マルクス経済学 第4章
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◇過去ログ マルクス経済学 第3章 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/economics/1504824267/ マルクス経済学 第2章 http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/economics/1407899652/ ◇資本論の主な翻訳 ・岡崎次郎訳『資本論』(大月書店、1972年) ・資本論翻訳委員会訳『資本論』(新日本出版社、1982年) ※分担訳 ・中山元訳『資本論』(日経BP、2011年) ※第1部のみを訳出したもの ・今村仁司ら訳『資本論』(筑摩書房、2005年) ※第1部のみを訳出したもの なお、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫、1969年)がよく読まれているが、これは上述した岡崎次郎が翻訳したものを、向坂逸郎の名で出版したもの。 労働価値説って、要するに、たくさん労働しないと作れないものは、少ししか生産できなくて供給が限られてくるから結局、値上がりするっていうだけだよね 逆に簡単な労働で作れるものは大量生産できるから、過剰供給されて、値が下がる 結局、需要と供給が値段を決定するといってるのといっしょじゃん 労働量は、需給の給に影響するってだけでしょ でも、いくら労働しても、需要がないものは値がつかないから、値段をつける本質的要素じゃないよ 労働者もがんばってるんだ、もっと尊重しろという、アピールのための概念でしょ、労働価値説 おそらくはもっと観想(エッセイ)的な把握だったと思われる。ロンドン郊外に ストーンヘンジを移設したりピラミッドを新築するような公共事業でさえ価値が あり国富の拡大につながるとウィリアム・ペティは言ってる。労働価値説といえば アダムスミスから開始しがちだが、その1世紀前にすでにこういった社会観想が 堂々と述べられていたわけだ。そして政治経済学(現代でいうマクロ経済学・ political economy)はこういった観想を精緻化していく過程で発展してきた。 ペディの視点はおそらく「戦争をすればなんとなく景気がよくなる」といった程度の観想の延長に 「公金を投入して巨大建築に従事させれば景気がよくなる」といった程度の労働価値説の実感や 確信が先にあって、そこから先に踏み込むようなスタンスでは無かったと思われる。 これを個々の商品の「価値」にまで織り込もうとしたのがマルクスで、結局その試みは上手く 行かなかった。主流派マルサスやJSミルはそんな哲学的煩悶とは無縁に、たんに労働契約 を価値の源泉のひとつにおいて最低賃金に注目しはじめ、結局これは国民所得という概念に 集約されていった。労働市場において重要なのは労働契約であって、労働者が何を現実に 作り出すかは雇用主の投資判断であって、それは所得の問題ではなく投資の問題になるのね。 マルクス的労働価値説はその解剖に失敗したといえる。 >>787 さん、そこまで考えを巡らせるならばいっそ次のように考えてもよさそうなものを・・・ その需要の多くが資本主義経済では一般に賃労働者の購買力によって支えられているとするならば、 労働者が少なく短く雇われてその社会の総労働時間が減れば減るほど労働者の購買力を下げることに繋がり、 その結果として需要を弱めて価格の下落が避けられなくなる慢性的なデフレーションに陥ってしまい・・・ ところで>>787 にIDがないのはなんでだろ? そう考えると、>>786 さんの書く労働価値説が無効になるのは、 一般大衆の購買力が賃労働によらず獲得されるような経済システムが支配的になり、 それらが資本主義経済に取って代わられるようになった場合だよね。 つまり労働価値説がまったく無効になってしまうのは資本主義が終わったときだと。 訂正:それらが資本主義経済に取って代わるようになった場合だよね。 >>791 資本家以外野垂れ死ということが想定される。 >>793 資本家以外野垂れ死ぬことはないでしょ 一般労働者がいなくなったら、一般購買層もいなくなるから商売ができなくなる 労働者は階級対立する存在であると同時に、お客様でもあるんだから マルクス経済学はどうしても、資本家と労働者を不倶戴天の敵なしたいみたいだけど、実際は協力しあって存在している >>794 資本家自身も分業してるから資本家同士の取引はある。 だけどそれではやっていけない資本家は溢れ落ち野垂れ死する。 金塊の価値の源泉は鉱山からの採掘費用だとする考え方は古典派貨幣理論の基本命題だったので 通貨論に関していえば労働価値説はまったく虚妄な学説だったわけではない。 旧日ソとか古い議論は要らない。新しい事だけ考えて北方4島10兆円で返却 日本の領土になり、平和条約をロシアと組み、ロシアの北方4島の軍事拠点を完全返還。日本は戦争する国ではないからプーチン速く返還しろ。 スレチなうえに日本に何のメリットもないので却下 むしろロシアが長期占領の賠償金を日本に支払うべき 資本家階級にとって労働者階級の再生産が不可欠だということはマルクス経済学も言っている。 マルクス経済学にとって賃金は労働者階級再生産のコストと見なされていることからも分かる。 ただしそれは資本制市場では最低限に抑えられる競争が起こっている。 資本制市場がどの程度までその切り詰めを許容するかというのが格差社会の問題も絡んで問題になっている。 動くともうからない、賃金に拘束されると金が儲かるという経済的な限界を 克服しないと。 >>794 さんが言うのはおそらくグラムシやレギュラシオン学派がフォーディズムと呼んだもの。 しかし資本制生産の普遍的な形態ではなかった。新自由主義に取って代われれつつあるし。 マルクスのころの資本家は銀行家のイメージなんだろ イギリスならせいぜいSirと呼ばれる人々のサークルが資本家 >>787 需要が無いものには価値がないというのはマルクスも言ってる。 労働価値説というのは、ある一定の生産力を前提とした社会において、 ある商品の価値はその商品を生産するために投入される社会的必要労働によって決まるというもの。 需要と供給が均衡する値は社会的必要労働によって規定されているというのが労働価値説と思う。 >>783 ”見えざる手”と”公正なる観察者”を批判するのはヤメロ >>803 「社会的必要労働」なんてしょせん抽象的な概念じゃんよ 平均的な社会的必要労働時間をどうやって測定するの? 仕事できる職場とできない職場じゃ、一つの商品の完成時間にだって差は出てくる。 平均っていっても、サンプルを恣意的に集めれば、いくらでも数字を操作できるし それと市場価格が一致している、規定してるとどうやって証明するの? マルクス主義経済学の悪い癖だよ 抽象的な概念を振りかざして、議論を煙に巻こうとする 反証可能性がないんだよ 社会的必要労働とか、抽象的人間的労働とか、結局抽象化することによって、多様な労働をムリに均一化しようとしているだけじゃない 熟練の技術が必要な労働も、リスクのある投資活動も、単純作業もみんな一緒くたにしてさ、同じ労働なんだから賃金を同一にしろという悪平等を生み出す理論的根拠になる 労働価値説っていうけど、労働だって、拘束時間だけでなく質の差もいろいろあるんだから、一元化したり、抽象化する必要もないよ マルクス経済学は別にミクロスケールの経済を研究してる訳じゃないから抽象的平均労働でも全く問題ないぞ マルクス経済学にとって興味があるのは社会全体の生産量であって家計や企業の行動は全く研究の対象外 よく勘違いしてる人がいるんだけどマルクス経済学って言うのは資本主義社会の動態が知りたいだけであってまぁ言えばスーパーマクロ経済学みたいなもんなんだぞ ミクロ経済学の用を成してないからと言って批判するのは的外れだ スーパーマクロ経済学とかいっても、反証可能性がないのは一緒じゃんよ フロイトの無意識や夢判断と一緒で、いったもん勝ちの世界だよ スウェーデンの経済学者が労働価値説の実証研究をやっていたな。 >>808 そんなこと言ったら新古典派経済学だって反証可能性無いし だったらマルクス経済学は、経済学というよりも、経済哲学と呼んだほうが正しいな そういう考え方もありますよ、程度のものだろう 科学だの実践的な理論だのいうから叩かれるんだよ 一般均衡とか神学以外の何物なのよ 一般均衡の「数学的証明」をさせて洗礼を受けさせるのも宗教そのもの うんじゃ、マルクスは小難しい言葉使って、どうしろっていうのよ? 共産主義社会をつくるの? いまどき? 競争性がないとみんな真面目に働かないという当たり前の現象をどうするのよ? 資本家だって、相続税とか累進課税とかで、所得の再配分されるじゃんよ 現在の資本主義社会で、じゅうぶん労働者の困窮を救うというマルクスのいってることはできるじゃん 労働者を守りたいんなら、労働基準法の厳守を推し進めたほうが早いね ブラック企業の社長をバンバン起訴すればいいんだよ >>813 マルクスが言ったこと ・資本主義はある条件下でのみ成り立つ特殊な経済様式です ・その条件を満たせなければ資本主義は崩壊します ・資本主義社会では一定時間経過すると必ずその条件を満たせなくなります ・資本主義社会では本来商品となってはならないはずの労働が商品として扱われます 以上 だから資本主義なんて崩壊してないじゃんよ 資本主義が崩壊したとしても、代替となる経済体制がないじゃんよ >>815 いつ崩壊するなんて言ってないし 放っておけば普通に資本蓄積によって崩壊するけどそうならないように延命する方策はいくらでもあるし 代替となる経済体制はより生産力の高い何らかの経済体制になります その一つとして理論上は資本蓄積による生産力向上のストップが起こらない社会主義が挙げられてるけど別にそれ以外でもいい >>816 それっておかしくない? 期限を限定しなくていいのなら、なんでもいつか崩壊するっていい続ければいいじゃんよ いつか崩壊するっていうのなら、すべては諸行無常なんだから、人類社会だって、地球だって、太陽だって、宇宙だってやがては崩壊するよ そんな学説に意味はない >>818 いやいや条件はちゃんと示してるから 時間は変数として考えて貰えばよろしい 崩壊って、あんた、せいぜい恐慌が起きるぐらいでしょうに もう代替体制がない以上、資本主義体制自体がなくなるもんか せいぜい景気がよくなる悪くなるていどのもんだよ 100年に一度の危機といわれたサブプライムローン問題も、資本主義体制を壊すほどのこともできずにあっさり乗り越えませんでしたっけ? 危機感を煽るだけで、崩壊の定義が曖昧だよ 横レスだけど 資源が枯渇すれば生産力も落ちるし 違った経済体制になるんじゃないかな? 環境史観環境経済学的な視座もマルクス主義には欠いていた。 実際かつての共産圏の公害問題環境問題は相当酷かった。 中国は改革開放以後の方が酷いけどね。 社会主義共産主義は工業技術で言えばスチームパンクディーゼルパンクな世界観丸出しだけど肝心のエントロピーみたいな熱力学という蒸気機関以来の工業動力源の理論的基礎基礎理論についての見識はほとんど見られない。 当然エントロピーは環境論や情報理論にまで繋がる時代的に更に先のあった概念である。 >>820 マルクス経済学では崩壊ってのは生産力がそれ以上向上しなくなることだと定義されている そして先にも述べた通りそれを回避する方策はいくらでも存在する マルクスが市場そのものの廃止を訴えたというソースをご存知の方はいらっしゃる? 政治経済学(political economics)じたいは道徳哲学から発生したものだから、哲学だの反証可能性がないだのは まったくその通りだよ。人間が経済人であるという前提を置く時点で反証可能性のない定義なんだから。そうやって 仮定を置いたところ、社会に存在する明らかな道理を説明することができる、というのが政治経済学。むしろ統計 データをつかって反証可能な仮説を置き始めたのはフィッシャーが物価指数とかを提示しはじめた以降の話し。 ケインズのマーシャルのkとかいうのも、あんなの構想(観想)でしかない。じっさい先にアイデアがあって、あとから 統計値が導出され確証されてきた、というのが経済学の発展の歴史だ。 政治経済学はガードマン(夜警)をどのように配置し、どのように機能させれば国家経済がより良く機能し 市場として成立するか、逆にどのように配置することが不合理で市場に障害になっているか、それを 岡目八目(あるいは素人野球監督)の目線で観察し、おもったことをあーだこーだ言い合ってるところから 発生した学問。学問というのは、観察(観想)をもとに、論理立てて説明するから学問(科学)の体裁をもつ だけのことであって、最初の観察(観想)じたいが偽であればすべてが成立しない、なんて光景はフィリップス 曲線ひとつとっても明らかな話しだろう >>824 たとえ資本主義が生産力の向上が頭打ちになっても、資本主義の崩壊とはいえないね 資本主義自体は続いて行くんだから 日本は少子高齢化でマイナス成長期を迎えたが、だからといってそれを誰も資本主義の崩壊とはいわない せいぜい資本主義の停滞ていどだろう 私有財産も、自由主義経済も、貨幣制度も、労働力の売買も続いていくさ マルクスの文脈でいう資本主義崩壊の原因は搾取(とそれにともなう労働者の貧困ー最低賃金に固定された)が原因でしょ。 貧困者、困窮者による国際的な連帯、契約の破壊、資産の公有化、そして「資本家による搾取」の解消によって資本主義が 終焉を迎えるという構図。このマルクスの文脈でいえば、労働者が困窮しない範囲で飼い殺ししているかぎり、資本主義は 崩壊しないかもしれないし、崩壊するかもしれない(労働運動の展開次第)。 ありえないんだよ! 資本主義で人類史は終わってるの 「歴史の終わり」だよ 資本主義の崩壊だなんだと、ノストラダムスの大予言みたいなこといわれてもね、資本主義に変わりうる体制が存在しない以上、人類は資本主義を続けていくしかないんだよ 他に選択肢がないの >>827-828 経済学はゲームのルールにどんなのを選ぶのがいいかについての学問だと手短に言えよ。 ゲームの勝ち方やジャッジの人員配置についての学問ではない。 特に言えることは安易な必勝法は独禁法という形で基本的に排除するのが経済学にとって普通だってことだ。 ゲームじゃないよ。道徳哲学。そんな軽々しい響きが生まれたのはむしろ現代なんだから。 法学や哲学と密接に結びついたところから経済学は出てきてるんだ。ひとを殺してはいけない とかいうのも君に言わせればゲームのルールなんだろうが、あきらかにゲームではない所 から昇華してきた観想や思想が政治経済学の原点なんだ。 >>805 競争が働くことによって商品の価格は社会的必要労働に近づき、 その均衡価格が商品の価値であり、社会的必要労働と等しくなると考えられるのでは。 社会的必要労働より多くの労働を投入する商品は競争により淘汰される。 社会的必要労働より少ない労働を投入する商品は持続可能ではない。 労働の質の違いも競争が答えを教えてくれるのでは。 6時間の労働と3時間の労働が安定的に交換されるのならば 後者の労働は複雑度や強度が2倍とみなす。 泉弘志さんが実証分析をやってたと思う。読んでないけど。 残念ながら資本主義下での競争は独占を生みやすい 需要が少なくなればなおさら 競争が均衡を生むなら独占禁止法など必要ない ポイントは市場経済と資本主義経済は違うということ これを判別するために再生産表式が有効 >>834 フェアに感じるルールでゲームしたいだろ普通。 モラルの起源も進化のゲーム理論で語られる時代に馬鹿が弁証法で寝言言いたがる 変数増やして数学で疑似科学やってるのはどうかと思うわ マルクスの労働価値説はまだ実証研究レベルで反証されたとは言えないでしょ。 ただのマルクスの個人的な経済哲学ならどうとでもいえという感じだけど、マルクス主義を標榜して政治に口出すやつらがいるからな どうしようもない 政治に絡んだら学術的な議論も、中立性を失ってまともにできなくなるし ゲーム理論はゲームのルールを作る権限が誰にあるのかまでゲームに組み込まないと意味のない理論だな。 >>843 詰まんないゲームなら新規参加者もやって来ないし既存の参加者もガンガン脱退してく自由行使するから自然淘汰されるよ。 マル経みたくね。 特異な分野を研究対象にしていれば博士号が得やすいという 現実的な要請によりマル経は滅びんよ。永遠にな!(`・ω・´) 単に富裕層の御用学者になったほうが高い地位も得やすいし、 私腹を肥やしやすいということは誰でも分かること。 やはり経済学界は支配的な経済イデオロギーと深く繋がっている。 >>842 全部がどれよりも新古典派経済学に刺さるな >>836 競争が独占を生む、というのは意味不明。 独占=非競争だから、競争を抑制することが独占を生む、と言うべき。 競争が社会的余剰を最大化する点での均衡をもたらすから、競争を阻害するような行為を法で禁じているわけだし。 >>840 反証を求める前に、正しさの証明が必要だと思うけど 文系の修士は鼻もかめないけど博士号はさすがに色々と 声がかりはあるみたいよ。むろん当人にとっては不本意な ポスト(Fラン大の講師等)が大半だろうけど >>848 小泉時代に持株会社=ホールディングスを認めてしまったから 株式の奪い合いが始まった 1%でも持株が多ければ勝者全取りの世界 現場の労働者は関係なくなる これが資本主義 市場経済とは言えない 株主の権利が法的に大きすぎるのだ ただしこれは昔からアメリカではあった これをカレツキやサミュエルソンやスティグリッツが分析した これでうまくいったのは市場が海外にもあり需要が多かった時だけ 需要が少なければ独占となり既得権の弊害だけが生まれる 競争は必要だがフェアな競争のための条件が整ってない ドルの覇権がその最大のもの 改善策としてはケインズの超国家通貨案バンコールしかない (ゲゼルの超国家通貨案IVAの剽窃だが) 経済学における独占、寡占、完全競争は 需要の大小が大きく関わる https://lh5.googleusercontent.com/-wKC2bQ16dT8/VOK09QSptwI/AAAAAAAAqtQ/mD1vfB4D6v0/s640/blogger-image-1089094960.jpg (サミュエルソン経済学より) 需要が多くないと完全競争にはならない (サミュエルソンは平均費用上昇を重視するが) 人口が減少する先進国ではこれは大きな問題だ 無理に海外進出をすることで失敗例も多くなる これらは政治学的アプローチだけでは不十分なのだ スウィージー『独占資本』もカレツキを参照していた カレツキの功績は独占度合い表す数式を明らかにしたことだ 資本主義万歳でも国家計画経済万歳のどちらでもない 検証可能にしたということだ 鍋島直樹論考 カレツキアンの経済学とカレツキの経済学資本主義の長期発展理論をめぐって https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshet1963/36/36/36_36_77/_pdf カレツキは, 資本主義経済においては, 寡占ないしは不完全競争が通常の状態であるということをかなり 早い時期から認識していた。「独占は, 資本主義体制の本質に深く根ざしているように思われる。自由競争は, 1つの仮定としてならば, 一定の研究の初期の段階においては有用であろう。しかし, 資本主義経済の通常の状態の 描写としては, それは単なる神話にすぎない」(Kalecki [1939]P. 252, ページは『カレツキ全集』(Kalecki [1990, 1991, 1997])による。以下同)というのが, 彼の一貫した見解であった。こうして彼は, 新古典派経済学における 完全競争という仮定の非現実性を衝いたのだった。 … この1938年論文において, カレツキは, 産業の多くの部門はしだいに寡占的となり, さらに寡占はカルテルへと展開 してゆくので, 集中が進行することによって独占度は疑いなく上昇傾向をもつであろうという見解を示している。さら に, 独占度の上昇の影響が原材料価格の低下によって相殺されつづけるのは必ずしも確実なことではなく, もしそうで ない場合には, 肉体労働者の相対的分け前は低下しつづけることになるであろうと言う(ibid, pp. 17-8)。独占度が歴史的に 上昇する傾向にあるというのは, 価格と分配の独占度理論を構築する途上にあった初期から晩年にいたるまでカレツキ が一貫して保持しつづけた見解である2)。 以下では, カレツキの独占度理論の代表的説明と一般に見なされている『経済変動の理論』(Kalecki [1954]ch. 2)に したがって, その理論的構造をみてゆくことにしよう。まず, ある産業における付加価値, すなわち生産物価値マイナス 原材料費は, 賃金・共通費・利潤の合計に等しい。ここで, 賃金総額をW, 原材料費総額をM, 総主要費用(賃金総額プラス 原材料費総額)に対する総売上高の比率をkで表せば, 共通費+利潤=(k-1)(W+M) という式を得る。これより, 1産業における付加価値に占める賃金の相対的分け前は, 次のように表現される。 w=W/{W+(k-1)(W+M)} ここで, 賃金総額に対する原材料費の比率をj で表せば, 次式を得る。 w=1/{1+(k-1)(j+1)} したがって, 付加価値に占める賃金の相対的分け前は, kに反映される独占度と, 賃金総額に対する原材料費の比率で あるjとによって決定されることが分かる。さらに, 製造業全体に占める特定の産業の重要性の変化を除去するような 調整を行なえば, 製造業全体についての公式を得ることができる。… >>852 アベノミクスみたいに政府・日銀・年金の持ち株数を増やしそれ故に多額の配当を要求したら。 >>856 生計のために博士号とるならまだしも研究活動の足がかりとして ポストを持つというのは悪い話しではあるまい。マル経でとりあえずポストを 確保して、あとは好きなだけ政治活動なり市民活動になり反日活動なり励めば よろしい(´・ω・`) 外国人技能実習生、黒人、シリア人拒否、閣議決定、アジア人はOK 【嘘HK】 放射能と無関係を装って「心筋梗塞激増」 http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhk/1541301264/l50 < < < 東 日 本 大 虐 殺 で は ? > > > 2008年 12808万人 + 5万 △ 2009年 12803万人 − 5万 ▼ 2010年 12806万人 + 3万 △ 2011年 12780万人 −26万 ▼▼▼ ▼▼▼▼▼▼ 2012年 12752万人 −28万 ▼▼▼ ▼▼▼▼▼▼ 2013年 12730万人 −22万 ▼▼▼ ▼▼▼▼ 2014年 12709万人 −21万 ▼▼▼ ▼▼▼▼ https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a618afaa0113f2a33fbc495f48a2b8c4 【アマルガム】 有毒廃棄物として処理される水銀を、口の中ならOK、と歯に詰めた歯科医を逮捕すべき http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1544495072/l50 >>859 Fランでさえ現代経済学の講義が多くマルクス経済学の講義は少ない。 非常勤でさえ相当な倍率。 >>484 意味不明ではない。方法とその帰結を区別すればいいだけ。 競争は競争の帰結まで責任をとらない。競争の帰結が競争の促進になるとはかぎらない。 マタイ効果(マシュー効果)を考えれば容易にわかること。 ちょっと考えれば分かりそうなものを。 第一に、競争というのは競争者間の平等(フェアな関係)を前提にしている。 一方が戦車に乗りもう一方が裸で素手で闘う格闘技の結果はやらなくてもほぼわかる。 独占というのはこういう状態を指していることはわかるよね? 第二に、利己的な主体はそもそも競争を好まない。むしろ独占を好む。 利己的な主体が目指すのは永続的な競争関係ではなく、自らが独占者・独裁者になること。 競争関係の中でできるだけ優位な立場に立って、自らの支配を貫徹することを目指している。 競争が必然的に格差を生じさせるとしたら、格差の頂点に立つものが独占を確保して 競争を終わらせようとするだろう。それが合理的な利己的個人というもの。 第三に、マタイ効果(マシュー効果)というのがある。資本主義はこれに貢献する。 そりゃ、差がつけば、だんだん加速度的に差はついていくものさ だけど、そりゃ、普通に所得の再配分でいいじゃないか 格差が悪いんじゃない。格差が固定化してしまうのがいけないんだ。 自然放任主義は、長期的に見ればまちがいじゃない 格差が広がって、1%の金持ちと99%の貧困者に分離したら、購買力のある一般市民が育たないから資本家も没落する。 結局格差は是正される しかし、それでは時間がかかりすぎるし、そうなる前に対策をとらないといけない そのために累進課税と相続税がある 世の中は不平等に見えても、けっこう平等にできている なぜならば、成功者は必ず嫉妬を買うからだ 嫉妬を買う以上、貧困者からの攻撃に晒され、いやがおうにも格差是正に協力せざるを得ない 社会というものはそうやってバランスがとれているんだよ 自由主義経済で競争性と生産性と効率性を高め、政治で所得を再配分して貧困者の嫉妬を抑える これで充分対処できたし、これからも対処できる マルクス経済学は経済学だけで考えるからおかしな方向に行くんだよ 社会には経済的要素以外にもさまざまな要素があって、それでバランスをとっているんだ >>852 事業持株会社はずっと前からあったし、純粋持株会社を認めたのも小泉政権期ではないよ。 大株主が会社を支配できるのも、株式会社そのものの特徴だし… 「競争」において重要なのは、財・サービス市場での競争であって、企業所有者が分散していることではない。 ちょっと問題を混同しているようだね。 >>854 その図で示されているのは、個別の財・サービスへの需要供給なんだよね。 人口減少云々というのは総需要総供給の話だから、これは全くの別問題。 >>854 その図で示されているのは、個別の財・サービスへの需要供給なんだよね。 人口減少云々というのは総需要総供給の話だから、これは全くの別問題。 >>870 日本でも地方は人口減少で需要が減りそれがさらに供給不足を生む負のスパイラルに陥っている それを一般均衡で見るから矛盾が見えなくなる 同じことが世界的規模で起こっている >>868 正確には純粋持株会社と書くべきだったがホールディングス、ホールディングカンパニーで理解できるはず 金融ビッグバンの一環で1997年に解禁された 以下wikiより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E6%A0%AA%E4%BC%9A%E7%A4%BE 日本では、戦前の財閥本社が純粋持株会社の形態を採っていた。しかし、戦後に制定された過度経済力 集中排除法によって財閥解体が行われ、また、独禁法によって、持株会社たる会社の設立及び既存の 会社の持株会社化が禁止された。その後、金融ビッグバンの一環で1997年に同法改正によって 純粋持株会社が解禁された。 個々のノードが見えなくなるのは実はマルクス主義の欠点でもある 敵に対抗するために敵と同じ構造を持ってしまうのはよくあることだ カレツキは国家計画経済の側にいたが両方の視点を持っていた マルクス主義の方が個々の事例に細かく対応できると思っていた 資本主義下では経済危機には労働者解雇で対応するしかないが マルクス主義下ではワークシェアが可能だと言うのだ カレツキはさすがにワークシェアという言葉は使っていないが ケインズに批判されたピグーとは別のレベルで厚生経済を考えていた >>867 お決まりのトリクルダウン・セオリーかいw それらの負のフィードバックは競争市場から半ば必然的に帰結するの? 資本家同士も競争しているならば、ある資本家が労働者報酬を上げる選択をすると それがその資本家の利得になればいいが、競争市場はそうはならないんじゃないか? むしろ労働者報酬を上げない選択をした資本家の利得になってしまう。 そのほうがよっぽど有り得そうな市場競争ゲームの帰結だが。 >>876 資本家は労働者0で儲かるなら究極のAI・ロボット化をする。 >>876 賃金を上げない選択をした企業からは、労働者が離れていく。 賃金を上げすぎると企業の利潤も少なくなってしまう。 だからその中間として、賃金は労働者の限界生産性によって決定される。 市場競争が十分に働けば、労働者はその働きに見合った賃金を受け取ることになる。 >>877 労働者が不要になれば、国民総資本家の時代になるかもね。 まあ労働者がゼロ、ってのはそうそうないだろうけど。 川越敏司が「行動マルク経済学の可能性」(『されどマルクス』2018所収)脚注で指摘していたが、 デヴィッド・ハーヴェイは『資本主義の終焉』2017(Harvey,David:Seventeen Contradictions and the End of Capitalism 2014)第2章でゲゼルを引用している。その引用箇所は以下、 《 貨幣は国家を必要とする。国家なしには、いかなる貨幣も考えられない。否、貨幣の導入とともに国家建設が始ま るとも言うことができるだろう。なぜなら、貨幣は人民のもっとも自然な、そしてもっとも強力な結合手段になるか らである。実際、世界ローマ帝国を強固に結合させたのは、ローマの軍隊によるよりもローマの貨幣によるものだっ た。だが 金鉱や銀鉱が枯渇し、もはやいかなる錛貨の製造がなされなくなった時、この世界帝国は崩壊したのだっ た。 貨幣の不可欠性と貨幣に対する国家監督の不可欠性ということから、国家は貨幣に対する無制限の権力を手に入れ る。国家のこの無制限な権力に比較すれば、鋳貨の金属含有量による保証などといったものは風によってすぐに吹き 飛ばされてしまう塵芥の如き存在でしかない。 それゆえに、貨幣に対する国家権力の誤った使用がなされた場合、貨幣素材によっても貨幣を守ることができない。 それは、国家の憲法を書いた羊皮紙をもちだしても独裁を阻止できないのと同じことである。 貨幣をいかさま師、詐欺師そして盜賊から守ることができるのは,国家と権力者(独裁者ないし国民議会)の意志 だけである。それは、もちろん権力者が自らの権力を目的意識的に使用するという前提条件のもとでしかない。しか しながら、残念なことに、これまでそのような前提条件がみたされたことはどこであれ一度もなかったのである。》 邦訳ゲゼル『自然的経済秩序』263~4頁 http://www.naturalmoney.org/NaturalEconomicOrder.pdf 英訳81頁 ハーヴェイはゲゼルが『自然的…』冒頭でプルードンについて書いた部分も読んでいるはずなので、その反応が知りたい。 『資本主義の終焉』#13でプルードンはその他大勢として名が挙がるだけである。 >>885 訂正→いかなる鋳貨 川越論考はマルクスの可能性を開くもので興味深い。川越はマルクス『経済学批判』を引用している、 《「 貴金属の高い価値比重、恒久力をもち、相対的意味では破壊されず、空気にふれても 酸化しないという性質、とくに金のばあいは王水以外の酸には溶解しないという性質、こうし た一切の自然的属性が、貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料たらしめている。だからチョ コレートが非常に好きであったらしいペテル・マルティルは、メキシコの貨幣の一種であった 袋入りのココアについて、つぎのように述べている。『おお、いみじくもよき貨幣よ、おまえは 人類に甘美にして滋養のある飲物をあたえ、その罪のない所有者を、貪欲という業病から まもってくれる。なぜならば、おまえは、地中に埋蔵されることも、長く保蔵されることもでき ないのだから。』」[『新世界について』《アルカラ、一五三〇年、第五編、第四章》] (マルクス1956[岩波文庫『経済学批判』]、第5章4節、202~203ページ)》 これについて川越はこう述べる。 《つまり、メキシコではココアのような耐久性のない財が貨幣として用いられており、それが 貨幣蓄蔵という貪欲さへの抑止力となっていたことが指摘されている。実験においても、非耐久財が 貨幣になる可能性があることが示されている(川越2003☆ ; Kawagoe 2009)。》『されどマルクス』94頁 ☆ 『現代の金融と地域経済 下平尾勲退官記念論集』所収 「非耐久財は貨幣となりうるか?実験研究によるアプローチ」川越敏司 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read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる