抽象絵画を鑑賞するスレ
解釈、感じ方が人によって大きく異る抽象絵画
感想を勝手に書き込んでってください 「衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある」 そうそう、“善の研究”には、宗教や神について章がもうけられていました。
サルトルだったか、
知覚、概念、イメージを比較しているくだりがあって興味深かった。
パレットナイフと5色のアクリル絵の具による“引き潮”。
イギリスではターナーが近代絵画の父のような存在なのでしょうかね。
https://twitter.com/EdgeArtist/status/1270659907772133376?s=19
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 西田は「善の研究」を1911(明治44)年に発表、その後
「絶対矛盾的自己同一」を1939(昭和14)年に発表。1945(昭和20)年死去。
サルトルの「存在と無」は1943(昭和18)年か。
クリスタン・バガリー、イギリス・イングランド中部シェフィールド生まれ。
かなりターナーの影響が強いスタイルですね。
ピーク・ディストリクト国立公園のダークピーク地区、北コーンウォール海岸の自然に強い関心があり、
ミクストメディアとしてハリエニシダ、ヘザーなどの植物、グリットストーンの破片など
当地の素材をキャンバス上に混ぜ込んでいるようです。
とてもイギリス人らしい作家ですね。イギリスではよく売れているらしい。
(ヘザーは、イングランドとスコットランドの国境に位置するボーダー地方で織られていた粗剛な綾織のことも指す。
ヘザー・カラーと呼ばれるその多色配色は、イングランド、スコットランド、アイルランドの自然の草花の色調。) また、構成にはターナーの影響があるが、技法的な中身が入れ替わっているとも取れますね。
イギリス人にとってターナーは半ば伝統のようなものなんでしょうね。
完全に抽象化せず地域固有の情報を画面に埋め込もうとするところに、
抽象が即グローバルにならない保守的なイギリス人の気質が表れているように思います。
司馬遼太郎が古神道について「古神道というのは、真水のようにすっきりとして平明である。
教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在す。」と書いていますが、
本来、神や抽象を感じたり表現したりするのに、すべての国境をなくすといった大工事は不要なのであり、
古くは洞窟、日本近世においては茶室、というような小空間があればそれは十分事足りるものでした。
このイギリス人も同じく、自分の生まれ育った土地から出ることなく作家活動をしているのは、
刻一刻と変化するダークピークや海岸の局地的風景から、宇宙的全体性を感じることが十分、出来るからでしょう。
ナショナリズムは定住性と結びついており(神道であれば稲作)、
グローバリズムは移住性と結びついているが、グローバルな全球的移動は、
禅的、あるいは西田的観点からは、ただの無意味とも取れます。そこでは、局在と全体が等価だからだからです。
そもそも、茶碗も絵画も、全体をのぞき込む局在の窓であり、遡ればこれらは祭壇のアイテムであり、
つまり定住文化の産物なのであって、置く位置とそのモニュメンタルな価値を手離すことができない。
グローバルに飛び回っているのはネットの情報だけであり、
実際の人間や都市、美術作品は依然として局在をその価値の根拠としているように見える。 全体性を希求するのは本来、情報や精神の領分ですね。
千と千尋の歌にも、海の彼方には もう探さない♪ とかありました。
高速鉄道やドローン、テスラのスペースXなどのインフラは、
言ってしまえば物理的に全体性を希求しているのだが、
物質自体、頑固な局在なので全球的インフラは必ず自重で潰れると予想しています。 ラーマクリシュナも、国や地域によって宗教が形を変えることを問題にしなかった。
局地的(相対)なものから、絶対(神)に至ることは可能であると。
ラーマクリシュナは他宗教への寛容さを徹底することをヴィヴェーカーナンダら弟子たちに説いた。
「宇宙の根本神は万能であるからして有形、無形のいずれの相をとっても存在できる。
時代・地域・民族の違いに相応した形式と教えを通じ、神は自己をさまざまに顕現する。
万神は唯一神の具現にして、万教は一真理の多彩な表現である。」 物質は個体的で局在的で相対的で重さがあり、常に全体性から疎外されている。
情報と精神は重さがなく軽々と全体を想起する。
物質的な重さやエネルギーが、どこかで情報と精神に入れ替わっているのではないか。
局在と全体の間を、重さやエネルギーという名のトンネルが繋いでいるのではないか。 ウェールズのスノードニア国立公園もいいね。
近くのエランバレーにあるダム群が良い。石積みの思想が日本と違う。 局在と全体は張り付いているのであり、人間も社会も局在の檻を逃れて全的統一に至ることは決してない。
抽象表現主義の画家たちは忘れられたりしないが、グリーンバーグが忘れられるのは自然の成り行きである。 西田幾多郎「世界新秩序の原理」より
「十九世紀以来、世界は、帝国主義の時代たると共に、階級闘争の時代でもあった。共産主義と云うのは、全体主義的ではあるが、
その原理は、何処までも十八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、
十八世紀的思想の十九世紀的思想に対する反抗とも見ることができる。帝国主義的思想と共に過去に属するものであろう。
いずれの国家民族も、それぞれの歴史的地盤に成立し、それぞれの世界史的使命を有するのであり、
そこに各国家民族が各自の歴史的生命を有するのである。各国家民族が自己に即しながら自己を越えて一つの世界的世界を構成すると云うことは、
各自自己を越えて、それぞれの地域伝統に従って、先ず一つの特殊的世界を構成することでなければならない。
而して斯く歴史的地盤から構成せられた特殊的世界が結合して、全世界が一つの世界的世界に構成せられるのである。
かかる世界的世界に於ては、各国家民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合するのである。
これは人間の歴史的発展の終極の理念であり、而もこれが今日の世界大戦によって要求せられる世界新秩序の原理でなければならない。
我国の八紘為宇の理念とは、此の如きものであろう。畏くも万邦をしてその所を得せしめると宣らせられる。聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である。
十八世紀的思想に基く共産的世界主義も、此の原理に於て解消せられなければならない。
世界的世界形成の原理と云うのは各国家民族の独自性を否定することではない、正にその逆である。
世界と云えば、人は今尚十八世紀的に抽象的一般的世界を考えて居るのである。
私の世界的世界形成と云うのは、各国家各民族がそれぞれの歴史的地盤に於て何処までも世界史的使命を果すことによって、
即ちそれぞれの歴史的生命に生きることによって、世界が具体的に一となるのである、即ち世界的世界となるのである。
世界が具体的に一となると云うことは各国家民族が何処までもそれぞれの歴史的生命に生きることでなければならない。
恰も有機体に於ての様に、全体が一となることは各自が各自自身となることであり、各自が各自自身となることは全体が一となることである。」 「世界と云えば、人は今尚十八世紀的に抽象的一般的世界を考えて居るのである。」
抽象美術も同じように考えている奴が多い。ただ還元的に統合的に扱っただけのものは抽象とはいわない。
局在と全体を生まれた場所でそのまま重ねることを抽象という。
アボリジニの絵はどこまでもアボリジニの絵でありながら即世界抽象である。 「世界新秩序の原理」は昭和18(1943)年頃のテキストだが、その内容は現代においても示唆に富むものである。
つまり、情報・インフラがグローバルに統合されるほど、個人・社会のあらゆる局在性と分断が露わになる
ということをあらかじめ予見していた書である。大拙の「即非の論理」も同じことを言っている。
そこからするとグリーンバーグの批評なんて的外れもいいところですね。
マネがモダニズムの起点だというのも間違っているし、建築、彫刻、絵画の切り分け方も間違っている。
間違っているから長続きしなかったともいえる。 デュシャンの作品は禅の公案そのもので、日本人の感性には馴染みのあるものである。
「禅が日本人の生活の中に根深く食い込んでいるというよりは、
むしろ日本人の生活そのものが、禅的である」鈴木大拙 デュシャンは現代でも生きているが、グリーンバーグは死んでいる。
それは何故か。デュシャンは大局的で、グリーンバーグは近視眼的だからである。
意味作用とは局在的現象である。「絶対」に意味は存在しない。
精神は意味を通じて絶対を局在化する。デュシャンはそのことを扱っているのだが、
グリーンバーグはそのループが断たれているので生命がないのである。 デュシャンのどの作品から、どのような考えを読み取ったのでしょう。 デュシャンの作品を、個別的にどうこう言うことも、批評することも、ほぼ無意味なんですよね。
逆にそういう意味のない分析や腑分けを延々とやって、元に戻せないのがグリーンバーグだともいえる。
それはともかく、デュシャン自身、レディメイドの定義を自分でもできないと言ってますが、
彼の真意が個別的な作品にないから、現代においても影響力が絶大なわけですね。
デュシャンは作品ではなくものの見方で現代美術を縛っている。
「見るものが芸術をつくる」というのはほとんど東洋思想と同じですから、
30歳代半ばで製作を放棄したのも、それの帰結なんでしょう。
飯田昭二もそういったデュシャンの考えからの変形で作品を作ってましたね。 そうそう、
デュシャンは雑誌をつくっていましたね。
作品を売ったことはないけど、
雑誌は売れないと話にならないので、
批評家だったのかな、
しかし、文章がよめるかというとそんなこともない。
発行人みたいな立場だったのかしら、 フランスからアメリカへ移動してきただけで、
フランスで作品の発表すら1度程度しかしてなかったのに、前衛芸術の巨匠になってしまった。
(アーモリーショーに作品が紛れ込んでいたことにより、) >発行人みたいな立場
グリーンボックスのメモを見ても、デュシャンは編集そのものに興味があるように見えますね。
アーモリーショーでは、コンセプチュアルな作品で有名になったのではないですが、
後に彼を巨匠にしたのは、作品ではなくバーガーのような人達でしょうね。
バーガーの主張はデュシャンとも、あるいは西田あたりともかぶる点があって面白い。 コンセプチュアルアートという言葉は定着しましたが、当初この言葉を唱えた作家や作品、批評家は忘れられ忘れられてきたような。デュシャンはその更に半世紀近く前に活動した作家、いまや掲示板のカンフル剤にもなりませんね。 過疎った掲示板にカンフル剤なんていらないでしょう。各自メモ書きや備忘録のように使えばいい。
あと美術史において、〇世紀も前のものということと、忘れられるということの間には、相関関係がない。
相関関係があるのは情報量と影響力であり、記憶されるか否かもそれらと相関する。
というか「社会的記憶」と「影響力」はほぼ同義語である。
たとえ原典の情報が限られ失われていても、影響力が大きければ後世の作家や批評家が言及することで
情報量が増えるため忘れられない。(仏教がまさにそれで、或いはキリスト教もそうである。)
そうでない作家はたとえ現代でもすぐに忘れられる。
またバーガーは(忘れられるどころか)今でも非常に有名で影響力の大きい社会学者なのであり、
活動期間の短かったデュシャンがこれほどの存在になったのも、彼の解釈と影響力に負うところが大きい。
実際のデュシャン自身は、ある意味古典的な作家といえる部分があり、現代に流通している
謎めいたデュシャンのイメージや思想は、ほぼバーガーが書き換えたものである。
そのような諸々の経緯により、リヒターや会田誠(別に好きではないが)、千葉雅也らが今も頻繁に
デュシャンに言及する状況であり、彼が現代美術においてなお「生きた存在」であることは疑いようのない事実である。 「泉」が発表された1917年。
デュシャン30歳、ピカソ36歳、マティス48歳、
そしてセザンヌの死後11年、マルクスの死後39年経っており、
サルトルは12歳で、ウィトゲンシュタインとハイデガーは同い年で28歳、
西田幾多郎・鈴木大拙共に47歳、フロイトは61歳、ドゥルーズが生まれるのは8年後、
ジャッドとウォホールが生まれるのは11年後、バーガーが生まれるのは12年後である。 マルクスは選ぶ選ばれるという代表の問題を、以下の歴史的素材から考察した。
単にナポレオンの甥だということ以外には何の特徴もないルイ・ボナパルトという凡庸な人物が、
1848年の二月革命に始まる、フランス第二共和政における政治闘争の中でクーデターを成立させ、
投票を通して最終的にフランス皇帝ナポレオン三世として即位したという事案。
投票や選挙という代表を選ぶ表象システムでは意外な人が圧倒的な勝利をおさめるということが起こり得る。
まさかという人が選ばれるのは選ぶ人と選ばれる人の関係が不透明で恣意的だという表象システムの原理性による。
マルクスはまず、この選挙という表象システムが皇帝にふさわしい人物を選ぶシステムではなく、
選ばれた人が皇帝になるという当たり前のことを明らかにする。
価値は後からついて来る。選ばれる人は価値がある人なのではなく、全ての人の価値を代表する人である。
選ばれる人は人というより価値という観念である。だからこそ価値に根拠があってはならない、
逆に価値とは何かという根拠がないからこそあらゆる事物を価値付けられる。
デュシャンの便器もそうした芸術という表象システムの原理性を示している。
そこでは貨幣という表象システムによって駆動する資本主義が、
人間と人間の関係を貨幣の価値の彼方に追いやったのと同じ構造を見ることができる。 ピーター・L・バーガーは、T美大の学生なら社会学の教科書として購入させられていたはずだけと、
まさか、デュシャンの研究までしてるとはしりませんでした。
同姓同名の別人かもしれませんね。
しかし、そんなことは関係ないというのが、ご意見ですよね。
デュシャンやバーガーの名前が独り歩きする限り“生きている”と。 それは同一人物ですね。
名前が独り歩きする限り“生きている”というのはその通りです。 失礼、私の間違いです。
同一人物ではなく、デュシャンの評論はピータービュルガーの方ですね。
ピーター・L・バーガーの記述は訂正します。
ビュルガーによって、泉が拡大解釈されたのは同じです。 ただ、やはりビュルガーよりピーター・バーガーのほうが興味深いな。 エランバレーも良かったが、アーティペラーグで観たポール・ギャンスが良かったな。
2013年頃だったかな。 別の年にエクスコーレンの印刷所に寄ったこともあった。 当時の様子が垣間見えて面白かった、というひとり言ですが何か? ストリートからはちょっと分かりにくい位置にあるんだよな。
しかし、ギャンスを偲ぶには良い場所だ。 グゲはだいぶ昔に行ったっきりで、今はどうなっているのか、よくわからないな。 カイラスは五河の分水嶺、シトレジュ川沿いの寺院。
それにひきかえ、展覧会のために作品が移動する、ということの安っぽさ。 印刷所も寺院も、その場所にある、ということが肝心なんだよね。 ぐるぐる回り始めた。
明後日までにはバターが出来てそうだ。 場所性と聖性、つまり、特定の配置なくしては、人間は一秒たりとも
現実を認識することができない。逆に言えば、現実とは配置である。 夕
想はかなく門をとざす、
けふも草家の門をとざす、
落葉のみちに黒鶫
終止符のごとく蹲る。 青い山脈、城ヶ島の雨、四十八茶百鼠という繋がりがあるね。 まあ校舎も変わる。生きるとは局在的配置を繰り返すことである。
死ぬとはその作用から離れ全体に回帰することであり、認知症や統合失調はちょうどその中間の過程である。 メイヤスーの、この世界には根本的《理由》がない、というのは、
「自然法則レベルですべてはやってる感である」と言い換えられる。
デュシャンの本質もやってる感。ー千葉雅也
局在的配置とは、この「やってる感」のことである。 人間は衣食住が足りているだけでは生きていけない。いや、生きてはいける。
だが、人間は、十分な生活だとしても、こんな生活なら死んだほうがマシだと思うことがある。
それは意味が足りないということだ。ならば、人間において「意味」と「死」は関係している、ということになる。ー千葉雅也
局在的配置とは、この「意味」のことである。 「綏芬河小唄」「国境の町」つながりでいえば、昔、虎頭要塞跡に行ったりもしましたね。
41ミリ榴弾砲の砲座跡がありましたよ。宗教施設以上の強い場所性が魅力ですな。 抽象絵画をはじめとする諸々の芸術が、軍事・土木インフラの完成度と存在感に及ばないのには理由がある。 ディーター・キエナストやピーター・ウォーカーらにも抽象画・現代美術同様に欠けているものがある。
近年においては、土木インフラのコンセプトが彼らのような方向に流れているのも事実だが、
隆起と流水侵食が釣り合うことで構成物質と降雨強度を反映しながら安定するヒマラヤの地形のように、
風雨への抵抗と劣化によって、はじめて概念的なインフラは物質化するのである。
最近の例では首都圏外郭放水路を一つの傑作に挙げることができる。 エジプト古王国時代のピラミッドはモニュメンタルなマッス(量塊)であるが、
新王国時代になると量塊にすき間を穿って柱で埋めつくした神殿がつくられる。
ペルシャのペルセポリス、アテネのパルテノンにおける柱主体の建築を経て、
パンテオンを始めとしたローマ古代アーチが出現する。造られた当時は力学や
エンジニアリングは未発達なので、やはりマッス(量塊)で抵抗させている。
西洋美術におけるマッスの起源は、土木由来のものである。 ギリシャ・ローマ建築からラウレンツィアーナ図書館の玄関ホール、シーグラム壁画への流れも膨大な例の一部に過ぎない。 逆に抽象画が土木インフラに影響を与えたことなど皆無に等しい。 まあ近代以降の絵画やアートなんてその程度のもの。
しかし、中世古代となると話は別なんだなこれが。 、、
高速道路や水力発電所のダイナミックな光景は日本中どこでも観ることができる。
あるいは、その気になればアメリカの軍艦すらも観ることができる。
なのに、美術館やら画廊やらに足を運んで、チマチマとした抽象絵画とやらを鑑賞したり、
あるいは、画家になろうとしたり、
何故?
オロカメンのようだ。 チマチマは言い得て妙ですね。
鑑賞したり画家になったりというのは、ただただ依然として絵の力を信じているということだが、
しかしその力を取り戻す道は、今では全くと言ってよいほど閉ざされている。 モダニズム以降発展を続けてきた巨大インフラと、その中のチマチマとした個の表現との乖離、
それはそのまま社会の状況の反映である。近代は産業における技術革新と同時に、
権利と称して表現を個の枠の中へ押しやった。個の枠、それは文字通り、額縁の歴史とも関係するものである。 額縁は元々キリスト教会の壁画や祭壇画のための縁取りであり、神聖なものへの差別化の役割があった。
西洋における額縁の発祥地イタリアでは、額縁をコルニーチェと呼ぶ。
これは屋根のすぐ下にある「軒」のことであり、建築様式から発生した語である。
古代・中世からルネサンスにかけて、額縁は建築様式を反映して柱·梁などの形態のものが多かった。
サンピエトロ寺院ではアーチに沿って、大量に額状のレリーフが施されている。
16世紀、ヴェネツィアの芸術家たちが油彩の支持体としてキャンバスを使い始め、
また神の分祀や布教の目的で壁画は持ち運びができるタブロー形式へと発展、
額縁も壁面から独立して、絵画とともに移動可能なものに変化した。
17世紀に入ると、一般市民の間でも壁に額縁付きの絵をかけて楽しむようになった。 そのような近代市民社会形成過程における「個のめざめとその枠」は、
額縁自体を取り払ったり、変形キャンバスを用いる現代もなお、そこに存在し続けているものである。
技巧的に優れた抽象絵画などはたくさんあるが、それが個の枠内の表現である以上、
面的な文化景観を醸成することはない。前衛〇〇、現代〇〇と言ってもそれは17世紀からの巨大な慣習であり、
けし粒のような個の表現とその間にあるチマチマしたコミュニケーションの起源もその時代にある。 本来、絵は土木建築と一体でなければその真価を発揮しない。
先史・古代における岩壁・洞窟の岩絵や寺院を埋め尽くす壁画の迫力は、
絵の背後に巨大なマッスを背負うことによって生み出される力である。
量塊と絵は相反しつつ調和するよう役割が考えられており、
絵は入れ墨のようにマッスを打ち消し空間を再構成するように描かれる。
古代の神殿は総じてカラフルなものであり、そのサイケデリックな効果は
背後の量塊の大きさと密接に関係するものである。 といっても、現代における壁画、バンクシーや、だまし絵のような壁画アーティストらの仕事、
フェリペ・パントーンのようにややスケールの大きい仕事も、所詮近代的個の枠を出る表現ではなく、
ある意味、巨大インフラやガード下へ施されたスプレーによる作者不明の落書き群のほうが、
その没個性性を含めて古代絵画に類似した在り方と力を継承しているともいえる。
ただストリートアートに対する世間の評価は芳しいものではない。 2005年に水戸芸術館で「X-COLOR/グラフィティ in Japan」展があり、さまざまな取組みや提案があったらしいが、
その時以上に今の世の中は厳しい状況のような気がする。落書き自由のマッシブで真っ白な建造物が、
誰かまたは共同で提案されればよいのだろうが、世間的にいらないという声が多いのなら、まあ別にいらないだろう。
絵の本質には事物の廃墟化という側面があって、それはなかなか扱うのが難しい性格のものではある。 本来という部分が、よくわからないのですよ。
壁画に感動したことはありませんので。 本来というのは、歴史的経緯において、という意味ですが、
では絵の価値とは無関係かといえば、「タブローでいいや」とはならないので、
そこは自分の中では関係してきますね。ちなみに断定口調なのはひとり言だからです。
感動しないのは、自分もそうですね。
今のグラフィティアートの内容にも別に興味はない。それは抽象画も同じですね。
技巧的には似たり寄ったりですから。なので、絵の中身ではなく場所について考えることが多くなりますね。 美術館や画廊に展示された作品間の細かな技巧的差異を珍重したい、とするのが保守なら、
美術館や画廊での展示という因習的な制度自体を受け付けない、とするストリートアートは革新である。
ただストリートアートは美術館以前の方法へと回帰しているのだから、結局はどちらもカビ臭い保守である。
ということで、やはり芸術は、革新も前衛もない、ただ保守が徘徊するだけのカビ臭い廃墟である。
そこで、「本来」の廃墟に立ち返る。 現実に生き生きと稼働しているように見せかけているものは、すべて廃墟である。
全ては、忘れられた時に息を吹き返し、光るともなく、光る。しかしそれは現実でない。 普通に考えて、
神殿やら教会やらにしか画像がなかった社会における、その価値と、
ありとあらゆるところに、画像や映像が溢れている社会における、画像の価値を比較したり、
あわよくば、
維持しようとしたりすること自体無理。
誰か資産を守るためのばか騒ぎに過ぎないと考えるならば、関わらないことだと。 素材と結びついているのが絵画。画像は光学的情報。
なんにせよ普通に考えて、その類の比較自体はよくあるものですよ。
単線的歴史過程で考えるから比較できないとなっちゃうだけで、
実のところ絶対主義と相対主義の話。
また相対主義は自己言及のパラドックスを含んでいるので、
必ずしも絶対主義に対して優位性を持つものでもない。
いくら科学が発達しても社会はこの両者の間を揺れ動く。
あと、維持とか復古とかしなくていいんですよ。
廃墟になればいいと言ってるのです。要は、ハイキョの管理の仕方。
あと、場所は存在論のハナシです。 感動ということについていえば、そもそも感動する実体がないということが
絵画もしくは芸術における感動の性質である。
そこには支持体、塗膜、色の間の仏教的な意味での関係性しかない。
また石や板、紙は古来より宗教的伝統を持つ素材であり、
それらが支持体になっている作品からは塗膜との間に宗教的な意味と関係性が生じるが、
支持体が俗な量産品としてのキャンバスやベニヤ(近世のヴェネツィア人が帆布を選んだ理由は
聖性ではなくその軽さや機能であり、現代のメーカーが追及するのもそうした面である。)
であれば塗膜との間にキッチュな意味と関係性が生じる。フォンタナはキャンバスを美しく見せたが、
抽象界隈が習慣的に絵の具塊でキャンバス上を覆うような作業は
グラフィティ界隈の仕事と大差ない。もちろん相対的な意味でも。 だから、現代でも抽象の伝統をチマチマと守っている連中は
一度グラフィティ界隈と一緒に落書きでもしに行けばいい。 初期フランドルと国際ゴシック、板、フレスコ、紙。
ヴェネツィア派、キャンバス。
この辺の境界は面白いくらいはっきりしてる。 既に、
廃墟かもしれませんね。
尤もらしく“構想を練る時代”というひともいますが“廃墟の管理”でも問題なさそう。 お、そこは同意下さったようで、ありがとうございます。。 http://www.kristaharris.com/
ペインタリーな抽象絵画。
若干深めな空間、
筆あとや線が斜めに流れていることと、明度対比があるからか。
絵の具の滴りが、上から下に垂直に落ちていることも斜線を斜線として見せているのかもれない。
団体展的といって嫌う人も居そう。 クーニングぽいが、全体に女性的な印象。女性的印象というのは、なぜかジョアン・ミッチェルや
セシリー・ブラウンからも共通して受ける種類のものなのだが、その感覚が何に由来するのかはわからない。 Jack B Yeats(アイルランド 1871〜1957)
Cleve Gray(アメリカ 1918〜2004)
Freddie Timms(オーストラリア 1946〜2017)
Richard Aldrich(アメリカ 1975〜)
Liza Lacroix(カナダ 1988〜) ヴェルフリンの定義も、不必要というか何かが間違っている感じ。
「閉じられた部屋の中に光が一つの光源だけから流れ込む時、それはまさしく本来的にバロック的テーマにちがいない。」
「顔の各部分の形は古典主義では等価だが、バロックでは独立性を失って、主たる部分に従属する―」
ここでいわれる「古典的」な壁画も、採光によって十分バロック的な統一を見せる。
平面的な壁画が場所と一体となっている理由のひとつである。
古典主義的な壁画は建築的効果の中に光も闇も絵も存在するのに対し、
一枚の絵の中に光と闇が仮構されているのがバロックであるとも言えるが、
ルネサンスにおける古典主義様式とバロックにおける様式には、実のところ見た目ほどの対立はない。
カラヴァッジオの師ペテルツァーノがティツィアーノ の弟子だったことから分かるように、
初期フランドル・国際ゴシックとヴェネツィア派の間に、
様式以上の、素材レベルでの境界があったことの方がより重要である。 様式を抽象的な公式のように捕らえるとのではなく、ベクトルのはなしであって
同じ様な話が繰り返されてた。
個← →類
古典 バロク
新古典 ロマン そもそも、「五つの対概念」自体が、怪しい。
クラシック様式↔バロック様式
・ 線的なもの↔絵画的なもの
・ 平面↔深奥
・ 閉じられた形式↔開かれた形式
・ 多数性↔統一性
・ 明瞭性↔不明瞭性
これらのたいして自明ではない対概念とその傾向が、
あらゆる国や時代を通して見られるとヴェルフリンはいう。
これを真に受けたグリーンバーグが、ペインタリーという言葉を
より硬直した対立軸の中へ閉じ込めていく。
まず、これらのことを絵のスタイルだけで切り分けてその変遷を考えると
肝心な点が見えない。重要なのはマッスをどう扱っているかである。
古代壁画においては、マッスは建築的属性として外部化されている。
また着色されたレリーフも建築との一体化を指向する。
ところが近世以降、壁から切り離された絵画はその中ですべてを自足する方向へ向かう。
それがマッスを内在化する根拠となる。
この事から、新古典とロマンはクラシックとバロックの分類には当てはまらない。
マッスを画面の中へ内在化させている時点で両者ともバロック、というか近世・近代の系譜である。
その証拠に、アングルの「ユピテルとテティス」はグラネ美術館に所蔵されているが
絵画と展示室に統一的な構成は見られない。「新古典」はロマン主義同様、建築から離れているのである。
建築から離れる、ということが古典↔近世近代のより根源的な境界である。
古代ギリシアの画家ゼウクシスの絵画は、当時としては革新的な写実表現が
用いられていたが、その彼が壁画よりも小さい板絵を好んだ、ということは
ヴェネツィア派と新古典主義の各事例との奇妙な類似である。 ある意味、クリムトら初期ウィーン分離派の活動内容が、
近代においてみられる、最も古典主義に近い形態である。
古典主義とは、総合芸術なのである。 ヴェルフリンは、晩餐について文章の最後に付け加えるように、片側に窓のある食堂に云々かいているけど、どうかな。 そう、だからダヴィンチはクラシックですよね。
ヴェルフリンはルネサンスを古代とは異なる意味でのクラシックに分類しているのだが、
ダヴィンチとラファエロ、ミケランジェロは過渡期的な性格を多分に含んでいるものの、
三人とも建築、彫刻、壁画を一体のものと見做す点で、本来的な意味での古典主義者だといえる。
ただラファエロとミケランジェロはギリシャ・ローマへの回帰願望が強いのだが、ダヴィンチはそこまでではない。 ヴェルフリン
古代美術は、水平、垂直、正面 側面 みたいなばっさりとした記載だったような。 ヴェルフリンの分類は現代でも異論が多くそのまま受け取ることは出来ないのと、
「美術史の基礎概念」でのヴェルフリンの分析は、あくまでもルネサンスとバロックの様式から
抽出した五つの対概念による絵の様式の変遷と比較が主な内容であり、
原始期(古代)美術とその建築との関係についてはあまり多くを語っていない。
>古代美術は、水平、垂直、正面 側面
確かに彼はキリスト教的な水平、垂直の世界観に基づいた言及が多い。
しかし古代(ルネサンス以前)の世界において最も重要な概念は円である。
ストーンヘンジ、ハルシュタット文化、ラ・テーヌ文化、
古代ギリシャにおける盾、円柱、壺絵、古代ローマにおけるアーチ、ドーム、円形闘技場。
アッバース朝におけるバグダッド(この時期のイスラム文明がルネサンスの母胎である)、
仏教・ヒンズー教におけるマンダラ(円の意味)、古代インドのチャクラム(輪)、
チャトラ(傘)、スタンバ(柱)。
ボガナンディシュワラ寺院にそれが一体となった石柱がある。
https://gops.org/wp-content/uploads/2015/08/bhogaumbr_1024.jpg
古代美術の明快な平面性、それは円と関係するものである。 Richard Roth(アメリカ 1946年〜)
Katharina Grosse(ドイツ 1961年〜)
建築・彫刻・絵画の統合、現代ではグロスあたりか。 草にまで吹き付けているところに、グロスのペイントへの欲望が表れているのだが、
ここで塗装の不毛さに思い当って無害さや機能性を求めると、
その瞬間にすべてはレフィーク・アナドールやチームラボのようなプロジェクションマッピングに置き換わる。
それはロマネスク教会における壁画が、ゴシックの大聖堂におけるステンドグラスに置き換わったのと相似的な現象である。
マティスやカルロ・スカルパによる総合にもその要素は読み取れる。 グロスの、絵のなかにフレームがでてくるところが、
マティスやホフマンを思い出させますね。
内側と外側があるということが、とても大事なことなのでしょうかね。