日本語は助詞だけの言語
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名詞や各単語はすべて支那語かサンスクリットからの転用で、
それを補うように助詞がある。日本語は助詞だけでなりたつ
不思議な言語なのでは
ないだろうか? 大和言葉は単に訓読みとしてだけ残り、単語としてはもはや
滅びたと言ってもいい >>1 新聞語彙の70%がシナ語(日本製漢語を大量に含む)である朝鮮語ほどではない。
大和言葉とされてる単語もサンスクリットにそのまま出てる単語が多い >>1
できる もの なら ジョシ だけ で はなして みたら よい。 「すべて」「それ」「おぎなう」「ある」「なりたつ」「ない」
>>1の本文の自立語部分だけでもこれだけ和語があるじゃねえか
確かに自立語がほとんど漢語や外来語で助詞しか和語がないって文もあるけどな 名詞や各単語は全部外来語の転用で、補完用に助詞が存在。
日本語は助詞オンリーで成立可能な不思議な言語では? >>8-9
辞書に載っている語の異なり語数ではそのぐらいだが、実際に日常的な会話で使われる出現頻度では和語のほうが多い。
英語におけるラテン語系(フランス語系を含む)外来語も日本語の漢語と似た状況。
硬い文書ではラテン語系語彙が頻出しても、日常的な会話ではゲルマン語系の語彙のほうが多くなる。
ラテン語系は漢語と似て硬く公的な語感がある。
例えば英語でも、ほとんど全てがフランス語系、ラテン語系語彙という文も存在する。別に日本語だけじゃない。
近くで言えば、朝鮮語だって日本語とよく似たような状況だろう。 >>2
> 大和言葉は単に訓読みとしてだけ残り、単語としてはもはや
> 滅びたと言ってもいい
だからいちいち嫉妬すんなよ
中国語なんてきもすぎるからな >>1 名詞「や」各単語「は」「すべて」支那語「か」サンスクリット「からの」転用「で」、
「それを補うように」助詞「がある」。日本語「は」助詞「だけでなりたつ」
不思議「な」言語「なのではないだろうか」? 漢字は外国語じゃん(大和読みは無効と考えて)それだと助詞以外のすべての
単語は外国語だよな。 カンゴ と いって も コダイ の チュウゴクゴ が ニホン の オト に ヘンカン され、
さらに ニホン シキ に ヘンカ した もの だ から、
ガイライゴ とは いえない だろ。 その定義なら、カルタやバッテラやカステラは外来語でなくなるな。
って、そんな訳あるかいw エイゴもフランスゴも仮名で書けば皆日本語になるかもw トカゲ<トッケイ、アシカ<アス・イカンなどもインドネシア語由来の外来語か?
>>17
しかし、 ニホンゴ の カイシャク では そう なって いる な。
>>18
ニホンゴ だろう な。
ガイライゴ も ニホンゴ の ウチ。 リヤカースレで、アイヌ語は日本語なのかとか議論になってたが。 そりゃ日本語式の音韻になった時点でどんな外来語でも「日本語」の語彙にはなる。
だが、それはあくまでも外来語というカテゴリーに入る。 >>21
アイヌ-ゴ の ゴイ を ガイライゴ と して つかう ブン には ニホンゴ。
アイヌ-ゴ ジタイ は もちろん ニホンゴ では ない だろ。
>>22
なにも オレ が いって いる わけ じゃ ない。
ニホンゴ の ゴイ は イッパンテキ に、
ヤマト コトバ と カンゴ と ガイライゴ で なりたって いる。
だから ガイコクゴ で なく ガイライゴ と いう わけ だろ。 「エイゴもフランスゴも」とあったら英語とフランス語だろ? カナ で かいて も エイゴ や フランス-ゴ の ハツオン で よめば ニホンゴ とは いえない だろう な。 >>24
アイヌはアイヌ人か日本人か、
アイヌ言語はアイヌ語か日本語かって話だな。 >>27
カナ で かこう と ガイコクゴ の ハツオン で よめば ガイコクゴ。
たとえば 「タオル」 と カナ で かいて も 「táuəl」 と よめば エイゴ と なる。
>>28
ニホン コクセキ を もって いる アイヌジン は ニホンジン だ が、
アイヌ-ゴ が ニホンゴ に なる わけ では ない。 日本語にはそもそも日本人が使う語といった意味しかないとすれば、アイヌが日本人なら日本語の一種だろう。
それを倭語に再定義しただけの話だね。 >>30
そもそも ゼンテイ が まちがって いる。
ニホンゴ は ニホン コミン が つかう ゲンゴ で なく、
ニホン ミンゾク が コライ から つかって きた ゲンゴ の こと を さす。 ニホン ミンゾクってなんだ?大和民族なら知っているけど。 ヤマト ミンゾク と よんで も いい。
むしろ コチラ の ほう が ホンライ の ヨビカタ だ な。
ゲンダイ の コクゴウ は ヤマト で なく ニホン だ から、
ベンギジョウ、 ニホンゴ と よんで いる が コチラ も ヤマトゴ の ほう が ふさわしい と いえる。 >>29
だからさ、仮名で書いたら日本語の発音だろw
助詞は日本語と朝鮮語は殆んど同じだろ?
大和言葉だと思われている言葉も中国語とよく似ている。
アジア大語族みたいなものがあって、遠い昔に分岐して
それぞれの言葉になったと考えるべきだろう。
日本国は山形にある。
ここの言葉が日本語なのではないか? >>38
別名の石鉢(いまくさ)山ってのは知ってなきゃ読めないなw ガイライゴ を いっさい つかって いない ゲンゴ など カイム だろう。
しかも ニホンゴ の バアイ は ガイライゴ に ついて も かならず サイゴ に ボイン を ともなう から、
きわめて ニホンゴ-カ した ガイライゴ に なって いる。 ある言語に導入された外来語がその言語の発音規則に組み込まれるのは、
別に日本語に限った話じゃないけどね。 サンスクリット
「ない」→ナ 日本語で「ない」
「なまえ」→ナーム 日本語で「なまえ」
日本はサンスクリットからかなり影響を受けている >>36 >>助詞は日本語と朝鮮語は殆んど同じだろ?
・・・主格の「が」、疑問詞の「か」以外に似ているものは皆無だがな。
「が」は用法が一致しないし。
>「なまえ」→ナーム 日本語で「なまえ」
「なまえ」は「な」と「まえ」の複合語だ!
遡るとしてもサンスクリットじゃねえよ!!!!
欧亜北阿北米共通のノストラティック祖語のレベルだ!!!
無知すぎて話にならねえ! どう みて も ネタ だろ。
いまさら そんな セツ を ホンキ で となえる ヤツ が いる とは おもえん。 SOV形式の膠着語という点さえ共通していればどんだけ語彙を入れ替えても言語として成立するという事実から妄想した、それらの言語は全て同祖という考えがアルタイ語族とかツラン民族主義。
語彙の借用が盛んな膠着語に対して印欧語でやったような比較を行っても無意味。 >>51 語彙といっても助詞・助動詞のような文法的要素の共通性もあるから妄想と片付けるのも無意味だろうな。
特にそういうのがまとまってあれば偶然ではないだろう。 極端な話、助詞類と「〜する」動詞の活用さえ身につければ、
他を外来語で構成しても、立派な日本語になると言えばそのとおりかもね。 >>53
>>9は>>1の焼き直しなんだけど、>>10とか普通に話してるよな。 >>53 いやそれは立派な日本語でなくて片言の日本語になるだけだ。
>>37
「手」は「しゅ」だが「tsyu」のように読み、これから「s」が抜けて「ちゅ」になる。
「ちゅ」から「て」に変わるのは造作も無い。
「目」は「mok」だが「me」と似ている。
「口」は「kou」だけど「kuti」。
「鼻」は「hi.bi」が「hana」
「花」は「far」だが「r/n」交替を考えると「fana」になっても不思議はない。
「名」は「mei」だが「m/n」交替を考えれば「na」に変わっても不思議はない。
「俺」は「en」だが「r/n」交替を考えれば「ore」でも不思議はない。
「金」は「kin」だが、そのまま「kane」だろう。
「鳥」は「tyou」だが「tori」と似ているだろう。
「背」は「ji」だけど「se」と似ている。
「唖」は「a」だが「osi」となっても変ではない。
「汲」は「kyu」だけど「ku」mu となっているから関連ありと考えられる。
上げるいとまがない位だ。
それから日本語では疑問文の末尾に「・・・か?」を付けるけど、
中国ごでは「・・・嗎?」を付ける。
タイの方ではやはり「・・・カ?」と言う疑問文があるようだ。
韓国語でも「アンニョンハシムニカ」は「安寧でしたか」という意味だから、
「カ」は疑問詞だろう。
「マ?」は日本語の「か?」に対応するのだ。
そこで考えてみると中国語では「母」を一般には「mama」と言っている。
「m」が「k」に変わるなら「mama」が日本に来て「kaka」になった可能性もある。
「k」と「h」音は交替するから「kaka」が「haha」になった可能性も十分にある。
良く見れば日本語と中国語はよく似ていると言える。
仮に mama kaka haha が同一語源だとして、そうなるとどこまでが同一言語と言えるのかわからなくなるよな。
倫敦橋をロンドン橋と読む分には別言語の存在がわかるけど、ブリッジが外来語として通用するようになって、
ロンドンブリッジになると単なる訛りでしかないし、多分英語の発音でも通じる訳で。 >>54
英語や韓国語にも『ルー大柴』語がけっこう成り立つんだろうか? 日本語を改良すればエスペラント語よりも優れてエスペラントらしい国際補助語になったんじゃないか?? >>61
カイリョウ など しなく とも ヒョウキ を カナ だけ に して いれば アジア の キョウツウゴ くらい には じゅうぶん なりえた。
ケイザイ キボ と くらべて ニホンゴ が ひろまなかった ゲンイン は ナンカイ な チュウゴク モジ の シヨウ に ある。
とくに ニホンゴ の チュウゴク モジ は ナン トオリ に でも よめる から、
ホンケ チュウゴク より カクダン に むつかくしく なって いる。 日本語最大の欠陥である同音異義語を無くさねばアジア共通語になどなれまい。 ある意味漢字は「共通語」だったよ。
部分的には、漢字を介して日本語が中国語圏に影響したから、今でもそうかも。 >>63
ケッカン が ある ゲンゴ なら ニホン での キョウツウゴ に なる こと が そもそも フカノウ。
ニホンゴ は ハツオン も やさしい から ヒョウキ を カナ に する こと で、
ガイコクジン にも カンタン に はなせ、 ヨミカキ できる よう に なる。 語呂合わせではない。
まともに勉強しない言語学者がアホなだけだ。
AN語との近似とか、朝鮮語とかの共通点を探ろうとしてはいるが、同じモンゴロイドだ。
分岐した時代の違いがあって、中国語との分岐は一万年前とか、朝鮮語との分岐は5000年とか、
そう言った時代に分岐して交流が無ければどんどん変化して違う言葉になっていく。
おいらにゃ、島言葉も下北弁も日本語とは思えないくらい理解できん。
コトバ の オト など かぎられて いる の だ から、
その テイド の ルイジ なら あらゆる ゲンゴ で みいだせる だろ。 中国語と日本語の類似には一つのルールで成り立っている。
例えば
「蝉」。中国語では「sen」だが日本語で「semi」
「金」kinが「kane」になるように後から母音が追加されている。
中国の方で母音が消えただけかもしれないが。
「銭」も「zen」から「zeni」になる。
これなどは8世紀に来た言葉だろうが。
「蛙」も「kei」が「kaeru」
偶然では済まされないくらいの相似がある。
日本に稲作水田を伝えたのは中国江南から来た半農半漁の人々だったろう。
この人たちが言語を伝えなかった筈がないではないか。
「田」は「den」であり、「ta」に変わったのだろう。
「苗」が「myou」であり、「m/n」交替して「nae」に変わった。
「茎」は「kei」から「kuki」に変わった。
「米」は「mai」だが「kome」となっており、
「mai」から「me」になり「接頭詞」の「こ」が付いたと考えられる。
外来の物には外来語の名前が付くのは当然だ。
長い年月のうちに大和言葉として定着したのだろう。
「馬」については朝鮮も中国語も「ma」だからどちらの言葉か区別出来ないが
「ma」に「u」がついて「uma」になる。
「梅」は中国語で「me」だがこれに「u」がついて「ume」になった。
梅の木は奈良時代に中国から伝わったとされている。 >>71
> 中国語と日本語の類似には一つのルールで成り立っている。
ごめん、頭悪いから、どこにひとつのルールがあるのかわからない・・・ >>71 銭>ゼニなら田>デニにならんと辻褄が合わんな。
>>72
ごめん、ちょっと間違った。
ルールは一つじゃない。三つくらいあるね。
末尾母音の追加。
一音の言葉に接頭詞がつく。
子音交替。
海と言う日本語だけど、
今は中国では「hai」と言うが、昔は「me」と言っていた筈だ。
なぜなら「海」には「毎」という旁が入っている。
「毎」は「mai」であり、中国語では旁が読みを表す。
「母」も「mo」だし、「m」音を含んでいなければおかしい。
中国語でも「毎」は「m」音を含んでいた。
そう考えれば、中国でも昔は「mi」と読んでいて、
これに「う」がついて「umi」になったと考えるべきだ。
ちなみに韓国では海を「he」と言うが、金海は「kime」と読む。
中国も韓国も昔は同じ「me」あるいは「mi」と読んでいたと
考えるべきだ。
東アジア大語族なる物があった可能性は高いと思うがね。
>>73
ルールに例外は付き物。 >ちなみに韓国では海を「he」と言うが、金海は「kime」と読む。
wwwwwwww 言葉が數多存在する以上、似た音が在っても不思議ではない。 そもそも3000年前の江南のが漢語系かという問題も
チベット・ビルマ語族でも漢語とは別系統のかも
これは安本美典の説か たかが 2500 ネン マエ に タイリク の ゲンゴ を はなす シュウダン が ニホン に わたって きて ソレ が ニホンゴ の キソ と なった の なら、
もっと カンペキ な オンイン タイオウ が タイリク の ゲンゴ と あって しかる べき だ な。
ホンド ニホンゴ と オキナワゴ は 1500 ネン イジョウ マエ に わかれた と いわれて いる が、
コチラ は カンペキ な オンイン タイオウ が ある。 沖縄は800年前に高麗人によって支配された。
半島高麗語の影響があっても不思議はない。
グスクと言う城は朝鮮式の城だがね。高麗瓦の出土もある。
http://syurijyou-kigen.seesaa.net/article/167471693.html >>81 また朝鮮人の捏造話を広げる魂胆がアリアリだな。
朝鮮語でシロをグスクという証拠をあげろ。 グスクは沖縄語だ。日本語ではない。聖域と言う意味だろう。
朝鮮式城に沖縄語を当てはめたのだろう。
関東連合死ね!
朝鮮総連死ね!
民団死ね!
日本共産党死ね!
ブリティッシュカウンシル死ね!
革マル、中核、社民党、民主党、「がんばろう、日本!」国民協議会死ね!
山口組、稲川会死ね! ネトウヨの仕業と思われるコピペ荒しがこんなところにまでw 海を「うみ」と発音する意味はなんだろうね?中国思想の影響かな 日本語では海は「あま」だ。
漢字が入って来た頃に百済から海を「み」と読む読みが入って来た。
一音の言葉では言いにくい事があって前に「う」が付いたのだろう。
「うみ」の読みも「あま」も近い言葉ではあるがね。
ちなみに、天を「あま」と読むようになったのは奈良時代からだ。 海の境を指す「うなさか」と言う言葉がある。
広々とした海を指す「うなばら」と言う言葉もある。
ウとはなんだろうな。 海のことをワダツミというがこのワダは南島語batangという説がある。
一日中、バタン、バタンと波が打ち寄せている擬声語だろう。
water,wasser とも似ているが、これは水をバシャバシャかける擬声語だろう。
ギャク に いえば ニホンゴ の ゴゲン が ガイコクゴ に つながる なら、
その ガイコクゴ の ゴゲン が ニホンゴ だ と いう こと も できる な。 >>94 高句麗語 内米(ナミ)=海
ツングース語 ナム・ラム=海
ところで、「助詞」を英語で何というんでしょうか?
国際的な言語学には国文法にいう「助詞」に該当する概念はあるのでしょうか?
「後置詞」とか「接尾辞」の一種かとも思いますが、後置詞なのか接尾辞なのか?
日本語の正書法がそもそも分かち書きをしないので、どっちか区別がつかないです。
>>98 助詞=helping wordではないかな。
そのものずばり直訳ですねw
国際的に、言語学的に、通用するんですか? >>101
だからそれは「助詞」の訳として適切なのかと>>98は問うているんでしょう。
>>102には「助詞」という訳が書かれていないのは見て分かるはず。
つまり、「助詞」というのは言語学的には存在しない用語なんだよ。 >>98
>ところで、「助詞」を英語で何というんでしょうか?
エイゴ バン の ウィキペディア では ジョシ は 「Japanese particles」 と なって いる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_particles
>「後置詞」とか「接尾辞」の一種かとも思いますが、後置詞なのか接尾辞なのか?
ジョシ なの だ から セツビゴ で ない の は たしか。
ウィキペディア では ニホンゴ の ジョシ は ガイコクゴ の コウチシ に あたる と かいて ある な。 ttp://ejje.weblio.jp/content/particle によりますと、
particleには、不変化詞、小詞、もしくは、小辞、接頭辞・接尾辞
のいずれかという訳語が与えられています。
「不変化詞、小詞」とは、ttp://ejje.weblio.jp/content/particle によりますと、
「副詞の一部・冠詞・前置詞・接続詞・間投詞など語尾変化のない品詞」とされます。
助詞は、たしかに、この不変化詞のカテゴリーには該当しそうな気がするのですが、
それがそのまんま助詞のカテゴリーと定義してよいのか判断しかねます。
そうすると、接続詞やら間投詞までも助詞ということになってしまいそうですので。
となると、もう一つの訳語である小辞、接(頭・尾)辞ということになります。
つまり、後置詞ではなく? あくまでも接辞であると??? >>103
> >>102には「助詞」という訳が書かれていないのは見て分かるはず。
> つまり、「助詞」というのは言語学的には存在しない用語なんだよ。
「文法不変化詞」には「助詞」も含まれるでしょ。それ位は察してね。 >>106
「含まれる」のと「同義」は違いますでしょう?
「含まれる」というならば、接続詞も間投詞も副詞の一部も前置詞も冠詞も
すべて助詞と同義ということになりますが。
「ああ」「やあ」「まあ」「えい」「とう」「おお」「もしもし」までも助詞とは
ふつう言いませんよね? >>105
> つまり、後置詞ではなく? あくまでも接辞であると???
後置詞(postpositions)は別に否定されてないんじゃないかね。
これだって小詞(particles)の一つなんだから。
>>107
> 「含まれる」というならば、接続詞も間投詞も副詞の一部も前置詞も冠詞も
> すべて助詞と同義ということになりますが。
「A⊃B」という関係なのに、BがAと同義(=)にはならないでしょうに。
日本語文法を西洋文法に無理矢理「翻案」してるんだから、どうしても細かい概念は
包括的に捉えざるを得なくなるんじゃないかな。 英和辞書の誤訳にはparticleは接尾辞とあるのに、結局、後置詞ということになるの?
>>104さんが書くには、wikipedia英語版の著者は後置詞に相当すると定義しているようですが。 「自立語+助詞」を不可分なひと纏まりとするならば、助詞は接尾辞。
「自立語」+「助詞」を別個とするならば、助詞は後置詞。
つまり、文法の捉え方次第。まあ、後者の方が一般的だろうけど、
この板でも日本語の「名詞+助詞」を格変化と捉える御仁がいる。 とすると、日本語国文法の助詞は、particleと意訳するよりはpostpositionと意訳したほうがよさそうなのに、
英和辞書ではparticleのほうを選択しているのはなぜか? >>99
auxiliary wordとか、accessory wordとか? >>112
格変化として捉えた方が西洋人には馴染み深いからじゃないかな。
日本語と同じ膠着語であるハンガリー語やフィンランド語すらそうなんだから。
その代わり、格の数が15だの20だのってなことになってるけどねw
日本語の助詞というカテゴリーには節・句・文全体を修飾する終助詞みたいなものも含まれるからなあ。 「おう翔太、お前東京の大学出やったな。お前1〜10まで数えてみい。」
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」
「なんやそら、全然出来てへんやないか。舐めとんか」
「1!2!3!…」
「違う!もう一遍」
「1!!!2!!、」
「違うもうええ!哲、お前やれ」
「12〜3〜4〜5〜67〜89〜10。」
「…。こうやろうが。大学まで行かしてもうて数の数え方も知らんのかいな。
親御さん泣くで。英語もええけど日本語ぐらいまともに喋れるように勉強せえ。
なにも敬語を完璧にせえとか求めとらん。お前らどうせ無理やろ。けどな、数も数えられんかったらわしらの仕事命に懸わるんや。
哲でも昌でも、先輩によう聞いて、しっかり憶えとけ」 助詞の英訳が英和辞書を引けばで解決できると言ってた人はどこへ逃げた? >>118
>>101-102あたりじゃないか。英和辞書を引けばいいじゃんみたいなマヌケなレスしていた。
>>98が調べた上であえてしている質問だとは思わなかったんだろう。 >>121
>>98 の文から辞書を引いたかどうか判定できたのなら、結構超能力あるよw
だから >>101-102 は「辞書を引いてないのか?」と問うたのであって、
それを見て「英和辞書を引けばで解決できる」と解釈したおたくも >>117 もかなりの超能力者だね。 「……なんで辞書を引こうとしないの?」を
辞書を引いたかどうか質問したと解釈するのは
かなり無理があるけどなw
どう読んでも、「辞書を引かない(で質問する)理由はなぜ?」
としか解釈しようがない。 まあ、辞書を引いて考えることをすすめているけど、解決できるという保証はしてないな。 >>98が答えを予期して↓ここまではっきり書いているのにね。
> 「後置詞」とか「接尾辞」の一種かとも思いますが、後置詞なのか接尾辞なのか?
>
> 日本語の正書法がそもそも分かち書きをしないので、どっちか区別がつかないです。
けっきょく>>98の書くとおり、後置詞(postposition)なのか接頭/尾辞(particles)なのか、
ってところで、いまのところ誰も答えられないじゃないか。>>98に逆戻りってことになっている。
まあ、最初に質問を書くと、後に続く文はちゃんと読まない人が多いんだよな。
逆に、途中で疑問を書くと、最初に書かれた結論は忘れ去られるから不思議。 >>98が訊きたいのは結局のところ日本語の助詞は接辞なのか(後置)詞なのかってことだよね?
仮名の綴りだと分かち書きをしない。
しかしローマ字書きの場合は助詞は独立の単語として分かち書きされることが多い。
ところが、仮名で綴った場合に分かち書きをあえてするとローマ字書きとは違って、
「私 は 日本語 を 話します」とは書かず「私は 日本語を 話します」と書く人が多い。
つまり、綴りを見ても結論が出そうにない。
英和辞書を引けば引いたで、接辞という意味をもつparticleと訳されているかと思えば、
別の資料では後置詞と直訳できるpostpositionとも説明されたりしている。
だから英語訳を参照しても、この疑問には簡単に答えが出そうにない。
とすると、言語学的(専門的)には実際のところどう考えられているのですか?と。
>>128
カナ での ワカチガキ も ジョシ を クベツ する タンゴ シキ が イッパンテキ。
ニホンゴ でも ジョシ と セツジ は メイカク に クベツ して いる だ から、
ニホンゴ の ジョシ は コウチシ と みて おけば マチガイ ない の では ない か。 >>129
>タンゴ シキ が イッパンテキ。
「タンゴ シキ」ガイミフナンダガ。
ちゃんとかんじでかいてくれよ。 この ブンミャク に おいて タンゴ シキ の イミ が わからない の で あれば、
チュウゴク モジ を つかおう と わからない の では ない か。 わかりますよ、いとも簡単単純にわかる
やってみればいい どう わかる の か グタイテキ に いえない ヤツ の セットクリョク は カイム。 >>129
◆KoZTgemFLMさんのような分かち書きをする人はそういない気がするんだけど、そうなのかな?
国語の文法書とかを見ると、あくまでも文法的な分かち書きだけど、「ぞうは はなが ながい」
としてある場合が多く、「ぞう は はな が ながい」というのは珍しいように思います。
しかも、「ぞうは、はなが、ながい」とは書けても「ぞう、は、はな、が、ながい」とは書けない。
名詞と格助詞または係助詞との間に読点を入れることができないことから考えると・・・ >>136
タンゴ シキ は めずらしく ない。
むしろ カナガキ を シュチョウ して いる モノ は タイハン が タンゴ シキ で かいて いる。
ブンセツ シキ は きわめて まれ。 >>133
「この」「の で」「では」は、それぞれ「こ の」「ので」「で は」と書くべきではないの?
そのへんの統一規則はどうなっているんでしょう? >>136
「どう」わかるかなど無関係w
やってみればいいでしょ
やってみるより具体的なことはないでしょw
どうなの? >>138
「この」 は レンタイシ。
「ので」 は ジョシ と ジョドウシ だ から つづけない。
「では」 は ジョシ ドウシ の レンゴ だ から つづける。
>>139
わかる の が ジジツ なら グタイテキ に セツメイ できる だろ。
カンカクテキ な もの だ から セツメイ できない わけ だ。 やれるのかやれないのかやりたくないのか知らないが、いっけんにしかずってことだが? >>140
やれるのかやれないのか?それともやりたくないのか? >>140
なぜ >>142 の トイ に こたえない? アルファベット表示ではモンゴル語・トルコ語の助詞はだいたい接尾語として扱っているな。
>>140
連体詞というのは国文法でも不要な品詞だという見解があるらしいな。 >>140
やれるのかやれないのか?それともやりたくないのか?
なぜこたえない? 他の板がキャップ・削除パス漏れで大変な騒ぎになっているので、
万が一この板にも被害が及んだときに備えて避難所のアドレスを貼っておきます。
言語学・日本語・方言
http://jbbs.livedoor.jp/study/10958/ >>145
ヤクワリ が はっきり して いる から なくす ヒツヨウ は ない と おもう が な。
コレ が フヨウ なら フクシ も フヨウ と なる。
メイシ に ジョドウシ が ついた だけ の ケイヨウ ドウシ は いらない が。 言語学では、格助詞は clitic と言われることが最近では多いのではないでしょうか。
日本語では「接語」などと訳されることが多いようです。接辞(affix)と語(後置詞)の中間といった単位です。
音形(とアクセント)が一定、あるいは規則的に変化するという点では、接辞よりも独立度が高く、
つねに他の自立語と一緒でないと発話できないという点では、語よりも独立度が低い。
そのような単位を接辞や語と分けて、「接語」と呼んでいます。
日本語の格助詞や副助詞は、この接語に近いのではないでしょうか。
ただし、日本語の格助詞、副助詞および「助動詞」などと呼ばれるものは、
文法理論や文法学説によって接辞と分類されたり、語(後置詞)と分類されたりします。
定説はない、というのが現状です。 >>150 モンゴル語やトルコ語でも語幹に続けて書いたり、分かち書きしたり、基準がはっきりしませんな。
英語で slow ly,look-ed などと書くことはないのにな。
>>151さん
そうですね。
言語学では表記(分かち書きしているかいないか)は接辞か語かを決める基準になりません。
表記には表記独自の伝統的な慣習があるからです。
モンゴル語やトルコ語の場合(よくは知らないんですが)語幹末によって、くっつくものも形が変わりますよね。
そういう場合は、語幹によって規定されるところが大きいので独立度が小さく、接辞とみなされるのが一般的なのではないでしょうか。
日本語の格助詞などは、モンゴル語派やテュルク語派の言語と違って、接辞というには独立度が高過ぎることから、
接語(あるいは語)とされることが多いのではないでしょうか。
(ただし、奥田靖雄らの教科研文法では、接辞扱いですね。そういう立場をとる研究者もいます。) ベトナム語のように、1つの名詞であっても音節ずつに分かち書きする習慣の言語だってあるからな。
ましてや語尾だけ分かち書きなんて、珍しくもなんともない。 >>152
トルコ語に代表されるアルタイ語っぽい言語にはいわゆる「母音調和」があるので、
日本語でいう「…ですか」の「か」の母音部分が五段活用みたいに変化しますね。
でもこれは、分かち書きが綴り上の便宜や慣習であるように発音上の便宜・慣習であって、
母音調和もまた、狭義の文法(統辞構造)とは独立と見なせるのでしょうかね。
分かち書きが綴り法であるのと同様に、母音調和は発音法と見なせますから。
これによって意味論に変化が起こるわけじゃありませんし。
たとえばスワヒリ語の場合、人称から時制からすべて接辞を動詞にくっつけて表現し、
母音調和はありませんから、接辞を日本語の助詞のように接語とも見なせるような気もします。
ただし名詞のクラスという概念があるので、その意味では接辞かもしれませんね。
エスペラント(語)の場合は、例えば動詞につく-i / -as / -is / -os / -usが単語によって
変化することはないので、このかぎりでは接語と見なせるようにも思えます。
しかしそれらが接続する動詞は語幹ということになっているので、
それを語幹と見なすか独立した語と見なすかによって意見が分かれてくると思います。 >>154さん
母音調和は、音韻論と形態論にまたがる現象であって、単なる発音法ではないと思います。
アクセントと同じで、母音調和の範囲がひとつの単語内だけにとどまるのか、もっと広い範囲にまでおよぶのかは言語によっていろいろであると思われます。
トルコ語に関していえば、《母音調和のおよぶ範囲が語である》という主張はおかしくはありません。
詳しいかたが書き込んでくださるといいのですが。
服部四郎が1950年に発表した「附属語と附属形式」という論文では、語と接辞を分ける基準が書いてあります。
簡単にいうと、次のようになります。
(1) いろいろな品詞の語につくことができるのは、語である。
(2) 二つの形式の間に自由に現れることができるものは語である。
(3) 位置をひっくり返すことができれば、どちらも語である。
この基準で行くと、スワヒリ語の動詞につく人称・数・時制をあらわす形式は接辞だろうし、
エスペラント語の動詞につく-i / -as / -is / -os / -usもおそらく接辞であろうと思われます。 ちなみに服部(1950) の基準で行くと、日本語の格助詞、副助詞は語(後置詞)ということになると思います。
(1) あいつにだけは話さないでくれ。
(2) あいつだけには話さないでくれ。
(3) 行くだけ行ってみよう。
(4) 単に美しいだけでは評価されない。
基準1と(2)(3)(4)から「だけ」が語であると認定されます。さらに、基準3と(1)(2)から「に」も語であると認められます。 >>155
レスありがとうございます。
音韻論と形態論にまたがる現象というのは具体的には例えば
どういうことをおっしゃっているんでしょうか?
母音調和それ自体は、分かち書き同様に、語や文の意味まで
なんら変化させてはいないと思うので・・・
やはりそれ自体の独立した慣習としてあるんじゃないでしょうか?
ちなみに、日本語の読点は、分かち書きと似た機能をもっていて、
それがあるかないかで文の意味を変える場合が稀にありますけれども。 >>157さん
私の理解ではトルコ語の母音調和は、母音(音素)が《前舌母音》e,i,ö,ü と《奥舌母音》a,ı,o,u に分かれていて、
ひとつの単語の内部には、前舌母音だけあるいは奥舌母音だけが現れるという現象です。
だから、接辞もひとつの機能に対して複数用意されていて、たとえば対格接尾辞は、
直前の母音がe,i なら i、a,ı なら ı、o,u なら u、ö,ü なら ü がつきます。
adam「人」なら adam-ı「その人を」となります。
これは、単に発音が違うのではなくて、形態が違うと考えます。
つまり、トルコ語では母音の音韻システムが接辞の形態に影響を与えているという意味で「音韻論と形態論にまたがる現象である」と書きました。 この音韻論と形態論にまたがる現象は、日本語にもあります。連濁です。
くつ(靴) → ながぐつ、かわぐつ、ぬのぐつ
さくら → おおしまざくら、やえざくら、やまざくら
/k/>/g/、/s/>/z/ への変化は発音の変化ではなくて、音素の変化です。
意味は変わっていないんですけど、機能が変わっています。
つまり、濁音になっていることによって、複合語になっていることがしめされているのです。
だから、「くつ」と「-ぐつ」、「さくら」と「-ざくら」は同じ形態素ではありますが、
形態は違います(「異形態」と呼びます)。 >>158
私は言語学の専門家じゃないので詳しくは分かりませんが、
音韻は発音上の分節、形態は綴り上の分節と理解してよろしいんでしょうか。
現代トルコ語は、例外はあるかもしれませんが、表音文字で発音されるとおりに綴られる言語だと思いますので、
その場合、発音の変化はそのまま綴り上の変化に反映されることになりますよね。
このことから、あえて言いますと、私が「発音」という場合、
木村さんのいう「音韻論と形態論にまたがる現象」のことを指していると言ってよいんじゃないかと思えます。
いずれにしても、トルコ語の母音調和(音韻論と形態論にまたがる現象)の原則(前舌母音と後舌母音が混在しない)は、
やはり意味とは独立の体系であって、それによって語や文の意味に変化を与えないんじゃないでしょうか。
日本語の「ますか」の「か」を表すトルコ語のm(iの上の点がない字), mu, mi, m(uの上に"がある字)という変化形がありますが、
これは日本語の動詞の何段活用とは違い、この変化によって意味上の違いは生じませんよね。
音韻や形態というより、むしろ純粋に音声学上・(前舌後舌という)生理学上の調和の問題であるようにすら思えます。 >>159
ええと、その、「発音」の変化と「音素」の変化の違いがちょっと分かりません。
母音調和の場合は、音素の変化とは言えないのでしょうか。
「意味」と「機能」の違いもちょっと分かりません。
意味が変わらず機能が変わるとはどういうことなんでしょう?
私が思いますに、日本語の連濁にみられる例えば「くつ」と「-ぐつ」、
「さくら」と「-ざくら」の間には、意味の上でも違いが生じているように思えます。
「くつ」の意味範囲と「ながぐつ」の「ぐつ」の意味範囲は合同にはならず、
後者の「ながぐつ」は起源においては複合化であっても一つの独立した単語になっています。
「ながいくつ」と「ながぐつ」はもはやイコールではないという理由によります。
私はそう考えているのですが、言語学者の間では受入れられない考えなのでしょうか。 >>160
音韻は音の分節、形態は意味を持った音連続の分節というべきでしょう。
表記は関係ありません。(音韻に即した表記というのはありますが。)
もし、音声学上、生理学上の要請であるのなら、世界中の言語に【同じ】母音調和があっていいはずですが、じっさいにはありません。
トルコ語のシステム内部において機能している現象なので、音韻・形態論的と申し上げました。
>>161
母音調和はもちろん音素が変わっているのですが、音素が変わることによって形態が違っています。
すみません。「連濁」の例は不適切でしたね。
もちろん、「くつ」と「ながぐつ」の「-ぐつ」は意味は同じではありません。
例えば、「らっぱ」「あらし」と発音してみて、「ら」の子音が微妙に違うことに気づくでしょうか。(舌を口の天井につけている時間が違います。)
また、「あさ」と「あおい」の「あ」の発音が違うことは分かりますか。
ふつう、日本語話者はこれらの違いを意識しません。どちらも同じ音素だからです。これは音声学上の違いです。
いっぽう、動物を数えるときに使う「匹」を数詞につけていくと、
いっぴき、にひき、さんびき、よんひき、ごひき、ろっぴき、ななひき、はっぴき、きゅうひき、じゅっぴき
となって「ひき」「びき」「ぴき」が現れますよね。
この /h/,/b/,/p/ は日本語では明らかに違う音素です。
このとき、機能が変わっているといいます。ここでいう「機能」というのは、現れる環境の違いとでも理解してください。
このことを>>161さんは「発音」の違いとおっしゃっているのかもしれませんね。いろいろジャーゴンを使ってしまって、すみませんでした。 >>162
横からすみません。
自分は>>161さんではありませんが、質問よろしいですか。
音素上は同じだけれども音声が違う例として「あさ」と「あおい」の「あ」を挙げられましたが、これらの違いはどのようなものでしょうか。
また、音声上の違いとは直接関係ないかもしれませんが、これらの単語は「朝」「麻」、「葵」「青い」のどれに当たるのでしょう。 >>163
ああ、すみません。「朝」と「青い」のつもりで書きました。
これは個人差や方言差があると思いますが、「あさ」のほうは舌の一番高い面が口の前のほうで、
「あおい」のほうは口の奥のほうです。連続して何度も発音すると違いが分かると思います。
ふと思ったんだけど、こういう話ってUTAUとかボーカロイドで記述することってできないかな? >>1 >>名詞や各単語はすべて支那語かサンスクリットからの転用
・・・ヤマト言葉を知らん人間のようだが、何人なんだ?
>>162
「らっぱ」と「あらし」とでラの舌を口の天井につけている時間が違うって
お前は何人だ?
時間が違うことによって音色がどう変わるんだ。
舌を口の天井につけている時間を問題にするなら
アクセントの違いによって母音の音色が変わることも問題にする必要があるし
北関東から東北方言のイやウの母音の音色が西日本のそれらと異なっているのは・・・ >>166
銭 sen→ぜに
絹 ken→きぬ
金 kin→カネ
目 mok→め
葱 gi→ねぎ
苗 myou→なえ
物 mot→もの
その他もろもろ >>167
>舌を口の天井につけている時間を問題にするなら
>アクセントの違いによって母音の音色が変わることも問題にする必要があるし
>北関東から東北方言のイやウの母音の音色が西日本のそれらと異なっているのは・・・
その通りです。音声学ではそれらをみな問題にします(記述・分析します)。
厳密にいえば、個人によって音声は違うし、同じ個人でも話すたびに違う音声になります。
音韻論では「らっぱ」「あらし」は、どちらも同じ「ら」だということになります。 >>167
>舌を口の天井につけている時間を問題にするなら
>アクセントの違いによって母音の音色が変わることも問題にする必要があるし
>北関東から東北方言のイやウの母音の音色が西日本のそれらと異なっているのは・・・
その通りです。音声学ではそれを問題にします(記述・分析します)。
音声は個人によっても違うし、同じ個人でも話すたびに違ってきます。
音韻論では、「らっぱ」も「あらし」も同じ「ら」だということになります。 >>162
> 音韻は音の分節、形態は意味を持った音連続の分節というべきでしょう。
この点がちょっと分からないです。「意味を持った音連続の分節」という点です。
母音調和は意味を持っていない、意味とは無関係である、と思うのですが。
とすれば、言語学上の定義からして「形態」ではありませんよね?
そう考えると、結局のところ、音韻と形態の違いがはっきり分からなくなります。
音韻=形態ではないのでしょうか?
「分節」という表現を私もここで使っていましたが、「分節」と一口に言っても、
音声の単なる認知というレベルでの識別と、意味に影響を与えるレベルでの識別があると思います。
例えば、日本語の「…です」を/desu/と発音する日本人と/des/と発音する日本人がいたとして、
我々日本人はこれらを方言の違いとして識別できますが、意味の違いとしては識別しません。
狭義の文法上の意味の違いとしては少なくとも識別しないはずですね。
言語学で「音韻」と言った場合、
音声の認知レベルの識別まで指しているのか、意味レベルでの識別まで指しているのか、
そこはどうなんでしょう?
>>162
> もし、音声学上、生理学上の要請であるのなら、世界中の言語に【同じ】母音調和があっていいはずですが、じっさいにはありません。
なんらの便宜性はべつの便宜性とのトレードオフの関係、天秤の関係にあるかもしれず、
鳥が飛ぶことの利便性を追求した結果、失った利便性があるかもしれませんし、
哺乳類が母胎と母乳で子育てをする利便性を追求した結果、失った利便性があるかもしれません。
ヒトが直立二足歩行のなんらかの利便性を追求した結果、失った利便性もあるでしょう。
しかし、翼をもって空を飛ぶことの利便性はたしかにありますし、
卵ではなく母胎で子を育てる利便性もたしかにあると思われまし、
おそらく、ヒトの直立二足歩行もなんらかの利便性があったのでしょう。
これらは自然選択のレベルでの多様性の話ではありますが、これらのことは自然界に
おいても「利便性=一様性」でないことを証明しているのではないかと思います。
人間の言語発音の生理学上の便宜性があったとしても、人間のオーラル言語すべてが
その生理的便宜性を優先して利用するとはかぎらないことは勿論でありまして、
そうした事実は母音調和に生理的便宜性があることの「反証ではない」と思うのです。
母音調和があらゆる人間の言語に存在しなくても、母音調和に生理学的に考えられる利便性に
由来しているのかもしれないということの反証にはならないのではないか、と。
この点がまず一つ前提として。
でもって、いかなる客観的利便性を優先的に利用するかどうかが文化的恣意性にかかわる
選択的・慣習的事実であることには異論がありません。
書き言葉における文化的恣意性の慣習にはそれ独自の自律的歴史が見出せる趣旨のことを
木村さんはお書きになっていましたが、私は、その同じことが話し言葉においてもありうる
と考えているということになります。母音調和もその例の一つになりはしないかと。
>>168
1ヒトツ、イチ、2フタツ、ニ、3ミッツ、サン、4ヨッツ、シ、
5イツツ、ゴ、6ムッツ、ロク、7ナナツ、シチ、8ヤッツ、ハチ
9ココノツ、キュウ、10トヲ、ジフ
>>171
(1) [desu]と[des]が違う音だと認知するのが音声のレベル
(2) どちらも日本語の「す/su/」だと認知するのが音韻のレベル
(3)「す」が文の中で使われて、違うものだと認知するのが形態(意味)のレベルです。
(鳥の)すが……
(調味料の)すが……
(この場合、英語の/-s/[-s][-z][-iz]が複数形を表す-sか三人称単数現在を表す-sかも「意味の違いを表」します。)
母音調和は(2)のレベルの現象なので音韻現象です。
そして、トルコ語で母音調和が【現れる】場所は語幹と接尾辞のあいだにおいてです。その意味では、母音調和は形態レベルに関係します。
つまり、母音調和の現象自体は音韻現象ですが、形態レベルにおいても現れます。
このような意味で「音韻論と形態論にまたがる現象」であると書きました。
>言語学で「音韻」と言った場合、
>音声の認知レベルの識別まで指しているのか、意味レベルでの識別まで指しているのか、
>そこはどうなんでしょう?
ふつうはうえの(2)のレベルを指しますね。音韻はそれ自体が意味をもつことはできませんが、意味を区別することはできます。
「かっぱ」と「らっぱ」の意味の違いは/k/と/r/の音素(音韻)の違いによります。 >>172
>母音調和があらゆる人間の言語に存在しなくても、母音調和に生理学的に考えられる利便性に
>由来しているのかもしれないということの反証にはならないのではないか、と。
まったくおっしゃる通りで軽率な書き込みでした。
ただひとつ言い分けさせてもらうならば、わたしは母音調和が音声学上・生理学上の要請ではない趣旨を書きましたが、
生理学上の要請に由来することまでは否定していません。
歴史的には生理学上の要請であっても、現在はそれが言語内化(=慣習化)してしまっていると考えます。
ですから、
>書き言葉における文化的恣意性の慣習にはそれ独自の自律的歴史が見出せる趣旨のことを
>木村さんはお書きになっていましたが、私は、その同じことが話し言葉においてもありうる
>と考えているということになります。母音調和もその例の一つになりはしないかと。
これには完全に同意します。
言語学ではこれを「発音法」とは呼ばずに「音韻(現象)」と呼ぶということです。 >>175
数詞なら
1 i- イチ
2 ar ニ n/r交替
3 san サン
4 su- シ
5 u- ゴ 「g」が中国では発音されなくなった
6 ryu- ロク
7 chi- シチ
8 pa- ハチ
だろ
>>178 右側はヤマト言葉ではない。漢語という。 >>178
バカめ
「五」の頭子音は中古音三十六字母で「疑=ng」母に属す。
gではなくngだ。
朝鮮人は語尾のngとnは区別するが語頭のngは発音できないというか
元代以降の北部中国人がngの発音をできなくなった。
半万年属国人の朝鮮人はそれに追随したのか本当に発音できないのかは知らない。 >>180でなぜ朝鮮の話が突然出てきたか知らんが、ハングル字母で語頭の無子音を表す記号がng音の記号だというのは本当の話だな。 >>181
ようするに頭子音ngの消失が北京語と朝鮮語で共通していて
北京語の直接のルーツはモンゴル王朝時代にあるということ。
日本語は中古(隋唐)漢字音の頭子音ngをgで代用している。
これは福建語と共通している。 助詞がないし名詞や動詞の変化が無いから英語や孤独な日本語とは別の意味で
孤立語なのさ。 日本語の格および係助詞、英語の前置詞、中国語の介詞はまったく別物なんでしょうか。 日本語は語順の規制が英語や中国語に比べて緩やかだ。
だから格助詞が無いと語と語の文法関係が曖昧になる。
中国語は日本語より語順の規則が厳格だ。
古代中国語では「彼」は「は」を包含するは3人称主格の代名詞
「其」は「の」を包含する3人称属格代名詞、「之」は「を」を包含する目的格代名詞だったが
六朝時代にはこれらの使い分けが乱れていった。
日本語文法で意味上の「補語Complement」というものはあるけど
中国語文法は述語動詞よりも後方にある副詞的修飾語を補語と呼んでいる。
日本語には中国語的意味の補語は無い。
中国語の介詞はその起源が他動詞で、介詞+名詞の句は元々動詞+賓語の
動賓構造だったが、動賓構造が複数繰り返されて意味の重点が後の方に偏ったため
前の方の介詞句が副詞的修飾語になったものだ。
「与(與)」は
@andを意味する接続詞、
論語「子罕言利与命与仁」http://kanbun.info/keibu/rongo0901.html
A「賜予」を意味する動詞。
孟嘗君列伝「貸銭者多不能与其息。」
B日本語の助詞「と」と同じような機能を持った介詞。
孟子離婁章句下「諸君子皆與驩言、孟子獨不與驩言」
http://suzumoto.s217.xrea.com/website/mencius/mencius08-28.html
松浦亜弥の歌の中国語訳で「与」が日本語の格助詞「と」や「に」の機能を果たしている。
つまり曾ての動詞が助詞化している。
http://mojim.com/twy102308x13x2.htm >>168
Hitotsu一,一,二Futatsu,二,三手套,太阳,四Yottsu,系统,
5 Itsutsu,徽标,Muttsu6,乐,7娜夏,多样性,8 Yeatts,蜂
Kokonotsu9日,圭,10 Towo,齐夫 >>186
言語学には接置詞(adposition)という用語がある。
これは前置詞と後置詞をひっくるめた概念。
日本語の格助詞は後置詞で、英語の前置詞、中国語の介詞(前置詞)とともに接置詞に含まれる。
中国語文法では後置詞「的」もよく介詞に数えられるが、これも接置詞。
接置詞は「格」が分離可能な独立した形態として現れたもの。
「格」とは「名詞の述語(節の中心となる動詞)に対する関わり方」を具体的に表す形態。
この「関わり方」には動作主(例・ガ)、対象(ヲ)、受け手(ニ)、出発点(カラ)などの種類があり、
意味役割、θ役割などという。
日本語の係助詞は「意味役割」とは異なる「情報構造」という文法的な機能を担っている。
したがってこれを接置詞に入れることはできない。
係助詞と格助詞が別物だという説明はよくあるのですが、
しかしながら係助詞が格助詞を消してしまう・省略してしまう現象が謎ですね。
他言語にもよくある現象なんでしょうか。 結果的に見れば「消した」ように見えるだろうけれど、日本語の格助詞は
ラテン語の格語尾などと違って元々義務的なものではなくゼロ表示(いわゆる「助詞の省略」)
が可能で、特に主格・対格などは口語でゼロ表示の頻度も高い。
(近代の文章語で格助詞が義務化したのは漢文訓読体の影響ではないかと考えられる。
すなわち漢文訓読では、一つ一つの名詞句に、原文にはない格助詞を付けることで「解釈」を
明確にしようとした結果、格助詞を多用するようになった)
そこへ情報構造の上で必要となった係助詞が割り込んで固定化したのだろう。
ここまでの事情は朝鮮語でもそっくり当てはまる。(漢文訓読ではなく
おそらく日本語の影響で文章語は格助詞を多用する) 消してしまう現象は分かるのですが、むしろそこで謎だと言っているのは
係助詞のほうが格助詞よりも優位だということなんですね。係助詞が格助詞に勝ってしまう。
係助詞のほうが情報伝達上重要だという合理的説明は可能なんでしょうか? 意味役割は中心的なもの(動作主、対象など)ほど動詞に対しては意味の上で無標であるため、
日本語の場合それを反映して中心的な格助詞(主格ガ、対格ヲ)は随意的(非表示が可能)で、
周辺的な意味役割(場所、道具、出発点)は動詞に対して有標な存在なので、
日本語の場合周辺的な格表示(地格・具格デ、奪格ヨリ)は表示が義務的になります。
情報構造を形態的手段ではなく語順の差で表す言語の場合、表示自体が行われないので
有標/無標の差は文型ごとの登場頻度によって判断するしかありません。
チェコ語などがその例で、情報構造を反映して語順は変わりますが、その事によって格表示は損なわれません。
これに対して日本語の場合、情報構造の差を係助詞の有無によって
表示・有標/非表示・無標という形で表します。そして係助詞の位置は格助詞と同じ名詞句の末尾です。
ここで格助詞と係助詞のバッティングという状況が生じ、格助詞のうち無標のものが消えるわけですね。
主題化が起こらなければ主題の係助詞ハは登場しない、つまり主題の係助詞ハは有標の存在です。
意味役割のうち動作主や対象は無標である、つまり主格ガや対格ヲは脱落可能です。
有標の主題化助詞が来るとき格助詞のうち無標のものを残す動機は相対的に薄れます。
つまり係助詞と格助詞の間の優先順位の問題ではなく、係助詞内部、格助詞内部の表示の
優先度の組み合わせによって起こる現象だと言えるでしょう。 >>189
>中国語文法では後置詞「的」もよく介詞に数えられるが、これも接置詞。
「的」が介詞って誰の説? 学者の名前を挙げてくれ。
「的」は「構造助詞」と呼ぶのが定説。 >>194
馬建忠の『馬氏文通』は「的」ではないが「之」を「介字」に入れているね。
王力も初期には似たようなことを言っていた。
馬氏文通の資料は論語、諸子、史記、漢書などの文言文だから
後置詞の「的」は論外。
結局>>189はうる覚えの寝言でOK 横レスだが「論外」の意味と「うる覚え」の形を確認しようね、っておれ釣られてる?
意地の張り合いや揚げ足の取り合いはそれくらいにしたまえ。
>>186の質問は「学校文法」と「言語普遍」との間の溝を埋められないかという問題意識だろう。
学校文法は先生がある特定の言語について生徒に説明して納得した気にさせるための物だが、
それ以上の目的を持ってはいない。ロシア語の「生格」や国語の「形容動詞」「連体詞」や朝鮮
語の「冠形詞」などがまさにそれ。他の様々な言語では結局「それが何であるのか」についての
質問に答えるようには出来ていない。それぞれ「属格」とか「ナ形容詞」とか「(変化しない)形容
詞」とか呼びかえることではじめて他の言語の文法概念にも通じる用語にもなる。>>189の質問
はそちらの方向を向いてはいるが、「係助詞」があくまで学校文法にとどまる用語であり言語普
遍に照らすと「それが何であるのか」についてまでは十分に答えていない。というか二つの言語
学用語のレベルの違いを意識して説明していない。>>194はシナ語の「構造助詞」が結局「何で
あるのか」という問題意識を共有せず、ただ学校文法を「定説」と称して挙げただけ。>>195は
「初期の王力」について例を挙げること。>>196-197はただの揚げ足取り。まあ「新しい日本語の
表記法を発明する」なんていうスレばかり乱立しているこの板の現状から見てまだましな方だが。
他の言語にも通用する概念になる必要はあるのか。
文法用語は言語ごとに、あるいは(文法の類似するゆえに)語派ごとに、
それぞれ別であってもいいのではないか?
学校文法を見下して酔っているだけにみえる。
目的が違うんだから体系が違うのは当たり前。
そもそもの質問が言語の枠を超えた概念を求めているんだからそれに答えてるだけだろ。
見下してるだの、ただの被害妄想。
個別言語に閉じこもりたいのなら外国語板で十分。
普遍文法学派的にはどう解釈されているんでしょうね? 女子だけの言語
オタ萌え文化の世界ではすでにそうなって >>1 **や***はすべて***か*******からの**で、
それを補うように**がある。***は**だけでなりたつ
***な**なのでは
ないだろうか? >>206
***のところに外国語の単語を入れていけば日本語完成? >>207 これは日本語が助詞だけで成り立つ言語ではないことを示している。 >>208
ありえない。
どんなに外来語を助詞でつないでも
動詞は日本語が必要になる。
キャッチ「する」
ゲット「する」
動詞を外来語だけで成り立たせるのは不可能 >>209
でもその「する」とか「だ・よ」は省略できるよね。
「あなたのハートをキャッチ(する/よ)!」とか「ポケ○ンゲット(したぜ/だぜ)!」とか。
だからそういった省略が前提とはいえ、外来語動詞単立が不可能とまでは言えないような。 >>211
感嘆文とか、気持ちのこもった文ならそういう省略もあるんでないの?
形容動詞の
お洒落だ/な とか ナイスだ/な
が感嘆文とかになると
お洒落!とかナイス!とかになるみたいにさ
その現象の動詞版がゲット!とかキャッチ!とか
専門的な勉強はしてないからお門違いの指摘かもしれんが
助詞と僅かな動詞(する、できる、等)の活用変化だけを覚えれば、
それなりに日本語っぽい文は組み立て可能じゃないか? >>214
する、できるの他に、していく、してくる等も含めれば、カ変、サ変を含めた日本語の動詞の活用を全部覚えないといけない。
「僅かな」とはとても思えないな。 接続助詞の「て」は連用形に接続するそうですが
「〜にて」という場合、「て」は連用形接続ではないと思うのですが。 >>216
「〜にて」は「〜にありて(あって)」「〜におきて(おいて)」「〜によりて(よって)」etc... から
動詞が省略されて一個の格助詞として独立したもの、と考えてくれたまい。 >>217
わかりました。
ありがとうございました。 >>1 名詞や各単語はすべてシナ語か日本語、英語からの転用で、
それを補うように助詞がある。朝鮮語は助詞だけでなりたつ
不思議な言語なのでは
ないだろうか? 外国由来の単語はある程度自由に導入できるルールにしてないと
中国語みたいに固有名詞で苦労するぞ >>220 シナの世界地図を見ると悲喜劇みたいなものだからな。
いろんな外国語をもっとちゃんとやればスレタイみたいなアホなことは言わない
>>220 シナの世界地図を見るとこいつら馬鹿か?と思うからな。
>>223は自分がバカだ。
シナ人は外国語地名には機械的に割り当て文字を用意して当てはめてるだけだ。
日本人がカタカナ使うのと同じ。 >>224 クイズ番組向けにはオモロイ表記やけどな。 >>227 の英語には sky やら ski やら skirt やらといった単語はもちろん、
do や can 、have といった基層語彙すら存在しないらしい。 英語がノルド語やゲルマン語の影響を受けてるのは
知ってるけど >>231 しかし日本の漢語なみにフランス語が入っているな。
ちなみにインドネシア語にはサンスクリット、トルコ語にはアラビア語が大量に入っているらしい。
>>231 ノルマン王朝時代の英国宮廷の公用語はフランス語で、英語は民衆がしゃべる土語扱いだったそうな。
>>234 ということはシナはまだ隠れ満州人が支配しているのかも知れんな。
満州人やモンゴル人訛りは極論だけど
北京語が遊牧民の影響を受けてるのは確かだよ ギ・キ・ヒがジ・チ・シになっちゃったのってモンゴル語の影響らしいね
おかげでペキンがペイチンになってる >>237 >>ギ・キ・ヒがジ・チ・シ
・・・モンゴル語の影響がなくても日本の方言内でもキミ>チミ、緊急>チンキュウ、ヒ>シになるものがあるがな。
>>238
チミは協和語を日本の方言だと言うアルか? >>237 モンゴル語では顔のことをチラというから日本語のツラの方言と言えるな。
夏目漱石『こころ』の後ろの方に
> もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。
というところがあります。
この『私はおそらく彼の前に赤面したでしょう』は
『私はおそらく彼の前で赤面したでしょう』と、どのようなニュアンス的な差が
あるのでしょうか?
>>245
意味上の違いは特に無いと想うけど、現代では「彼の前で〜」か「彼を前に〜」
の方が普通かな。「彼の前に〜」はやや旧い時代がかった印象がある。 私はおそらく彼の前に(おいて)赤面したでしょう
と補完して読んではダメですか? >>247
構わないよ。同様に「彼の前で(以て)〜」「彼を前に(して)〜」。 >>1はまあ極論だが、大枠においては当たっていなくもないな。日本語のアイデンティティは助詞くらいしかない。 >>249 語彙の70%が漢語という朝鮮語ほどではないがな。 >>249 何しろ朝鮮語を漢字ハングル交じりで書くと日本人にもだいたい分かるほどだからな。
確かに昔の読み物は助詞の使い方が現代と違う。
昭和期の映画なんかも違う。 >>229
影響も何も、英国人の主たる出身民族であるアングロサクソン族は
ゲルマン民族の一派だから、当然、ゲルマン語が基だろう
その後、フランスからフランス人化したノルマン人(ゲルマン民族の一派)が入ってきて
フランス語とその基層をなすラテン語が英語に大規模に侵入
ブリテン島の原住民であったケルト人の言葉も少し残っているだろうから,
これらのミックスが今の英語でしょう >>253 ところが英語に入ったケルト語語彙というものはほとんど無いと読んだ。
日本語に入った朝鮮語がほとんど無いのとパラレルな現象と言えるだろう。 ケルト語は人名には大きく寄与してるな。アングロサクソン由来の名より多いと思う
アングロサクソン由来はアルフレッドとエセルくらいか?それっぽくてもフランス語経由ってのが多いな
一方ケルト語由来だとブライアン、ブリジット、ケイン、アーサー、ドナルド、ニールなど。キリスト教関連の名前がケルト化してから英語に入ってきたのもあるし(ショーンなど)
もちろん古英語の命名の伝統がほぼ中世でとまったアングロサクソン系の名前と、千年以上にわたって英語に流入しているケルト系の名前とを比較するのは問題があるけど
でもこの浸透力は言語自体の活力と比較するとすごいと思う ケインはケルト語由来というより聖書由来だね。ブリジットやドナルドも聖人名だ。
ここに挙がっている名前の多くはやっとこ20世紀に入ってから英語圏で人気が出たもの。
おそらくキリスト教徒の多様化・形骸化、移民の増加、英語圏の拡大などが寄与しているんだろう。
アングロサクソンの伝統的な命名法は、両親の名前の一部を組み合わせるというもの。
アングロサクソン系の名前の多くは多様な文化の流入に伴い、こうした習慣と共に埋もれていった。 >>255 イングランドに残っているケルト語は地名と人名くらいだと読んだが、普通名詞などはほとんど無いらしいな。
ノルマン征服でフランス語が大量に入ったのとは対照的だ。
下手したらスペイン語内のバスク語や広東語内のタイ系の語彙より影響が少ないのかも
でも英語で犬を指すdogは他のゲルマン語にはない形だけど。ってどんどん日本語から逸れていく 語彙を伴う文化の入りこんだ時期とも関係があるだろうね。
古く入り込んだ文化的語彙には大抵固有語が当てられてしまっているが、
比較的新しい語については外来語をそのまま取り入れる場合が多い。
>>258
dog はもともと「筋肉質なワンちゃん」といった意味の言葉。
16世紀ごろにゲルマン語での一般的な犬 hound にとってかわったらしい。
今では他の言語に入り「イギリス犬」という意味の語になってる。 このスレを見て、やっぱりカナ、かなは見栄えが悪いと思った
日本語のTシャツとかがダサイと思うのは、字に統一感が無いからだろうな 何でも、見慣れないものは新鮮に感じ、見慣れたものは凡庸に感じるものだ。 >>261 縦書きの仮名書道は美しいがな。外国人でもその美は感じるだろう。
中国に行くと、あちこちで、ひらがなが入った看板を見かける。
特に「の」の字が中国人にとっておしゃれに感じるらしい。
但し微妙に助詞の使い方が変なのは愛嬌。
>>264 「の」より「ノ」にすればもっと簡単なのにな。
完了の了も「ラ」にすれば分かりやすい。 そこまで簡体化しちゃうのも・・・・
漢字嫌いの共産主義者がやりかねん。 ゲルマン語であるドイツ語から英語に入ったのは「フント」から変化した「ハウンド」だろう。 はい。確かにその通りでした。PODにORIGIN Old Englishと出ていました。済みません。昔,誰かから聞いたような気がして,確認もせず書いてしまいました。 インドの挨拶「ナマステ」は南無とテの組合せで,この「テ」はドイツ語の「du」,英語の二人称「you」の古語「thou」の語源のようです。サンスクリッド語が入ってきているんですね。今度は確認したので大丈夫だと思います。 サンスクリッ『ト』ね。
それと「テー」が語源なんじゃなくて、「テー」の語源が du 等と同じ印欧祖語 *túh₂だ、とゆーこと。 >>271 ヒンディ語とサンスクリットの関係はイタリア語とラテン語みたいなもので、ナマステが入っているというより古語なのでは?
この語はどうか知らないけど何か、ヒンディー語を整備したときに、たくさんのサンスクリットの単語を取り入れたとか。
さらに、サンスクリットからプラークリットを経てヒンディー語にまで受け継がれた(ただし、形は大きく変化)単語を排斥してまでサンスクリットから借用した単語もあるとかどこかで見たな。
アラビア語やペルシャ語で「汚染」された語彙を「純化」するだけならわからないでもないけど、わざわざ先祖の遺産を捨ててまで、さらに先祖から直接取り入れるって何か倒錯した趣味だな ヒンディー語は最大話者の為の公用語として、なるべく地域的偏りを排除したかったんじゃないかね。
ヒンディー語が話されているインド北部だけで様々な民族が混在しているし、
同じヒンドゥスターニ語圏を形成する最大のライヴァル・パキスタンと接している関係もあるだろう。
ま、日常的には元のアラビア語やペルシャ語、プラークリットまみれのヒンディー語方言を使ってるらしいけど。 そういえば、日本語でもそういうことが行われたみたいな記録ってないのかなあ?
っていうか万葉集こそ日本語の整備そのものであって、その原型を江戸期に掘り返した結果が
今の日本語だったりするのだろうか? >>267
英国人も英語もゲルマン語系です
だから、ヒトラーが英国はドイツの出店と揶揄しました
ドイツには英国人であるアングロ・サクソン語族のサクソン族が元々住んでいた場所が
今でもサクソニー地方として呼ばれて記憶に残っています ゲルマン系諸語の祖語は特定されているのでしょうか。
英語とドイツ語、どっちが古い語彙を多く残しているのでしょう? >>278
祖語はあくまで諸語からの理論的再建であって、特定は不可能だよ。
ゲルマン語の語彙が多いのは圧倒的に独語。英語は全語彙の70%が仏語と羅語。 不可能とは現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。
不可能とは可能性だ。
祖語が発見されていないのに同じ系統だと言える根拠がどうも分からない。
つまり、もともとは複数の祖語をもった別々の系統の言語同士だったとしても、
それが互いに混じり合って長い歴史の時間をかけて最終的には兄弟のような語彙を
もつ諸言語群ができあがる可能性だってあるんじゃないか。
言語にはDNAのようなものはないのだから、一つの祖語に遡る厳密な系統樹は作れないと思う。 >>281 英語はゲルマン系でラテン系のフランス語とは祖語が違うが、「長い歴史の時間をかけて最終的には兄弟のような語彙をもつ」言語同士になっている。
しかし文法を比較するとドイツ語に近く、フランス語とは異質だ。
文法比較や基礎語彙比較でどっちの系統に属するかは明らかだろう。 文法なんて方言単位で存在するんじゃないの?
基礎語彙というのも、言語の成立時点での互いの借用語しかないような気がする。 >>283 方言単位で異なる文法をもつ言語、基礎語彙が借用語ばかりの言語があるのなら例をあげてくれ。
チャモロ語は基礎語彙まではさすがにスペイン語には犯されてないのかな オーストロネシア語族のスワデシュ・リスト
http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Swadesh_lists_for_Austronesian_languages
これを見る限り、数詞のほかところどころにスペイン語からの借用語もあるみたいだけど、
明らかに固有語も多数あるし、そんなに言うほど基礎語彙が侵食されてるってわけでもないんじゃないかな。
ヨーロッパの基準では「数詞が置換されてるなんて大変だ!」となるのかもしれないけど、
数詞って文化圏によってはかなり文化的な語彙だろうし、日本語だって数詞がかなり漢語に侵食されてるわけだし。 >>285 日本の方言で標準語と文法が違うもの、基礎語彙の特に身体語に借用語があるのなら挙げてみろ。
そもそもどうしたら固有語だと言えるんだ?
借用した言語が滅んだら区別がつかないと思うんだけど。 >>282
アングロサクソン族がゲルマン族と親密な交流を長い間していれば、
祖語がちがってもだんだん語彙までも似てくるのではないか?
文化というのは伝染するもので、生物学的な系統樹では説明できない。 >>282
> しかし文法を比較するとドイツ語に近く、フランス語とは異質だ。
> 文法比較や基礎語彙比較でどっちの系統に属するかは明らかだろう。
だからその異質である事実は、生物学からの借用用語である系統とは異なるものだ。
したがって、ラテン系諸語を遡ればその総ての言語において共通の一つの祖語に行き着くし、
ゲルマン系諸語を遡ればその総ての言語において共通の唯一の祖語に行き着くし、
印欧語族の祖語も遡れば、総てがたった一つの祖語に行き着く、という根拠になるのかどうか。
>>291-292 生物学上の系統ではないが、言語学の系統上、英語はゲルマン系であってラテン系ではない。
>>291 >>文化というのは伝染するもので、生物学的な系統樹では説明できない。
・・・日本語や朝鮮語、ベトナム語には漢語が大量に入っているが、それで日本語、朝鮮語、ベトナム語がシナ語系といえるのか?
文法はあとから出来たという考えは誤り。
昔より文法は、たとえ無意識であろうと、存在していた。
そして言葉はその文法にできるだけ当てはまるように用いられていた。
たしかに日本語はシナ語に、音韻やら語彙やらで大きな影響を受けたけど
相変わらず文法はそんなに変わらないよね >>295
当然そうなのだが
後からできたといわれるのは学問としての文法
アメリカ大陸は発見される前からあったって話だな。
物事は認知される前から存在する。 こんなところで比較言語学を全否定するような議論がされていたとは思わなんだ >>297 四段活用の起源を解明したら日本語の起源も見当がつくだろう。
しかし、これに類する活用をもつ言語はアルタイ諸語にもない。 しかし確かに、大和言葉をもとにした言葉だけで話をしようとすると、
ひどく苦しい思いをすることになる。
どうしても、唐から伝わった言葉を含めたくなる。 >>303 その文中で唐から伝わったのは「唐」という単語だけだがな。
>>303 唐をカラと読めば全部ヤマトコトバで表現できているな。 >>304
文中の漢字は日本古来のものではないと思うけど
>>306 漢字は使っていても全部訓読み(ヤマトことば)だな。
>>303 ヤマトコトバだけでそれだけ話せたら十分だろう。
大和言葉だけだと学びに関わる名言葉が少なすぎてまともに話せない。 >>294-296
語彙は大きく変化するが、文法構造は変化しない、というところに、
日本語・韓国語同系アルタイ語族説が根強く主張されつづける根拠があるのか。 >>293
その論法はトートロジーで、何も説明していないに等しい。
ラテン系の語がゲルマン系の影響を強く受けて、元のラテン語よりゲルマン語と語彙を
共有するようになるということは、長い歴史のスパンを考えればありうる。
>>310
でも英語なんて語順どうでも良かったのが孤立語並みに語順ガチガチになったりしてるよな
SOV多かったのにSVOになってるし
氷河期に渡ってきた人が長い期間かけて日本語の大本ができた
んでその時点で完成されてたから数千年後とか1万年後に外国語入ってきても影響少なかったとかあるのかな >>312
英語がそうなったのって、屈折が薄れたってこと?
日本語は語彙なんかを除いて他言語の影響があまりない気がするけど、
もしかしたら日本語文献が作られる以前に大胆な変化があったのかも
>>311 トートロジーの意味がわかっていないようだな。 >>310 文法構造が変化しにくいということが日本語と朝鮮語が同系でないことの証拠になる。
朝鮮語には動詞四段活用、形容詞独自の活用、形容詞と形容動詞の区別、係り結びなどがないからな。 >>315
英語には名詞や形容詞の性や格変化、枠構造などがないが、それでもゲルマン系の言語だ。 もともと無い、と、今は無い、とは区別されてしかるべき。
>>316 英独には動詞・形容詞の不規則変化まで同じという文法上の類似があるが、日朝両語間にそんなものは皆無だ。
例 sing sang sung ,singen gesang gesungen,good better best,gut besser best
でも語尾がダで終わったり、疑問文がカで終わったりと、なにげに似てる部分も多いけどな。 パンにハムをはさんだ食べ物
J→ハムサンド
K→ハムハサムニダ
似てるな
漢字の発達で助詞や活用が失われた漢語に
日本語の助詞や活用の組合せって、
なんか面白いな。 ダとカは今こそ似てるが少し時代を戻せば互いに違う物に。 >>321 断定のダは東日本だけで西日本ではジャ、ヤだ。
朝鮮語では動詞・形容詞の語幹にダを付けるが、日本語にそんな文法は無い。
日本語では名詞につく。朝鮮語の語尾ダに似ているのはモンゴル語の -na の方だ。
日本では属格の「の」と主格の「が」が入れ変わることがあるみたいだけど、こんな現象も大陸の言語にはあるのか >>314
君はどう間違っているのか説明できるのかい?
トートロジーは論理学的には真だが、トートロジー自体は説明にはなっていないので、
科学的な進歩では断じてないはずだが。 >>315
しかしそれは>>312のいう英語の事例によって反証されるw >>327
大同小異の小異をいくら取り上げても反証にはならない。 >>332 日本語の断定詞ダと朝鮮語の動詞語尾ダが同じものとは、文法学のセンスがゼロだな。
>>321 朝鮮語のイッスムニダと英語のisドイツ語のistまで似ていると言い出すなよ。
大学に入って第二外国語を選択する段になって何が良かろうと思い、
仏語、独語、西語、ロシア語、中国語の新聞記事にざっと目を通して見て、
中国語を全く学んだことがなかったのに漢字からおおよそ意味が取れて感動したことを覚えている。
もっともその時は繁体字版を読んだので簡体字板だったらほとんど意味がわからなかっただろうが。
結局ドイツ語を選んだけれども、
「自分の母語を読む感覚で読める外国語」(を操る人)には感情移入しやすいのだろうと感じた。
これはヨーロッパ言語でもあてはまることで、
英米人はフランス語やドイツ語を耳で聞いてわからなくても、
書面で見ればおおよそ理解できるはずんだよね。
しかしよくよく考えたらもとは中国で生まれた言葉を借用しているんだから、
共通なのは当たり前なんだよね。
日系人コミュニティで育った日系人が来日して、
家庭で聞いてきた日本語や日本文化との既視感を覚えるようなものかしら。
植物や動物と同じように文化も帰化するんだろうと思った。 中国人も本来は中国由来の文化を日本独自のものと認識して
時に蔑視や敵視している場合もあるのが滑稽だと思った。
やたらお辞儀をする習慣は西洋人だけでなく中国人にとっても奇異にみえるらしく、
日本人を揶揄するネタとしては恰好だという。
箸単独で食事をするのもアジアの中で日本人だけだそうで、
お味噌汁をどうやって箸だけで飲むのか不思議がる人もいるという。
割り箸や短小の箸も珍しいらしい。
武漢の大学で和服を着て花見をしていた中国人の母子が
「日本の伝統服をめでたい場所で着るなど不謹慎」といって罵倒された報道もあったけど、
もともと「呉服」なのにねえ。。と奇妙な感じだった。
「英米人の話す英語が正しい」という崇拝意識があるうちは、
逆にまだ日本語は侵食されていないということなんだろうなあと思った。 今の中国語の語彙はかなりの割合が和製漢語じゃなかったかな >>337 >>もともと「呉服」なのにねえ
・・・今のシナ人など古代呉人や蜀人、魏人と大して関係ないだろう。
北方人はモンゴル・満州人と混血しているし南方はチベット人などが入っているしな。
古代ローマ人が現代まで続いていないのと同じことだ。 >>338
うん、だから、日本人にとっての古代中国世界は、
現代中国社会と無関係の桃源郷みたいなものなんだろうと思った。
で、中国人にとってもそれは然りで、
だから古代中国文明が保存されている日本文化を見て、
自前のものだと言う意識を持たないんだろうと思った。 とりあえず中国と言えば今だに呪泉郷アニメのあのイメージだわ。 >>335 >>中国語を全く学んだことがなかったのに漢字からおおよそ意味が取れて感動したことを覚えている。
・・・その意味を取れた単語の大部分は和製漢語=日本語だから別に感動する必要はない。
文化 主義 共和国 思想 体系
ぜんぶ日本人が明治時代に作った言葉 中国語の漢字を見て意味が捕れたと思ったら大間違い。
同じ字面で違う意味の言葉も結構多い。 共産党 幹部 全国 人民 代表 会議 も全部日本語だけだな。
シナ・朝鮮は日本起源の外来語を大量に取り入れているんだ。
>>347
それって明治時代の話だろ。
昭和以降は日本の漢学者の能力が低下して、和製漢語の輸出は出来なくなった。
なぜなら訳の質が落ちて、日本ローカルでしか通用しなくなったためだ。
ついでに中国語(中国・台湾)やフランス語は最新欧米語も自国語に翻訳して新語が増えてるが、
日本語と韓国語は音の転写の猿真似しか出来ない。
いわゆる「カタカナ語」、韓国では「ハングル語」。
発音が単純なカタカナ語に比べると、ハングル語の方は言語に近い発音がより可能。
>>349
だからどうしたって話だな。
いずれも原音から遠く離れてるし、原音に近いから高尚ってわけでもない。
技術文書だと韓国語のほうが借用語が多いし、日本語そのまんまってのも多いぞ。 >ハングル語の方は言語に近い発音がより可能。
また妄想を垂れ流すw
コヒーをコピーとか
「がんばれ、がんばるぞ」をパイティンfightingとか
「実は」と「シールは」が同じ発音のハングル語の何処が言語に近いと? マクドナルドをメァクドゥナルドゥと言っても米国人にとっては同じようなものだしな。
ついでに日中韓の言葉の関係
感謝・・・漢語でガンシェと発音
韓国語で感謝はカムサと発音する。
感謝しますを韓国語で言うと、カムサ ハムニダ
漢語を基礎に日本語のてにをはを付ければ日本語。
韓国語のてにをはを付ければ韓国語だ。
語順も中国語のS+V+Oと異なり、日本語と韓国語は中国語のように前置詞も無く語順もほぼ同じ。
世界の言語で「私は」「私が」の区別がある言語は、日本語と韓国語だけである。
だから日本語は韓国語(朝鮮語)を通して、
モンゴル語や満州語につながっていると言う説がある。
>>355 その感謝というのは日本語でシナ語では謝謝シエシエとしか言わんがな。
シナ語も朝鮮語も今では日本製漢語が文化用語の大部分を占めているから共通のように見えるだけで、固有語同士では全然通じない。
>>353
フリーズそのものの意味を知らなかったと思う。
今ならPCがフリーズするっていうけど
当時はまだそんな表現が日本に入ってなかった。
信じられないかも知れないが
30数年前にはレシピなんて
いう言葉も日本語化してなかった。
グルメブームでレシピが定着。 >韓国語で言うと、カムサ ハムニダ
それは歌謡曲「チンド物語」での発音だろ。
会話ではカムサムニダ。
ノムヒョンも会話ではノムヨンあるいはノミョンと発音する。
昔韓国人が「美肌」と発音するCMがあったが実際は「ピアダ」と発音してた。
>中国語のように前置詞も無く
中国語に前置詞は無い。動詞から変化した「介詞」が前置詞のような働きをする。 >韓国語の場合死因が19字、母音が21字で399の文字が出来るけど
表音文字の癖に1万以上の文字があってPCのコード領域を無駄に占有している。 >>355-356
台湾で「感謝」をカムシアと発音する。
東南アジアへ行くと潮州人、客家人がカムツィアと発音して使ってる。 >>356
普通話でも「非常感謝(どうもありがとうございます)」とか「十分感謝(とても感謝します)」とか言うでよ。 >>361 そうか、非常も感謝も十分も日本語だと思っていた。
>>361
献立だよな。
なんでこんだてと読むのか知らんけど。 >>351
日本語の「コーヒー」はアメリカではコーラ(cokie)と間違われるんだが。 >>351
faitinguとpaitingならまだ後者のほうが英語ネイティブに通じそう。
shiiruとsilについても同様。 >>365
朝鮮人は母音の長短を区別しない。
日本人と広東人とラテン語話者は母音の長短を意味の弁別に使う。
福建人は日本人同様にfの代わりにhを使う。
豊:北京語feng、福建語hong
発:北京語fa、福建語huat
粉:北京語fen、福建語hun
府、斧、付:北京語fu、福建語hu >>357
日本で起きた出来事ではないのだけれど、
あなたは日本に入っている表現しか日本人は理解できないと思っているの?
朝鮮人は砦というときfortよりもportのほうが英語ネイティブに通じそう
って思ってるのか。 forutoよりもportと言ったほうが、まだfortとして伝わりそうだけどなw I'm fineの代わりにI'm pineという朝鮮人w I am a lice eater. と自己紹介する日本人w >>372
安心しろ
朝鮮語はrとlを区別しない
彼らは適当に描き分けているだけで元のハングルでは一緒の文字 >>374 語中の r と l は、r と rr で区別するよ。
語頭では日本人と同じくダメだけど。 >>369
フォートのほうが通じるだろ
poreuteuじゃまったく分からんだろ
せいぜい港と勘違いされるのがオチ fort も port もどっちも転写は포트(po/teu)だな。
新語については、例えば fighting を 화이팅(hwa/i/ting)で転写する例があるから、
これを入れれば日本式の pho/o/to, po/o/to といい勝負かな。 おっさんは、助詞、あまり、使わないよ、
こんな感じで、句読点が、好きだね >>375 日中朝ともr、lを区別できないことで有名だ。
欧米人はシナ人がtrainを tlainと発音すると認識している。
シナ人と言っても北京原人と揚子江以南のシナ人では
日母jnまたはnj>rの漢字の発音に大きな差がある。
「日本」は北京でriben(北京のrは英語のrに近い)でアメリカ人には
er-benと書いてやれば北京語に近い発音となる。
一方福建語では同じ「日本」をlit-punと発音したりjit-punと発音したりする。
これは日母が摩擦的成分があったことを示している。 北京原人は言い過ぎ。中古音からの変化でいいだろ。
ちなみに。
橋本萬太郎は甲骨文の修飾位置がベトナム語等南方諸語と同じ形になっていることから
殷人は南方人か、なんて言ってるね。声調の起源とも絡んでくる話で面白い。
自分にとってはトーテム万能主義の白川説(東方民族説)よりは
橋本説の方が受け入れやすい。 >北京原人は言い過ぎ
生粋の北京人のつもりで書いたけど通じなかった
残念!w >>56
やべぇ、
ここまでレベルが低いのは朝鮮の大学教授くらいだぜw 生粋の北京人が現代まで生き残ってると思ってるやつがいたのか。 >>387
それって日本で言えば「し」と「ひ」の区別が出来ない江戸っ子のことですか?
しこーき「飛行機」 ところで何でネトウヨって漢字のことをシナ文字って言わないの?
漢民族のことはシナ人とかシナ民族って言うのに、
おかしいなw
>>389 シナ文字というと今の略字だらけの漢字のことで、漢字は日本漢字を指すからだ。
>>391
そうか漢字を作ったのが、韓民族なのか。
だが漢民族が作った文字だから漢字なんだよな。
ウイグル人が作ったのはウイグル文字だと言うのと同じ。
日本人はそのシナ文字をパクってかなを作った。 >>387
生粋の北京人は満州族。
「北京原人の中国語」とは北京官話のことをいっているのかね。 日本人はまだ日本がシナ人に発見される前にあった共和と云う中国の元号をパクって、
日本人の造語だと言い張っている。
北京原人はどの現世人類とは違う種で絶滅した。
中学生でも知ってるよ。 プリペンドの魔法で20万稼がないとプリペンドできないなんて小学生でも知ってるよ。
>>393
北京語は万集俗ではなく北京土人のしゃべる北京土語だよ。
「奶奶」は満州旗本がしゃべる北京官話(今では自称漢民族の北京人も使う)
「額娘」も満州旗本がしゃべる北京官話。 >>398
うん、それについて言ったつもりなんだが。
ちなみによく言われるhutong胡同はリュウガンシュキョウに出てくるから満州語とは関係ないらしいね とても東大院生が書いた文には見えない。。読みにくすぎる。。
東大院生ってこんなんなのか・・?
12 いん(^-^)いん◆Bgb6nwXU ◆YsS8Bj3I 2008/06/13(Fri) 03:03
>>7
昨日もいったが、おれはあの消えたスレに興味があったからずっとあのスレをガン見していたのだが、
あのスレは消えるだろうと思った低脳がいきなり、おれを煽るレスをしてきたからおれもびっくりw
まさか低脳がレスをしてくるとは、しかも煽りレスをしてくるなんて思ってもみなかったことだったしなw
しかも、ストーカーとかどんだけ被害妄想だよw誰も低脳なんてストーカーしないw
そして次。
これも昨日何度もいってきたことだが、またぶり返してきたかw
おれはメガビで釣りとダンスを楽しんでいる。おれのネタとしてこのメガビを楽しんでいる。
だから、おれは他人にどう思われようがどうでもいい。そんなことには興味が無い。
メガビ内でおれがマナーが悪いとか言われようがどうでもいい、興味のないことだ。
しかし、低脳は一応、良質コテ(笑)で通っているのだろうから、一応、マナー守らないといかんわなw
そんな奴が、悪質コテのおれを煽るレスをするなんて、それこそ、マナーがなっていないんじゃないか?w低脳くんよぉ〜^w^w^
はい、次。
お前がはじめに俺に喧嘩吹っかけてきたんだから、謝るのは低脳だけでいい。おれが謝る必要は無い。
お前がおれを煽ることをしなければ、おまえが煽った当初にお前がレスをしていたなかで
一番上にあったじいさんのスレに、おれだって書き込みをしなかったんだからな。
おまえがじいさんに謝れば済むだけ、身内で処理すればいいだけの話だ。
そして、ティーの件。
むしろティーが謝ってほしいわ。
おれはティーにスティッカムのことを教えてやったのに、
お礼の一言すらおれに言わずに、お礼を言うどころか、おれのストーキングして
2chのスレにおれのIDを晒したりしたのだからな。
したがって、おれが謝る必要は全く無いし、むしろ、ティーが謝まるくらいな状況ってことだ。 >>391
ジンシュ は ともかく ゲンゴテキ には チュウゴク モジ を つくった ミンゾク と、
イマ の カン ミンゾク は つながって いる。
>>392
ぱくった の は なにも カナ だけ じゃ ない。
チュウゴク モジ も ウイグル モジ も おなじ。
そもそも セカイ に ゲンソン する モジ は いうなれば すべて パクリ モジ。 >>400
内輪での話題ならどこでもこんなもんでは?
対外的に話すならもっと分かりやすく話すでしょ? ↑
これは、素人の我流の論だけれど、
ちょっと面白いと思う。 >「ホモのレズ」はおかしいが「オカマの彼女」なら言えそうだ。
>なぜなのだろうか。
>ノは、どんな名詞でもつなぐことができるのではないのか。おかしいな。
ちょっとこれはいだだけないけどな。
「ホモのレズ」がおかしいのは「の」云々よりも論理の問題だし、
露伴氏は「ノがどんな名詞でもつなぐことができる」とは言ってないし。 それと、この場合のノは、必ずほかのもう少し長い表現に置き換えが
可能なのだろうか?
>>407
では、どういう名詞どうしならノでつなぐことができて、
どういう名詞どうしならノでつなぐのは無理、
という区別をあなたは論理的に説明ができますか?
ワイ日本の人間が聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうやまず無理
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで(こっそりとな)
まあお前らほど頭のきれる連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもうすでに常識的なくらいの知識やろ?
2ちゃんねるやってるやつならすでにこの情報で大儲けしてるしな
>>409
選択制限違反に反しない名詞の対が の で接合可能なんでしょ。
隠喩としてつなぐときは可能になることもあるけど。 ↑
(1)敵の敵は味方だ。
(2)男の男は女だ。
(2)がおかしいのに、(1)がおかしくないのは、
(1)では二つの「敵」どうしが選択制限に違反しないしないということだね。
でも、全く同じ語彙をノの前後に持ってきているという点では
(1)と(2)は同じ。
だったら(1)の「敵」と2の「男」の違いはどういう違い
なんだろうか?
>>412
「敵」は他者との関係の上に成り立つ言葉
「男」は自身の状態・属性を表す言葉
議論ななっている内容は実は「の」に問題があるわけではなく、「の」がつなぐ言葉の問題。 そうすると、自身の状態属性を表す言葉では、
同じものをノでつなげない、ということか・・・・
(3)私は業界においては、先生の先生だ。
であれば、どうだろうか。
先生の先生だと言ってる人は先生であって、先生の恩師や先生の生徒ではないんじゃないか? >>412
>(1)敵の敵は味方だ。
も少しおかしい 助詞の使い方が未だに分からず
たまにイラつくことがある 「タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!」
こんな刺激的なタイトルで、ライブドアニュースの
「眼光紙背」コラムを書いたのは、フリーライターの赤木智弘さん(33)。
週刊誌などで、フリーターやニートについて発言していることで知られる。
赤木さんは、2009年4月16日付のこのコラムで、
まずJR東日本が1日から首都圏の駅で全面禁煙に
踏み切ったことに不満を述べた。
たばこ税も大迷惑
でも個人輸入すれば大丈夫。日本語の輸入代行も多数。
「タバコ 輸入代行」とかで検索するとあるある、、、
送料込みで1箱90円とかの激安サイトもある。"
>>414
二つ目の先生は話者の属性だが、一つ目の先生は先生一般であって話者自身とイコールではない。
王の中の王と同じ。英語なら the king of kings で明確なんだが。 ,へ、を、に、等助詞だけでは話が通じるかな? >>1は馬鹿かな? >>420
そういう読解力しかないあなたには難し過ぎる話ですねw >>1 >>名詞や各単語はすべて支那語かサンスクリットからの転用
・・・前提から間違っている素人だな。 >>407
語源的にはホモのレズもありだと思うが。
「同性愛のレズ」だからね。 両性の同性愛(者)を指す場合は略さずにホモセクシャル(ホモセクシュアル)と云い、
ホモと略す場合は主に男性の同性愛(者)を指すと解するのが普通だよ、日本語では。
英語では homo(sexual)/gay は両性の同性愛者を指すものの特に男性を指す場合が多く、
女性同性愛者の les(bian)/lesbo と対を成している(ちなみに同性愛は homosexuality)。 助詞って必要か?
助詞ってなんでついてんの?
日本語はいろいろゴテゴテしすぎ。 >>426 >>助詞っ「て」必要「か」?
助詞っ「て」なん「で」つい「てんの」?
日本語「は」いろいろゴテゴテしすぎ。
・・・お前自身が使っているのに気づかないか。 >>428
あー、もうバカは死ねばーーーか。
今の段階で助詞外してどーすんだ?
え?答えてみやがれクソ。 >>426
→助詞必要?
助詞なぜ付いている?
日本語いろいろごてごてしすぎ
でOK 日本語に助詞は必要に決まっているではないか。無くすことなどできるわけがない。 別のスレで誰か書いてたみたいに、古典語に遡るほど助詞が未発達であったし、
文字化する以前の日本語ではさらに助詞が少なかったという推測もある。
助詞が発達したのはおそらく、文字を得て文章語として大いに発達・発展し
それが中央集権化によって日本中の諸民族の共通語と化するのに伴って、
表記に現れない抑揚による文法機能の標示や方言による差を吸収する上で
どうしても助詞が必要になったからだろう。
英語のように語順等でこうした文法機能が明瞭に表すようなルールでもできない限り、
おそらく現状の日本語から助詞を無くすのは不可能だろうな。 と、自分の助詞があやしいw
英語のように語順等でこうした文法機能が明瞭に表すようなルールでもできない限り、
↓
英語のように語順等でこうした文法機能を明瞭に表すようなルールでもできない限り、 >>429
あー、もうバカ「は」死ねばーーーか。
今「の」段階「で」助詞外し「て」どーす「ん」だ?
え?答え「て」みやがれクソ。
・・・まだ助詞なしでは何も言えんようだな。 助詞、いーよね。格をきっちり表すことができる
特に「を」。実にすばらしい大発明。
冠詞、名詞の性、そんなものはなくてもいいんだ。なくても何とかなってる言語は
たくさんある。
しかし、格は、どの言葉でも必ずある ないと成り立たない。「語順」か「語形変化」か、とにかく何かであらわさないといけない。
語順であらわす孤立語だと、語順を変えるのが不可能に。格変化であらわす欧語だと、変化を覚えるの大変。
その点日本語は助詞いっぱつ。難しいこと何もなし。対格は「を」ですよーみなさん。名詞変化?ありません。
名詞にそのままくっつける。それでおk。語順もこれで自由自在。
正直すごい。いまラテン語の格変化ひいこらやって憶えてるので、余計にそう思う。 >>436 ドイツ語の男性、女性、中性ごとの格変化などを見るとこいつらアホかと思うしな。
ドイツ人も日本語の漢字の音読み(漢音、呉音、慣用音、湯桶読み、重箱読み)、訓読みをみるとこいつらアホかと思うやろけどな。
俺は「の」もすごいと思う
これの後に続けたらどんな品詞でも修飾できるんだぜ
日本語は助詞のおかげであまり語句の順番を気にしなくてもいいのがいいな 日本語の名詞の取扱もすばらしい。
名詞をひたすら連ねてさらに名詞を作ることができる。
第三世代太陽光発電装置販売計画未達成反省会議開催通知とか。
最近はこのような書き方が英語でも採用されるようになってきた。 >>436
我々母語話者には最高に便利だな。
ただ例えば「を」が何を表すかと聞かれるとうまく教えられない。用法広杉。
>>436
もっとラテン語の勉強が進んで活用・曲用や文法性に慣れてくると
それらの機能性や美しさが身にしみて解るようになってくるよ。
そういうのの無い言語に触れた時に少し不安を覚えてくるほどだ。
あと助詞が格をきっちり云々には賛同しかねるな。>>441 に同意。 アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。 毒とも知らずにツブツブを運び出す。
一匹が一粒づつ。 いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。 蟻さんって働き者だなと思う。
俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。 探してもいない。 泣きたくなった。
このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。 >>443
助詞はないっぽい。
幼い頃から聾だと助詞が分らなくて文章が読めないらしい。 助詞の由来を上古漢語と主張してる人みつけた
http://www.d9.dion.ne.jp/~toyobook/yamt.html
で・て《助詞》
【語源】 「第」,「代」
に《助詞》
【語源】 「爾」,「而」,「?」,「 」,「 」
を《助詞》
【語源】 「於」中古音)o,漢音ヲ→オ
は《助詞》
【語源】 「把」上古音「p2g」,中古音「p2」,呉音ヘ,漢音ハ,字義=《前置詞》処置する対象を,持ち上げて示す語。 《動詞》とる。にぎる。にぎって持つ。
>>446
ジョシ どころ か あらゆる ヤマト コトバ を カンゴ ニンテイ して いる なw
カンゼン に トンデモ。 >>438
そんなことはない。独日ハーフ(ドイツ国籍、ドイツで16年、現在日本で7年の生活)だが別に変だとかはない。
逆に日本人はなぜ名詞に性があるの、やダーティフ、アクサティーフとか前置詞ごとに変えるのって思うじゃない。
あと、aufとかinの使い分け、いっぱい似たような(外国人には理解しがたいテーマという意味で)疑問あるし。
でも、ここで議題にされてることは全面同意できる。日本語は助詞をマスターすることに限りなく本質がある。それが大変だからしんどくはあるんだよなあ。
※日本語が変だったらご容赦を >>449 現代中国語の特徴は漢文とちがって、助詞を多用することにあるんだが。
モンゴルとか女真族の影響だと思われる。 それにしては中国人に日本語は下手糞だしなかなか上達しないぞ?
下手に漢字がわかるから助詞などに気が行かないのか? >>448
話題には無関係だけど、日独でなく独日って書くのは
ドイツ国籍でドイツがアイデンティティーだから? >>1 朝鮮語は助詞だけの言語
名詞や各単語はすべて支那語か日本製漢語からの転用で、
それを補うように助詞がある。朝鮮語は助詞だけでなりたつ
不思議な言語なのでは
ないだろうか? 日本語は不快なだけのネトウヨ言語
. /⌒`⌒`⌒` \
/ ヽ ゴミ屑JAP18ども良く聞け
( ノ⌒〜⌒〜⌒ヽ、 ) 俺は日本語が嫌いだ、ネトウヨ言語w
ヽ/ \, ,/ i ノ 日の丸は国旗ではなく楽天ロゴの下地だ
| <・>, <・> | 民主党旗の下地だ
| 、 ,,,,(、_,),,, ノ|
ヽ ト=ニ=ァ /
\ `ニニ´ /- やべぇwwwこんなに日本語話してる俺恥ずかしいwww
/` ┻━┻'_ 助詞がのにをがある言語って日本だけなの?
英語はis=「が」とto=「に」って助詞があるけど
「の」と「を」は動詞のhaveだから >>457
>がのにを
日本海の向い側のツングース諸語
その向こうのモンゴル語
モンゴルの南、インドの北、中国の西に分布しているチベット語
ウイグル自治区からアナトリアにいたるトルコ系諸語。
2chの人々がみんなだいすき朝鮮語と韓国語。
みんなあるよ。 >>461
トルコ語やモンゴル語、ツングース語など主語に「は」とか「が」など付かない 格助詞「が」と「は」の区別をする言語は少ないんだが
>>461が挙げた言語は格助詞「は」と「が」の区別があるのか?
私が知る限りその中では朝鮮語だけだが 朝鮮語は漢字語は漢字で、日本語起源語は仮名書き、英語起源は英語のまま表記すれば読みやすい言語になるんだがな。 ある台湾人が
てにをは、は要らないって
言ってたw 「てにをは」は要るだろな。
「てにをは」が無ければ、this is niceをthis nice、と言うような原始的な言語になってしまう。 「てにをは」はいるけど主語は要らない助詞だけの言語 台湾人や中国人は助詞の
使い方が苦手だから
てにをはは要らないって言うんだろうな 日常会話レベルなら「てにをは」無視でも意思疎通できるのは事実
「this nice」程度の英語でも同じように日常会話はなんとかなる
ビジネスをしようとか考えると話は変わってくるけどね 助詞 無い だいたい 通じる
インディアン 嘘 つかない >>474
通じる 助詞 だいたい 無い
つかない 嘘 インディアン K・ギルバート氏
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427342990/
日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない
日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。
しかも、助詞をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。
英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な助詞は存在せず、倒置法などは限られる。 バカノミクスやーい^O^
そう思ってる人っていませんか。
かく言う私もその一人なのですが、それがもうすぐ終わる予感がしています。
むずかしいことは抜きにして、簡単に言いますね。
野党が本気で政府を追求しないから、バカノミクスがはびこる、やりたい放題。
しかし! ここに全く「新しい野党」が登場したらどうでしょう?
既存の政党の枠にはまらないインターネット政党。
「新党憲法9条」
http://new-party-9.net/
模擬投票も今すぐできるので、見てみて下さいね。 助詞って、格に置き換えられないかな?
私は 主格
私が 強調格
私を 目的格
私に 与格
<場所>で 処格
<道具>で 具格
みたいな・・・。 >>481
置き換えられるタイプの助詞だから「格助詞」と言う >>474
ジャップのランゲージはパーティクルだけでアンダスタンドできマース!
日本 言葉 助詞 理解 可能
↑これをコレクトにリードするのはインポッシブルデース >>481
格助詞と係助詞が混じってる
主格の格助詞は「が」
「は」は係助詞。他の格助詞と組み合わさって「は」「では」「には」といった形になる
実際に現れた形が「は」だけなら格は不明 降伏の加賀区の著書は、
助詞だけがゴーストライターのオリジナルで、
残りは世界中の聖典・経典、偉人の言葉。 漢字ってその言葉どおりで昔々中国大陸に「漢」という国が存在した時の文字。
それ以降多民族、多人種が入れ替わり入れ替わり入り込んで「漢」なんて国も文化も
無くなってる。まあ「漢」の国から渡来したのか行って教わったのかは知らないが、
その時代に漢字は日本に入って来た。中国ではほとんど使われてなかった漢字が
中国で復活したのは西洋文明を漢字で翻訳した日本へ中国人が留学して持ち帰ったから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/満州文字#/media/File:Yonghe-gong_Temple_board.JPG 日本語ってページ開いただけで内容がわかる。
もっとも速読に適した言語ではないのか? このようになったのも日本列島の絶妙な地理的バランスのおかげだ
大陸から近すぎても遠すぎても表音文字と表意文字が混在する文字体系は保存されなかった
もし他の民族と激しく混合する様な大陸にあればかつて楔形文字やヒエログリフ、マヤ文字のように容易に別体系の表音文字と取って代わられてしまうだろうし
洋上の孤島だったならばハワイの様に長らく文字のない社会でラテン文字表記となっていただろう
最初に文章の形で記録されたときから1400年もの間、日本語は大きな変化をしていない
近隣の中国語や朝鮮語、ツングース語、南島語などと比べて驚くほど安定している
これも偏に適度な孤立性のある島国だからだろう >>488
表意文字だけの中国語が一番早く読める。 一番読むの遅そうなのはラテン語かな
全部大文字で分かち書きも無いから単語の区切りすら判別しにくい
そのうえローマ数字が輪をかけて読みにくいし ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 最近韓国人が脱亜入欧したいのかウリのハングルも助詞を用いているニダと言い出しているらしい
その内に助詞の起源は韓国が始まりそうウラル=アルタイ語族の元祖の誇りは一体何処にw >>454 朝鮮語も漢語の浸透により漢語の語幹と朝鮮語の接尾辞を持つ日本語に似た構造になっているが
朝鮮語はあくまでも語幹に完全に従属した接尾辞を持ち続けているのに対して
日本語では独立した存在として語幹に対して文全体の構造を為す品詞格そのものを主体的に決定する助詞に進化している
現代では韓国人も漢語以外の外来語をそのまま用いる事が増えた為に奈良平安時代の日本語の様な変化が起きて居るらしくハングルも助詞を持っているニダ等と言い出して居るらしい
その内起源を言い出すだろう 朝鮮戦争に参加した米軍兵士の内の第二次大戦中の南洋戦線から転戦した者には刺青をする場合に「哲」の字を入れてステーツに帰った者が多いw
全ては南から来たんです@東大寺 >>497
格助詞が孤立語的な膠着語である日本語って実は珍しい存在なんじゃ? 「すごい! こんなに日本語的な言語は日本語だけだ!」 つまんないからなんだというのか
変なところで文を終えるな
最後まで言い切れ 何もかもがつまらないと感じられる時は
鬱になりかかっている可能性があるので
一度専門の病院で診て貰ったほうがいいですよ(いや本当に) 全てが退屈で退屈で仕方ないおこちゃまなんだろ
早くそういうつまんないごっこから卒業できたらいいね 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
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