用語は何らかの利益のために立てられるものよ。
音声的な二重母音という概念を持ってくるのはいいが、
それを持ってきたことで議論がどうなるかということは吟味される。
音声的な二重母音が日本語にあるといったところで
古語については分かりようがないわけだが、
日本語史の教科書に「アイ、オエなどの連母音は古くから日常会話では半母音化あるいは弱化をともなったと考えられるが
それに関する文献上の証拠はなく、音声的な二重母音であるかどうかその実否の判別は困難である」という一文を加えることに
何か意味があるか?この文は古語の実態について何も情報を付け加えてないだろ?
少なくとも古語の範囲では、音声的な二重母音という概念はあっても使い道がない。
自分は使い道がない用語を定義してもしょうがないと思うのだよ。