおっさんは怖いなー >>459
可算・不可算という言葉が出ていなくてもその意味が分かっていれば
同じことを書いていることが理解できるはずじゃんw
数か量か、整数か実数か、離散的か連続的かという話をしていれば、
それらは可算集合・不可算集合のことを言っているんだなと
すぐに分かるはずだろうwww
濃度が等しければという条件文の形になっているんだから
その仮定が間違っていれば成立しない
ということを言っていることは明らかだろう。
ところが、それは純粋数学の話であって、応用数学でそこまで
厳密さを求める必要があるかとか、無限まで想定しなくても
整数と実数とを対応付けることがある範囲で可能ならば
それが十分応用できるじゃないかって話になったわけだ。 基数的・序数的というのがそもそも数学用語じゃない。
文系が用いる文法用語だろう。
突っ込まれる予想をしたのは
基数的と不可算(連続量)とを対応付け、
序数的と可算(不連続量)とを対応付けているところなのに
不思議とそこへの反論はなかった。
つまり、
整数は序数的だろう?
であったならば序数が足し算できないなら整数も足し算できないはずだろう?
しかし整数は足し算できる。
序数を足し算して何が悪い?
ということ。
これへの批判をしてくれないと意味がない。 >>461
うん、だから>>386は可算と不可算の意味を盛大に間違っているよね
だからわかっていない
日本語すらわからないのかなぁ?文系のくせに >>462
可算集合と不可算集合の濃度が同じとかいう盛大な誤りの前には
そんな誤り(誤りというか数学への無知からくる単なる妄想)どうでもいいわ
とにかく可算と不可算を理解してない時点でもうゲームセットなのよ さすがにID:+oZoy7fcはもう黙っておいた方がいいと思うの
見苦しすぎるわ >>468
ID:+oZoy7fcのことなんて気遣う必要ないぞ ゲームのルールや定石がなるだけ論理的整合性が高い方が普通は望ましい。
でもゲームのルール策定する活動の方が戦略的ゲーム的な争いの場になってるケースは多い。
たとえば反経済学という言動も実際煽俺様ルールを社会に押し付ける朝鮮と見た方がよい。 ID:3hDeum+9はまったく単なる揚げ足取りしかしていない。
countable setとは直訳すれば「数えられる集合」であって
uncountable setとは「数えられない集合」。
すでに書いたように英文法の可算名詞と不可算名詞でいうところの
可算・不可算に近い意味だ。
数えられるというのは自然数のことであって離散的な構造を持つ。
英語でいう可算名詞も離散的な対象と評価されるもの。分離量とも呼ぶ。
それに対する概念が実数であって連続量と呼ばれるわけだ。
通俗的には、前者を数、後者を量と言ったほうが分かりやすい。
自然数の1と2または2と3は単に1<2<3を表しているだけでいわば序数的だ。 例えば、リンゴが3個と言った場合、個々のリンゴの大きさ・重さは問題にならない。
リンゴの大きさ・重さがバラバラでも、リンゴ2+3=5個だ。
大きさ・重さという連続量を省いて加算が成り立っている。 ここまで噛み砕いて説明すれば、小中学生でも分かることだろう? 「数えられる集合」と「数えられない集合」の濃度が同じとか
思っている人が言っても説得力なし 離散数学の意義は、
グラフ理論で言えばノード数をある人間の自由には出来ないことを明確にしたということ
濃度ではなくノード
それが協力ゲームの実践に寄与する >>475
同じだと断言していない。同じと仮定すればという意味。
純粋数学ではともかく応用数学では同じという仮定が成り立つ必要もない。
はい論破。 効用を5段階評価の物差しで測ると誤差が出てしまうというなら
10段階、あるいは100段階、あるいは1000段階、さらには1億段階にだって無限にできる。
効用を測る物差しの精度をそこまで上げて誤差を減らすことはできるんだよ。
それ以上、精密に測る意味があるのか? >>478
恥の上塗り
というか、さすがにここまでくると>>1および>>1のシンパの自演・工作で
やっているんじゃないかと疑問が浮かぶわ 5段階だか100段階だか知らんが、なぜ効用を測ることにこだわるの?
正確に測ろうとする試みが実際にあるわけ? 例えばあの最新のPCを買いたい、PS4を買いたいって心は確実に存在する
その結果が値段いくらのものが何個売れたって数字に出る
しかしPS4の需要曲線なんて見たことない ミクロ経済学とは単なる個人心理学でありマクロ経済学とは単に集団心理学だとして、
人の心理は数学的にモデル化できないのだろうか? 実数がーの時もそうなんだけど、仮定のぶっこみかたが、いちいち独り善がり
>ミクロ経済学とは単なる個人心理学でありマクロ経済学とは単に集団心理学だとして 経済学が心理学的な実態しか持たない効用概念を持ち出すのはいったいなんのため?
マルクスが資本論で労働価値説を展開するのと同様に意味不明だ。 集合論を持ちだしたら、数学それ自体の基礎づけも完全性を保証できないだろう? 効用じゃなくて選好かな
限界代替率と価格比の関係から
代替効果と所得効果の整理を通じて
例えば最適課税論までもっていけたりするからじゃない 景気予測もなんだが人間の心が完全にわかったらそいつはエスパーか神だ
株でもFXでも永久に儲け放題だ
でもそんな奴はいない
じゃあ心が全く分からないわけでもないわけで・・・
わからないものをわからないままにするのが科学の立場というが
科学のように白黒はつけられない
人間行動の結果である限りどこまでもグレー
永久にグレー すっかり数学のできない経済学者たちが意味不明な自説を語るだけのスレになったなw 以下、山下正男『思想の中の数学的構造』(ちくま学芸文庫)374-6頁より
.
…集合論は確かにカントールの創始したものではあるが、それよりまえに集合の概念を論理的
にはっきり把握したのがボルツァーノである.ボルツァーノはヘーゲルより10歳ばかり年少のチェコスロバキアの
哲学者兼数学者兼論理学者であった.彼は数学、論理学にもよく精通していた関係上,ヘーゲルの弁証法をこっぴどく
批判した.さてボルツァーノの主著は1837年に出た4巻本の『知識学』である.この本は実質的には論理学,しか
もきわめて優れた形式論理学の書物だということができる.ところでこの書物の81節で集合(Menge)の概念が定義
されている.すなわち彼は「集合とは,要素間の結合の仕方が確定されていないような諸要素の集まりである」と規
定する.そしてその例として貨幣の堆積を挙げ,そうした場合,一枚一枚の貨幣がどんな順序で並べられているかと
いったことはどうでもいいものとして度外視されると述べている.そしてその後でボルツァーノはさらに人間社会の
喩えをもちだす.すなわち集合とは人間社会でいえばその成員である個々人がどう並んでいてもよいような社会,つ
まり各人の間にいかなる階級的上下関係をも認めない社会のようなものだと主張しているのである.こうしてボルツ
ァーノの集合概念は人間社会になぞらえられたもの,つまり擬社会観的なものであるということができよう.ところ
でボルツァーノは哲学者として,『最良の国家について』という国家論の書物をもあらわした.彼はそこでヘーゲルな
どとは違って,民主主義的社会主義の立場に立ち,人間は性,年齢,気質,体質などで区別はつけられるが,財産と出生
によって差別されるべきではないと主張した.またボルツァーノはカトリック教徒として,その著『宗教学教本』で,
「全人類はアダムとイブの子孫であるかぎり,本質的には平等である」と述べている.こうしてボルツァーノの集合の
定義つまり「相互にいかなる順位ももたないメンバーの集まり」は彼の社会学説,神学説,倫理学説における人間平等
の思想にはっきり対応しているのである. 人間の心を奥深いと自分は神秘的で尊重される存在であるべきだと思いたがるバカが
お金で僕ちんのはぁとが測られてたまるか!
っておもってるだけ。
腹の奥底に悪意がある奴が足を引っかけてくるのを十分注意しろよとは古人がさんざん言っているのを
自分たちは底抜けに奥深い!とおめでたく誤読してる連中対策のフールプルーフが相当現代社会では重要だってだけ。 バカが具現物と信じてやまない「おカネ」じゃなく社会システム全体を通底する社会的信用制度のなんとありがたいことか!という見解には自己啓発では永遠に到達しないバカ対策のフールプルーフは尊いものだ。 悪意があろうがなかろうが信用システムにも当然フールプルーフは重要だからな。
別に利口や有能がミス皆無な訳でもないしな。 >>464
無限集合の定理まで経済学に持ち込む意義はいったい何?
効用を数理化するのに「無限」の概念までこだわる意味はいったいどこにある? 無限を導入するとけっきょく応用数学の範囲を超える。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています