(高田竹山、昭和七年の回想)
 また、昔の書家は、木版の版下(印刷用に文字をきざむ版木に、はりつけてほるための文字の下書き)を書いた
ものですが、私も若いころによく書きました。もちろん修業を積み、先生に許されてから版下書きができるのです
が、木版の版下はそれほど細かい字ではありません。細かすぎては版木に彫るのもむずかしいし、彫れたとしても
刷るのがまたむずかしくなるからです。明治時代に入って木版に代わり銅版が使われ出しました。銅の板で造った
印刷用の原版で、原稿を手彫りしないですみます。薬品で腐食させて作るのですが、今のような活字がない時代で
すから、文字は書家が書かねばなりません。しかし、銅版は手彫りの必要がないからと、三ミリぐらいのごく小さ
な文字を書かされることになりました。もちろん、銅版の版下書きは値段が高いわけです。私はまだ少年のことで
すから、目に自信がありましたし、お金も多くもらえるので、進んで銅版の版下書きをしました。昼は学僕ですか
ら、先生の用事も多く、時には先生の代りに子供の弟子へ稽古をつけることもしなければならなかったので、仕方
なく夜の間に版下を書くことになります。今のような電灯はありません。魚油をともした行灯の薄暗いあかりで書
いたのです。行灯は三方を墨で塗り、一方に光を集める工夫をしてはありますが、その暗いあかりで三ミリ以内の
小さな文字を根気よく書いたわけですが、今考えると、よくあの様な仕事ができたものだと思います。