日本の漢字は
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漢字は支那から取り入れたものである。支那で造られたものである。
だから、支那を支配した國家が新しい字體を定めたら、其に従ふのが
當然である。それから、日本の漢字は同音異義語が多すぎるから、
字音は字音假名遣のままに讀むべきである。例へば、「玄」は
字音假名遣の通りにグヱン(gwen)と發音するのである。また、同じ
音讀みなのに漢音、呉音、唐音と何種類もあるのは明らかに合理性に欠けるから、
音読みは漢音のみとすべきである。從つて、「外科」、「和尚」は
それぞれグワイクワ(gwaikwa)、クワシヤウ(kwashau)と發音するのである。
かうすれば字體も簡單になり、同音異義語問題も解決する。
汉字は支那から取り入れたものである。支那で造られたものである。
だから、支那を支配した国家が新しい字体を定めたら、其に从ふのが
当然である。それから、日本の汉字は同音异义语が多すぎるから、
字音は字音假名遣のままに读むべきである。例へば、「玄」は
字音假名遣の通りにグヱン(gwen)と发音するのである。また、同じ
音读みなのに汉音、吴音、唐音と何种类もあるのは明らかに合理性に欠けるから、
音读みは汉音のみとすべきである。从つて、「外科」、「和尚」は
それぞれグワイクワ(gwaikwa)、クワシヤウ(kwashau)と发音するのである。
かうすれば字体も简单になり、同音异义语问题も解决する。 いまや、中国の教科書3000語中996語が日本漢語といわれている。
日本漢語は、日本人が漢字を組み合わせて新たに作ったものと
もともと漢籍にあった漢語に新しい意味を加えたものがある。
西洋の文化や科学が入ってくるにつれて、東洋にない言葉が同時に入ってきた。
それを日本語で表現するために、幕末から明治にかけて日本漢語が作られた。
たとえば、「people」には国家に参加する人々という意味があったが、
江戸時代の人にその概念はなかったので、支配される一般民衆と言う意味の「人民」
という漢語が選ばれ、「people」の訳語として使われるようになった。
「共和」は、中国に君主がいない時代が14年ありその時代を表す言葉で、
江戸後期の漢学者大槻磐渓が近代の概念を表す言葉に転用した。
つまり「人民」も「共和」ももともとは漢文にあった言葉だが、西洋の政治システムを知っていく中で
日本人が新たな意味を加えた漢語。
一方、「進化」とか「主観」とか「宇宙」などは
西洋文化を学ぶ際に日本人が漢字を組み合わせて作った正真正銘日本製の漢語。
福沢諭吉が広めた漢語は「権利」「義務」「社会」「経済」「演説」etc.
西周(にしあまね)が広めた漢語には「知覚」「意識」「哲学」「主観」「科学」etc.
フランス留学経験のある中江兆民は「象徴」「芸術」「自由」「民権」etc.
ニホンゴ の ハツオン の まま チュウゴク で つかわれて いる なら たしょう ジマン に なる なw
しかし ゲンジツ は カンゼン に チュウゴクゴ で よまれて いる から ニホンゴ の タンゴ なんて イシキ は カイム だろ。 日本人もカタカナで英語を受容して、完全に日本語で読んでるけど、
少なくとも英語の単語だという意識はあるぞ。 >>147 シナ人は自由、民主、人権、契約、著作権などの単語も日本語から採用したが、全然意味が分からず、言葉を輸入しただけという面もあるな。
>>147 高速鉄道技術と同じで、そのうちシナが独自に翻訳語を作ったと言い出すだろう。
もうここしかない
「九十」って苗字を見たんだがこれっていったいなんてて読むんだ?くじゅう?
気になって気になって眠れないんだ誰か教えてくれ >>152
くじゅう、くと、くつ
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211908812
じゃ、おやすみ。 >>153
ありがとうこれで8時間は寝れるようになる ホワイトボードとかに書き連ねるときは適当に簡体字混ぜると効率的だよね
門構えあたりは日本独自の簡体字使ってる人も多いでしょ >>158
新字体は戦後になって使われだしたと想ってる純真な旧字体愛好者乙。
戦前の手書き資料や民間の看板を見てみるといいよ。 そもそもうまれたものを破壊とは言わないのでは?
莫迦げだ理由で使えなくするのが破壊だろう。 >>161
新字體、詰り俗字を公式の場で用ゐる事は爲てゐない。
飽く迠其は民間レベルの話だ。 1)日本の漢字も簡体字にするべき
反対。当の中国でさえ、繁体字に戻そうという話しが出てる。
字形が複雑で書きにくいのが漢字の欠点だけど、繁体字の方が
読み易い。
2)漢字の読みについて。
日本語での漢字は、表意文字(中国では表語文字)なので、読み統一制限は
音訓読みという発明を蔑ろにしていると思う。逆に北京音の普及(取り替えではなく)
を目指すべき。 ふてんま きち の し の なまえが よめない、われわれは よめない もんじ:かんじを つかっている。
にほんじんは そうとうな ばかしゅうだん だよ。かんじ を やめて よみかき できる もんじを つかいません か。
もじ かくめい こそ にほん はってん の みち が ある。 3.11 いご げんぱつ かんけいしゃの なかに よめない ひとびとの なまえが でてきて、あきれた。
ひばくちの ちめいも よめない、まち や むら が ある のに おどろいた。 にほんじん は ぜんしん ぜんれい かんじ に おせんされて、ぼろぼろに なっている。
かな や ろうまじ の さいようが すくう みちだよ。 なまえ まで かんじ で かく、しな ぶんかけんない に くみこまれている。ざんねんだ。 >>163
民間レヴェルならOKなのかw
じゃあここで新字体を使うのは容認てことだね。了解。 読めない事には意味があるんだよ。
読めなかったことはわかる、つまり試金石になる。 >>170
繁體字を用ゐてゐる臺灣に於ても同じなんだが。
もつと解り易く例へれば、作家が「驛」と書いた場合、書肆側では之を「驛」と正字に置替へて吳れる。
新字は飽く迠俗字であつて、手書の勞を惜しむ爲の者に過ぎない。
況や、手書の勞が存在しないPCで、なにゆゑ態々俗字を用ゐるのかさつぱり解らない。
御前のレスが如何に幼稚で淺墓な者であるか知る可し。 >>172
元へ
作家が「駅」と書いた場合、書肆側では之を「驛」 >新字は飽く迠俗字であつて、手書の勞を惜しむ爲の者に過ぎない。
本人の弁を聞かなければ、それは定かではない。 略字として書く人も居るというだけの話で、それが決まってないからこそ俗字 >>176
本來は正字があつてこその俗字(新字)であつて、俗字を主として考へるのは完全に本末轉倒だ。 >>177
本末転倒とは、末を主体と考えることだ。
書いた方が本で、読む方が末、逆になることはない。 だって新字体に変えると元の意味がわからなくなるとかごねる人が居るから
だったら月と肉が別の形だったり口と呪術に使う器が別の形だったりする時代くらいに
もどるしかないかと >>172-173
> 繁體字を用ゐてゐる臺灣に於ても同じなんだが。
台湾の繁体にも日本の新字と同形のものが結構あるし、手書きの一部に簡体式の略字を使う人も大勢いるんだけどね。
> もつと解り易く例へれば、作家が「駅」と書いた場合、書肆側では之を「驛」と正字に置替へて吳れる。
そら出版社側の表記ルールってのがあるから、何を今さらそんなことを。
> 新字は飽く迠俗字であつて、手書の勞を惜しむ爲の者に過ぎない。
で、PCの故障などでやむを得ず手で書かねばならん段になって、その旧漢字が書けなかったり、
更に酷いと文字サイズの関係で潰された字形で憶えた幽霊文字みたいな旧漢字を書く
ってな状況が起こりうるわけだ。で、「手書きなら(労を惜しむため)俗字もおk」らしいんだが、
結局PCありきで成り立つ旧字文化というのは相当に危ういと想うよ。危機感は持った方がいい。
> 況や、手書の勞が存在しないPCで、なにゆゑ態々俗字を用ゐるのかさつぱり解らない。
自分がPCでも新字体を使ってるのは、導入が楽だし、サイズが小さくても潰れ難いし、
文字化けも回避できるし、何より読み易いからだよ。特に読み易さは重要。
旧字愛好者は明治期の冗漫な当て字や漢文調が好きな人が多いから、一層読み辛い。
(↓の「浅墓」とか「可し」とかね。そりゃこの位なら読めんことは無いけどさ。)
> 御前のレスが如何に幼稚で淺墓な者であるか知る可し。
そっちが旧字体を使いたいなら勝手にすればいいよ。我慢して読むからさー。
ただ、こっちが新字体を使いたいのも理解しとくれ。互いにそれなりに理由はある。 旧字体(繁体字)を正とするのは、漢字の成り立ちが残されているからで、
僕もこの意見に同調する。そして、じゃあ亀甲文字まで戻れというのは、
確かに理屈では成り立つのだけど、現実的ではないと思う。
現在日本・台湾・中国・香港・マカオで漢字が使われいてるけども、
中国(簡体字)日本(常用漢字) 台湾・香港・マカオ(繁体字)正字が使われている。
日中が略字を使っていて、人口経済規模も大きいけども、だからと言って日中に
統一するのは、今や勿体ないと思う。コンピューターで書字の困難さは大いに
軽減されているので、今こそ繁体字を正字として使うべきだと思う。
そのメリットは計りしれない。 >>184
公文書や書籍等は普通に?體字であるし、個人が普通の生活で用ゐる文字に?政府が?體字を押附けるのは常識的に有得ない。
略字・俗字の存在を否定爲てゐるのではなく、現在でさへ門構へは普通に手書では略字化される事もある。
其さへも普通の?字と爲て認識する事は無いのであつて、飽く?略字でしかない。
御前の論理は、其門構への略字も通常の?字と爲て認識す可しと云つてゐるに等しく、論理的に有得ない。
略字や俗字は、其以上の意味を持たず、字形としても何等の意味を持たない。 >>186
訂正
公文書や書籍等は普通に繁體字であるし、個人が普通の生活で用ゐる文字に?政府が繁體字を押附けるのは常識的に有得ない。
略字・俗字の存在を否定爲てゐるのではなく、現在でさへ門構へは普通に手書では略字化される事もある。
其さへも普通の漢字と爲て認識する事は無いのであつて、飽く迠略字でしかない。
御前の論理は、其門構への略字も通常の漢字と爲て認識す可しと云つてゐるに等しく、論理的に有得ない。
略字や俗字は、其以上の意味を持たず、字形としても何等の意味を持たない。 >略字や俗字は、其以上の意味を持たず、字形としても何等の意味を持たない。
それは書いた人しか決められない。
貴方が書く字には、それだけの意味しかないという話。
っていうかだから必要なくて使わない訳なんだろ。 >>188
元々手書の勞を厭うて存在してゐる略字に、字形の意味は何も無いのは自明の事だが。 >元々手書の勞を厭うて存在してゐる
貴方が思っただけ。
自分以外の人間がそうだと証明するのは無理。 >>190
正字を知らない奴は無理だらうな。
元々俗字しか知らないのだから。 >>187
先にも言ったけど、台湾等の繁体には日本の新字体まんまな字もあるぞ。というか、
我々の議論は日本での話だから、歴史的・社会的経緯の違う外国の例を出されてもそう意味は無いと想うし、
仮に持ち出したら持ち出したで上記の話から全ての新字体を不当とする理由は無くなる。
> 御前の論理は、其門構への略字も通常の漢字と爲て認識す可しと云つてゐるに等しく、論理的に有得ない。
評判が悪くて結局自ら取りやめちゃったいわゆる「朝日文字」も悪くないと想ってた人だから、
まあ個人的にはそれでもいいとは想ってるよ。特に門構えの略体は他の字の部品との被りが無い分、
音だけ借りたような変な当て字よりはよっぽど意味があるんじゃないかな。 >>192
君が正字に對する認識が殆ど無いのが良く解る。
もう少し新字新假字を定めた國語審議會の論理の曖昧さ、出鱈目さを勉强す可きだな。 まあ正字を定めた清朝康熙帝の論理の曖昧さ、出鱈目さよりは遥かにましだがな。 >>194
> 清朝康熙帝の論理の曖昧さ
はあ?? >>193
国語審議会の論理を勉強すれば、旧字に対する認識が高まるのかい?
イミフ。
>>194 の言ってるのは多分、旧字が字体の手本とした『康煕字典』だって
正字とその他を区別する理屈が十分に曖昧(恣意的)だということだろう。
まあその辺は旧字だろうと新字だろうとどっこいどっこいだから、
好きな方を使えばいいじゃん、と自分は言ってるわけよ。 >>196
> イミフ。
意味不明ならば此件に關しての素養自體が無いといふ事だ。
知らないのなら無理して語る事は無い。 正字いわゆる康煕字典体って無理矢理に楷書化したなんちゃって捏造字体だからね
>>197
説明したくないなら、無理して語る事はないよ。
声の大きい旧字愛好者はどうして、こう自己完結したがるんだろう。
その上、複雑な筆記はみんなワープロ頼りときた。真面目な愛好者が気の毒で仕方ない。 >>199
議論する上での基礎的知識が缺如してゐるのだから、根本的に話に成らない。 知識なら説明すればいいだけの話で、説明できなければ知識がないと思われるだけの話
知識ではなく言葉が違うことに気づいてないからそうなる。 >>201
議論する上での基礎的知識迠說明を要するのであれば、根本的に議論等出來やう筈が無い。 それをするのが言語学の役目だろう、やりたくなければ他の板で遊べばいい。 >>202
で結局、国語審議会の論理のどこに問題があるんだい? >>203
知らないのに言語板にゐる事自體が驚きだ。 各人が知ってるとか知らないとかは知ったこっちゃ無い。
説明できれば当然知ってることになるだろうが。 >>206
それとこれとは関係無いんじゃね。それとも何かの皮肉? >>207
どういふ經緯と意圖を以て新字新假字が制定され、亦其に對する反對運動や意見書が出されたのか、
其等の?史を知り且つ反對の意見書を讀んでゐなければ、一聯の話題の話は通じないし出來無い。 >>209
経緯と意図を知るなら最初からたどる必要があると思うが。
国語審議会だけを見るから飛躍しているように見えるだけの話だ。
大正デモクラシーからちゃんと見れよ。 >>210
其邊の或程度の知識がある事を前提に話を爲てゐるのであつて、
其を亦說明しろ何て云ふのは議論をする上で現實的では無い。
別に國語審議會のみを論つてゐる訣でも無い。 正字正かなスレが静かだと思ったらこんな所が伸びてたのね いちいち説明したくなければ引用すればいいんじゃないのか?
説明なんて一度すれば済むんだから。 >>211
>>209 を見る限りでは、反対運動の意見は全面肯定ってことか。
それだけよくご存じなら、それに対する再反対意見も数多出ていることもご存じのはずだが。 じゃ、ちょっと経緯をふりかえってみるか。
1923年(大正12年)、文部省臨時国語調査会が発表した漢字1962字とその略字154字は、同年9月1日実施予定であったが、同日発生した関東大震災により頓挫した。
この時点で、即時に実行できるほど議論も尽くされていたにもかかわらず、「地震は天からの警告だ」という非科学的な理由で反対運動が起きたわけだ。
1934年、臨時国語調査会に代わって、国語審議会が誕生。1935年に第1回総会が開かれ、漢字字体については、1937年に「漢字字体整理案」を採決した。
漢字字数については、1942年6月、「標準漢字表」案2528字を議決、12月に文部省から修正発表された。
仮名遣いについては、1939年に諸案の集成を発表し、1942年に漢字の字音について「新字音仮名遣表」を議決、答申した。
また、1942年に「国語ノ横書ニ関スル件」を議決、答申した。
このように戦前・戦中かけて、非科学的な反対派の迷信を抑えつつ、現在とほぼ同じ常用漢字が完成していたのだが、
迷信派にとって、関東大震災に匹敵するチャンスがやってきた。それが日本の敗戦である。
すぐさま、常用漢字はアメリカの押し付けだという言いがかりを始め、戦後の国語審議会を混乱させた。
結局、言いがかりだけでなんら科学的理由を持たない迷信派は、国語審議会の議論に敗れ、戦前・戦中に完成した新字が制定された。 >非科学的な理由
準備が整っていたという証拠は示されていないけど、仮にそうであったとすれば
流言が飛び交うようなどさくさにそういうものを決めたら何が怒るかわからないという意味で
極めて合理的な判断じゃないのか? >>216
だから国語審議会だけをみると飛躍してるように見えるって言ってるんだ。
ていうか、あんたその程度の知識があることを前提に今まで話してたんじゃないのか? 古くは明治新政府の頃、前島密による漢字御廃止之議があるね。
そもそも薩摩や長州の下級武士が形成していた政府だから、律令政府を受け継ぎつつも、徐々に公用文を簡略化するのは規定路線だったところを、大正デモクラシーの時代を迎えたんだよな。 >>217
今までって一体何の話よ?
私はどちらの味方でもないな、本人が好きな字を使えばいい。 >>214
問題の本質は、普通に正字及略字と公私の使ひ分けの區別は、國が特別定めなくても常識と罷り通つてゐた。
其を單に畫數が多いといふ理由で正字は廢して略字を當用漢字として國が勝手に定めて了つた。
其爲に當用漢字に含まれた漢字と、含まれざる者との間に字體の齟齬が生じてゐるのは自明の通り。
當用漢字制定は、單なる漢字破壞の所業に過ぎない。 旧字派(旧字体および歴史的仮名づかいの支持者)の人に対して思うのだが、
漢字の異体字についてはどのように考えているの。
たとえば国語問題論争史の最後に書いてあるあのくだりからは、異体字の使用は自由と読める。
土屋道雄の考えが旧字派の総意ではないが、異体字についてあのようにあいまいでは新字体には勝てないと思う。
新字体は常用漢字表によって字数の制限と同時に異体字の制限がかかっている。
旧字派は常用漢字表による制限はないほうがよいと考えるから、それを廃止すると当然ながら字体の制限もない。
字体の制限がないということは、異体字が使い放題だ。
多くの人が読めない異体字が世間で流通するのは、漢字を読めない人に不便を強いる。
あまりにマイナーな異体字はだめだがメジャーな異体字、たとえば弦と絃はOKとするという案はあるが、メジャーとマイナーの線引きがあやしい。
旧字体を使うにしても実用上字数の制限は必須ではないか。
>>221
異字體と云つたつて?史的に用ゐて來た字は限られるだらう。
別に異字體ではなくても普通に知らない漢字は幾らでも在る。 >當用漢字に含まれた漢字と、含まれざる者との間に字體の齟齬が生じてゐるのは自明の通り
これはある。だが常用漢字表に入ってない字は完全にではないが使わないようにするという了解があり、
字体の齟齬を目にする場面はわずかだろう。(常用漢字表の改悪で忌々しい二点しんにょうが入ったが)
自分はこれにいぶしかむ点があって、それは字体が食い違ったことをなぜ旧字派が問題視しているのかということ。
旧字派は漢字の制限に反対、つまり何を使おうがかまわないってのが基本的な立場だろう。
ならその立場からすれば、字体に食い違いがあって不格好であっても別にかまわないのではないか。
そもそも字の定義とは、その字を使うためにあるのであって、
使わなくさせるための通達は字の定義以外の何かだろう。 >>222
伝統ある正字を重んじていながら、異体字の多さを甘く見ているな。
日常的に使う語でもたとえば哥、歌、謌の3つ、體、軆、躰、体の4つ、鴉、雅、鵶の3つ、こういうのが平気ででてくるのだぞ。
漢字オタクでもない一般人にこういうのを全部使ってOKといえるか?通仮字も含めていいならさらに増える。
>>224
何の權限があつて國が其を定める。
齟齬を來す事自體が問題だらう。 >>226
其で何か問題があるのか。
一にしたつて壹、壹、弌と在るが、此等を『いち』と讀む事が難しい訣ではあるまい。
單に厭うてゐるにしか思へない。 >>227
何の権限って正字こそ清朝、康煕字典が定めたし明治政府がそれを踏襲したんじゃないか。
(清朝以前から篆書の字形を基準に楷書の字形を定めようという立場はあった)
表記を国が定めるのは不当だ個人の自由だいう立場と、正字支持は絶対に相容れないぞ。
>>230
そんな事はない。
自分は使えなくても相手が使う分には支障ない
サイの字が違ってもサイトウさんが怒らなければいいだけの話。 >>228
問題があるのかと来たか。世の中は残念ながら万人が漢字に通じているわけではない。
漢字を比較的多く知っている人の水準に合わせて漢字を使えば、漢字を知らない人たちが不便を被る。
程度の問題はあるが、漢字強者でなく漢字弱者に合わせるのが望ましいと思うぞ。
>>232
一體漢字弱?とは何處を基準に爲てゐるんだ。
抑、日本人が普段用ゐる漢字なんて?はが知れてゐるし、普通は正字にしたつて使用?度のい漢字を遣ふだらう。
異字體だつてが知れてゐる。
寧ろ其樣に漢字制限するはうが漢字を知る機會が減つて問題だらう。 >>234
訂正
一體漢字弱者とは何處を基準に爲てゐるんだ。
抑、日本人が普段用ゐる漢字なんて者は髙が知れてゐるし、普通は正字にしたつて使用頻度の髙い漢字を遣ふだらう。
異字體だつて髙が知れてゐる。
寧ろ其樣に漢字制限するはうが漢字を知る機會が減つて問題だらう。 高が知れているというのが甘い。使用頻度が高いのを使うというのも甘い。
1000字に平均で異体字が2個あればおぼえるべき字が2000に化ける。
常用漢字は今2000強。これ全部に異体字があるわけではないが、
単純に2倍にしてみろ。4000だぞ。しかも旧字派は常用漢字の枠の外の字を使うことも認めるのだから
その分の異体字もかさなる。これで高が知れているといえるか?
使用頻度が高い字を使うというのも甘い。
使用頻度が低いマイナーな字をあえてつかったやつへの罰則はないのだし、
使用頻度が低い字をつかうべきではないというのは
漢字制限と地続きだから、旧字派はそれを前面に出して主張はしないだろう。
加えて使用頻度というのが客観的ではないものだから、
たとえば秋に対して穐が使われないとは限らない。Eと渺のようにどちらが使用頻度が高いかよく分からないものもある。
漢字検定やってる連中に言ったほうがいいんじゃないか?
普通は熟語で書くのを無理やり一字にしたような字だらけだろ。 異体字は「いたいじ」と「イタイジ」の違いだと考えるべき。
書くのは何れか一方でいいので、特に覚える必要なんてないけど、
同じ字だと考えるのはおかしい。 >>220
> 問題の本質は、普通に正字及略字と公私の使ひ分けの區別は、國が特別定めなくても常識と罷り通つてゐた。
まあその常識というのも高々、本邦ででまともな印刷書体が生まれた明治以降に発生したものだが。
> 其を單に畫數が多いといふ理由で正字は廢して略字を當用漢字として國が勝手に定めて了つた。
理由はそれだけじゃないんだけど……。まさか、新字各案の中身を吟味したことがないってことはないよね。
> 其爲に當用漢字に含まれた漢字と、含まれざる者との間に字體の齟齬が生じてゐるのは自明の通り。
だけどその齟齬を無くそうとしたいわゆる「朝日文字」は各所から無視され自己解体。
> 當用漢字制定は、單なる漢字破壞の所業に過ぎない。
本邦への漢字導入以来、千数百年来の筆記の歴史の片鱗だよ、常用漢字は。
もちろん康煕字典体もそうした漢字の歴史の中の一部であるから、どちらも価値は同等だ。 >>237
麿・粂・此の位は直ぐ出るけど、外に何かあったっけ ゲームが流行った時期に子供向け番組でよく見かけたんだよなあ。
幗りみたいな感じだけど変換では簡単な熟語の方しか出てこないような字ばっかりで、
こんなの教えてどうすんの?って奴だった事しか覚えてないや。 其こそ昭和卅年代の映畫のスポットCMでも、普通に異字體は使はれてゐるし、
寧ろ解らないと云つてゐる手合のはうが恥かしいと思はないといけないだらう。
解らない事こそが恥と何うして思へないのだらうか。
不思議でならない。 異体字は知らなくても読めるけど、ゐみたいになると知らなきゃ読めないよなあ。 金属活字の明朝体なんてたかだか近代以後の産物だしな。
木版や木活字本では爲や曾はほとんど為や曽だし、まして者の点が
打ってあるのや二点之繞なんて刊本の伝統的には不自然極まる。
康熙字典絶対視の明朝活字より新字体の方が手書きの筆勢を反映した
刊本の伝統を汲んでいて人間的だと思うねぇ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています