マルクス経済学 第3章 [無断転載禁止]©2ch.net
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◇前スレ
マルクス経済学 第2章
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/economics/1407899652/
◇資本論の主な翻訳
・岡崎次郎訳『資本論』(大月書店、1972年)
・資本論翻訳委員会訳『資本論』(新日本出版社、1982年) ※分担訳
・中山元訳『資本論』(日経BP、2011年) ※第1部のみを訳出したもの
・今村仁司ら訳『資本論』(筑摩書房、2005年) ※第1部のみを訳出したもの
なお、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫、1969年)がよく読まれているが、これは上述した岡崎次郎が翻訳したものを、向坂逸郎の名で出版したもの。
◇関連スレ
カール・マルクス10(哲学板)
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1483757397/ マルクス『経済学批判』序言 1859年
http://archive.today/5RX3
《…‥わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、簡単につぎの
ように公式化することができる。人間は、その生涯の社会的生産において、一定の、
必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸カの
一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会
の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、
政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に
対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を
制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在
がその意識を規定するのである。》
《一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに
発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産
諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古い
ものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が
解決できる課題だけである、というのは、もしさらにくわしく考察するならば、課題
そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくとも
それができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかる
であろうから。…》
ドイツ・イデオロギー(1846年)で言えば、
《諸個人がなんであるかは、かれらの生産の物質的条件にかかっている。》
(岩波文庫旧版、24-25頁) 柄谷行人は以下のように述べている。
《マルクスが経済的な下部構造を重視したのは、人間をまず自然との関係において見
るという観点をとったからです。そのために彼は、人間が自然に働きかけて財を作り
出す「生産」を重視した。さらに、彼は、生産が人間と人間の関係を通してなされる
こと、いいかえれば、一定の生産関係の下で生産がなされることを見た。それが生産
様式という概念です。
本来、生産様式とは、生産が一定の交換や分配の形態でなされる形態を意味します。
つまり、生産があって、そののちに交換・分配がなされるのではない。ところが、
「生産様式」という表現をとると、交換や分配が二次的なものとみなされてしまいます。
たとえば、原始的氏族的生産様式という場合、それは狩猟採集というようなこと〜
人間と自然の関係〜を指すのではありません。それは、生産物が互酬によって全員に
配分されるような生産の様式〜人間と人間の関係〜を指します。であれば、それは
生産様式というよりも、「交換様式」と呼ぶべきだと思います。》『世界共和国へ』より
ちなみにマルクスが1850年代からとった経済学的アプローチは、プルードンの影響だ。
プルードンはマルクスとの往復書簡(1846年)で以下のように述べる。
《私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出さ
れる富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。》
あるいは、
《政治機能は産業機能に還元される、社会秩序はたんに交換という事実にのみ由来する》
(プルードン「連合の原理」原著1863年,三一書房版選集第三巻339頁、定本『トランス
クリティーク』274頁 、現代文庫版267頁より孫引き) 昼のマルクス 夜のエンゲルスじゃ。結論が早い。勝負は見え透いているな。 >共産主義国家では独占が当たり前だという事と
>資本主義国家では独占は建前では違法だということを理解してないと思う
>資本主義社会は悪いところがあるが共産主義国家ではそれ以上に酷い
これをもって国家資本主義とかいった論者もいたね。
曰く、国家資本(国有、国営企業)が国家のもとで強力的に資本蓄積するとか。
市場=商品交換システムは機能不全だが、商品流通は国家資本のもとでもあり、国家資本(国有、国営企業)
では事実上の資本=賃労働関係が存在するから資本主義、開発独裁のマルクス=レーニン主義バージョンだとする。
これって、どう考える? 社会科学への唯物論の応用によってマルクスらが表現したことは、
およそ政治システムや社会システムというものは、
それが必要とするそれら社会にとって実現可能な生産諸力を基盤
として成り立つ以上のものではありえない、ということ。
言い換えれば、経済的土台あっての制度や政策であるということ。
普段から政策論争でよく言われる「で、予算は?」ってやりとりに近い。
ある社会はそれが実現しうる生産諸力水準に適応するかぎりでの
政治社会システムを実現するにすぎないという意味なので、
よほどの観念論でないかぎり、この唯物論に疑問を差し挟むのは難しい。
歴史上に成立してきた様々な社会システム・政治システムは、
それが持ち得た生産諸力の水準に適応してきたものであったに違いない。
この考えが弱いバージョンでの史的唯物論だと考えることができる。
ほとんどの政治理論や経済理論がこの前提に暗黙の内に立っているはず。
おそらくは社会科学の基本命題の1つと見なしていいのかもしれない。 >>514
> 確かに重要だが共産主義国家では独占が当たり前だという事と
> 資本主義国家では独占は建前では違法だということを理解してないと思う
独占というのが経営の意思決定主体が単独か少数精鋭だという意味ならば、
資本主義的な私企業はすべて独占企業だよ。
ただし、他の私企業が市場を通して競合するというかぎりで完全な独占を
避けられている。
国家資本主義という単独の企業であってもしかるべき民主的な手続きを取るならば、
経営の意思決定主体がすべての労働者になるわけだから、それは独占とは言えない。
つまり、独占とは
経営(経済の運営)においてどれだけの意思決定主体が参加できるか
ということに関わっている。
で、資本主義経済市場において独占禁止はその必然的な要請だろうか?
そしてそれは民主主義と同等に機能しているだろうか? >>525
引用、お疲れ様です、さぞかし大変だったでしょう。私はサボりました(笑)。
>>526
カラヤ ユキヒトはこの際いらねーですよ。 他方、構造主義的なマルクス主義では、
上部構造と土台の関係は相対的に自律的であると
モデリングする。
精神の自由は物質的土台に還元できないし、
そしてそのことはその逆も成り立つことを意味する。
どんな生産諸力の発展段階にあっても理想郷の想像だけは可能だ。
とはいえ現実原則を折り合いをつけなければいけない
人間の物質的土台によって精神の自由は根源的に規制を受ける。
おおよそ個人が享受しうる自由というのはこの規制の中にある。
そのことをすべての社会科学者は同意するはず。
とするならば、歴史家を含めて唯物論者でいない社会科学者はいない。 《ビンビイは私に、めったに多くを語らなかった。彼は個々の
人間にたいしてつっけんどんだったが、私は彼に好かれている
と感じた。彼と友だちになろうという気になったのは、彼が宗
教を論じるのを聞いたときである。私は自らを、もはや無神論
を越えたものと見なしていた〜〜つまり私はサタンだった。し
かしビンビイは無神論哲学を、いわば一つの体系のなかにおさ
めたのである、私はそれまでの激しい罵倒による宗教攻撃をや
めてしまった。私の態度は彼にくらべるとじつに迫力のないも
のに思われた。そのうえ彼は、下品な言葉など一度も口にした
ことさえなかったのだ。》『マルコムX自伝』邦訳206頁 ) イスラムもしょせん一神教だからな
ユダヤ教とキリスト教を受け継いだ宗教
イスラム教もキリスト教もどこまで行ってもユダヤ教には逆らえない
中東は本来はマニ教やゾロスター教だよ
だからマルコムXも対したことはない
キリスト教からイスラム教に移ったことは欧米では凄いことかもしれないけど
中東でイスラムからキリスト教に改宗するようなもの ユダヤ教=第一インターナショナル
キリスト教=第二インターナショナル
イスラム教=第三インターナショナル
だから結局は考えてることは同じ 森嶋通夫さんも晩年はけっきょくヴェーバーみたいな宗教社会学研究に向かった。 世界は限られた宗教によって支配されてきたという史観があるね。
陰謀史観系の言説はこの極端に矮小化されたバージョンを好んでいる。 欧米の陰謀論者はたいていキリスト教徒がユダヤ人の影響力に対して文句言ってるだけ
皮肉なのはキリスト教はユダヤ教の分派なんだからキリスト教社会でユダヤ人の影響力が
強いのは当たり前だという事が分かって無い事
だからニーチェはユダヤ教を批判する為にキリスト教も批判した >>539
というか一神教は排他的だからね
多神教では他の神を認めるけど
一神教では他の神=悪魔
政治では言えば全体主義や独裁で
経済で言えば独占となる思想
一神教=全体主義=独占
これはワンセット
マルクス主義も善悪二元論だから現実にできた国がゴミみたいなものでしかなかった
こんなことは知能が高い人ならすぐに分かること キリスト教ってのはイスラエルで生まれて中東に広がり
それからローマ帝国の属国民や奴隷に広がってそこからローマの知識階級に広がって
ついにはローマ帝国唯一の国教にまでなった
これってロシアで共産主義が広まって革命が起こったのとそっくりなんだよ
ヨーロッパで革命運動が盛んになったのも反宗教が盛んになったのもヨーロッパ人は
どこかキリスト教に落ち着かないからだよ
キリスト教ってのは本来は反ローマ(反ヨーロッパ思想)だからね
ロシア人が共産党をどこか信用しなかったのと同じ >>539
欧米の歴史はまさにそうだからだろ
ユダヤ教の分派がずーっと支配してきた
イエスキリストってユダヤ教徒だからね。異邦人布教に力を入れたパウロもユダヤ人
反ローマ帝国運動をイスラエルでやってたのがイエスで、パウロは親ローマ帝国だった
それが同じくローマの属国だったギリシャ人に広まった
ギリシャ人はローマ帝国では属国民だけど教養があったからローマ中に広まっちゃった
パウロは初期キリスト教の極右性とイスラエル性を捨てて国際運動的な全奴隷開放思想に切り替えた
初期キリスト教=イスラエル開放運動、パウロが広めた思想=ローマ帝国の奴隷解放運動
それをさらにローマ帝国のスパイがキリスト教に入り込んで乗っ取って全世界の奴隷解放に作り替えた
さらにイエスの死の責任をユダヤ人に押し付けた
これが現代に続く欧米のキリスト教の基礎になった
ローマ帝国の国教になった時点でユダヤ人やイスラエルとの関係は切れてる
思想だけが利用されてるだけ ギリシア神話やインド神話や日本神話は、多神教的って言われるけど、
神々の諍いを描いているだけでなく、有力な神々が他の神々を征服して
世界統一していく過程も描いているんじゃないか?
土着の神々を英雄的な神や神の子が退治する伝説も含めてね。
多神教討伐の歴史を描いている。
つまり、多神教の中から最高神というものが現れる政治的過渡期を描いている。
日本人は本来ヤマタノオロチのような半人半獣の神を信仰していたはずなのに
完全に人の姿をした神が現れてヤマタノオロチを悪者・化物として退治してしまう。
八というのは多数という意味なので、ヤマタノオロチは多神教を象徴する神だったはず。
それをスナノオがやっつけてしまう。
退治した人間神が真の神だと自己主張するようになる。そういう過渡期の神話。
一神教まであとわずか。 >>542
共産主義はキリスト教圏、あるいは一神教圏で人気が高いとか、
一神教圏で共産革命が成功する傾向があるとかいう
相関性は見いだせるのかねえ? マルクスもおそらく気づいていたように宗教には政治的に見て二つの側面がある。
一方は極めて保守的な側面で、現在でいう右派や保守のイデオロギーに奉仕する面。
べつの言い方をすれば、旧い仕来りや身分社会を権威づけてそれを正当化し、
それによって人々の精神にまで階級支配を行きわたらせる効果を持っているもの
としての側面。
こうした宗教の階級支配的側面は古代国家の統治技術に採用されて国教にまでなった。
もう一方は改革的革新的な側面で、
現在でいう左派のイデオロギー(主として平等主義)に奉仕する面。
こちらはどちらかというと、古代文明開化以来の宗教改革的な哲学をもった新興宗教、
仏教にはじまり、キリスト教やイスラム教の中に見いだされるもので
宗教一般に見られる傾向ではないかもしれない。
もちろん、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には階級支配に奉仕する
国家宗教として君臨した面もあった。これらの一見して人間の平等と解放を謳う面がある
宗教までが保守主義的なイデオロギーにどう奉仕するようになったかをマルクスは分析している。 《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... 紀伊國屋書店
2013年2月7日
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品では
ないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っている
んです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつ
ある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
(全集17.320頁)
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。 《彼らは実現すべき理想をもっているのではない。彼らはただ、崩壊しつつあるブルジョア
社会自身が孕んでいる、新しい社会の諸要素を解放しなければならないだけである。》
《労働者階級は、自分自身の解放をなしとげ、それとともに、現在の社会がそれ自身の経済的
作用によっていやおうなしに向かっていく、あのより高度な形態をつくりだすためには、長期の
闘争、すなわち環境と人間とをつくりかえる一連の歴史的過程をくぐりぬけなければならない。》
《もし協同組合的生産が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義
システムにとってかわるべきものだとすれば、もし協同組合の連合体が一つの共同計画に
もとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の
宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣を終わらせるべきものとすれば──諸君、それ
こそは共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか?》
カール・マルクス『フランスの内乱』1871年 民主主義には、これまで有力の手法として、
民主国家またはそれに類似する共同体とその選挙制度を媒体にする方法と、
市場経済をその媒体にする方法とが、これまで考えられてきた。
どちらにもその長所と欠点があるように思えるが、
マルクス学派は、資本主義がこれら二つの方法の障壁になっていると考える
傾向があるように思われる。 >>549
アソシエーションと訳し直した人たちがいたけど、まあ、諸々のアソシエーションに参画する個人の壮大な連合態なんだろうけどね。。。
これだけ社会の未来像を見出せない世の中だと、一部の知識主義的な偏向だといった向きも否定できないような気がするけどな。 マルクスが想定した資本家はイギリス人だろ
あのころのイギリス人は奴隷貿易と大農場での強制労働、植民地の犯罪者を利用して
売人に仕立てて世界中にアヘンばらまく、植民地への強制輸出とかだからな
北米ではネイティブアメリカンを皆殺しにして国ごと乗っ取ったりと滅茶苦茶なことしてる
あんなのと普通のまともな国の資本家と比べられても困ってしまう >>544
神道より仏教徒だった時代の方が長いのが日本
日本は明治維新でキリスト教の圧力で仏教を潰されたから仕方なく神道を選んだだけ >>547
宗教なんて人間管理の思想でしかない
思想自体もどうにでも使える
政治と一緒
たまたまユダヤ人がエジプトで住ずらくなったから脱出する為に奴隷労働させられてたと
みんなに納得させただけ
その思想がキリスト教徒イスラム教にも残った 明治維新は欧米とキリスト教徒が起こした革命だってことを知らない人が多すぎる
弾圧されたのが仏教と徳川
そこで仕方なく何の実態もなかった神道を利用して何とか体面を保った
けど知識人と第三勢力にキリスト教が入り込んできた
第二次大戦では神道が潰された
で、残ったのがキリスト教
大学・政治家・メディアにはキリスト教徒が以上に多い
戦後の日本で大学・政治家・メディアが全く尊敬されてないのはその為 宗教市場というものがあると仮定することもできる。
もちろん武力や圧政で特定の宗教を大衆に押し売りすることもできるんだけど、
武力では人びとの精神まではおそらく支配できない。
だから、ある宗教が世界に広まっているとしたら、その宗教にはなんらかの効用があって、
それを需要する市場があったと仮定することにはある程度の合理性があるのかもしれない。
ただし、そうしたニーズも社会的で経済的なさまざまな制約の中、
言い換えるとゲームのルールの中で副産物として構築されている面もまた無視できない。
そのため、純粋に自由な市場を想定するのは現実離れしている。
経済市場についても同じことが言えそうだ。そう考えるのがマルクス学派だと思うし。 >>552
資本主義勃興期に起こったことはあまりにも野蛮で露骨な搾取であったりするけど、
その後、人権思想や普通選挙運動などによる階級闘争によってそこまで露骨な搾取は
徐々に行われなくなっていったとしても、先進国内では見えにくくなっているだけで、
資本主義世界システムに目を向ければ、現代でもまだまだ似たような現実があるらしい
とも告発されているよね。 労働者と金持ちという分け方に問題がある 論語などでは階級は一種の分業と考える
有能とか無能で分けるのでは無く 生まれながら役割があると考える 決して無駄な人間などいない
そして役割をしっかり果たした人が幸せになる 例え皇帝でも自分の役割を果たさなければ
政権交代や不幸なことに見舞われる
ここでは能力によって分けると言うより自分の役割を果たしそれに対する報酬(金とは限らない)
があるべきという思想
キリスト教のように能力や富がある人間は神に選ばれた人で人々を導く存在というのと違う
キリスト教は実力主義といえばそうだ 拝金主義に陥りやすいのも事実 資本主義の源流があるとも
考えられる
日本では階級は分業と言う意味合いもあった だから江戸時代の庶民文化が育った
侍と商人と百姓は基本的に自治で別の社会を作っていた そしてそれがうまく共存した社会で
侍至上主義と庶民文化が両立して育つことが出来た 別に江戸時代が良いと言っているのでは無く 考え方の違いによる社会の違いを指摘したいだけだ 資本主義勃興期に起こったことはあまりにも野蛮で露骨な搾取であったりするけど、
その後、人権思想や普通選挙運動などによる階級闘争によってそこまで露骨な搾取は
徐々に行われなくなっていったとしても、先進国内では見えにくくなっているだけ
「見えにくくなっている」?? 見えない、見ようともしないだけではないか。
これだけ国内で非正規労働者が増え、しかも言われているような賃上げ(最低賃金の引き上げがあるが)
は皆無に等しい。
しかも相も変らぬ厳選採用が目立つし、採用後も無権利状態じゃないか。
正規労働者(いわゆる正社員)が未だに中心だとするところが、既存の経済学も労働組合ともに
行き詰っている証左でもあるように感じる。 古代から極端な金儲けは人を不幸にするから規制がある
その規制の仕方を考えるのが経済学 資本主義とか社会主義と言っている時点で低レベル >キリスト教のように能力や富がある人間は神に選ばれた人で人々を導く存在というのと違う
>キリスト教は実力主義といえばそうだ 拝金主義に陥りやすいのも事実 資本主義の源流があるとも考えられる
バカが。ウェーバーの適当な要約しか読んでないからそんなとんちんかんな解釈になる。
聖書どころかキリスト教の入門書すら読んだことがないんだろう。 >>558
近代資本主義は東インド会社から始まった
日本に来てたグループ
この人たちはそこまで嫌われてない
嫌われてたのはカトリックやプロテスタント
宗教を利用して国ごと乗っ取って植民地化させて根こそぎ泥棒しようとしてたから
十字軍は略奪と乗っ取りしか考えない前近代分子
英国とロスチャイルドはインド会社を政治力と宗教力で潰して残骸を
乗っ取ることで金持ちになった
ビジネスやアイデアや革新力などで金持ちになったわけではない 資本(キャピタル)の語源を俺なりに考えた
wiki見るとこう書いてあった
どうやら東インド会社が日本に置いた商館の最高責任者「商館長」のことをポルトガル語で
カピタンと読んでたらしい
元はポルトガル語で「仲間の長」という意味があり、日本は初めにポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を
開始したため、西洋の商館長をポルトガル語の Capitão(カピタン)で呼ぶようになった。
その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったが、この呼び名は変わらなかった。
つまり英語で言うキャプテンなんだよ
東インド会社は船で貿易をやってきたから一番偉い人はキャプテンなわけだ
東インド会社は近代資本主義を作った人だからその偉い人がカプタン=キャピタルになったという訳 資本主義より英米の植民地主義や十字軍の方が搾取は凄い
北米なんてネイティブアメリカンは皆殺しに近い
これは資本主義の問題というより政治と宗教の問題
政治と宗教と言っちゃうと露骨で反発を食らうから資本主義をいれて
ワンクッション入れて煙に巻いてるだけだと思う >>559
ニーチェが喝破してたけど
キリスト教は高貴な道徳に対立するルサンチマン道徳だよ
弱い人間から発生した恨みつらみの道徳の事
ユダヤ人が元々エジプトという強大な国から逃れてきたのと
中東には強大な国家がいっぱいあったからそういう思想になった
イエスもローマ帝国とローマの操り人形だったヘロデに反抗する反体制派
イスラムの場合はちょっと複雑でキリスト教徒やユダヤ教徒が中東にいっぱいいて
マニ教やゾロアスター教では太刀打ちできなかった
そこで自らキリスト教とユダヤ教の良いところだけを取り込んで一神教を作り出した
ヤクザに勝つには警察では無理で、ヤクザに勝つにはヤクザの世界でのし上がって世代交代するしかない
こういう理論でイスラムを作り出した シカゴ大学のネイティブアメリカン皆殺しにした宗教土人のアメリカ極右がなんでネトウヨ非難してるんだよ
世界中に戦争ばっかやってる欧米のビビってるだけだろ
そんなやつは知識人でも学者でもない
そう言うやつは犬っていうんだよ シカゴ大学教授が「劣悪なネトウヨの心理と論理」について解説する 的確すぎると話題に [284093282]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1512489371/ まだ次元が行かないと戦うしかなかったわけで、そして、ニーチェがニーチェ的に
聖書を読めばまだ短絡的だ。僕はそのまだだいぶ後ろ。 >>569
シカゴ大学の日本国籍日本人教授だぞ
バーカ だからアメリカの戦争屋の犬って言ってるんだが
脳みそがないのか? この馬鹿はアメリカの戦争屋の手先を賛美してるアホ
このスレになんでいるの?
マルクスなんて所詮強いものにケツ振るだけの低能だと言いたいのかい? 近代資本主義は東インド会社と日本が作り出したもの
マルクスが非難した資本主義はイギリスの植民地主義的な資本主義のことで前近代的資本主義
これは十字軍的資本主義と変わらないもの
英国にもインド会社があったけど結局潰された
潰されて乗っ取られたらイギリスの横暴が始まった
植民地の手先を使ってアヘンばらまいたり奴隷貿易して大農場で強制労働させたり
植民地に政治力で物を買わせたりするような資本主義
ギャングみたいなもの
それよりましなのがユダヤ系のパーリア資本主義で詐欺商法みたいなもの
暴力ではなく詐欺的な商法 ニーチェが批判したのはキリスト教ではなく近代の平等主義的な自由主義。
彼は身分制社会の最後の哲学的擁護者だったにすぎない。 アメリカの資本主義は戦争しかけて相手国の政府を転覆させて
自分たちに都合の良い手先を政府に登用して政治を使って根こそぎ奪うというやり方
アフガニスタンでもイラクでもそれをやってる
日本のマルクス主義者が勘違いしてるのは欧米にある資本主義を近代資本主義だと勘違いしてること
そもそもキリスト教があれだけ根を張ってるのに近代人だと思うこと自体が間違い
欧米の強さは前近代なのに何故か近代人だと主張できるハッタリさにある
白でも黒だと決めつけれて、しかもそれを誰も嘘だと反論させないほど情報統制されてること
欧米って中東より宗教的なことをすら知らないアホが多すぎる >>561
日本の雇用労働市場も戦前の資本主義経済導入期にはネオリベ的だった。
所得格差も他の開発途上国と変わらず大きかった。
そういうことを思うと、それが次第に、特に戦後日本になると
見えにくくなってきた。
で、一時は一億総中流という言葉を人びとが信じるようになるわけですよ。
世界規模で見ると、中国の功績があって、ジニ係数で見た格差は
縮まってきていると言われる。
(ただし絶対的ジニ係数で見るべきだと主張する経済学者がいて、
それで見ると世界の経済格差は拡大している)
その一方でかつては南北格差だったものが先進諸国内格差としてぶり返してきた。
そういう面がないとは一言も書いていないはず。 >>563 おっと説明不足だったかなw
どの宗教でも道徳を重視するのは大体同じだが その中でキリスト教だけに拝金主義または資本主義
が育ったところをマックスウェーバーも俺も問題視しているんだよw と偉人と自分を並べてみるw >>576
ルサンチマン道徳を理解してるならマルクスやマルクス主義者が
もっとも当てはまることを理解できるはず
アイン・ランドもニーチェの影響を受けてた
(それを認めてるかは知らんが)
だからアメリカのリバタリアンの一部にはニーチェ思想も取り込まれてるはず >>580
近代資本主義が生まれたのは東インド会社だっての
つまり日本がカトリックを退治する為にプロテスタントに入れ知恵しただけ
キリスト教なんかより過激にユダヤ教的なだけの宗教なんだから資本主義精神なんか生まれるわけないだろw
イスラムの方がまだ可能性ある >>581
だーから、ニーチェは貴族主義でエリート主義的な思想家であって、
米国型のリバタリアンも含めた、身分制社会の権威の擁護者たち、
そして新自由主義的な資本主義の擁護者たちにとっても極めて人気が高い。
しかしニーチェ自身は、キリスト教へのルサンチマンから抜け出せなかった。 キリスト教ってのは井の中の蛙の事
知ったかぶりと自画自賛するだけの人
ルサンチマン道徳で知能も低いから子供の内から徹底的に洗脳して騙すことに命を懸ける
成長したらマルチ始めるやつが異常に多い
アメリカではねずみ講だらけなのもそれが理由だよ
キリスト教の活動自体が神学を抜いたらやってることは同じだからね 社会主義者でも、サン=シモンのような人、サン=シモン主義と呼ばれる系統は、
技術官僚的エリート階級による政治支配という、階級主義的な社会主義を構想していた。
ニーチェはそっちに近いかもしれない。
平等主義やその政治的体現である民主主義とは対局にある思想家がニーチェ。
資本主義者がニーチェを有難がるのは、資本主義の本性ゆえ。 村井知至
1889年渡米して会衆派の神学校のアンドーヴァー神学校で学んだ。1893年に帰国して本郷教会の牧師を務めた。
その後、1894年の日清戦争終結後に再渡米しアイオワ大学で社会学を学び、1897年帰国する。
その後ユニテリアン協会惟一会の説教者になった。1898年には、惟一館を拠点に社会主義研究会を結成し、
会長になる。また、六合雑誌に多くにユニテリアンの論文を発表する。
1899年東京外国語学校の教授に就任し、7月には日本初の社会主義理論書の『社会主義』を出版し、
キリスト教社会主義を提唱する。1907年には松村介石の日本教会(道会)の活動に協力する。
しかし、後に松村と対立し、「仏教でもなく、キリスト教でもない、無名の宗教」と提唱する。 キリスト教もかつては虐げられた人びとの宗教だったんだろうが、
ローマ帝国の国教になり、いつからかは支配者のための宗教になった。
現在では、資本主義を擁護する保守主義たちに原理主義的なクリスチャンが多い。 キリスト教が支配階級のイデオロギーになったとき、
ニーチェはその支配にルサンチマンを抱いて、
自らのキリスト教批判を構築した。皮肉な話だと思わない? 安部磯雄
日本の社会主義者。キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、
日本社会主義運動の先駆者であった。
また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。
早稲田大学野球部創設者でもある。
1900年1月 社会主義研究会を社会主義協会と改組。安部が会長に就任
1901年4月 社会民主党結成の第1回準備会が開かれる。
参加者は安部、片山潜、木下尚江、幸徳秋水、川上清、西川光二郎の6名。幸徳以外は全員クリスチャンであった。 1904年11月 治安警察法により、社会主義協会が解散させられる。この頃より「資本論」翻訳に従事
日本の左派がなんでこんなに非科学的でダブスタで土人なのかこれで分かっただろ
宗教的な原始人が社会党や資本論に関わってるからだよ
居もしない神様も何千年も信じてるアホで存在しないものを何千年も証明しようと躍起になってるアホ
そんなやつらが日本の左派の伝統なんだよ キヨサキ押しの人が 企業も大きくなれば自ずと社会性を帯びてくると言及していたが
確かにそうだがそれでは足りないのだ
企業の社会性とはあくまで営利団体でギリギリまで搾取する体質でその範囲内での話しだ
それ故 利益とは少し距離を置いた組織が行政を行い企業を規制する必要がある
古代では宗教の道徳を規準に法律を作り商人を規制していたが 近代では宗教的道徳だけでは
対応できなくなり政教分離が必要になった
例えばイスラム教では金で金を稼ぐのは禁止にしているが それでは銀行や株が成り立たない
だから現代のイスラム銀行では金利は無く 代わりに共同経営で利益を分けるシステムになっているが
やはり宗教は偏っている感が拭えない 素直に金利を認めた方がスマートだ 客観性が足りない
マルクスの資本主義批判は現代でも通じる鋭いものではあるが その解決策は偏っていてお粗末なものだった
ハイエクなどの自由主義も投資家や能力のある者に偏りすぎている いずれ暴動が起きるだろう
企業が社会貢献すると言うより企業による社会支配がアメリカでは進行している
資本主義や社会主義と極論を言っていた時代はもう終わっている
投資家も金利も大企業も必要だし社会福祉も必要だ
今はどうバランスを取って共存するかを考えるのが経済学の仕事だ
>>587
それが原因でヨーロッパ人の頭がおかしくなった
キチガイみたいなもの
でもキチガイと優秀なのは紙一重だからな
だからキリスト教も全部が悪いわけではないんだろう
悪い面もあったけど良い面もあった
マルクス主義と一緒 >>591
ソ連があった頃は英米の資本家も多少大人しかった
ソ連がなくなったら調子に乗り出して悪さしか考えないようになった
このままだと奴隷貿易や阿片ばらまきやネイティブアメリカン皆殺しにしたような
時代に戻るだろう
英米人の特徴は何の知能もないこと
だから外国人と移民を利用する事しか考えない
この発想は経営者に向いてる
そしてキリスト教の世界布教という考えはねずみ講的ネットワークビジネスそのまま
さらに一神教という概念自体がカルテルや独占という資本家の夢そのもの
英米人は何もできないからアイデア自体は日本からパクってくるだけ
日本はネットワークビジネスを構築できないから負ける キリスト教ってのもユダヤ人からパクって来ただけ
ギリシャ思想も本当はエジプトからパクって来ただけ
欧米人ってのは中韓人の先輩なんだよ
中国人や韓国人があんな正確になったのは欧米人がそういう層と相性がいいから
中国は本来はモンゴル人と満州人が支配してた土地
共産主義革命と文化大革命で皆殺しにされたか強制収容所に送られて死んだけど
毛沢東の裏に居たのが英米やキリスト教徒
ソ連ではない
日本共産党や社会党の裏に居たのもソ連ではなく英米カトリック
スターリン時代のソ連はまともな人の集まり 日本のルーツは古代イスラエル
祇園祭り・剣山の謎 (みのもんた司会)
http://youtu.be/N4TR32mPxrs 22:31
へブル語と日本語の類似 秦氏 (新説!? みのもんたの日本ミステリー,関根勤他ゲスト)
http://youtu.be/PvtI1akmzTE 29:47 日本とイスラエルが関係あるなんて日本の一部のキリスト教カルトの主張だろ
そいつらは一神教と多神教と仏教の違いも分からないアホなのか?
ユダヤ人の影響力が強い場所では多神教は滅び他民族の偶像を破壊する現象が起きる
一神教の原理として神は一人で他は悪魔だから多神教なんか生き残れない アイン・ランド
ニーチェ
マルクス
フロイトの性格診断を発展させたmbtiというものがあって
上の三人は全員intjという性格の人
スレチだけど
ま、興味ある人いたらと思って 金利が安定してあがることは人間の活動の停滞とかけ離れているから、
金利の執着を捨てるのも間違いでないし、マイナス金利を取ることも推奨されよう。 転形問題ってナンセンスなんだよ
価格は価値に基づいて決定されるわけではないのに馬鹿馬鹿しいフィクションについて悩み続けて何が楽しいんだ 最近の入門書・注釈書だと転形問題はスルーされるか「どうでもいい問題」として書かれていて、どういう議論なのかあまりよく分からない。
以前このスレで質問したら「どうでもいいけど頭の体操になる」とかいう回答が来たな。 資本主義社会では、多くの場合、商品に対する消費者の購買力(需要力)は
生活時間を労働時間として企業に提供することによる対価として得ている。
また、供給力についても同じ。
供給力と需要力の背後に確固として労働時間というものがある。
ロボットやリサイクルショップだけで資本主義経済が成り立つ時代が来るまでは、
この構造は変わらないはず。 「ケーキなの!?アイスなの!? 松村沙友理」篇 / 明治エッセルスーパーカップSweet's
https://www.youtube.com/watch?v=0hJ90EK4_No >>600
>価格は価値に基づいて決定されるわけではないのに
転形問題はそういう問題じゃないよ。 >>599 マイナス金利は投資家向けの物で 投資家中心の資本主義経済学だから出てくるもの
黒田さんがうまくいっていないと頭を抱えているが 偏った経済思想だから当たり前
多くの人は低金利でも予算以上のローンは組まない
マイナス金利にしても部分的にしか影響が無いのは当たり前 投資家しか頭に無いから分からないw 人によっても違うだろし立場によっても違うだろう
キヨサキはそれをキャッシュフロークワドラントと名付け四つの分類にした
キヨサキはお金は麻薬であると主張し、それぞれの金銭を得る方法は中毒状態にし
同じような方法でお金を得ようとやり続得てしまうらしい
例えばナマポ問題もそうだし泥棒もカツアゲもそう
だんだん慣れて習練化していく
会社から給料を得ることも中毒だとしている
それを断ち切るには職業を変えただけでは意味がなく中毒症状を緩和させるには
考え方を変えないといけないとダメだと説く 完全な資本主義社会なんてこの世にはない
現代の資本主義はどこも福祉国家であり、社会主義(あるいは国家主義)を取り込んでる
日本に至っては戦後ずーっとマルクス主義が主流で政治家はキリスト教が陣取ってた
こんなことすら分からないほど馬鹿だと現実問題なんか理解できるとは思えないんだが
それと資本主義社会ではたいてい政治家と宗教家の方が立場が上
特に戦後日本は軍事と地政学と諜報活動を禁じられたから何もできない
上部構造が下部構造を規定するというマルクスの逆説が本流になってるのが戦後の日本
だから世界一の金持ちだった80〜90年代の日本ですら何もできんかったんだよ
欧米やキリスト教会やユダヤ人に批判されれば簡単に潰された 資本主義と国家主義は対立する概念じゃないよ。
むしろクルマの両輪だった。
ということを『資本の世界史』でウルリケ・ヘルマン氏は主張している。 >>607 なんかキヨサキどこにも新鮮味が無いな言葉を置き換えてるだけで特に目新しさは無いね
お金は中毒と言うが現代の社会システムではお金が無いと何も出来ないんだよ 中毒
では無くご飯の代わりだ
突っ込むところが間違っていると言うより 投資家の思想だね
投資家が全てじゃ無いから 考え方を変えろよ 多くの先進諸国で景気が良くなっても労働力の再生産コストである労働者の賃金が
伸び悩んでいることを考えると、先進諸国の少子化は今後悪化するか加速するかもね。 >>610
キャッシュフロークワドラントの一部の考えを持ってきただけだからね
何回も言ってるように俺はキヨサキが好きなんだよ
俺の考えではマルクスと同じレベルで優れてる
マルクスを読めば全体像が分かりなおかつ細部まで理解できるようになる
キヨサキもそうで世界最先端の考えが取り込まれていてなおかつ全体像が理解できる >>610
キヨサキは投資家の発想ではなくもっと大きな立場から見ていると思う
だからあれほど頻繁に教育の話が出てくる。
マルクスを貧乏人の発想というぐらい大雑把な定義だよ
キヨサキは言うには人は生きてる限りお金を使う。貧乏人も金持ちも
マネーゲームが嫌い好きに関係なく全員が参加している
参加すらしていることすら認めずに敗者になるか意識して取り組むかだ
年金・保険といやでも投資はさせられてる
生きてる限り物は買うし食べ物も買って食べるし税金も払ってる
現代では生活する事=お金を使う事=お金の扱い方が上手くなる方法=投資家と起業家と経営者の目線で考える事=
銀行家の考え方で世の中を見る事なんだよ
お金の知識がない人は鋭い質問を発してこないと言っている
だから紙幣論や財務諸表やキャッシュフローの話が出てくる
そしてお金の知識がないのは学校教育の方法が間違ってるからであり
それは金持ちの陰謀だとしている
ちなみに彼の親や親戚は全部教育者で、反日だらけのアメリカの教育学会で
日系の親が教師になるにはずば抜けて頭がよくないとなれない >>609
他国の大企業が進出してきたらナショナリストは反発する場合は多々ある
南米各国で反米運動が広がったり国家社会主義運動=ファシズムが生まれたり
開放の神学が流行するのはそれが理由
中国だって自国の企業だけ応援して外国企業は排除する
EUもそんな感じだ
でも仲がいい企業もある
だからやっぱり上部構造が下部構造を規定するというマルクスの逆説
あるいは『経済学批判』において、上部構造の反作用の重要性を強調しなかったことを
後悔していた以上にもっと大きな反作用の効果があった
反作用どころではない5倍も大きな反発があると俺は思う
すべての作用には同じ大きさで逆向きに働く反作用があるーアイザック・ニュートン
たぶんマルクスはこれをヒントに考えたんだろうけど
今から考えると楽観視しすぎていたと思う 資本主義も社会主義も
右派にも左派にも愛国者にも国際主義者にも宗教家にも無神論者にも使える便利な思想
裏を返せば敵にもなり得る思想
競争=資本主義
協力=社会主義
だからどちらかと言えば国家主義と相性がいいのは社会主義の方だと思う
EUだって社会民主主義が基礎だし
中東はイスラム社会主義が基礎だし
アメリカは何とも言えないがたいてい有利なのは民主党
共和党は毎回隠れて悪さするが民主党は堂々と悪さをする >>583
ニーチェはアインランドの客観主義だろ
アインランド=リバタリアンではない
リバタリアン自体が古典的自由主義や初期資本主義を含んだもので
昔からあるものを再解釈したもの
ニーチェは民族社会主義のナチスが利用した思想
ヨーロッパではニーチェの思想はマルクスと同じ位革命的な思想
キリスト教社会の転換を唱えてるから
ニーチェが理想としたのがローマ帝国 そう言えば紙幣論として仮想通貨(ビットコインやその他のアルトコイン)と
ブロックチェーンを学んだほうがいい
これを無視して現代の紙幣論を語るやつが居たら馬鹿
そして大儲けするチャンスでもある なんで経済板で、マルクス経済学がいつもトップなんだろ(笑)と思ったら、思いっっっきりスレ違いの嵐が常駐しているんだな。
マクロスレとか数学スレに行けばと言いたいのう。 マルクスがもし仏教徒だったら?
これから『資本論』はそういう発想になっていく。
なるほど内田樹が『アジア辺境論』で指摘するように
人口増を前提にしているというかぎりでは限界がある。
だがトランプが端無くも証明したようにキリスト教は
しょせんユダヤ教の傍流にすぎない。
はるかにイスラムに一神教としての正統性があるのは自明。
しかし“テロリズム”についてはキリスト教のほうが洗練されていた。
資本主義という“洗練されたテロリスト”。
みんなが大好きな「ゴルゴ13」は架空の「殺し屋」ではあるまい。 佐藤優は宇野弘蔵のマルクス解釈はキリスト教的、
廣松渉の解釈は仏教的として前者に可能性を見ている
一方熊野純彦は後者の不純物を含む解釈に可能性を見ている
ただし宇野弘蔵は不純物を経済政策論、段階論に回したので不純物を自覚的に扱っているのは
宇野弘蔵の方だ
廣松渉はドイツイデオロギーから幽霊論を省いてしまった
再生産表式から実物経済を捨象することで有効需要の原理を発見したカレツキの例もある
宇野弘蔵の経済政策論は柄谷行人に受け継がれて帝国主義と自由主義の交互循環分析に
展望を与えた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています