片山攝三

没年月日:2005/03/23
分野:写真, 写真家 (写)
 写真家の片山攝三は、3月23日肺炎のため死去した。
享年91。1914(大正3)年3月22日、シベリアに生まれ、福岡県久留米市に育つ。
1932(昭和7)年福岡県立中学明善校を卒業、同年東京の写真師疋田晴久のもとで写真技術を修得し、35年福岡市内で営業写真の仕事を始めた。
そのかたわら、「日本写真大サロン」等の公募展に肖像写真を出品、入賞を重ねる。
終戦後、福岡・観世音寺の仏像を撮影、これをきっかけとして昭和20年代に数次にわたり九州大学美学美術史研究室の仏像調査に参加、観世音寺や大分・臼杵の石仏などを撮影した。
その成果はいずれも同大教授谷口鉄雄との共著『日本の石仏』(朝日新聞社、1958年)、『観世音寺』(中央公論美術出版、1964年)などにまとめられた。
57年には石橋美術館で「カメラの眼 日本の石仏」展を開催、また昭和40年代にカラーフィルムで撮影した作品による『国宝 富貴寺』(大佛次郎、平田寛との共著、淡交社、1972年)が刊行されるなど、九州を中心に多くの仏像写真をてがけた。
昭和30年代後半には美術家、文芸家の肖像を集中的に撮影した。
35mmカメラを用い、主にその場にある光源だけを使用して撮影されたそれらの肖像は、多くがモデルの自宅や仕事場などで撮影されたこともあり、たくみな明暗の扱いとともに、自然にふるまう被写体の個性を過不足なく伝える仕事として高く評価された。
一連の作品は個展「現代美術家の肖像写真展」(日本橋三越、1964年)などにおいて発表され、以後もライフワークとして継続、1994(平成6)年には『芸術家の肖像』(中央公論美術出版)にまとめられた。
また福岡出身の彫刻家冨永朝堂、豊福知徳らの作品写真にも優れた仕事を残した。
67年には九州産業大学教授に就任、92年まで同大学および大学院で教鞭を執った。
78年には第28回日本写真協会賞功労賞、86年には第11回福岡市文化賞を受賞している。
その業績を回顧する展覧会として、89年には「片山攝三写真展 モノクロームの軌跡 50年」(福岡県立美術館)が、96年には「芸術家の肖像 片山攝三写真展」(三鷹市美術ギャラリー)が開催された。