【国宝・重文】古碑法帖を語る・学ぶ
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書における歴史的名品の話題・情報交換
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先代スレ(殉死)https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1523888637/ 米元章の大字では群玉堂帖の述学帖が一番の出来かな、あと呉江船中詩巻も良い
以前有隣館から中国に売られてしまった研山銘は今ならもっと高値がついたかもな 視覚効果抜群のデフォルメ、緩急自在の運筆、たまに常識外れに太い線、大きい字を入れるセンス
いわゆる超絶技巧家なんだけど、超絶技巧家っていうレッテルは超絶技巧家以上の評価にならない損な面があるよね
リストやパガニーニのように…
そんな計算が先だってしまって、どうも習うのを敬遠してしまう人 >>109
“石碑の欠けた字をそのまま臨書した” とあるが、双鉤填墨とは書いてない。
どこから双鉤填墨となったのか知りたい。
双鉤填墨が素直な感性というのも理解しがたい。 >>253
書くという事には筆路の問題が先立つ一方、模倣のアプローチにも臨書以外のがある。
似せようとする形臨とか、似ても似つかぬ意臨とか。臨書にも色々あるが、それ以前。
教育現場では「俺のは意臨」も、極端な「似せればいいんだろ」型の筆路無視も困る。
特に後者は筆順崩壊型の「見た目」優位指向が強い。つまり書くのではなく、似せる。
双鉤填墨といっても本格的なのではなく、書を字でなく絵の様に見れば自然そうなる。
字と認識できないまま臨書する現実がある。古典は国語でも書道でも見るのが初めて。
素直な感性とは、徹底した無知状態の感性を意味する。それが保存されたまま、授業。 >>254
返答なのか、違う話しをしてるか、何を言いたいのかがわかりません。 昔CDの広告を見たらジャケ写の背景、黄庭堅の諸上座帖だった。ただし上下さかさま。
こんなのが書を字と見ていない例。文と見ていないのは二千円札、源氏物語の下カット。
デザイナー感覚だと「見た目」優位になったりする。読む必要なく、雰囲気あれば十分。
文字レベルでこうなら、点画レベルはどうか。字と認識できる場合でも、細部はどうか。
蘭亭叙の「幽」字末。普通の筆順は折れの次に縦だが、横の次に左右の縦かもしれない。
そこまでは細かく見えなくてもおかしくない。それなりに似て見える生徒もいるだろう。
当初は字や書と認識できない。子供の時、掛軸の白文印が迷路模様に見えなかったか。 米フツについての意見、ありがとうございます
ちょっと話がそれているようなので、話題投下します
蘭亭序について、一番良いと思う手本はどれだと思うか教えてください
私は張金界奴本が良いと思います
不自然な書き方でなく、字形の変化も良いと思っています 去年あたりいばり散らしてた連中はどこ行ったんだ? 和なんとか? >>259
複数の話が並行してるのはいいんでしょ? 前に言ってませんでした? >>262
個人的によくわからない話をしているので,話題投下したまでです
気を悪くしたならすみません
>>254
教育現場では,筆路を教えれば,臨書は可能となるということですか?
事実ばかりを書いているような書き方で,自分の意見を書いているので,
結局何が言いたいのか伝わりません 蘭亭叙に思うのは、書である以前に文なんだって事。だから先ず文として書かなきゃ。
何度書き直しても最初のがよかったのは、文の前に稿としての性格が強かったからでは。
こうなると真似できない。でも真似て八柱や定武に形は残す。つまり形だけなのが難点。
それを自覚するために形臨があり、形臨の断念から意臨という「自分の世界」が始まる。
だから好きな本より、自分の世界に近いのを択ぶ手もある。他人の字に懸想しても無理。
敢えて異質な本を択ぶ手からは自他の差異が学べる。そこが却って面白いから、厄介だ。 世の中の文字は読めなーーーーーい!!!!!!
↑
読める字を書くことが大切だ。 >>267
勉強しないから読めないんだよ( ^∀^) >>265
好きな手本を選べば良いということですかね
あなたの好きな手本を聞いているんです >>269
ほんじゃ、そっち方面でいこうか。蘭亭叙の各本に好き嫌いはない。正直どうでもいい。
全部やればいい。で、やってみたら戦前の手本系統、八柱第二本を択ぶ生徒が多かった。
教科書は第三本ばかりなのにねえ。それより第一本/張金界奴本の話でいってみようか。
確かに素晴らしいけど、拡大臨書では高度な解釈が要る気もする。原寸大ならいいのに。
そもそも、なぜ好き嫌いを問う必要があるのか。先ず全部を受け容れてからにしたら?
さもなくば嫌いな書は論外となりかねない。「自分の師匠の字だけが好き」になるとか。 >>272
あなたが好きな本を選べば良いと言ったのではないですか...
やっぱり文章が伝わりにくいんですよ
そりゃ全部学んだほうがいいに決まってますよ
こうやって話を潰されると困りますね
「私の好きな書」という本がありますが、全否定ですか
王羲之はショウヨウと張芝の書が良いものだと言いました
他の書家もみんな一家言を持ってます
我々が良い書を話す必要がないというのはどういうことですかね 世の中の文字は 小さくて 読めなーーーーい!!!!!!
読めるような字を書くことが大切だ。 >>274
>あなたが好きな本を選べば良いと言ったのではないですか...
それ、選択肢があるって話の事かしら。>>265では以下の二つを対比した。
「好きな本より、自分の世界に近いのを択ぶ手」「敢えて異質な本を択ぶ手」
好きな書があるなら学べばいい。嫌いな書も、その気があれば学べばいい。
ただし好きな本を学ぶうち、欠点に出くわす事がある。そんな時には別本が好都合。
また「良い書を話す必要がない」とは言っていないが、そこに突っ込むと面倒になる。
そも「良い書」とは何か。それぞれに差異が潜在する。もしや審美眼の話なのか? >>276
人に伝わるまともな文章を書いてください。 >>277
「好きな女より、自分の世界に近い女を択ぶ手」「敢えて異質な女本を択ぶ手」
好きな女がいるならやればいい。嫌いな女も、その気があるならやればいい。
ただし好きな女と過ごすうち、欠点に出くわす事がある。そんな時には別の女が好都合。 蘭亭序の中で一番難しい字は
一番最初の「永」である
とか言うジジイに
そこだけ死ぬほど練習しろ!
と言ってあげたい。 また今年もあの公募展やってるみたい
100点集まるいいね( ◠‿◠ ) 墨汁なんて使わないで墨を擦れとか言う人がいるけど、昔の人は電気もガスも無い暮らしをしてたんだから、そこから真似した方がいいってことなのかね? >>284
イルボノでおkアルヨ!!( ^ω^ )ニコニコ 読解力の問題もあるよな
>特に後者は筆順崩壊型の「見た目」優位指向が強い。つまり書くのではなく、似せる。
俺なんかはこの↑一文だけでもなにを問題にしてるか沁みるほどわかるが、、、あぁそれそれ!って感じる
字形と輪郭だけ似せて良しとしたら、筆路を見ないことになるだろ?
それは手本なしに自分の意思で字を書く練習と、手本に目をくぎ付けにしてウワの空のようにして書いて習うことと
ふたつの間にたいへんな隔たりがあるのに、そこのところを解らせてあげられない、教育現場というものの不器用さについてだよ。
まぁおれなりの解釈だけど。 こいつらわかってねぇなwww
ちゃんと教わってないし、自分で探求もしてない
教育現場が云々に転化しとればいい
残念な人たち _, ._
( ・ω・)
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
、、、、し 、、、(((.@) てたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>102からの流れで教育現場の話をしてるだけだろ 書学徒れんちょんとかいうの、完璧な田舎の神童だな
全国レベルだと上位にかすりもしないタイプ
要するにただの人 星の数ほど神童がいること知ると
たいてい他人の足を引っ張りはじめるんだ
それが神童の成れの果て 王羲之が蘭亭序を書いたとき酔っ払っていたというのは本当ですか?
後の世のアルコール依存症の人が作った話しに思えます。なぜなら、この話しをする人のほとんどがアルコール依存だからです。
酔っ払って書くことを肯定してるような口ぶりで困ります。まずはお酒をやめて欲しいですね。 お酒をやめろとか大きなお世話
たぶん意識高いつもりのオバサンなんだろうけど
そういう事を得意げに発信する前に自分のモラハラ癖や買い物依存とかいろんな依存症を克服しろよな
王羲之が蘭亭序を本当に書いたかどうかも後の世の創作かも知れないのにそれを問うてどうなる
話が自分の関心事に寄せらせすぎ。自己中心的すぎ。 >>308
あんた医者からも酒やめろ言われてない? なんか過剰反応しとるぞ
酒をやめれば要らん憶測が頭の中駆け回ったりしないぞw >>311
図星だとか思ってるのか?頭わるっ
いや、ふつうに冷静に考えろ なんでここで嫌酒論が議論されなきゃならんのだ
おかしいと思わんのか ところでこの季節、マリブをジュースで割らずにコーヒーに入れてもうまいぞ 誰も図星なんて思ってない流れで
勝手に図星とか言い出すあたりが
図星としか思えなくなって笑えるw 本当にそうかどうか想像する力がないのだろうな
たぶんな、リアルに酒で体にトラブル抱えてるヤツはわざわざ反論なんかしません。
身につまされてたら沈黙するよ
お前って、ここでの議論の流れに自分の生活が影響されたりするのか?
なにやらリアス世界での鬱憤晴らしにここの書き込みを利用しているように見える。
考え方が幼稚過ぎて痛々しいから、他人のこと笑ってる場合じゃないと思うぞ? 俺なんかは働き盛り♂だから身に染みてわかってるんだけど、
女性だの妊婦だの若者だの、他者の立場を考慮しなけりゃたちまち〇〇ハラスメントだって槍玉にあげられちゃうわけ。ほんと気を使いますよ。
ところがなんだここじゃ、やれ墨汁をつかえ固形墨は古いだの、飲酒は即刻やめるべきだの、えらく一方的な物言いがまかり通っている
これのほとんどは相当に世間知らずな、相当にアホな単独犯の複数レスだろう
偏ってる自覚がないから、読んだらすぐわかる。
世間で取り沙汰されている問題なら気を付けても、まだ取り沙汰されていない偏見はまるで意に介さない、この日和見主義的思考停止を見るにつけても、
この程度の頭脳レベルの大人ってそんなにいないよな?っていう推測が成り立つ
気付いていないのはご本人のみということで、周りの良識ある大人は生暖かく放置してるのだが おれは親切なんでちょっとだけ現実を浮き彫りにしてあげたいところがある。 去年の夏休みは、キンキンアザラシと篆刻たんが面白かったな〜としみじみ。
ある人のアカウントが消えて、暫く経つと誰もその人のことを話題にしなくなって、
まるでその人が最初からいなかったかのように思えてしまう。
消えるべくして消えたのだろう。 これ、どこまで本当なの?
--------------引用ここから--------------
湖州帖
唐、大暦7年(772)以降、顔真卿が湖州刺史に任ぜられていた時のもので、顔書随一の代表作。
宣和内府、賈似道、項元汴、清内府などを経ていることからも真蹟と認められる。
これを米芾にあてる向きもあるが、寧ろ米芾はこう言った傑作から顔法を会得したと見る方が正しい。
--------------引用ここまで--------------
ソース https://twitter.com/nonkhsora/status/969239396321914881?s=21
「正しい」と言い切られても根拠がわからんのです。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) これは忠義堂帖にある江外帖を臨書したものだろう
米フツ墨跡大観にはこの湖州帖は米書として入ってる
二つを見比べてみれば米の臨書作品だと分かるだろう 三流は人の話を聞かない。
二流は人の話を聞く。
一流は人の話を聞いて実行する。
超一流は人の話を聞いて工夫する。
という羽生名人の名言がある。
5chにいると、四流の存在に気づくことができる。
四流は人の話を聞いても理解することができなくて怒る。 >>332
忠義堂帖に刻されたのが米芾の臨書ではないか、と説明している本がありました。
北京故宮にある墨跡本が、米芾の臨書という説があるのですか? 米の臨書作品には強く自分の癖を出した物が多いのは有名だろう、湖州帖について墨跡大観には
「然用筆側媚多姿、全無顔書屋漏痕之意、而和米書十分相似、紙張、墨色亦在米帖中常見、故定于米臨顔書。」
とあるのも両者を見比べれば納得できる
2008年に江戸東京博物館でも実物を見たが書は米法そのものだった(解説にも米臨かと書いてあった)
ので墨跡本は江外帖を臨書したものだと思われる >>334
五流は自分の話が下手なのを理解することができなくて、
下手だと指摘されたら怒る。 >>338
もじゃもじゃくんが整理してくれるよ( ◠‿◠ ) 書道やっててデレステにハマってるバカが何人いるか知りたい。 顔真卿展に書道博物館は絡まないで欲しい
トーハクのついでに書道博物館でも関連展示があると、またラブホ街を通らないといけなくなる
極めて不快 江外帖の2つ目の「湖」が蜀素帖の「湖」そっくりだからそんな話が出てくるんだろうな。
書道博物館に行くのにラブホテル街は全く気にならん。
大阪の××新地に比べれば、健全そのもの。 天王寺駅から大阪市立美術館に行くのもラブホの前を通るな
ラブホの真ん前に茶臼山の由来を書いた碑もあるし >>1
>学書者は習作画像をあっぷ…
これありなの? 間違えてラブホ入っちまったらどうすんだ! 責任とれよ! >>348
うpしたい人はすればいいじゃん
何が問題なの >>350
板違いだろ
何度も言われるの読め
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