>>454
いやいや、確かに限度や臨界期はあるけど、
それは母国語(母語)でも一緒で、
言語(語学)である以上、全く習得できないということはない。

明確に素質が出るような運動、よりによって努力でどうにもならない球技とは違うでしょ。
もし「語学にはセンスや才能、素質が必要」だとするなら、
ネイティブだって英語は出来ない、日本人だって日本語は出来ないことになる。

ただし日本人でも方言が抜けなかったり演歌歌手のこぶしが抜けなかったり、
簡易辞書に載ってないような難しい単語(例:誤嚥)は知らないとかある。

ただ、知的障害でもない限り(アスペルガーなどの精神障害は、言外の意味を汲めないだけで、日本語自体が通じないわけではない)、成人が「全く会話にならない」「公立高校の国語入試で半分取れない」
ということはまずないだろう。
つまり、少なくとも中学レベルまでなら語学に才能や素質は関係ない。
「空気が読めない、この人には会話が通じてない」という場合でも、言葉そのものが通じてないわけではない。

ドラゴンボールのコピペを日本語に置き換えてみると、
小学生にドラゴンボールを読ませたら、
「ラディッツは悟空をポアするために地球に来た」
と解釈する小学生はいるだろうけど、
それは解釈力が未成熟なだけで、日本語自体が読めてないわけではない