>>439の後者リンクは大いに勉強となる。
>18世紀のヨーロッパで巻き起こった中国への興味、そして近代ヨーロッパの宣教師との関係がいかに密接であったか
この辺については、17世紀のキルヒャーやライプニッツとの関係も興味深い。
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/879/

>ライプニッツは、声から解放された人工的で恣意的な記号である点において、漢字を哲学的言語のモデルと見なした。
彼は漢字をあくまで非=表音的な人工の文字と位置づけ、古代エジプトの聖刻文字とは異なって、物体との類似には依
拠しないものであることを強調する。デリダはこの時代の普遍言語あるいは普遍文字の企てが相互にいかに異なってい
ようとも、それらは〈単純な絶対〉という無限論的神学の概念を伴っており、表音的なものではないライプニッツの普
遍記号学の企図もまた、音声中心主義と共犯的なロゴス中心主義に深く結びついているとしている。ライプニッツの論
述において〈シナ的モデル〉が参照されるとき、見かけ上は確かにロゴス中心主義が阻止されるのだが、このモデルは
〈単純な絶対〉である理想的普遍言語へと向けて修正されるためだけに存在しているのである。この意味において、漢
字(シナの文字(エクリチュール))という概念は〈一種のヨーロッパの幻覚〉として機能していた★四。
>この幻覚は、当時すでに存在していた漢字に関する知識を無視して形成された。それは〈万能書法(polygraphie)〉の
構想によってライプニッツに影響を与えたアタナシウス・キルヒャーの、聖刻文字の奇怪な魔術的読解に代表される古
代エジプト幻想に通じている。ライプニッツの合理主義とキルヒャーの神秘主義はともに、漢字と聖刻文字への同化の
身ぶりによって、その歴史性を無視する。こうした傾向に対する批判から、文字の歴史や文字言語と音声言語の関係を
めぐる体系的な考察が生まれ、それがやがて一八二〇年代のシャンポリオンによる聖刻文字の解読へとつながっていく。