>>160
音韻は音の分節、形態は意味を持った音連続の分節というべきでしょう。
表記は関係ありません。(音韻に即した表記というのはありますが。)

もし、音声学上、生理学上の要請であるのなら、世界中の言語に【同じ】母音調和があっていいはずですが、じっさいにはありません。
トルコ語のシステム内部において機能している現象なので、音韻・形態論的と申し上げました。

>>161
母音調和はもちろん音素が変わっているのですが、音素が変わることによって形態が違っています。
すみません。「連濁」の例は不適切でしたね。
もちろん、「くつ」と「ながぐつ」の「-ぐつ」は意味は同じではありません。

例えば、「らっぱ」「あらし」と発音してみて、「ら」の子音が微妙に違うことに気づくでしょうか。(舌を口の天井につけている時間が違います。)
また、「あさ」と「あおい」の「あ」の発音が違うことは分かりますか。
ふつう、日本語話者はこれらの違いを意識しません。どちらも同じ音素だからです。これは音声学上の違いです。

いっぽう、動物を数えるときに使う「匹」を数詞につけていくと、
いっぴき、にひき、さんびき、よんひき、ごひき、ろっぴき、ななひき、はっぴき、きゅうひき、じゅっぴき
となって「ひき」「びき」「ぴき」が現れますよね。
この /h/,/b/,/p/ は日本語では明らかに違う音素です。
このとき、機能が変わっているといいます。ここでいう「機能」というのは、現れる環境の違いとでも理解してください。

このことを>>161さんは「発音」の違いとおっしゃっているのかもしれませんね。いろいろジャーゴンを使ってしまって、すみませんでした。