もし後世に残るような大切な仕事を筆耕として書いたのであれば、それは芸術家としてではなく筆耕としての人生を選んだということ
例えば星弘道が日展審査をほっぽりだして法事に行くようなものなのだから
でも、それはそれでいきていくための賢い選択だとは思う
ただ、自分の弟子から筆耕に成り下がった者がいたとしたら青山杉雨はなんというだろうか?、
というのが>>282が指摘していることでは?