本当に上手さじゃなくて場にふさわしいかどうかで議論しているのなら、書の歴史の何を勉強したのか疑問
場にふさわしいかどうかについて、書体に関しては歴史的に使い分けされていたが、書風で使い分けされていたというのは聞いたことがない
清の科挙の流行りはオウヨウジュン風の細楷で、露鋒であったわけで、それは不適切だったということ?
どこに基準があるのかよくわからない
令和がそもそも下手だというのなら理解はできるが