>>211
とんでもない。

まともな日本語を知らない、英語の会話が全く出来ない、標準スピードの英語が聞き取れない伊藤和夫にあの訳文は絶対に書けません。

とにかく伊藤和夫の和訳と称するものはやさしい内容のものを除いてほとんどがまともな日本語になっていません。だから翻訳家に訳文を直されているのです。

佐々木高政の英文解釈考を読むとよく分かりますが、伊藤和夫という人は言葉の表面の意味しか関心がなかったようで、言葉の響き、語気、語勢といったものにはまるで鈍感だったようです。
英文解釈考を読めば微妙な表現の機微まで知ること、語学の勉強でそこが一番大事なところだということが実感できます。

伊藤和夫が英作文の本を一冊も書けなかったこともそこに起因します。あの方は生涯、英米人に見せる自信のある英文が書けなかったのでしょう。
原書を読む時に意味が分かればそれでいいという上っ面だけの読み方しかしていなかったから、言い換えれば自分で英文を書くつもりで本を読む、英作文的読書をしていなかったから、こういう時にはこういう言い方のほうがピッタリくるという語感が備わらなかったのでしょう。

あの方が母語で書いた解説を読んでもそれを感じます。解説文が生硬な漢字語を連ねた単調で味気ない、リズムのない文章になっている。
それでは堅過ぎるという自覚はあったのか、生徒との対話文形式にしたものもありますが、やっぱり実際の対話ではなく自分の頭で捻くり出したものだからつまらない、そんなこと誰も考えないよという変な話の展開をしている例が多い。

言葉の第一の目的は伝達ですから論理が重要なのはもちろんですが、言葉は音声、響き、リズム、語感も重要なのです。