フ_ゴウ:リなカン:ジをつかいつづけるの?13
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★まなび_やす:さ
か:な>>>>>>>>>>>(かべ)>>>>>>>>>カン:ジ
→ブツ:リョウ_テキ な サ、 また ケイ:タイ の フク:ザツ_セイ に かんがみ、 あきらか。
★よみ_やす:さ
か:な>>>>>>>>>>>(かべ)>>>>>>>>>カン:ジ
→オン:カ の メイ:リョウ_セイ と いう テン で、 か:な が アッ:トウ_テキ に ユウ:リ で ある。
★み_やす:さ
か:な>>>>>>>>>>>(かべ)>>>>>>>>>カン:ジ
→フク:ザツ で おなじ ヨウ な かたち の モ:ジ が ム:スウ に ある カン:ジ に タイ:し て、 きわめ て シンプル な かたち の か:な が ユウ:リ。 また チョウ:フク_テキ な ケイ:タイ も カン:ジ に ヒし て すくない。
★かき_やす:さ
か:な>>>>>>>>>>>(かべ)>>>>>>>>>カン:ジ
→フク:ザツ で おなじ ヨウ な かたち の モ:ジ が ム:スウ に ある カン:ジ に タイ:し て、 きわめ て シンプル な かたち の か:な が ユウ:リ。
前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1266832121/ 仮名を普通に想定できる範囲で拡張すれば、別にアイヌ語だって書けると思うけど
なんか問題有るの?
まあホツマがアヒルの亜種みたいな認識しかないハングルコンプレックスに言っても無駄かもしれないが。 >>263
> シナイ文字からはフェニキア文字が生まれ、そこからギリシア文字、ラテン文字、インド系文字が
> 生れた。
って言ってるでしょ。インド系文字からはさらにハングルが生れた。
だからハングルはシナイ文字の系列に連なる表音文字。 >>264
誰と戦ってるのか知らないけど、現代アイヌ語はすでにローマ字表記もとカナ表記も行われている。
>>251は意味不明すぎ。例えだけでなく「どういう意味で」言っているのかどのレスからの流れなのか
はっきりさせるべきだ。 >>266
むしろあなたのスタンスが不明。
相手の立場がわからなければ意味不明になって上手く伝わらないのは日本語では珍しくない。 >>260
いわゆる セイジ と よばれる チュウゴク モジ を セイテイ した の は シン (マンシュウ) オウチョウ の コウテイ だ な。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%AD%97%E5%85%B8
>カナモジ化などほとんどの日本人は欲求として持っていないし
いくら キョウイキ や シュウカン に よって カナ が ケイシ されて いる から と いって、
ジコク の ミンゾク モジ を タイセツ に しよう と おもわない の は なにも ジマン できる よう な こと では ない。
>>261-262
そりゃ デザイン は カンゼン に イッチ しない が、
カナ と ラテン モジ は シンプル ながら トクチョウ ある モジ で ある ところ が イッチ して いる。
その ため に リョウホウ とも カンタン に かけて なおかつ よみやすい。
>だから動機となる発想自体がないのだよ。
ニホン ミンゾク と いう もの が ソンザイ する かぎり、
その ミンゾク が うみだした モジ を ソンチョウ する の は、
ニホン でも じゅうぶん ドウキ と して なりたつ。
コレ を コクミン ウンドウ に まで もって いく の には そうとう すぐれた ジンブツ が あらわれない と ムリ だ が。
>そのデザインはかなり良く考えて選別されていると思う。
ヘンタイガナ に あまり デザイン に ひいでた モジ が ない の を みて も、
よく センベツ されて いる の が わかる。
ととのった デザイン の モジ の ほう が ヨミカキ も しやすい から しぜん と ミタメ の わるい モジ は つかわれなく なった の だろう。 >>268
> しぜん と ミタメ の わるい モジ は つかわれなく なった の だろう。
あんた「カナモジ派」の端くれだったらもっと勉強した方がいい。 >>270
メイジ ジダイ に イマ の カナ が サイヨウ された の は しって いる が、
その カナ が サイヨウ された の も トウジ よく つかわれて いた から だろう。 >>271
> トウジ よく つかわれて いた から だろう。
採用以前は、変体仮名も普通に使ってましたし、変体仮名の活字も普通に
使用されてました。合字の活字も在りました。ものごと臆測で書かない様に。 >>264
いや、あんたの方がアホだよ。
>>265
なんだ、そういうことかw >>272
じゃあ どういう キジュン で サイヨウ された と いう ん だ? >>273
いきなりアホってなんだ?
コンプレックスが無いと言ったのはデタラメなのか?
>>ハングルは世界中の言語に適用できるほど便利ではない。比較的単純な音構造のチアチア語でさえ
>>存在しない音を付加して朝鮮語の音構造に合うように表記を作らなければならない始末。
>仮名を普通に想定できる範囲で拡張すれば、別にアイヌ語だって書けると思うけど
>なんか問題有るの?
こういう流れだろ? >>274
ゾウの人が臆測で書いたから窘めただけです。
「 キジュン 」など問題にはしてません。
採用当時の基準が明文化されてるのなら俺も知りたい所ですよ。 >>261-262
いや、ぱっと見の印象ではなくて、文字の系統として字形と発音に類似・継承がみられるという話だ。
たとえばヘブライ文字でmの音は角が一か所空いた□型をしているが、
アラビア文字だと○か△に見え、アラム文字・モンゴル文字だと角が一か所空いた△型が原型、
デーヴァナーガリーやチベット文字やハングルだと□になる。
文字体系によって角張ったりミミズ状に見えたりするが、系統的に近い物同士の字形と発音は
書体を超えて類似する。
>>268
じゃあ康煕字典が出る前の日本人は漢字を使っていなかったのかよw
その時代の漢字は朝鮮でもベトナムでも使われる国際文字だよ
「民族文字」なんて気持ちの悪い名前を仮名に押し付けるなよw今の偏狭な朝鮮人じゃあるまいし
仮名は私たち日本人の発明で、私たちはその恩恵を受けているが、私たちが仮名を使うのは
愛国心のためじゃなくて、第一にそれが日本語に適しているからだ
漢字と併用することがなぜ「大切にしていない」とかないがしろにしている事になるのか意味不明
ちゃんと説明してみな
>>275
確かに音の種類の広さでは実はカナの方が勝っていると言える。
ただ、発音に関しては逆にハングルの方が勝る。
NHKのハングル講座を見ているがハングルは発音に特化した文字だと知った。
あと俺は別にハングルにコンプレックスがあるわけではなくて
ハングルや朝鮮人に対するある種の見下しや偏見、
民族差別のようなのが嫌いなだけ。
2ちゃんにはハングルを評価をする人間がまったく居ない。
どっちがコンプレックスもってるんだと、そういうのが嫌いなだけさ。
>>277
なるほど、そう言う類似点があるのですか。
ハングルはもっと独特な物だと思ってたのですが
いやはや残念です。
所詮インド文字の一種と言っていたゾウが
正しかったなんて…。 >>275
上にも書いたけど、パスパ文字と同じくハングルも
発音を表す際には良くできた、優れた文字だと思う。
捏造してまでハングルマンセーする奴らがいるから不当に扱われるだけの話。
>>278
どうせゾウも受け売りだから気にすることない。しかもあちこち間違ってる。
ハングルの出自については実際に字形を比較してみればわかる。
まあこっちも受け売りだがwikipedia以外にも中野美代子『砂漠に消えた文字-パスパ文字の話』
という本があり、シナイ文字から生れたフェニキア文字やインド系文字、ウイグル式蒙古文字、ハングル、神代文字まで
対象した表があって圧巻。
>>279
そうだね。独創とか言わなければいい。ハングルの優秀さの証として他所の国の少数言語を
傲慢にもおもちゃにしたりしなければいい。
ヨーロッパ人はフェニキア文字を改良したラテン文字やギリシア文字、さらにはキリル文字を
使っているがセム人に引け目など感じていないし、ユダヤ人はシナイ文字から生れた
ヘブル文字を使っているからといって古代エジプト人に劣等感など持っていない。
アッカド人はシュメール文字に固有語要素を表す表音要素(フリガナ、送り仮名)を加えたし、
ヒッタイト人はそのアッカド語の文字にさらに表音要素を加えてヒッタイト語を表記した。
アッカド語やヒッタイト語のシステムは日本の漢字かな混じり文によく似ているが、
それらの文字システムは別に劣っていたから滅んだのではなく、王朝と国家宗教が滅んで
書記官がいなくなったからなくなったに過ぎない。 >>276
シリョウ が ない なら オクソク で かたって も なんら モンダイ ない。
トウジ いちばん つかわれて いた カナ が サイヨウ された カノウセイ は たかい。
>>277
>じゃあ康煕字典が出る前の日本人は漢字を使っていなかったのかよw
いわゆる セイジ を セイテイ した の は チュウゴク コウテイ。
ダレ も チュウゴク モジ スベテ に ついて いって いない。
>「民族文字」なんて気持ちの悪い名前を仮名に押し付けるなよ
ニホン ミンゾク が うみだし、 とぎれる こと なく つかいつづけて きた カナ は まぎれもなく ニホン の ミンゾク モジ だろ。
ミンゾク モジ に こだわって いる の は なにも チョウセンジン だけ では ない。
ゲンゴ と ミッセツ に かかわる モジ は たんなる リベンセイ だけ では かたれない。
>漢字と併用することがなぜ「大切にしていない」とかないがしろにしている事になるのか意味不明
ヘイヨウ と いう より カンジ カナ マジリ ブン と いう の は、
チュウゴク モジ を シュタイ と した ヒョウキホウ。
カナ が ソンチョウ されて いる とは とても いえん。 >>278
>確かに音の種類の広さでは実はカナの方が勝っていると言える。
>ただ、発音に関しては逆にハングルの方が勝る。
そんな話を何処でしてるのさ? ここで聞かれていたのは問題があるかだろ?
そもそも現代英語なんて文字通りに正確に発音しないのだからなんだっていいんじゃないか?
それこそ「愛」と書いてloveと訓読みしたければすればいいさ。 >>282
臆測でものを語るのは議論の邪魔になるだけです。
臆測はミスリードを誘導するので正しい議論の仕方ではありません。 >>282
では>>256で言う
日本人が清朝皇帝の「正字」にこだわっている、というのは誤りだな。事実に反する。
「単なる」利便性と言ったな。お前は利便性を舐めすぎだ。世界の文字は常に利便性・合理性に
基づいて発展してきているのだよ。漢字かな混じり文しかり。
さて、お前は日本人に民族意識のために利便性を犠牲にしろと強要したがっているんだな。
そしてお前は漢字かな混じり文が日本人にとって便利であることを認めたわけだ。
漢字かな混じり文における漢字の役割を「主体」と見て仮名を尊重されていないと見るのなら
お前は言語学板に居ながら言語というものが何も分かっていない。
文の構成要素は語彙的要素と文法的要素の組み合わせによって成り立っている。
文法的要素がなければ文は成り立たない。
どんな言語でも語彙は取り替え可能で最も流動的な要素であり、文法はその言語をその言語たらしめているのだ。
そして文法的要素の表記の大部分は仮名が負っている。
どんなに漢字やカタカナ外来語が多い文でも、平仮名がなければ意味を成さない。
平仮名は現状でも十分に言語としての日本語の「らしさ」を支えているのだ。 >>285
>日本人が清朝皇帝の「正字」にこだわっている、というのは誤りだな。
オマエ は >>256 の ヒトツ ウエ の レス も よんで いない の か。
>>256 の レス は >>255 に たいして した もの。
>さて、お前は日本人に民族意識のために利便性を犠牲にしろと強要したがっているんだな
ダレ が イツ そんな こと を いった?
ミンゾク と ふかく かかわる モジ は リベンセイ だけ では かたれない と いって いる の だ。
げんに セカイ には けっして ヨミカキ しやすい と いえない ミンゾク モジ が タスウ ある が、
だから と いって その ミンゾク モジ を ソマツ に など して いない だろ。
>お前は言語学板に居ながら言語というものが何も分かっていない。
いくら ジョシ など の ブンポウテキ ヨウソ は カナ で かいて いる から と いって、
ヒンシ の タイハン を しめる メイシ が チュウゴク モジ で かかれて いる こと には カワリ が ない。
ゲンゴ に とって いちばん ジュウヨウ な ナマエ を カナ で かく こと が できない ヒョウキホウ の ドコ が カナ を ソンチョウ して いる と いえる。
ためしに シンブン キジ から チュウゴク モジ を はぶいて よんで みろ。
まったく かいて ある こと の ケントウ さえつかない だろう。 >>284
シリョウ が ない バアイ は スイソク も ある だろ。
スイソク ナシ に ガクモン は なりたたない。 >>287
「 スイソク 」は飽く迄も仮定に過ぎない。実証の積み重ねが
慥かな学説を生むのです。「 スイソク 」の積み重ねは
学問の成果とは呼びません。 根拠も無しに推測を披露。之を世間では戯言と呼びます。
漢字かな交り文を漢字とかなとに切り離して論じる。之は詭弁と呼びます。 >>286
> げんに セカイ には けっして ヨミカキ しやすい と いえない ミンゾク モジ が タスウ ある が、
> だから と いって その ミンゾク モジ を ソマツ に など して いない だろ。
ゾウのダメな所はこういう所。自分にとって「わからない」「むずかしい」→「使いにくい」と
勝手に判断したらそれをどこまでも押し付ける。
あのね、インド系文字だってアラビア文字だって、綴り字や付加記号でそれぞれその言語に特化した
改造を施されているし、その言語の使用者にとってはそれが最も使いやすい便利な文字なんだよ。
政治的な理由で文字体系全体が二転三転した言語にはたとえばモンゴル語があるが、これだって
「不便だから」という理由で内発的に変えられたわけではない。外圧で無理やり変えられたのだ。
>>290
モジ の ヨミカキ の シヤスサ は イチバン には ジケイ、
すなわち デザイン だろ。
いくら その ゲンゴ に トッカ して いよう が モジ の デザイン が わるければ ヨミカキ しやすい モジ とは いえない。
げんに パスパ モジ は キノウテキ には いろいろ な ハツオン に タイオウ して いる が、
ジケイ が よく ない ため に ゲン オウチョウ と ドウジ に ほろんで いる。
チョウセンジン が その つかやすい モジ とは いえない パスパ モジ から うみだした ハングル モジ に こだわる の も、
ヒトエ に ソレ が ミンゾク モジ だ から に ほかならない。
リベンセイ だけ で みる なら ラテン モジ に した って よい わけ だ。 > げんに パスパ モジ は キノウテキ には いろいろ な ハツオン に タイオウ して いる が、
> ジケイ が よく ない ため に ゲン オウチョウ と ドウジ に ほろんで いる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%91%E6%96%87%E5%AD%97#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
>縦書きで漢字との併記になじみやすいという利点もあるが、声調を区別
>できない表記法であるため、意味の誤解を生みやすく、単独での使用には
>堪えなかったためである。しかし、モンゴル人などが漢字を学習する場合
>には、およその読みが分かって効率を高める働きがあった。
「キノウテキ には いろいろ な ハツオン に タイオウ して い」なかったのが
パスパ文字が廃れた理由の一つ。そして一番大きな原因は、文字を作った
当の「ゲン オウチョウ」が「ほろんで」しまった為。 >>291
単純な質問
お前はタイ文字やクメール文字を学んだことがあるのか?
>>292
まあ、wikipediaだからなw 使われなくなった文字だからといっていたずらに
欠陥を強調するのは後出しジャンケンみたいでいただけない。
パスパ文字は母音を明確に表記し、閉鎖子音の有声無声も区別があるのだから
モンゴル語を表記するには後に広まったウイグル式縦書き蒙古文字より優れていた。
声調言語で声調システムを持っていない表記法などいくらでもある。
インドシナ一帯の声調言語でインド系文字を使っているのは
補助的なもの以外は綴り字の使い分けなどで用を足している
中国西北から中央アジアの表音化漢語方言も声調を記さない表記法がある。
旧ソ連のドンガン語キリル文字やアラビア文字漢語の「小経児文字」など。
前者は新聞・教育・出版活動もされて現役、後者は数百年にわたるモスク文献の蓄積がある。
そもそも新字体がそうであるように
書きにくい文字には必ず筆記体が存在してる。
あとゾウに一つ言うがハングルは糞書きやすいぞ。
それだけはいっておく。 >>294
パスパ文字はウイグル文字の反省から生まれた文字だから、そうでなきゃ。
まあ元朝は異民族王朝の例外に漏れず「中国化」してしまったのがねえ。
よって漢字文化との平行使用が続けられ文字文化として自立できない内に
豊潤な漢字文化に飲み込まれ、国家と共に滅んでしまった。
そして結局はウイグル文字を改良してモンゴル文字を「作って」しまった。
とはいえ、辺境の寺院では近代までパスパ文字が使われてたというんだからおもしろい。 >>296
いや、その言い草だと満洲人と同じだろ。
どっこい絶滅寸前の満洲語と違ってモンゴル語は今もピンピンしている。
「北帰」して北元は続いたから明代でも「滅んでしまった」とは言い難い。
モンゴル人は一部の例外をのぞいて、むしろ例外的に「漢化しなかった」んだよ。
先に西征してイスラム文明・ヨーロッパ文明を見ていたせいで漢文化に対してクールで、心酔しなかった。。
漢化どころかパスパ文字ができた時点では日常レベルでは文字化すらしなかった。
>>297
「滅んでしまった」てのはパスパ文字の話なんだけどな。つか「モンゴル語」なんて言ってないよん。
元朝の継承国家である北元は17世紀前半まで存続したけど、文化の中心たる中原から離れ
「中国化(≒漢化)」から脱しもとの文化へ回帰したというのが大きい。
それすらできないほど大多数の漢民族の中で漢化してしまったのが満州人。
元朝は領内にゲルを立てるほどには遊牧民としての文化を維持できてたから、
確かに漢化は薄かったってことだね。
しかし政治や宗教など「先進科学」で漢化が積極的に推し進められていたから、
漢字文化圏からの撤退がパスパ文字の衰退に直接影響したのは確実だろう。 >>298
北側は良いとして、気になるのは南側なんだよな。
仏教とか、何故か北伝しているよな。
三蔵法師が持ってきたのは何の文字だか知らないけど。
で、一体南側に何があったのか?
蜀漢とかあったわリにはトンパ文字とか残ってるし
チベットで仏教は整理されて発展しているし。 >>298
もともとパスパはほとんど使われていなかったでしょ。
碑文と蒙古字韻を比べると使われ方に違いも多いし。 >>299
>三蔵法師が持ってきたのは何の文字だか知らないけど。
サンスクリットだよ。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Xuanzang#His_influence_on_Chinese_Buddhism
> で、一体南側に何があったのか?
内陸部は急峻な山々が入りくんだ複雑な地勢で、その分断された土地土地を
部族単位で占有する状態。アフガニスタンとかと似たような状況ね。
チベットに関しては、周辺部族を統一した吐蕃王国(7世紀前〜9世紀後)は
地の利を生かした精強な軍事国家で、先進国である唐の軍隊ですら一時期は
歯が立たなかった。まあ結局は宗教対立が王家を巡る内乱に発展し滅亡するんだけど。
その後のチベット系王国も近代に至るまでまあ似たような感じ。
チベット仏教はイスラーム勢力の台頭で中国が陸路でも海路でも輸入できなかった
インドの最後期仏教を色濃く継承しているといわれている。 >>300
そう。自分たちが使えるウイグル文字では領内の主要言語(モンゴル語と漢語)を
一律に表記するのに不向きだから、その為に造られたのがパスパ文字。
つまり共通語(という概念すら無かっただろうが)を書き表す文字ではなく、
どちらかといえば漢文仏典における訓註としてのカタカナみたいなもんであって、
もともと碑文・貨幣・印章など用途は限定されていた。
カタカナの方は後に漢字カナ交じり文で独立した表記文字として確立したけど、
パスパ文字は漢字文化圏からの離脱によりそのような発展の前で終わってしまった。 ウイグル文字から作られた蒙古文字にさらに改良を加えたオイラートのトド文字とか
有圏点満文とか見ると、パスパ文字なくてもなんとかなるもんだなって思う
満文のほうは漢語やチベット語などの満文音注付の対訳辞書が作れたぐらい >>302
認めたくないけど、ハングルをパスパの後継と見ると
パスパ文字は漢字圏から独立したうえでついに
独立した表記文字として完成したという事にもなるね。
ハングルはパスパ文字だけから生れたわけじゃないし、
パスパ文字にだけ似ているわけでもない。
むしろチベット文字やデーヴァナーガリーなどの北インド文字全般に似ている。
強いてハングルとパスパ文字の共通点を挙げるなら
中国式の印章や縦書きに向いた形をしていることだが、
悉曇を例に挙げるまでもなくインド系文字がすでに音節文字であり
音節単位の縦書きなど造作もない。
パスパ文字はそれ自体すでに「完成」しているし、
ハングルがその進化形だという根拠はない。
ハングルを何かに優った特別な文字、という方向に持って行きたがるのはいかがなものか。 >ハングルを何かに優った特別な文字、という方向に持って行きたがるのはいかがなものか。
朝鮮人自身らの言うようなカルトティックナ意味での
すごさはもちろん否定するべきだが、普通優れた文字だよ。
俺はそこを素直に認めてるに過ぎない。 ・・・・と言ってるそばから悪いが、ちょっと気が変わった。
まあこれは日本人が敗戦で自国文化の自身と配信基盤を
失った事が大きな要因なんだろうけど、今の日本人には
どうも外国の文化を、特に朝鮮や中国の文化や人を良く
思うという強者の余裕すら無いのかも知れない。
やっぱり日本が敗戦国というのが一番尾を引いてるのかな?
中国と朝鮮は敵であり、戦勝国の陣営だからというある種の
深層心理に、彼らを許せば俺たちが否定されかねないという
危機意識があるのかも。
>>307
ご冗談。敗戦国だからこそ贖罪意識を持たされ、
何がなんでも中韓を尊敬し何か素晴らしいところを見つけてべた褒めするように
仕向けられていたじゃないか。
そこを踏まえずに深層心理も何も無いものだ。 >>308
まあ余談だけれども、「中韓を尊敬」と表現するよりも、ソ連を尊敬してた
左寄りの教師とか多かった記憶があるな。 カタカナの日記はもういいよ
結局このスレって、表意文字 VS 表音文字 の不毛スレなの?
それとも漢字よりも合理的な表意文字を追求するスレなの? >>308-309
う〜ん、しかし・・・・
中韓もここ数十年で大きく変わったしね、そこまで
けぎらうことはないと思うんだよ。
今度は日本国が準社会主義的な状態になって
中国朝鮮を異常に嫌うような国になる必要ってのが
果たしてあるのだろうかと・・・・・。
戦前のような国政の状態に回帰するならわからんでもないが・・・。 >>310
このすれはゾウじゃない人が立てた別の漢字廃止スレなんだよw
>>311
また話が逆立ちしてるよー
こっちが嫌わなくても中朝韓は日本を憎むことを道徳的に正しい、義務だと思ってるわけ。
だからいろんな悪さを仕掛けてもくるし、意地悪もしてるわけ。
そんな相手にそこまで無防備でいていいのかって話だ。
断っとくがハングルはよくできた合理的な文字だ、ただしそれは朝鮮語を表記するときには、という限定が付く。
当たり前の話だ。最初からその目的で作られているんだから。
(漢語の字音表記というそれ以外の目的の字母や声調符号もあったが、忘れ去られている)
____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/ ⌒〈⌒|
.しi r、_) |
| (ニニ'. /
ノ `ー―i
>>318
「ただの」と言いたい気持ちは分かる。
しかしエセ民族主義なのはすでに何度も明らかになっているよ。
単に仮名使って何が悪い、というだけ。
しかも悪い点も続出。本人が理解できないだけ。
悲しいねw 漢字廃止するだけで、ただ今の仮名だけを
「民族文字」とするのも韓国の二番茶だよな。
ハングルはそれなりに思想的に開発された文字だし
彼らがあれを民族文字、独自文字とするには理にかなってる。
日本の場合は今更そんな事いっても不自然なだけだ。
もし漢字を廃止したいなら他の文字で代用したって
いいわけで、それが日本人の特性・特技でしょうよ。
英語仮名混じりとかさ。
どうしても国家的に独自でないとダメなら新しく
作るか、或いは漢字と構造の似ている、かつ使用者・後継民族の居ない
西夏文字でも活用することだな。 >>320
エセ ミンゾク シュギ と いう なら チュウゴク モジ を ありがたがって いる イマ の ニホン の ウヨク だろ。
チュウゴク モジ を ありがたがり、 ニホン ミンゾク が うみだした カナ を かろんじる の は、
タダ の ホシュ で あって ミンゾク シュギ では ない。
>>321
チュウゴク モジ を ハイシ し、 ミンゾク モジ だけ に する ハッソウ は ニホン の ほう が はやい。
ハングル モジ だって トウショ は それほど タイセツ に された わけ では ない。
ニホン の カナ ドウヨウ に かろんじられた モジ。
ニホンジン が カナ を つかう の は レキシテキ に みて も、 モジ コウゾウ から みて も しごく シゼン。
チュウゴク モジ を ハイシ する なら カナ を おいて ない。 >>322
仮名をうみだしたのは本当に日本民族なのかね? >>323
ニホン ミンゾク が うみだした モジ だ から こそ、
カナ は ニホンゴ と きわめて アイショウ が よい。 まあ、要するに漢字の字形を合理的に変形すればいいだけだよな。
字数を大幅に制限する合理性はなにもない。
むしろそういう文字の強制は反民族主義的と言える。 >>322
たしかにそれは言えるかもしれない。
そもそも日本は天武・天智という時代に新字を制定したらしいから。
(ただそれは今は失われた)
その後つくられた仮名も含め日本はどこよりも早く
独自文字を作成した。
>>323
カタカナは日本人がつくったものでしょうけど梵字のほかに
アルファベットをしってる人がつくったのでしょうね。
朝鮮のハングルも見事ですが日本のカタカナもあの時代からしたら凄く画期的だと思う。
平仮名もソグド文字(モンゴル文字の元)を意識してる感じがするし。 >(ただそれは今は失われた)
なんで残ってないの?
実は当時使われている国字のどれかなんだけど特定する資料が失われているって話? よくわかりません。
たしかに新文字ではなく新国字で則天武后の
則天文字のようなものかも分かりません。 まあいずれにしてもね、これからの時代は漢字廃止を
したほうが良いかもしれない。
それはなぜかというと中国の存在があるからね。
漢字を廃止して民族や国意識の独立性を日本人
自身が自覚していかないと日本人はどうせ中国人と
だらだらと家族的な付き合いをしていくに決まっている。
いまこそ日本も朝鮮を見習って漢字廃止の愛国デモをしていかないと
将来日本は東アジア共同体の一管国となってしまうだろうな。
(ただ、それも良いって人もいる) そういうのはあほのやること。
漢字仮名混じり文が日本人しか使えない以上、それを使えなくしようとするのは民族破壊の一環。
方言等を禁止し共同体としての新たな民族意識を捏造するのと変わらない。 >>329
ホントウ だ な。
チュウゴク モジ なんて つかって いたら ショウライ チュウゴク に ドウカ されない とも かぎらない。
カナ は ニホン の ドクジセイ の ショウチョウ でも ある。
ニホン の ミンゾク シュギシャ なら チュウゴク モジ など で なく、 カナ に こそ ホコリ を もつ べき。 >>330
もちろん漢字仮名混じりと言う伝統的な形もこれは
すでに完成されたものです。
日本文学は漢字仮名混じりが定式ですし、漢字を
用いる事であらゆる思考・推察が出来る。
これが常識的です。
しかし、だからといって漢字廃止を考えないのは
またおろかな事ではないでしょうか? >>332
カナは素晴らしい文字だと思う。
あんだけ考えて作られたはずのハングルとも引けをとらない。
それだけ完成されてる。
なぜだか知らんが、カナは単に漢字から流用されただけの代物じゃない。
造形的にかなり計算して作られている。
日本人の民族文字として不足はないだろう。
あと、韓国のホームページ(朝鮮日報だがw今回のフジテレビデモが掲載)を見ていたのだが
ハングルのみで記述されているのを見ると、結構勉強になるんだよ。
たとえば本の宣伝があるが、文字ってのは文学とか書籍に直接影響する。
日本は漢字仮名混じりが主流だがカナだけで書かれた本というのもこれもまた魅力的だ。
そういうのをね、日本人は韓国の漢字廃止の現状をよく観察して、廃止の思案を考えていく必要がある。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/08/21/2011082100709.html?news_Head1 久々に見に来たけど、スレ主の、日本語での漢字の使用がどう不合理なのか、の合理的な説明出てキタ? 別にいいんじゃないの?
朝鮮人が何しようが知ったことじゃないさ。
もう俺は別にどうでもいいわ、朝鮮もハングルも。
日本は日本だし。 韓国は漢字を棄てたわけではない。
>57 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2011/08/27(土) 13:21:36.73 ID:nax8KwKg [2/5]
>>>47
>お役人も漢字読めないみたいですよ >韓国
>
>ttp://japanese.joins.com/upload/images/2007/06/20070626180635-1.jpg
>※↑正しくは『国防部』なのに『国放部』になっちゃってる洒落にならない間違え
さらに、「長官」を「長管」と間違えるというおまけ付きw
漢字廃止なんて日本語ぐらい語数がないと無理だろ。
どれも同じような語で文脈ですら判断付かないんじゃね? >>340
防と放が発音で区別できないという噂は本当だったな。 そら英語でも injure と interest の in の違いを理解してる奴は少ないだろうが、
それでもこれらの単語を問題無くきちんと使いこなせてるようなもんだ。
単に見栄を張って漢字なんぞで書こうとしたのが間違いであって。 韓国人の意識には
ハングル < 漢字
という図式が未だにあるわけだね。 でも漢字は大事でしょ
日本人だって漢字と表音文字の両用で
ようやく高度な教養が維持できてる。
そう思うなら漢字を多く減らして代わりに
ハングルに置き換えたらいい。
というか、新字体と簡体字は良くにてるよな。
慣れてるせいか日本の新字のほうがよいと感じてしまうけど。
でも簡体字は信じたいに通じるから簡体字から移植するべき
字も結構ある。
簡体字を導入して新字体フォーマット完成させるのも試みと
しては面白い。
でもあれだな、簡体字はほとんど簡略化失敗してるな。
手直しが必要だ。 スレタイの表現は漢字を知っている人にしかできないような気がする >>329>>332
国家の独立は政治が独立していることを言い文化の独立とは関係ない。
政治の独立とは立法、司法、行政が自国民の意思のみによって執り行われ、
国王を自国民の意思によって擁立することを指す。
外国の植民地になった国が文化まで宗主国に従属することが多いのは、
立法、司法、行政が宗主国の言語や決まりによって行われることが多いからであり、
たとえそれらを自国の言語で運用したところで、
意思決定権が宗主国にあれば、植民地であることには変わりがないのである。
文化的な自立を目指すことに意味がないとは言えないが、
そんな暇があるのなら政治的な自立を目指す方がよほど意味がある。
事実欧米各国の言語は共通の源に端を発する兄弟言語で、
日本国内の方言程度の差ぐらいしかない。
でも独立国家としてそれぞれ機能しているだろ? 歴代中国王朝では漢族以外の民族が政権を支配しても、
支配者が被支配民族である漢族に同化して漢字・漢文を公式文書に使った。
元のフビライ・ハンが日本に送りつけてきた国書が漢文で書かれていたのはよく御存じね?
ラストエンペラー愛新覚羅溥儀も名前からして非漢族であることは明らかだけれども
(満州族)漢文を使ってた。
21世紀まで漢字が生き残り続けていたのは支配者側をも包摂する求心力を持っていたからと言える。
政権を支配したからと言って漢字から逃れられるとは限らないように、
漢字を捨てたところで政治的に独立できるとは限らない。
あと漢字を捨てたところでひらがなで書かれているのが漢語ならば実態として漢字文明から脱出したことになっていない。
逆にいえばいくら口合爾濱(ハルビン)とか斎斎口合爾(チチハル)とか書いてあっても、
漢語じゃないことは四つも漢字が並んでいるのを見ただけで明らかだろう。
こんなのは漢字文明とは無関係だ。
漢字を捨てるなら漢語を捨てることになるがそれは日本と言う国日本人と言う民族を消滅させて1から再建することに等しい。
そもそも国名や自分が住んでる場所の地名や自分の名前も漢語なんですが?
漢語が使えなければ私はどこの国のどの場所に住んでいる何と言う人間だと名乗ればいいの? あとここにいる人たちは文化と文明をちゃんと区別して考えた方がいい。
文明はハードの容器で文化はソフトのコンテンツだ。
文字は文明で書かれている文章の意味が文化だ。
パソコンやインターネットも文明で書かれた内容が文化だ。
文明は民族地域文化宗教関係なく普及するものである。
なぜならばそれを使えば文化を創造することができるから、金儲けができるからである。
文化の自立を目指すことは構わないが文明を捨てることと混同してはいけない。
文明ですら自国民が生み出したものでないと使いたくないと言うなら、
中国や欧米が文明を作りだす前に日本人が自力で文明を作らなければいけなかった。
それでも昔の日本人にその能力はなかった。
漢字の罪ではない。
漢字漢語が入ってくる前にそれら以上に発達した文明を作れなかった昔の日本人が悪い。 >>350訂正
漢字を捨てるなら漢語を捨てることになるが→
漢字文明から脱出したいなら漢語を捨てないといけないが
それと漢字文化が欧州の表意文字体系とは違った特殊な表記体系と思っている人が多いがそうでもない。
漢字一文字で単語に相当するのだから、そして漢字は音と意味両方を表しているのだから、
本質的には欧州言語と性質は変わりない。
意味をあらわす部分がついているだけより漢字が羅馬字に比べて情報量が多く優れているとも言える。
表音文字の欠点は、音声は地域や時代によって容易に変化するので、
広がりに乏しいということ。
漢字のような表意性の強い文字は地域や時代を超えて通用する。
だから方言差(というより雑多な言語の集合体)である中国は、
音声のみにたよった表記方法を採用すると国が分裂すると判断し、
漢字放棄を諦めた。
単語になってようやく類推がきく。
だから筆談は漢字文化圏特有の現象ではなく欧州言語でも成立する。
英米人はフランス語やドイツ語を耳で聞いてもまったくわからないだろうが、
文書でみたらおおよそ読めるはずだ。
追記・訂正
(欧州言語同士では、別の地域の言語を耳で聞いても理解できず、書面に書いた)
単語になってようやく類推がきく。
言語は変化するものだが、目安として
「親子の間で言葉が通じない」程度の変化は「文化侵略」と言えると思う。
教育ができないと言うことであり、
先人の持っていた魂がそこで断絶され消滅することを意味するからだ。
だから、一人の人間が生まれて死ぬまでの間つまり1世紀近くは、
理解できないほどの変化を容認してはいけないと思う。
漢字や漢語が外来語とみなされないのは、
「親子の間で意思疎通できない」ほどの変化を強いるものではなく、
長い時間をかけて浸透してきたからだと思う。 それと勘違いしている人がいるけど、
ひらがなカタカナは誰かが「さあ文字を作ろう」といって作りだしたものではない。
世の中の文字の大半が人為的にではなく自然発生的に生まれた。
なぜなら無文字社会では「文字」という概念がないからである。
坊さんが経典に速記したりなんだりしたうちに自然と生まれたのがかな文字なのだ。
だから「発明」などと大層な言い方をするのは間違い。
「発生」というのが正しい。
仮名という名の通り真名(漢字)に対して非公式のもの、準じるもの、と見られ長らく低い地位にあった。
親子で言葉が通じないという件について一言。
ベトナム難民の女の子を取材したドキュメンタリーを見たことがあるが、
その子は日本語しか話せないために、
ベトナム語しか話せない母親と話ができないのだそうだ。
同じ家に住んでいながらだよ。
だから必死にベトナム語を学んでいた。
今の日本でベトナム語勉強してたら、市場価値ないと笑われるだろうけどな。
それでも私は、どうせなら日本語か世界共通語の英語を学んで親子の会話に使えとは思わん。
娘がベトナム語を覚えなくなれば母親の魂は引き継がれず死ぬことを意味すると思うから。
だから、少なくとも、親と子の間で、
「意思疎通できる程度に」知識を共有することは必要だと思うんだ。 なんであっちのスレ落ちたんだろ。
要領オーバーか? いいサイトを見つけた。
どうやらカナモジ会のサイトらしい。
実は俺もこの事にすごく悩んでいる。
「漢字と日本人」を よんで ―エールと チューモン―
http://www1.ocn.ne.jp/~kanamozi/hikari914-0213.html 【国字】カナ専用スレッド15【尊重】 dat落ちしたの? 最近、再び再認識するようになったけどカタカナだけで書くと
アルファベットの大文字表記みたいで良いな。
あと、アルファベットとは違って大文字で全表記しても
読みやすいというカタカナの特性みたいなのが現れてる。
ただ、視覚的に見づらいという風に感じる人も当然いるだろう
から前にゾウが言ってたように「カタカナ+ひらがな」という
スタイルがアルファベットの大文字+小文字の表記として
ちょうど当てはめる事ができるな。
内田魯庵の漢字に対する考えはたしかに考えさせられる。
漢字全廃論、表音文字至上主義に対する反論がとかれてる。
歐人に封ぜられた漢字及漢文學
『内田魯庵全集第八巻』(ゆまに書房初版)を参照し、適宜(若しくは勝手に)漢字と假名遣ひを改めルビを加へた。
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/funaoto/bunko/uchida2.pdf
(歐人に封ぜられた漢字及漢文學テキスト)
http://seijiseikana.g.hatena.ne.jp/funaki_naoto/20090301
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