日本語は助詞だけの言語
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名詞や各単語はすべて支那語かサンスクリットからの転用で、
それを補うように助詞がある。日本語は助詞だけでなりたつ
不思議な言語なのでは
ないだろうか? 日本国は山形にある。
ここの言葉が日本語なのではないか? >>38
別名の石鉢(いまくさ)山ってのは知ってなきゃ読めないなw ガイライゴ を いっさい つかって いない ゲンゴ など カイム だろう。
しかも ニホンゴ の バアイ は ガイライゴ に ついて も かならず サイゴ に ボイン を ともなう から、
きわめて ニホンゴ-カ した ガイライゴ に なって いる。 ある言語に導入された外来語がその言語の発音規則に組み込まれるのは、
別に日本語に限った話じゃないけどね。 サンスクリット
「ない」→ナ 日本語で「ない」
「なまえ」→ナーム 日本語で「なまえ」
日本はサンスクリットからかなり影響を受けている >>36 >>助詞は日本語と朝鮮語は殆んど同じだろ?
・・・主格の「が」、疑問詞の「か」以外に似ているものは皆無だがな。
「が」は用法が一致しないし。
>「なまえ」→ナーム 日本語で「なまえ」
「なまえ」は「な」と「まえ」の複合語だ!
遡るとしてもサンスクリットじゃねえよ!!!!
欧亜北阿北米共通のノストラティック祖語のレベルだ!!!
無知すぎて話にならねえ! どう みて も ネタ だろ。
いまさら そんな セツ を ホンキ で となえる ヤツ が いる とは おもえん。 SOV形式の膠着語という点さえ共通していればどんだけ語彙を入れ替えても言語として成立するという事実から妄想した、それらの言語は全て同祖という考えがアルタイ語族とかツラン民族主義。
語彙の借用が盛んな膠着語に対して印欧語でやったような比較を行っても無意味。 >>51 語彙といっても助詞・助動詞のような文法的要素の共通性もあるから妄想と片付けるのも無意味だろうな。
特にそういうのがまとまってあれば偶然ではないだろう。 極端な話、助詞類と「〜する」動詞の活用さえ身につければ、
他を外来語で構成しても、立派な日本語になると言えばそのとおりかもね。 >>53
>>9は>>1の焼き直しなんだけど、>>10とか普通に話してるよな。 >>53 いやそれは立派な日本語でなくて片言の日本語になるだけだ。
>>37
「手」は「しゅ」だが「tsyu」のように読み、これから「s」が抜けて「ちゅ」になる。
「ちゅ」から「て」に変わるのは造作も無い。
「目」は「mok」だが「me」と似ている。
「口」は「kou」だけど「kuti」。
「鼻」は「hi.bi」が「hana」
「花」は「far」だが「r/n」交替を考えると「fana」になっても不思議はない。
「名」は「mei」だが「m/n」交替を考えれば「na」に変わっても不思議はない。
「俺」は「en」だが「r/n」交替を考えれば「ore」でも不思議はない。
「金」は「kin」だが、そのまま「kane」だろう。
「鳥」は「tyou」だが「tori」と似ているだろう。
「背」は「ji」だけど「se」と似ている。
「唖」は「a」だが「osi」となっても変ではない。
「汲」は「kyu」だけど「ku」mu となっているから関連ありと考えられる。
上げるいとまがない位だ。
それから日本語では疑問文の末尾に「・・・か?」を付けるけど、
中国ごでは「・・・嗎?」を付ける。
タイの方ではやはり「・・・カ?」と言う疑問文があるようだ。
韓国語でも「アンニョンハシムニカ」は「安寧でしたか」という意味だから、
「カ」は疑問詞だろう。
「マ?」は日本語の「か?」に対応するのだ。
そこで考えてみると中国語では「母」を一般には「mama」と言っている。
「m」が「k」に変わるなら「mama」が日本に来て「kaka」になった可能性もある。
「k」と「h」音は交替するから「kaka」が「haha」になった可能性も十分にある。
良く見れば日本語と中国語はよく似ていると言える。
仮に mama kaka haha が同一語源だとして、そうなるとどこまでが同一言語と言えるのかわからなくなるよな。
倫敦橋をロンドン橋と読む分には別言語の存在がわかるけど、ブリッジが外来語として通用するようになって、
ロンドンブリッジになると単なる訛りでしかないし、多分英語の発音でも通じる訳で。 >>54
英語や韓国語にも『ルー大柴』語がけっこう成り立つんだろうか? 日本語を改良すればエスペラント語よりも優れてエスペラントらしい国際補助語になったんじゃないか?? >>61
カイリョウ など しなく とも ヒョウキ を カナ だけ に して いれば アジア の キョウツウゴ くらい には じゅうぶん なりえた。
ケイザイ キボ と くらべて ニホンゴ が ひろまなかった ゲンイン は ナンカイ な チュウゴク モジ の シヨウ に ある。
とくに ニホンゴ の チュウゴク モジ は ナン トオリ に でも よめる から、
ホンケ チュウゴク より カクダン に むつかくしく なって いる。 日本語最大の欠陥である同音異義語を無くさねばアジア共通語になどなれまい。 ある意味漢字は「共通語」だったよ。
部分的には、漢字を介して日本語が中国語圏に影響したから、今でもそうかも。 >>63
ケッカン が ある ゲンゴ なら ニホン での キョウツウゴ に なる こと が そもそも フカノウ。
ニホンゴ は ハツオン も やさしい から ヒョウキ を カナ に する こと で、
ガイコクジン にも カンタン に はなせ、 ヨミカキ できる よう に なる。 語呂合わせではない。
まともに勉強しない言語学者がアホなだけだ。
AN語との近似とか、朝鮮語とかの共通点を探ろうとしてはいるが、同じモンゴロイドだ。
分岐した時代の違いがあって、中国語との分岐は一万年前とか、朝鮮語との分岐は5000年とか、
そう言った時代に分岐して交流が無ければどんどん変化して違う言葉になっていく。
おいらにゃ、島言葉も下北弁も日本語とは思えないくらい理解できん。
コトバ の オト など かぎられて いる の だ から、
その テイド の ルイジ なら あらゆる ゲンゴ で みいだせる だろ。 中国語と日本語の類似には一つのルールで成り立っている。
例えば
「蝉」。中国語では「sen」だが日本語で「semi」
「金」kinが「kane」になるように後から母音が追加されている。
中国の方で母音が消えただけかもしれないが。
「銭」も「zen」から「zeni」になる。
これなどは8世紀に来た言葉だろうが。
「蛙」も「kei」が「kaeru」
偶然では済まされないくらいの相似がある。
日本に稲作水田を伝えたのは中国江南から来た半農半漁の人々だったろう。
この人たちが言語を伝えなかった筈がないではないか。
「田」は「den」であり、「ta」に変わったのだろう。
「苗」が「myou」であり、「m/n」交替して「nae」に変わった。
「茎」は「kei」から「kuki」に変わった。
「米」は「mai」だが「kome」となっており、
「mai」から「me」になり「接頭詞」の「こ」が付いたと考えられる。
外来の物には外来語の名前が付くのは当然だ。
長い年月のうちに大和言葉として定着したのだろう。
「馬」については朝鮮も中国語も「ma」だからどちらの言葉か区別出来ないが
「ma」に「u」がついて「uma」になる。
「梅」は中国語で「me」だがこれに「u」がついて「ume」になった。
梅の木は奈良時代に中国から伝わったとされている。 >>71
> 中国語と日本語の類似には一つのルールで成り立っている。
ごめん、頭悪いから、どこにひとつのルールがあるのかわからない・・・ >>71 銭>ゼニなら田>デニにならんと辻褄が合わんな。
>>72
ごめん、ちょっと間違った。
ルールは一つじゃない。三つくらいあるね。
末尾母音の追加。
一音の言葉に接頭詞がつく。
子音交替。
海と言う日本語だけど、
今は中国では「hai」と言うが、昔は「me」と言っていた筈だ。
なぜなら「海」には「毎」という旁が入っている。
「毎」は「mai」であり、中国語では旁が読みを表す。
「母」も「mo」だし、「m」音を含んでいなければおかしい。
中国語でも「毎」は「m」音を含んでいた。
そう考えれば、中国でも昔は「mi」と読んでいて、
これに「う」がついて「umi」になったと考えるべきだ。
ちなみに韓国では海を「he」と言うが、金海は「kime」と読む。
中国も韓国も昔は同じ「me」あるいは「mi」と読んでいたと
考えるべきだ。
東アジア大語族なる物があった可能性は高いと思うがね。
>>73
ルールに例外は付き物。 >ちなみに韓国では海を「he」と言うが、金海は「kime」と読む。
wwwwwwww 言葉が數多存在する以上、似た音が在っても不思議ではない。 そもそも3000年前の江南のが漢語系かという問題も
チベット・ビルマ語族でも漢語とは別系統のかも
これは安本美典の説か たかが 2500 ネン マエ に タイリク の ゲンゴ を はなす シュウダン が ニホン に わたって きて ソレ が ニホンゴ の キソ と なった の なら、
もっと カンペキ な オンイン タイオウ が タイリク の ゲンゴ と あって しかる べき だ な。
ホンド ニホンゴ と オキナワゴ は 1500 ネン イジョウ マエ に わかれた と いわれて いる が、
コチラ は カンペキ な オンイン タイオウ が ある。 沖縄は800年前に高麗人によって支配された。
半島高麗語の影響があっても不思議はない。
グスクと言う城は朝鮮式の城だがね。高麗瓦の出土もある。
http://syurijyou-kigen.seesaa.net/article/167471693.html >>81 また朝鮮人の捏造話を広げる魂胆がアリアリだな。
朝鮮語でシロをグスクという証拠をあげろ。 グスクは沖縄語だ。日本語ではない。聖域と言う意味だろう。
朝鮮式城に沖縄語を当てはめたのだろう。
関東連合死ね!
朝鮮総連死ね!
民団死ね!
日本共産党死ね!
ブリティッシュカウンシル死ね!
革マル、中核、社民党、民主党、「がんばろう、日本!」国民協議会死ね!
山口組、稲川会死ね! ネトウヨの仕業と思われるコピペ荒しがこんなところにまでw 海を「うみ」と発音する意味はなんだろうね?中国思想の影響かな 日本語では海は「あま」だ。
漢字が入って来た頃に百済から海を「み」と読む読みが入って来た。
一音の言葉では言いにくい事があって前に「う」が付いたのだろう。
「うみ」の読みも「あま」も近い言葉ではあるがね。
ちなみに、天を「あま」と読むようになったのは奈良時代からだ。 海の境を指す「うなさか」と言う言葉がある。
広々とした海を指す「うなばら」と言う言葉もある。
ウとはなんだろうな。 海のことをワダツミというがこのワダは南島語batangという説がある。
一日中、バタン、バタンと波が打ち寄せている擬声語だろう。
water,wasser とも似ているが、これは水をバシャバシャかける擬声語だろう。
ギャク に いえば ニホンゴ の ゴゲン が ガイコクゴ に つながる なら、
その ガイコクゴ の ゴゲン が ニホンゴ だ と いう こと も できる な。 >>94 高句麗語 内米(ナミ)=海
ツングース語 ナム・ラム=海
ところで、「助詞」を英語で何というんでしょうか?
国際的な言語学には国文法にいう「助詞」に該当する概念はあるのでしょうか?
「後置詞」とか「接尾辞」の一種かとも思いますが、後置詞なのか接尾辞なのか?
日本語の正書法がそもそも分かち書きをしないので、どっちか区別がつかないです。
>>98 助詞=helping wordではないかな。
そのものずばり直訳ですねw
国際的に、言語学的に、通用するんですか? >>101
だからそれは「助詞」の訳として適切なのかと>>98は問うているんでしょう。
>>102には「助詞」という訳が書かれていないのは見て分かるはず。
つまり、「助詞」というのは言語学的には存在しない用語なんだよ。 >>98
>ところで、「助詞」を英語で何というんでしょうか?
エイゴ バン の ウィキペディア では ジョシ は 「Japanese particles」 と なって いる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_particles
>「後置詞」とか「接尾辞」の一種かとも思いますが、後置詞なのか接尾辞なのか?
ジョシ なの だ から セツビゴ で ない の は たしか。
ウィキペディア では ニホンゴ の ジョシ は ガイコクゴ の コウチシ に あたる と かいて ある な。 ttp://ejje.weblio.jp/content/particle によりますと、
particleには、不変化詞、小詞、もしくは、小辞、接頭辞・接尾辞
のいずれかという訳語が与えられています。
「不変化詞、小詞」とは、ttp://ejje.weblio.jp/content/particle によりますと、
「副詞の一部・冠詞・前置詞・接続詞・間投詞など語尾変化のない品詞」とされます。
助詞は、たしかに、この不変化詞のカテゴリーには該当しそうな気がするのですが、
それがそのまんま助詞のカテゴリーと定義してよいのか判断しかねます。
そうすると、接続詞やら間投詞までも助詞ということになってしまいそうですので。
となると、もう一つの訳語である小辞、接(頭・尾)辞ということになります。
つまり、後置詞ではなく? あくまでも接辞であると??? >>103
> >>102には「助詞」という訳が書かれていないのは見て分かるはず。
> つまり、「助詞」というのは言語学的には存在しない用語なんだよ。
「文法不変化詞」には「助詞」も含まれるでしょ。それ位は察してね。 >>106
「含まれる」のと「同義」は違いますでしょう?
「含まれる」というならば、接続詞も間投詞も副詞の一部も前置詞も冠詞も
すべて助詞と同義ということになりますが。
「ああ」「やあ」「まあ」「えい」「とう」「おお」「もしもし」までも助詞とは
ふつう言いませんよね? >>105
> つまり、後置詞ではなく? あくまでも接辞であると???
後置詞(postpositions)は別に否定されてないんじゃないかね。
これだって小詞(particles)の一つなんだから。
>>107
> 「含まれる」というならば、接続詞も間投詞も副詞の一部も前置詞も冠詞も
> すべて助詞と同義ということになりますが。
「A⊃B」という関係なのに、BがAと同義(=)にはならないでしょうに。
日本語文法を西洋文法に無理矢理「翻案」してるんだから、どうしても細かい概念は
包括的に捉えざるを得なくなるんじゃないかな。 英和辞書の誤訳にはparticleは接尾辞とあるのに、結局、後置詞ということになるの?
>>104さんが書くには、wikipedia英語版の著者は後置詞に相当すると定義しているようですが。 「自立語+助詞」を不可分なひと纏まりとするならば、助詞は接尾辞。
「自立語」+「助詞」を別個とするならば、助詞は後置詞。
つまり、文法の捉え方次第。まあ、後者の方が一般的だろうけど、
この板でも日本語の「名詞+助詞」を格変化と捉える御仁がいる。 とすると、日本語国文法の助詞は、particleと意訳するよりはpostpositionと意訳したほうがよさそうなのに、
英和辞書ではparticleのほうを選択しているのはなぜか? >>99
auxiliary wordとか、accessory wordとか? >>112
格変化として捉えた方が西洋人には馴染み深いからじゃないかな。
日本語と同じ膠着語であるハンガリー語やフィンランド語すらそうなんだから。
その代わり、格の数が15だの20だのってなことになってるけどねw
日本語の助詞というカテゴリーには節・句・文全体を修飾する終助詞みたいなものも含まれるからなあ。 「おう翔太、お前東京の大学出やったな。お前1〜10まで数えてみい。」
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」
「なんやそら、全然出来てへんやないか。舐めとんか」
「1!2!3!…」
「違う!もう一遍」
「1!!!2!!、」
「違うもうええ!哲、お前やれ」
「12〜3〜4〜5〜67〜89〜10。」
「…。こうやろうが。大学まで行かしてもうて数の数え方も知らんのかいな。
親御さん泣くで。英語もええけど日本語ぐらいまともに喋れるように勉強せえ。
なにも敬語を完璧にせえとか求めとらん。お前らどうせ無理やろ。けどな、数も数えられんかったらわしらの仕事命に懸わるんや。
哲でも昌でも、先輩によう聞いて、しっかり憶えとけ」 助詞の英訳が英和辞書を引けばで解決できると言ってた人はどこへ逃げた? >>118
>>101-102あたりじゃないか。英和辞書を引けばいいじゃんみたいなマヌケなレスしていた。
>>98が調べた上であえてしている質問だとは思わなかったんだろう。 >>121
>>98 の文から辞書を引いたかどうか判定できたのなら、結構超能力あるよw
だから >>101-102 は「辞書を引いてないのか?」と問うたのであって、
それを見て「英和辞書を引けばで解決できる」と解釈したおたくも >>117 もかなりの超能力者だね。 「……なんで辞書を引こうとしないの?」を
辞書を引いたかどうか質問したと解釈するのは
かなり無理があるけどなw
どう読んでも、「辞書を引かない(で質問する)理由はなぜ?」
としか解釈しようがない。 まあ、辞書を引いて考えることをすすめているけど、解決できるという保証はしてないな。 >>98が答えを予期して↓ここまではっきり書いているのにね。
> 「後置詞」とか「接尾辞」の一種かとも思いますが、後置詞なのか接尾辞なのか?
>
> 日本語の正書法がそもそも分かち書きをしないので、どっちか区別がつかないです。
けっきょく>>98の書くとおり、後置詞(postposition)なのか接頭/尾辞(particles)なのか、
ってところで、いまのところ誰も答えられないじゃないか。>>98に逆戻りってことになっている。
まあ、最初に質問を書くと、後に続く文はちゃんと読まない人が多いんだよな。
逆に、途中で疑問を書くと、最初に書かれた結論は忘れ去られるから不思議。 >>98が訊きたいのは結局のところ日本語の助詞は接辞なのか(後置)詞なのかってことだよね?
仮名の綴りだと分かち書きをしない。
しかしローマ字書きの場合は助詞は独立の単語として分かち書きされることが多い。
ところが、仮名で綴った場合に分かち書きをあえてするとローマ字書きとは違って、
「私 は 日本語 を 話します」とは書かず「私は 日本語を 話します」と書く人が多い。
つまり、綴りを見ても結論が出そうにない。
英和辞書を引けば引いたで、接辞という意味をもつparticleと訳されているかと思えば、
別の資料では後置詞と直訳できるpostpositionとも説明されたりしている。
だから英語訳を参照しても、この疑問には簡単に答えが出そうにない。
とすると、言語学的(専門的)には実際のところどう考えられているのですか?と。
>>128
カナ での ワカチガキ も ジョシ を クベツ する タンゴ シキ が イッパンテキ。
ニホンゴ でも ジョシ と セツジ は メイカク に クベツ して いる だ から、
ニホンゴ の ジョシ は コウチシ と みて おけば マチガイ ない の では ない か。 >>129
>タンゴ シキ が イッパンテキ。
「タンゴ シキ」ガイミフナンダガ。
ちゃんとかんじでかいてくれよ。 この ブンミャク に おいて タンゴ シキ の イミ が わからない の で あれば、
チュウゴク モジ を つかおう と わからない の では ない か。 わかりますよ、いとも簡単単純にわかる
やってみればいい どう わかる の か グタイテキ に いえない ヤツ の セットクリョク は カイム。 >>129
◆KoZTgemFLMさんのような分かち書きをする人はそういない気がするんだけど、そうなのかな?
国語の文法書とかを見ると、あくまでも文法的な分かち書きだけど、「ぞうは はなが ながい」
としてある場合が多く、「ぞう は はな が ながい」というのは珍しいように思います。
しかも、「ぞうは、はなが、ながい」とは書けても「ぞう、は、はな、が、ながい」とは書けない。
名詞と格助詞または係助詞との間に読点を入れることができないことから考えると・・・ >>136
タンゴ シキ は めずらしく ない。
むしろ カナガキ を シュチョウ して いる モノ は タイハン が タンゴ シキ で かいて いる。
ブンセツ シキ は きわめて まれ。 >>133
「この」「の で」「では」は、それぞれ「こ の」「ので」「で は」と書くべきではないの?
そのへんの統一規則はどうなっているんでしょう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています