フランシス・ベーコン/Francis Bacon
スレないんですね
フランシス・ベーコン展(東京国立近代美術館、2013月3日8日−5月26日)
http://bacon.exhn.jp/
The official website of the Estate of Francis Bacon
http://www.francis-bacon.com/
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/フランシス・ベーコン (芸術家) 人間の内面を描いたものやその時受けた印象を感情的に描いた作品は好きじゃないですね。 いま、NHKの日曜美術館でベーコン展やっていた
大江健三郎、浅田彰の解説も面白かった!
俺は絵は素人だが、神を信じられなくなった現代で、
肉体が慄き叫ぶ、重量感ある確かな現実を表現していた。
ピンク色の色調や三習作構成も不思議に違和感なく美しい。
この画家が日本に生まれていたら評価されただろうかと思った。
生まれるわけないが・・・! 中原昌也が芸術新潮のベーコン特集で
「日本の現代美術がダメなのはなんか頓知の勝負みたいになってるから」
って言ってて膝を打つように納得したな >>199
ベーコンはダブリン生まれって所からも
カソリック文化の影響が強い地域で生まれ育った結果がああいう作品群になったのだから
日本に置き換える事じたいナンセンス。
教皇の肖像をモチーフにいてるのはもちろん、
額の黄金色も、3つのカンバスを並べる手法も、
キリスト教絵画の慣習をなぞってるんだろうし。
なんでもかんでも「日本なら・・・ダメだよね〜」
と単細胞に言わずにゃおれない思考じたいが
基本的な知識も無く、ちょっとした資料からも情報を読み取る力の無い
団塊世代が広めたアッタマ悪りぃ悪習なので、
そういうものからあんたが早いとこ解放される事を願うよ 別になんでもかんでもとは言ってないのに
なんでもかんでもと言ったことにしたいその意図はよくわかるよ なんでもかんでも「団塊世代が〜」と
単細胞に言わずにゃおれない思考からは
解放されたくないよね
居心地いいもんね 日曜美術館
リンチのBGMがまたベーコンの絵に妙にマッチしてたな >>206
おっと
反論できないやつの常套句出ましたね >>200>>206
おまえ、被害妄想が過ぎるぞ!
>>202ー203は別人だツーノ。
199より 芸術新潮を立ち読みでベーコンへの知識を深めようと考えたけど、
既に新刊の一角獣に入れ替わってた・・・OTZ
貧乏くせい。買いなさいって? >>211
俺はよくも悪くも軽い紹介や宣伝にしかなってないと思ったわ
ただ大きめ写真だけでも作品が20枚以上載せてあったのは良かったかなと >>211
まずは近美で見てこいよ
自分も色々情報集めて知識詰め込んだけど、感じるか否かが全てだ
どんなに理解しようとしても感じなきゃダメ >>213
可愛い女の子以外は、俺に説教染みた事は言ってはいけない。
勿論、展覧会開催直後に一度見に行ってるんだよ!! 女は哲学・芸術ができない。歴史的な哲学家や芸術家は9割以上男だが、これだけで説明は十分だ。
自己を除けて思考することができない感情生物に、人間の本質や世界の原理を実感することはできない。
動物は無知な主観で生きていると云われるが、まさしく女は自分の殻というシャボン玉の中で
テレビと恋愛と痴話に明け暮れて人生の大部分を過ごしている。子宮でものを考える=原始的、即ち動物に近いのだ。
動物は生態系を乱さない、といえば聞こえがいいが、それ以上の価値には決してならない。
「男は獣」それもある観点に立てば真実だが、厳密には「獣」という重い鎧をまとって戦わなければならない立場を、賢い女は察しようとする。
皮肉なことに、世界で戦争が少なくなると女の声が大きくなり、男が女々しくなる。
人間の維持には女は欠かせないけれど、男はその声を聞いてはいけないのだ。
昔の人は偉かったと云われる所以はそこだ。
極端な男尊女卑構造の社会も、それぞれがそれぞれの役割・立場を正しく理解できていたからといえよう。 人間の維持には女は欠かせないけれど、男はその声を聞いてはいけない。
これはまんまファンとアーティストの関係。
フォロワーがいなければアーティストは成り立たないが、創造活動自体をフォロワーの意見に委ねてはいけないのと同じだ。 ここ数年行った展覧会で俺が最も凄みを感じた画家は上村松園だがな ベーコン特集、芸術新潮のサイトでは在庫切れだったけど、
本屋で注文することができた >>225
よかったね〜
なかなか読みごたえあったよ。 ベーコン展の入館者の平均年齢って、かなり低くないですか?
高齢者殆ど見かけなかったんで ベーコン展は30年ぶりだね
昔は変態中堅作家だった。 やっと頼んでいた芸術新潮届いた
これで図録と合わせて読破すれば、ベーコン通になれるかな 今、図録を眺めながらベーコン展の余韻に浸ってるのだが、
やっぱベーコンを理解するのは難しい ベーコンって下手くそだかんね
女ってバカだなと思ったわ
芸大卒の日本画描いてる女がベーコンが上手いとか言ってたわ
ベーコンは好きだけど、上手くはないと思ったの
そういうレベルで戦ってないでしょ
ほんと日本の美術って死んでる〜 >>234
上手いにも色々あるだろう。
実際、ベーコンの絵具の使い方は上手いと思うよ。 >>235
上手さ=良さみたいなことでもあるから、私だってベーコンは良いは良いと思ってんの
だけどその人は古典を踏まえてる上手さとか、デッサンの上手さとかタッチの上手さとかそういうこと言ってた
嘘だろってのは明白 その人の言いたいことはなんとなくわかるかも
俺もそういう意味においても下手だとは思わなかったし
やっぱりベーコンも西洋の人なんだなと思ったよ 習作だから仕方ないのかもしれないけど
有名な教皇画の縦筋はもっとスパっときれいに描いてほしいと思うわ >>238
習作といっても完成形とは称さないだけのもので、別に何かが劣っているわけではないと思うけど。
縦筋がすぱっと・・・はあまり想像できないな。 > 古典を踏まえてる上手さとか、デッサンの上手さとかタッチの上手さとか
その通りじゃん
知ったかで否定すんなって。。 ガキの喧嘩か!
上手下手とか、それ自身が意味が広い尺度持ち出して、ケチつけんなよ
ベーコンじゃなくて、尺度の解釈の問題にすり替えてるだろ よくいるよな、こういう高校生みたいな屁理屈言うヤツ
下手だからダメだと言うなら、ここに来なきゃいいのに、
単なる暇つぶしだろうな > 古典を踏まえてる上手さとか、デッサンの上手さとかタッチの上手さとか
1番目と3番目は完全に同意。
その芸大卒が正しいと俺も思う。
デッサンは、いわゆる芸大入試基準みたいな考え方からすれば上手くはないが、上手い下手の尺度を変えてみれば、そうとも言えるだろうなと思う。
どうしてその芸大卒の意見を否定したがるのかさっぱりわからない。 俺はベーコン展最後の部屋
あのダンサーの展示は蛇足だったと思う
あそこは同時代の作家にして同じく身体をテーマにした
河原温の浴室シリーズを展示すべきだった
近美が全作品持ってるんから うーん、なんか学芸員の妙な解釈で
別のものくっつけるとか基本まったく要らない。
どうせ日ごろから熱心に研究してる学芸員なんて
日本にもうい居ないんだから
そんなことせず
ただ作家のもの時系列に並べて
カタログに学者に原稿依頼すればそれでいい。 だからさベーコンは下手じゃん
ベーコン嫌いじゃないんだよ?むしろ大好き
でも古典絵画のリファーとか、デッサン、タッチの上手さでベーコンは語れないでしょ
それでしかないなら他の画家のが上手いし、はっきりいって三流以下だと思うけどね
下手さを認めなないならベーコンを見くびってる気がする ベーコンは魅力的なんだけど、今回のベーコン展はなんかいまいち魅力が感じられなかったんだよなあ >>247
こいつが言ってる上手い下手、
他の人たちが丁寧にコメントしている尺度との違いがわかんないだろうな
そりゃ、噛み合わないな >>249
尺度、基準だけを問題にするなら全ての画家が違う尺度を持ってるでしょ
それでいいなら話にならないじゃん >>250
?
全ての画家じゃなくって、おまえだろ(笑)
そんなことだから、もう話を辞めろっていわれてんだよ、アタマ悪いな >249
> 全ての画家 X→人によって尺度が違う ◯ だな
しかも「尺度、基準だけを問題」になんかしていないし、
二重に誤謬があるな 多様性なんてあげつらって何も言えないわ、あんたらも
わかるでしょ
ベーコンはアカデミックな美術教育は否定してんよ
その否定の否定をしてんだよ、あんたらも
ベーコンなめんなよ
ベーコンは下手くそだよ ミケランジェロやダヴィンチ、ラファエロなど
西洋古典絵画の伝統における技術≒上手さという面では
そりゃベーコンは「上手」というよりは「下手」に近いのかも知れんよ
「正統な美術教育」を受けてないベーコン自身も認めてる通りにね
ベーコンにミケランジェロやラファエロみたいに描けと言っても描けないに違いない
しかしベーコンはピカソらに影響を受けつつも「新しい戦慄すべき美」を生み出したのだよ
それは何やら狂気めいた、崩れゆきながらも粘り留まり続ける生(性)と死といったような(これは俺の個人的な感じ方に過ぎんが)もの、
こう言ってよければ現代的、もしくはそれとは正反対にこれまでの長い歴史において培われてきた人間観の裏側に実は秘められてきた、
ある意味、原初的すらと言えるかもしれない観念(「人間とは怪物である」これも俺の個人的解釈だが)を露骨に感じさせるに至る、
それこそまったく「新しい技術(≒上手さ)」をね
たった一つ例を挙げてみれば人間の顔を異様な生々しさで歪ませる変形の技術
あれはまさしく圧倒的に「技術」であり「美術」であるだろう
それを編み出し自身で完成させたのはベーコンだ
もし前出の西洋伝統絵画の巨匠たちがこの現代に生まれたとしてベーコンのような技術と美術を生み出せたかどうかは疑わしい
しかしだからと言って何なのだ?
そしてそれと同じようにベーコンがそういった「巨匠たち」の伝統的技術に劣るからと言ってそれが何なのだ?
ベーコンはアカデミックな技術を修得してない、下手だ下手だ、おまえらそれを認めろ、クソ信者どもが
と喚いてる君は実際のところ何が言いたいんだ?
何をそんなに主張したい?
アンタこそベーコン絵画を支持する者を甘く見てナメてるんだよ 面倒だから早めに指摘しておこう
美術にそこそこ通じてる者(単に鑑賞者、愛好者としてでも)なら
ベーコンを西洋絵画の伝統的技術において優劣で云々するなんてナンセンス極まりない、って
大抵わかってるものなんだよ
いやもしかしたら昨日今日ベーコンを知ったような「ド素人」でもそれは容易に感づくことかも知れない
それこそ今回のベーコン展で時折見かけた「ベーコンってなんざましょ?」みたいな、
暇を持て余したセレブの御婦人(これは俺の完全な偏見)でもな
しかしそれを君は芸大出だか何だか知らんが
そしてそれをどんな自信にしてるのかどうか
「ベーコンの絵に惹かれる者たち」あるいは「ベーコン信者」の「学識」やら「感性」をナメてドヤ顔で
「おまえらベーコンベーコン言ってるけど(西洋の美術の歴史の中では)ベーコンの技術なんて大したことないよ?下手だよ?
それも知らずに何ベーコン持ち上げちゃってんの?ww」
って見下したいだけなんだろうさ
実に2ちゃんねらーらしくチャチな虚栄心と薄甘い勘違いによってな
芸術は基本的に「理解する」以上に「(どう)感応するか、しないか」に俺は尽きると思っているが
ここで「ベーコンがわからない。理解したい理解したい。」と言ってる人はアンタに比べればよほど清々しく真っ当だと思う
ベーコン好きを「素人」扱いして、暇を持て余してチャチな虚栄心を満足させようとするアンタよりな
まったく泣かせるぜ まあ、彼には下手=脱構築かも知れないし、
俺には感性を揺さぶる再構成=上手いだ。
さて、もう一回行こうかな、、 描いた本人が犬の糞だと明言しているのに何故神学論争がw いや犬の糞だって十二分に神学論争に値するものだと言った方がいいかな
存在とか宗教ってそういうものさ
ベーコンが「犬の糞」という表現で何を示唆、象徴させようとしたか考えてみればまた尚更な 神学ってちょっと学ぶだけでもけっこう面白いよね
ただ原初キリスト教は別にして
中世の教会を中心にした正統性争いは驚くほど非宗教的で単なる政治的権力争いにすぎなくてくだらなくて
そんなのが多大な血の犠牲を生んだんだからガクッてなるよなー
それがカール・バルトによってキリスト教はなんとか救われたけどもね ただの謙遜だろ>犬糞
その道の職人がまだまだ若輩者ですとか言うのと同じ >>255
芸術が感応につきるというのは、それはそうだけど、なら最初から黙ってなよって感じだわ
一番悪いのはただ感応することと何かを対立させて、感応さえしてりゃいいみたいな話のもっていき方ね
私が問題にしてのは、やっぱりそういう批判空間の問題
ヤン・ファン・エイクのタッチに通じるものがベーコンに見出だせるとしても、それを上手いとか気持ちいいとか言っちゃいけないでしょ
けっきょくバカみたいな常套句ふりまいてるだけで何も言えない。日本の美術家はみんな彦麿呂レベルかっての
ゴッホをリファーしてるとかいって、全然ゴッホじゃないのがベーコン
100歩ひいてエン・フォン・エイクに似てるとしてもエン・フォン・エイクが下手くそか、似てることがベーコンにとっての欠点だとか持って行かなきゃ批評じゃない ここで誰がそんな風に上手いって言ったよ?
おまえが勝手に外から持ち込んできた話でもって
あたかもここの人間も同じように考えてるように勝手に思い込んで問題化して
一人で無駄にわめき散らしてるだけじゃねーか
そういうのをマッチポンプっていうんだよ 最初からベーコンの絵画にしか興味ないけど
肯定的にベーコンは下手くそだって思っただけ それは一種のポーズでそう言うことによって何が本当の狙いなのか
それはまた別のところにある
そのチンケな動機よくわかるぜボーイ >>263 違うよ
例えばコンピューターOSやプロダクションスイートアプリケーションソフトを使って自主製作作品を創作している最中に
到底受容できない程度に拙く且つ極度に定型的に感じられてしまう表現しかできない作成または編集機能を発見した際に
そのソフトやコンピューターの箱がどの様に見えるかであり
ベーコンは而してその様なソフトや箱を作ろうとしてたんだよ
つまりお前ら一遍傍らに居る誰かを面罵して殴り倒してそいつの顔の上に跨がって口にお前の糞をひり入れる度胸も無い癖にオカマのオナニー覗いて持ち上げてんなお前の事だオカマ野郎って主旨
竹橋の展覧会のビデオでも金払った鑑賞者にデカい面でそう振っ掛けてたけど
あれ羊たちの沈黙作る時にアンソニー・ホプキンスがパクったんじゃないかと思う程の見る者への侮辱映像だよw 到底受容できない程度に拙い日本語に関しては
もうちょっと推敲してもらえんか バカがイキがりたがってるだけなんだから
思う存分やらしてあげようよ >>272>>273 あーっとそうだそうだwこの間の竹橋の展示見たんなら、土方巽のビデオ見た感想も書いて欲しいなw 日本の現代作家(いや海外も)についてはまったく詳しくないが
有名どころでも村上隆も奈良美智も好かねーな
御両人とも実に見事な戦略家だとは思うけどね
あ、会田誠は昔好きだったけどなー・・・最近は好かなくなってきた
いわゆる直系の美術畑の人間ではないけど
ここ数年で、正にこの現代のこの俺たちが生きる世界の「不穏で窮した何か」を感じさせられてグっときたのは中原昌也の絵くらいだよ
今年の初め頃に個展だか何だかやってたらしいが全く知らずに行けなくて後悔してる そこそこ近代の日本人なら
上村松園と速水御舟が好きだね
特に御舟が晩年に到達した境地は凄い
あそこで死ななかったら更にどうなってたか興味深い すごいスレちがいだらけだな
長文は仕方ないとしても、
もうちょっとマシなこと書けよ
ベーコンに笑われてるぞ ベーコン論でおすすめある?
ドゥルーズくらいしか知らない フェルメール、ゴッホ、レンブラント、ピカソ、ベーコン
唐突ですが、ここにいる皆さんの感性でこの5人を才能順に格付けしてください。 ピカソ>フェルメール>ベーコン>ゴッホ>レンブラント
なんかと新しいことをしたんじゃないか順 >>283
何の才能順?
ピカソみたいな絵を描く才能?
難しいなあ >>284
参考になります。ありがとうございます。
>>285
どれだけ深く芸術の本質に触れているかという観点でお願いしたいです。 「フェルメールの追究した芸術の本質」に
ゴッホがどれだけ深く触れているか?
誰も知らんわそんなもん >>283
ほんと唐突だし、才能による格付けとか、どうして格付けできるのか?
まずはあんたが考える、格付けを述べるのが筋だろ 私の考える芸術の本質とは、どれだけ無私の状態で表現(有私)ができたかだと思います。
そう考えると、晩年になってやっと子供のような絵が描けるといったピカソの意識領域もある程度察しがつく。
現代の美術系大学の凡庸たちには魂がない。ただのボンボンの洒落の出し抜き合いを私は芸術と呼ぶ価値がないと思う。
ベーコンは、恐怖や不安による歪みを描き出したと云われていますが、これも人間の潜在意識下、本能的機能による感情のゆらめきなので、
ベーコン固有の感性そのものではなく、それはあくまでスパイスというだけで、描き出したいのは共通の解釈ができるものなんです。 私には学がなく、外に出ると恐怖と不安で何回も発狂してきましたが、そういう意味でベーコンの言いたいことはよくわかるんです。
私はすでに成人していますが、心はすでに子供に回帰しています。
しかしそれを描き出す術をもたないから、芸術にはなりえないというだけで、実はそのために名を残し損ねた前例はたくさんいるんじゃないかと。
上の5人はあくまで自分の見た世界をトレースする技術に精通していたというだけで、悟りをひらいたお坊さん(無私)の見た世界のほうが本質的には上なのではないか。
創造について考えるとき、どうしてもそう思わずにはいられないのです。 会田誠と脳科学者が会談してるのを見て、人間が何をしたいのか、どこを目指してるのかって事がピンとこないのならもうオワコンでしょ。
255さんの言うように、伝統的技術の巧緻など所詮表層的な要素であって現代においては懐古主義に等しい。
もっともその技術すらも本質をとらえるのに最も求められる技法だったと説明されればそれまでですけどね。
まあ、「実に2ちゃんねらーらしくチャチな虚栄心と薄甘い勘違い」によってこのスレは進行しているようで、安心しました。
中身がないから上辺を飾る、くらいは大人なら誰でも知っている、本当にそうでしょうか?
ボンボンの芸術家評論家気取りってのはその程度の感性なんですよ、悲しいことにね。
アカデミックの洗脳体、その呼び名にふさわしい連中である。 >ただのボンポンの洒落の出し抜き合いを私は芸術と呼ぶ価値がないと思う
まったくね
そういう人達は絵を描く技術的才能には元々恵まれていて(おそらくは子供の頃は同時に多くはそれなりに感性的才能にも恵まれていたに違いない)
それをもってして芸大やらあるいは独学で「芸術の道」に進みいろいろ学んだり創作したりして一部は実際「アーティスト」と呼ばれる人になれたかも知れないけど
結局、「描くべき何か」を見出すことができなかった人達、
「自分でも何かよくわからないけど描かざるをえない何か」にとうとう切迫されずに済んでしまった人達、なんだろうね
だからなんとか「アーティスト」であり得るために「洒落の出し抜き合い」でアートの遊戯に興ずるしかない
中原昌也がベーコン特集の芸術新潮で
あえてというかわざと乱暴にひとくくりに
「日本の現代美術がつまらないのは、なんかみんな頓知で勝負みたいになってるところだと思うんですよ」
って言ってるのはつまりそういうことなんだよ
そういうものは「現代美術」というより「現代アート」なんて呼ばれることが多く
また実際そう呼ばれるに相応しくせいぜい空しくいい気になって命脈を保っていりゃあいいと思うけどね 才能や感性しか問題にならないけど、だからって何もしないことが肯定されるわけないだろ
観るにしろろ語るにしろ描くにしろ