マルクス経済学 第3章 [無断転載禁止]©2ch.net
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◇前スレ
マルクス経済学 第2章
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/economics/1407899652/
◇資本論の主な翻訳
・岡崎次郎訳『資本論』(大月書店、1972年)
・資本論翻訳委員会訳『資本論』(新日本出版社、1982年) ※分担訳
・中山元訳『資本論』(日経BP、2011年) ※第1部のみを訳出したもの
・今村仁司ら訳『資本論』(筑摩書房、2005年) ※第1部のみを訳出したもの
なお、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫、1969年)がよく読まれているが、これは上述した岡崎次郎が翻訳したものを、向坂逸郎の名で出版したもの。
◇関連スレ
カール・マルクス10(哲学板)
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1483757397/ 今、ハイエクの「隷属への道」を読んでいるが中々。
だが、本題の全集はちと高いからつまみ食いをしよう。 そういえば松尾汲ェ朝日にでかでかと乗ってたな
この時機にこのタイミングということか? 置塩さんは明確にケインズをブルジョアイデオローグ認定して批判しているのに
松尾さんにはそれが皆無。どちらかというとケインズ側の人。
置塩さんの名を自身の売名につかわれるのは世間に勘違いを生むと思われ。 「共産主義は失敗した」って言う場合
スターリンや毛沢東なんかを槍玉に挙げてこいつらのやりかた
が「共産主義」になっていたり
或いは現在の中国やロシアの一党独裁制を「共産主義」としているけど
「共産主義 = 一党独裁制」
「資本主義 = 民主主義」
て感じの固定観念が根付いているのって本当はおかしいんじゃない?
「民主主義の共産主義」があってもいいと思う。
その上で、資産を持ちすぎている人間から政府が強制的に
資産を奪ってやる気があって本当にお金がない人だけを査定して
資産を再分配すればいい。
基本的人権のうち「所有権」だけを絶対不可侵じゃなくして
「政府による所有権の剥奪」だけを認めれば結構世の中幸せに
なると思うんだよ。(もちろん窃盗はNG)
生存権や言論の自由その他は守られるから、
粛清やリンチも起こらないし、民主制は否定していないから
カリスマの台頭や一党独裁なんてことも起きない。
金を隠し持っているなら隠したままでもいい。
但し、金にモノを言わせて人を雇い、サービス残業を強制したり、
市場をカジノのように考える輩が出てきたら政府による剥奪の対象
になる。 政府による所有権の剥奪?
明確な私有財産権の侵害、すなわち所有の自由の否定=国家社会主義じゃないか。
スターリンらの一党独裁、官僚制計画経済との相違は、民主主義と選択の自由などを認めるといったものですか?
まあ欧州福祉国家みたいな市場と国家、公共セクターとを組み合わせた社会民主主義的な社会モデルが存在しますが、それを言っておられるのか。 >>99そう、
「所有の自由の否定」をしたい。
但し、「国家社会主義」かどうかは切り分けたい
必ずしも「計画経済」をしたいわけでない基本的に資本主義でもいい
ただし、所有権の剥奪は、「国民のすべての持ち物は国家が所持し管理します」
なんてことをしたいわけではない。
貧乏人の持ち物も、それぞれの人が大切にしているものを取り上げたりなんて
しない。
剥奪したいのはたとえば過剰に労働者をいじめる電通やワタミ、
存在意義が不透明な暴力団などから無条件に設備や金を剥奪する
労働集約型の産業は所有権を奪って社会から排除する。
→これは労働者からの通報を受けて、監査が入るようにしたい。
金を転がしているだけのペーパーカンパニーや何もしない投資家も
社会に必要ないので所有権を剥奪する。
クリエイティブなことして、社員が幸せな会社からはたとえ儲かってても
なにも剥奪しない。
もちろん、剥奪するとしても丸裸にはしないし相応の居住地、社屋や生活費
運営費は残してあげる。
取り上げた相手に対するそれ以上のリンチは禁止。投獄もしないでまた野に放つ。
このようにしたい。資産を取り上げるだけで罪は着せない。 >>100 の捕捉
わかりやすさのために、電通やワタミ暴力団を例に上げたけど
本当に規制したいのは、「不特定多数の中小/零細企業」
これらの企業は有名じゃないから、自分の労働者を私物化し放題の
状態だ。
だからこれらの中小/零細企業は容赦なく解体して、しっかり労働
基準法をまもる経営者にこれらの資産を再割り当てする。
労働基準を尊守することを約束し、しっかりとした経営スキルを持っている
のであれば、無条件に奪うのと同じように候補者を募って審査した上で誰かに
無条件に与える。 >>102
こっちは自分が理想的だと思う思想を具体的に述べてるのに
あなたは批判しかしてないじゃないか。
無知だと思うならせめてどこが無知なのか指摘したらどうだ? 本来共産主義と民主主義が近い物で 資本主義と王政が近い物だ
マルクスによってゆがめられてしまった 共産主義とは自由を奪う物では無く 一人一人が社会貢献を考えて行動するようにするということで 国が個人や経済を規制してコントロールするという物では無い マルクスが勝手にゆがめてしまった
もっと緩い物であるはずなのに 国が個人まで管理するという愚行に出てしまった
ゴルバチョフは日本は最も成功した社会主義と言ったこともある
ソ連の共産主義はただのエリート主義で王政と変わらなかった ガバナンス論でいえば、
資本主義は生産組織の経営権独裁(特権)主義
共産主義は生産組織の経営権民主主義
マルクスやエンゲルスにいわせると
資本主義はブルジョワ独裁の生産組織
そして共産主義に移行するときに生産組織のプロレタリア独裁を経て、
プロレタリアートとブルジョワジーがともに消滅する段階へ。
そして高次の共産社会へ。
これがブルジョワ革命(革命といっても産業革命)がもっとも進んだ
英国において可能であるとした。
そして西ヨーロッパも英国と同じような道をたどるだろうから
自らの歴史理論が適用できる条件に当てはまると。
ところが、その他の東欧とかロシアとかアフリカとかアジアとか
そういった地域については保留した。 >>107
>マルクスやエンゲルスにいわせると
>資本主義はブルジョワ独裁の生産組織
マルクスもエンゲルスもそんなことは言っていない。
それに類することを言ったのはレーニンだ。(『国家と革命』) >>108
まさか、「ブルジョワジーの独裁」という言葉を頻繁に使っていたのはレーニンだ
という用語論の話じゃないよねえ?
マルクスとエンゲルスがブルジョワ社会の特徴を
ブルジョワジーによる「経営権の独裁」と見なしていなかったとでも言うつもり? なぜか、枝葉末節的にしか思えない。
集産主義が独裁と隷属となるのはすでに歴史が証明している。 マルクスはプルードンを批判するところで、
「プロジョワ階級による独裁を革命的独裁に置き換えるなら」
という言い方をしている。
また、フランスの六月蜂起を鎮圧したのちに行政権を握り、
ルイ・ブランを迫害して亡命させたカヴェニャック将軍のやり方を
「ブルジョワ独裁」と書いていたように思う。記憶違いだったらごめん。 資本主義市場経済ゲームは集産主義を勝利させるでしょう。
小規模な家内工業を生産力で駆逐して大工場の寡占へと導く。
それを観察したのもマルクスだったはず。
その集産化が資本主義の中に推し進められ、それが生産性を押し上げる。
共産社会はそうした資本主義市場ゲームの土台の上に可能になる、
というのがマルクスらの議論。 【この頃、本質的に個人主義的な制度である民主主義体制が、
社会主義とは和解不能な対立関係にあることを、誰よりも早く認めていたのは、ド・トクビルであった。
彼は1848年に次のような主張をしていた。
《民主主義は個人が享受できる自由の範囲を拡大させていくのに対し、
社会主義はその範囲を狭めていくものでしかない。
民主主義は一人一人の人たちすべてを、それぞれがかけがいのない存在
であるとしてこれに最高の価値を付与するが、これに反して社会主義は、
各個人を単なる「将棋の駒」、あるいは「数字」としか見なさない。
民主主義と社会主義とがただ1つ共通して持っているのは、「平等」という「言葉」である。
だが、この同一の言葉を使用するに際して、両者間に歴然として存在する
相違には注意しなければならない。
すなわち、民主主義は自由において平等を求めようとするのに対して、
社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとしている、という相違である》】
とか
現在ではその社会主義の定義も異なってきているが。 リバタリアンなどの市場主義者は民主主義を攻撃しているはずだよ。 「それって社会主義だよね」「共産主義だよね」という単語
のもつイメージの害悪
これらの単語が様々な思想の芽を全て摘んでる。
社会全体がもつ固定観念って強力すぎる。 経験なんぞしたことないから知らないが、
総合すると集産であって害悪、と言われている。
でも、隣だから聞こえてくる、一国二制度にした中国の発展ぶりを見れば解る事。 資本主義市場がフリーエージェント社会を本当に促進しただろうか。
けっきょく大きな会社に就職してその集産体制の歯車になるのが
ベストだっていうゲームの構造を強化してきただけじゃないだろうか?
国家資本主義・計画経済と変わらないものを作ってきただけ。 生協は一種の民主的企業じゃないの。名前は協同組合だけど。 資本主義内での歯車とは、どんぐりの背比べしかできない能力の低くさを誤魔化す言葉だと思う。
サラリーマンのメリットは、他人の資本で事業をできること。 事業ができるってのは経営権を握れるってことであって、
それはサラリーマンじゃないよね。
他人から搾取して得た資本で事業ができているのは・・・ 経営権とは違うなあ
それに、搾取とかみにくい奴隷根性 >>109
>マルクスとエンゲルスがブルジョワ社会の特徴を
>ブルジョワジーによる「経営権の独裁」と見なしていなかったとでも言うつもり?
俺のスレのどこをどう読んだらそんな憶測が出てくるんだ?
お前、疑心暗鬼に駆られているんじゃないのか?? >>123
でなかったら、どういう根拠があってマルクスやエンゲルスは
そんなことは言っていないと断言する?
>>122
事業をするってのはふつう仕事の経営を行なうってことでしょ。
そうでなければ被用者であって・・・
> 搾取とかみにくい奴隷根性
それが言えるのは市場の契約が対等なもの同士である場合だけだよ。
人が自由を棄て奴隷状態を選ぶのはそうせざるをえない
契約関係の不均等があるとき。 マルクスは資本制生産様式の特徴を「生産者と生産手段との根源的な分離だ」としている。
つまり、生産者が生産手段を所有できていない状態だということ。
所有というのはそれをどのように使うかの決定権を持つことを意味するはずで
生産様式の文脈では経営権に等しい。合理的に考えれば当たり前のことだよ。 俗に言う頭でっかちというやつで、使えないヤツの代表 だから
資本主義社会=経営独裁主義が支配的な社会
共産主義社会=経営民主主義が支配的な社会
だということ。 共産主義社会ってのは国営企業だけの独占企業のことだぞ
資本主義国家のカルテルをもっとえげつなく悪くしたようなもの
21世紀の社会主義とか宣言してたベネズエラも結局
それや中国よりは少しましだが政治と癒着した一部の企業だけは儲かってるけど
他は滅茶苦茶な状態になる ・だから「所有の自由」を無条件で認めては駄目なんだって、
所有するのが国家だろうが企業体だろうが「権力をもつ自由」
を認めるということは「他人の自由を抑圧する自由」を認める
ということだよ。だから「所有権」は定期的にリセットしなきゃ
行けないんだよ。
・人々がどんなに勉強や訓練して、「技術」や「知識」を伸ばしたとしても
それを「評価」するのは現状「所有者」なんだぜ?
・その時にどう言う基準で「評価」するかっていったら
「自分にとってどれだけ利益になってくれるか?」だよ。
「社会全体」にとってとか、「国家にとって」
「この地域」「このコミュニティ」「この業界全体」がより良くなる
ためではなくて、
「(株)山田」とか「(有)鈴木」にとってどれだけ
利益になるか。という「不特定のある1私人」がどれだけ利益になるのか
が問われるんだよ。
サラリーマンはそんなもののために努力しなければならない。
これが「癒着」だよ。
・だから人々の努力の方向が「特定個人」に向かないように国家はそう言った
全ての「癒着」を積極的に排除しなければならない。
別に国家自体が全て管理するんじゃなくて、
その「特定個人」が固定化しないように定期的に壊して入れ替える必要は
あるってこと。そのときに「所有権」が邪魔になるわけだから、
そもそも「所有権」なんて言うものは絶対的に尊守される
ものではない。という前提にしないといけない。 >>135
ロールズ以降の分配的正義論を市場ゲームのルールとして組み込めってことだね。
マルクスはその点まだ古典近代的な私的所有権論に縛られていた気がする。
高次の共産社会になるまでは
その種のブルジョワ的平等主義(権利論)に呪縛されるのは致し方ないんだ
みたいな消極的な論調だった。
ロールズ、さらにセンらはその壁を打破した感じだね。 資本主義はその政治的多様性ゆえに柔軟に時代に適応して栄えた
という進化論的説があるが、
そういう意味では、ベネズエラやサウジアラビアやトルクメニスタンの
ような国々も資本主義のバリエーションの一種として理解したほうがいいんじゃないか? >>136
ロールズや共産主義への批判の例として
「平等」を重視しすぎるとみんなやる気がなくなって、
最底辺の水準になってしまうという例があるはずだ。
それは「極端に均一な平等」を目指すからそうなるのであって、
「極端に高い山」は上の部分をへし折って分配してもなんら
問題はないはず、
かといって「極端に低い谷」を埋めるかといえばそうではない。
自分が弱者だからという理由で常に求め続けるような人間は
無視したっていいけど這い上がろうとする意志があれば補助される。 >>138
ロールズはむしろ基本財を限定せすぎて格差助長に加担してしまった
とリベラルからたくさんの批判を浴びたんだがね。
リベラルは、競争には少なくとも各世代ごとの機会の平準化が不可欠だと当然考える。
例えば、代を経るごとに格差がどんどん広がる競争ゲームモデルだと、
次第に競争へのインセンティブがそがれて行って寡占や独占がはびこる不完全市場が生じるという。
最初から勝負の結果が見えているような競争は茶番劇だし、
トップの人もビリの人もどちらも競争意欲を燃やさなくなるとね。 このような競争のインセンティブを至上課題とする市場規範モデルをマルクスは
ブルジョワ平等主義であって、労働力によって個人の価値を測る資本主義の害悪で、
実際には不平等な権利だとしたが、しかし低次の共産主義においてはそれは避けられず、
資本主義との混合状態が続くだろうとみなした。
高次な共産社会に近づくにつれて、労働者が労働から解放され、
それが徐々に克服されていくだろうと。その能力に応じてその必要に応じて・・・と。 リベラル的には、個人が自分の人生の選択に責任が持てるまでに生じる格差、
その人の生まれや両親や社会の判断によってその個人が運命的に左右された結果
生じる格差はできるだけ是正されて平準化されるべきで、そのほうが市場の寡占が防げ、
競争へのインセンティブの健全化が図れるという仮説を支持する。
人々は自分が手の届きそうもない競争は諦めやすいが、自分でも勝てると思うとがんばる。
そういう競争のインセンティブがもっとも最適なのがスタートラインが平準化されたゲームだとする。
これはいくつかの実証研究でも支持されているんじゃないかと思うが。 マルクスはそんな議論はブルジョワイデオロギーだと一歩引いて見ていた。
彼流の唯物論からすれば、それは資本主義市場経済の発達段階に適応した
イデオロギーにすぎず、人間の幸福をそのゲームのレベルに閉じ込める発想を
もっと冷めて客観化して相対的に見ていた。 yEdkf8H4さんが、掃いて棄てるほど言われている>>138のようなことを
いまさら言い出すのをお見受けすると、>>135のような議論は、
それよりもう少し上のところで投稿されている「所有の自由」の制限論も
べつに今更主張されるほどのことでもない気がする。
すでに多くの先進資本主義では採用されていることであって、
なんら目新しい主張でもない。そうでにそうなっている。 >>143
全くなっていない。
サービス残業が当たり前のようにはびこっている。
労働基準局は機能していない。
サラリーマンの給料は私人が自分の利益になるかで決めている。
中小, 零細企業は特にそうだ。
特定個人への過剰な接待や重役にごまをするオナニー祝賀会の
開催が横行している。
労働者が時間外労働して働いて生み出した利益が、
労働していない経営者の妻や子供が贅沢するための小遣いと
して流れでている。
派遣業、飲食店を始めとして労働集約型の産業が多すぎる。
アメリカでは国民全体の90%の所得を、10%の経営層が
独占している。 >>126
>でなかったら、どういう根拠があってマルクスやエンゲルスは
>そんなことは言っていないと断言する?
資本論を読んでみろ。
「資本の労働者に対する指揮」「…命令」という言い方はしているが、「独裁」とは言っていない。
指揮や命令と独裁(Diktatur)では意味が違う。 >>146
> 指揮や命令と独裁(Diktatur)では意味が違う。
独裁主義とは民主主義の反意語みたいなもんで、
少数者が意思決定の権限をほとんど独占してそれを指揮・命令として一方的に行使し、
多数派はそれにただ従うことが正しいもの・当然のこととして組織されたガバナンスのことでしょ。 著作権を労働価値説のスタンスから、どう説明できるのだろうか? ねーねー
どの立場であろうとも経済学者の出す答えに則っていくと、
グローバリズムは加速してしまうのかなって想像してるんだけどさ
グローバリズムに抗うことで国内の豊かさを引き出す経済理論ってあるの?
ご教示ください〜 >>147
あー、あなたは「独裁」をそういう意味に取っていたんですね。
それじゃ話が噛み合うわけがないや。
私が考えていた「独裁」というのは、「非常の事態に対処するために臨時的に付与された無制限の政治権力」だった。
ドイツ語 Diktatur の語源となったラテン語 dictatura の原義はこれに近いはず。
さかのぼれば、70年代に日本共産党がプロレタリアート独裁を放棄した時、「そもそも独裁とは何か」という論争が起こってな・・・
・・・20世紀の昔話は空しいからやめておこう。(私もリアルタイムで立ち会った論争ではない。) 本来の意味の独裁は「非常事に設置される一時的な臨時政府」のことかもしれないね。
辞書の中にはラテン語に由来するその意味を記述しているものがある。 経済地理学者デヴィッド・ハーヴェイ氏
によるグローバリズム批判と
それに代替する場の理論というのはちょっと勉強中。 >>152
なにか興味深い論点がありましたら教えてください! 「非常の事態に対処するために臨時的に付与された無制限の政治権力」だった。
年がら年中非常事態宣言かよ 「資本の労働者に対する指揮」「…命令」という言い方はしているが、「独裁」とは言っていない。
指揮や命令と独裁(Diktatur)では意味が違う。
ここ、笑うところ 日本共産党・・・「共産」という日本語は?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-21/0421faq.html
「共産」という言葉は、明治時代のはじめに、コミュニズムという言葉の日本語訳として
紹介されたことがきっかけで、使われるようになりました。
コミュニズムの語源は、「共同」「共通」「共有」などを意味する
ラテン語のコムニース(Communis)です。
科学的社会主義の創始者であるマルクスやエンゲルスは、
人類の理想社会―生産手段の社会化を基礎に生産者が主役となる社会、
搾取も抑圧も戦争もない、自由で平等な共同社会を展望し、
それをめざす運動をコミュニズムとよびました。 日本で“コミュニズム”という思想が紹介されるようになったのは、明治初期の一八七〇年ころです。
ところが、初期には、欧米の文物に接した知識人、啓蒙思想家がその担い手だったことから、
科学的社会主義本来の思想としてではなく、
“財産の否定”=財産共有を特徴とする危険思想と紹介されました。
日清戦争(一八九四〜五年)後、本格的展開をみせるようになった
労働組合運動や社会主義運動のなかで、共産主義がマルクス、エンゲルスの学説と
一体に受け入れられるようになり、『共産党宣言』(一九〇四年)や
『空想から科学へ』(同六年)も翻訳されました。
未来の共同社会を目標とする政党として誕生した日本共産党も、その名前を掲げることになりました。
創立以来82年、日本共産党は一つの党名を貫いてきました。
そこには、戦前の暗黒時代に民主主義と平和のために
不屈にたたかいぬいた歴史が書きこまれていると同時に、
21世紀に生きる政党としての誇りある未来社会への理想が刻みこまれています。
私たちはいま、この党名を高くかかげ、第23回党大会で
新しく決めた綱領が明らかにした未来社会への展望を、
広範な国民のものにするために力をつくしています。(若)
〔2004・4・21(水)〕 用語の使い方は脇に置いておいて、いずれにしても
組織の一人か一部のメンバーが意思決定のプロセスを完全に独占し、
その他のメンバーはその命令・指揮にただ従うことがガバナンスになっている、
そういう生産組織が圧倒的他数を占めているのが
資本制的生産様式が支配的な社会である、ということです。 置塩氏と松尾氏もこの点を重視しているようです。
法律用語で「使用収益権」が持っている重要な要素です。
近代法の所有概念は使用収益権で定義されているのではないでしょうか。 1944に出版され、当時を知りまた、現在も大いに有名な社会科学者の目次のいくつか
7 経済統制と全体主義
「経済的問題という誤り
経済の統制とは全生活の統制である
経済を統制する権力は無制限の権力となる
経済統制は職業選択の自由を奪う
「経済の終焉」という幻想
経済的自由なしにどんな自由も存在しない
8 誰が、誰を?
私有財産は自由の最重要な基礎である
諸個人の運命が政府の手にあるという悲劇
「分配の正義」に確固とした答えはない
「公正所得」は新たな差別をもたらす
社会主義は洗脳を必要とする
全体主義は中産階級の社会主義である
特権集団の闘争 9 保障と自由
自由の下での保障と自由を破壊する保障
所得保障という危険な罠
生命と自由とひきかえに与えられる保障
保障という特権が社会を毒していく
「官僚国家」が自由を圧殺する
10 なぜ最悪の者が指導者となるのか
独裁権力が道徳的であることはない
強力な政党は人間の下等な部分によって組織される
集産主義は排他的な賛美へと向かう
「自由的主義的社会主義」はありえない
集産主義はあらゆる道徳を否定する
個人主義的美徳と軍隊的気風
不道徳な人間こそ権力への道を進む 訂正
10
×「自由的主義的社会主義」はありえない
○「自由主義的社会主義」はありえない 平等を求める情熱が、自由への希望をむなしいものとしてしまったために、
世界に対し与えられた人類史上でも最善の機会が放棄されしまった。
---アクトン卿 160 161に対するケインズの称賛の言葉
R・F・ハロッド『ケインズ伝』東洋経済新報社
「あなたの著書を完全に読む機会を得ました。私の意見ではあなたの著書はすばらしい書物です。
我々は全て、いう必要の大いにあることを非常に立派にいってくださったことに対して、
あなたに感謝すべき最大の理由をもちます。
あなたは私がそのなかの経済的断定のすべてを承認するとは期待されないでしょう。
しかし道徳的ならびに哲学的には私は事実上その全部に同意します。
それは単なる同意ではなく、深く感銘させられた同意なのです」
また、ミルトン・フリードマンは1944年1994年の2度、この本への序文を書いてる。
ほんの一部抜粋
「本書の主要な教えは、実に多様な具体的状態にも、
どんな時代にも当てはまると、今では認識されている。
しかも、見方によっては本書の主張は、初版が発行された1944年時点の
アメリカ合衆国においてよりも、それから50年経った今日の
合衆国においてこそ、もっともふさわしいものだ。」 数理マルクスに対する伝統的マルクス主義者による批判がマルクスのイデオロギーを踏襲してないからダメって言うのが本当に滑稽
伝統的マルクス主義者はマルクスの弟子ごっこでオナニーしたいだけのクズの集まり 数理マルクスもオナニーだよ
実証研究を伴わない研究は全てクソの役にも立たない引きこもりのオナニー
ネトゲでギルマスやってるヒキニートの方がよほど生産的 資本論は「もしもイギリスの資本主義が極限状態に達したら」を妄想を存分に働かせて描いたラノベだからな、オーウェルの1984みたいなもん
しかもドイツでも全く同じように全く同じ様態で資本主義が発達すると勝手に思い込んでたマルクスはマジで馬鹿
そして農民を焚き付けて革命さえすれば「もしもイギリスで資本主義が極限状態に達したら到来するであろう共産主義」がロシアでも到来するだろうと勝手に思い込んでた更なる馬鹿がレーニン
マルクス主義は「空想家から始まった馬鹿共による伝言ゲーム」である なんだそれは?池田信夫の受け売りか何かか?
馬鹿はお前だよ、資本論は普遍的法則の記述を目指して書かれている とりあえずマルクス主義とマルクス経済学の混同はやめよう、な?
両者は全然違うから、な?
分かったら他所へお行き、ボーヤ ローカルルールを読めば誰が他所へ行くべきか明らかだよ
ローカルルール貼っといてやるからよく読めよクソジジイ
ここは近代経済学,その他大学経済学部で研究される分野について学術的に議論する板です。
以下の話題は板違いとなるので、適切な板をご利用下さい。
経済理論や実証を無視したイデオロギー等の開陳、景気談義など学問的アプローチ
を伴わない議論、マル経と近経の比較により煽り合いや相互介入が発生するもの、
などの学術的ではない話題は経済板へ
資格試験の一科目としての話題は資格全般板、会計試験板、公務員試験へ
政治的な話題は政治板、議員・選挙板へ
経営学の話題で、経済学と関連が高い(金融工学等)分野以外のものは経営学板へ
経済学と関係ないマルクス思想やマルクス主義は哲学板や共産党板へ いろんな書物からマルクス経済学に関する批評をコピペしている人がいるけど、
文芸批評ならともかく、ここは経済学板なのだからせめて反証可能な批評を挙げて。 >>165
議論をはっきり分けて考えたほうがいい。
いくつかのことがごっちゃにされて話されている。
1. マルクスが著作などで論じたことはそれ自体として正しかったのか。
2. その後のマルクス学派の人々が理論解釈や理論補完や理論修正によって
作り上げてきた各命題は正しかったのか。
1はマルクスのソースに綿密にあたって、
マルクスが一体何を言って何を言わなかったのかをマルクスに帰して
徹底的に分析し検証することによって解く問題です。
しかし2では、マルクスのソースに依拠して
マルクスのソースどおりの理論になっていないじゃないかと言っても
意味がありません。それは1の問題です。
2はマルクスとはべつに各論者の論点にあたるしかありません。
1がマルクスに属する真偽の問題で、
2が分析的マルクス主義を含めたマルクス以後の議論に属する
真偽の問題です。
1を問題にするときには「マルクスの議論を厳密に踏襲する」ことが
ぜったいに必要条件です。
でないとマルクスが正しかったかどうかは判断できません! マルクス論と現代のpolitical economyである理論体系はしっかり峻別した上で、
資本論をベースにしつつも資本のアクティビティと労働とのビヘイビア、価値増殖と金融資産の国際的グローバル化した支配の構造、
AIの進展、ハイテクノロジーと人間労働との差異difference、社会保障システムのあらたな展開としてのベーシックインカム的な恒常的個別的な支給と貨幣経済との連関性とか、
もろもろを縦横無人に語れば良いのかもしれない。
市場交換システムと表裏一体化したサブシステムとしての社会的分配、消費する個人。 マル経は実証できないところ(≒合ってんのか合ってないのか分からんところ)が良いところ。 ハイエクも認めているように、
社会科学では完全な予測や完全な実証は不可能というわけでは無いと思うが、
現実問題としては極めて難しいということでしょう?
ある比較対象の変数だけを取り出し隔離して他の条件をほとんど同じにして
比較することができないことが少なくない。
aからbへの事象の変化が起きたとして、それがある経済政策が効いた結果だ
ということがあまりすっきり実証・反証できないことが多い。
まったくできないわけではない。大雑把な実証であることが少なくない。
論理実証的にはコンピュータシミュレーションを利用してある程度できるだろうが。 >>174 残念ながら人間にはそれを全て包括して理解する能力が無い
経済学などは切り口によってどうにでも評価できてしまう 人間には一部しか理解できない物なんだよ >>157
北一輝の「国体論及び純粋社会主義」も1906だぞ
日本の軍人には農民や貧乏人が多かったから国家社会主義思想は社会中に蔓延してた
まちろん裕福層は資本主義者だったけど
共産主義者は一部の知識人だけで相手にされてなかった
ファシズム=国家社会主義ってことを理解してない人多すぎ >>168
ロシアで革命を起こしたのは立憲民主党員やメニシェビキや社会革命党や反乱軍人だよ
ロシア人大衆や農民が支持したのもこの革命
ボリシェビキは補助の補助ぐらいの役割だったけど一応新政権に入り込めた
レーニンやトロツキーは外国にいて革命成功の報を聞いてドイツ政府からたんまり金を貰って
帰国してきたんだよ。
レーニンらは革命を越したのではなくクーデターを起こしただけ
ある意味あの時点では反革命勢力と言ってもいい 会社経営すればわかるけど企業をでかくしていくと政府による支援や援助が重要になる
外国に進出するようになるともっと重要になる
政治が顔を出してくるんだよ
政治によって倒産したり生き残ったりするようになる
そしてドでかい会社はたいてい裏で同業者や政治家や投資家とカルテルのようなものを結んでる
これを究極まで推し進めていくと共産主義国家にある独裁者が庇護する国営企業になる
共産主義運動というものは大金持ちの陰謀であって貧困層の陰謀ではない
ロバートキヨサキの本を読めばわかるけど金儲けをするには使命が重要
役に立つ人が多ければ多いほど金が儲けれるんだよ マルクス主義を理解したいならまず資本主義を理解しろ
資本主義を理解したいならロバートキヨサキとガイカワサキをまず読め
その二人を読んだらポンジースキームとネットワークビジネスを分析しろ
はっきり言うけど欧米では資本主義批判や金持ち批判なら極右の方が激烈
日本も戦前はファシストの方が数十倍資本家や資本主義に攻撃的だった
共産主義が攻撃するのは小金持ちだけだから戦前の日本では相手にされてなかった
ソ連でもやたらと攻撃されてたのは富農とかいう層で田舎の農家だった 初期にマルクスに影響を与えたドイツのコミュニズム革命家
ヴァイトリングは仕立て職人さんだった。
そういう人が運動家に大半だった。
労働者ではあるが、いわゆる工業プロレタリアートではなかった。
イギリスを除いては資本主義はまだ赤子同然だった。
マルクスとエンゲルスはしだいにヴァイトリングから
思想的に離れていったんだそうだ。
吉本隆明さんがお書きになっていたことだが、
マルクスの農民論というか農業論には
後進地域の革命運動はナショナリズムというか国粋主義というか
全体主義というか、そういうものになるという見解があるんだそうだ。
吉本さんによればロシア革命は右翼革命だったんだと。
吉本さんの中では戦前の右翼と彼自身が戦後に左翼を名乗ったことの間には
本質的な矛盾はないという。
ただし戦後の左翼の主流派は右翼的なものを徹底的に嫌う方向へと進んでいった。 『マルクスと批判者群像』によれば、
マルクスはどちらかというとブランキストであったヴァイトリングから離れ、
ヴァイトリングと同じ義人同盟ではあったがチャーチスト運動やオウエン主義
の影響下にあったのイギリスのシャッパーに思想的に近づいていったんだそうだ。
シャッパーの考え方はロシアでいえばミンシュヴィキ(ボリシェヴィキではなく
こちらがマルクス主義の本来の主流派だ)の考えを先駆けたものがあったらしい。
彼は共産革命を自分たちの代では実現しない遠い未来のことだと考えていたから。
すぐにでも革命を起こしたかったヴァイトリングとは対照的な見解だ。 ロシア革命には、鎮圧された第一革命と、第二・第三とがあるが、
レーニンが関与したのは第三だけ。
そのとき以外レーニンはロシアにいなかった。
トロツキーとはちがってどちらかというと蚊帳の外にいた人だ。
日露戦争に負けたロシア帝国は弱体化していていつ革命が起こっても
おかしくなかった。てか、19世紀の西欧全体がそうだった。
そういう時代気風のなかで共産党マニフェストは書かれている。
ミンシュヴィキはロシアの最初期のマルクス主義者で、
ロシア革命をブルジョワ革命になるだろうと展望していた。
つまりロシア革命で政権をとるのはマルクス主義者でもナロードニキでもない、
ブルジョワジーを代表する立憲民主党であると。
彼らはロシアでもイギリスと同じ経路での資本主義化は避けられないとしていた。
農民による革命を模索していたナロードニキの質問に答えたマルクスは
この見解を批判し、『資本論』はイギリスをモデルにしてつくられた理論であって、
西欧では多かれ少なかれイギリスと同じような資本主義化の道をたどるだろうが、
それ以外の地域、たとえばロシアは例外的だとした。
ロシアはイギリスとは異なる経路で資本主義と同じような成功を手にできる
可能性があると柔軟な見解を示した。
これがのちのトロツキーの永続革命論に繋がる。 マルクスのこの見解とトロツキーの永続革命論は、皮肉なことに
ロシアであるよりもむしろ日本の成功に当てはまった思われる。 そう、イギリスの自由主義が東のドイツまでいって、そのドイツから帰ってきたら
計画経済とかいう可笑しなものになって帰ってきた、とか。
「そして続く60年にわたって、ドイツが思想の中心となり、やがて20世紀の世界を
支配することになるその思想が、東へ西へと広がっていった。
ヘーゲルを取るかマルクスを取るか、リストを取るかシュモラーを取るか、
ゾンバルトを取るかマンハイムを取るか、あるいは過激な形態の社会主義を取るか
穏健な「組織化」ないし「計画」へむけての運動をとるか、といった違いこそあるものの、
ドイツの思想はあらゆる国々に喜んで輸入され、その制度も模倣されるようになった。 「そういった新しい思想の大半、とりわけ社会主義は、ドイツで初めて考案されたものではないのだが、
確かにドイツにおいて完成され、1900年をはさんでそれぞれ四半世紀の期間に極限まで発展することとなった。
しばしば忘れがちだが、その50年間に社会主義の理論とその実践の面で、
ドイツがどれほど大きな主導権を獲得していたかは、想起するに値する。
すなわち、英国で社会主義が真剣な論争点となった時点を遡ること約30年も前に、
ドイツの国会には巨大な社会主義政党が存在していたのであり、また、
つい最近まで、社会主義の教義上の発展は、ドイツとオーストリアにおいては
ほとんど独占的になされていたのが実情であって、ロシアで現在なされている議論は、
ほとんどドイツ人が議論し終えたところから、これを引き継いで行なっているものでしかない。
さらに言えば、英国の大半の社会主義者は、自分たちが今になって発見している問題の大部分が、
実はとうの昔にドイツの社会主義者によって徹底的に討論しつくされてしまったものであることに、
まだきづいていないでいる。」 「計画経済」というのは、中央集権的な官僚統制の経済システムだったが
仮に全生産と全消費をすべてコントロールすると考えると、POSシステムとスパコンとを連動させるとか
考えられなくもないだろうか?
それが一般的な市場経済を代替できるかは解らないが。 >>180
それはマルクス経済学では有名な独占段階の資本主義というやつじゃないか?
マルクス史観では、
絶対王政時代の商業資本主義、ブルジョワ革命を伴う産業資本主義、
そして帝国主義時代の独占資本主義、そして修正資本主義という区別がある。
これは単なる時代区分ではなく、
先の段階の資本主義の上に次の段階の資本主義が積み重なるような
地層的・重層的な構造になる。
だから前の段階の資本主義がのちの段階で消えてしまうわけではない。 >>180
初期の資本家は今で言えば中小零細企業に当たると思う。
しかし資本も企業もどんどん肥大していき、生産様式も集産化し、
大企業の寡占状態が現われるようになる。
国家というのはいわば大企業の中の大企業。
一国が一つの巨大企業みたいな段階に達し、資本も巨額になる。
国家プロジェクトでないと投資できないような事業が普通になる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています