>森沢氏のやり方は間違いなくもっとも効率的な部類に入ると思います。

疑似英語を教えている、つまり試験英語を教えていると言っていた。

メールの中で、森沢はこう言い訳をしている。

森沢洋介:まずは英語学習についての私の考えをもう一度申し上げます。

一定の年齢に達してから外国語を学習する場合
母語と全く同レベルに習熟することは不可能と私は考えております。
話の便宜のためこの場はその外国語を英語とさせていただきます。

母語の日本語が確立し、その後学齢期を過ぎた後に、
英語をいわゆる第二 (あるいは第三、四、…) 言語として習得する場合、
どれだけの学習・訓練を経て上達しても、
学習者の使う英語は、程度の差こそあれ、母語話者のそれとは異なったものとなり、
また外国語としての限界内にとどまり、様々な制限が伴っていると考えます。
またその獲得プロセスも・方法も母語とのそれとは違うものと思っています。

「疑似英語」という言葉ですが、私はこれをある達人から伺い、その後自分でも使用させていただいているものです。
英国の大学を卒業され、長く英語圏でお仕事をされていたその方の英語は軽い日本語のアクセントは残っているのものの、
私からすれば聴く・話す・読む・書くすべてにおいて母語並みと映りました。
そこで、その点についてお聞きしたところ、「日本語並みなどとんでもない。コミュニケーションの道具としてはほぼなにも不自由はないものの、
母語を使う感覚とは随分と違う。自分の英語はネイティブの英語とは違う一種の疑似英語なのだ。上等な疑似英語ではあるが」と仰っていました。
私にとっては目指すべき方向を示してくれた非常に印象的な言葉でした。