二重母音が発音できなくてどこが悪い
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
例えば ネイティブ→ネーティブ デイケア→デーケア ディスプレイ→ディスプレー メイン→メーン 名古屋弁の「えびふりゃあ」「おみゃあさん」はウムラウト現象? ebihuraiのaiがæっぽく、omaesanのaeがæっぽくなる。 Kampfに-erが付くとKämpferになる様な単語単位での音韻同化現象がウムラウトであり、 単なる二重母音の融合はウムラウトとは呼ばない。 まあ一種の環境異音なんだけど、ドイツ語の場合はその異音も個別の音韻として認識されてるので わざわざ表記上も区別されている、といった具合かね。 Kampf + -er -> Kämpfer なんてのを見せられると、まるでトルコ語の文法書を目にしているよう。 母音調和のそれにそっくり。半母音調和=ウムラウトかと思っちゃうw でもまあ、トルコ語の場合は、語幹は固定していて、 接尾辞のほうが母音調和に合わせて選ばれるんだけどね。 構造は異なれど、現象としては母音調和の一種のように見える。 >>71 アマって何だ? 俺は尼崎には住んでいないぞ。 日本での英語の発音は声のでかいバカに支配されてるからうんざり 外来語と英語そのものを分けて考えるという発想がない バカだから >>77 語幹も母音調和しているでしょ。伝統的なアルタイ諸語の単語は基本的には 母音調和した構造に固定されている。その性質が接尾辞まで及ぶだけの話。 >>77 トルコ語の母音調和は順行同化、ドイツ語のウムラウトは逆行同化ということだな。 日本語に二重母音はないだろ。 二重母音というのは単に母音が連続しているのではなく、 一連で音節の母音になっているんだよ。 メールはもちろん正しくないが、メ・イ・ルはもっと悪い。 日本語にも通常の速度での会話ならば二重母音が生じると 音声学・音韻論の教材本に書いてあった。 しかしゆっくり丁寧に発音すれば二重母音ではなくなると。 この場合、二重母音の定義からするとどうなるんだろうね。 そもそも二重母音っていったいなんだろう。 英語のI(アィ)はゆっくり丁寧に発音してもア〜ィで一音節だから あくまでも真性の二重母音ってことになるんだろうけど、 日本語ではどの語においていもゆっくり発音すればア・イと 二音節に必ず分離されるから二重母音でない、 という一応の定義にはなっているんだろうけどね。 しかしこれは定義があって、その観念に左右された結果じゃないかな。 日常会話こそが本来の生きた言語現象なのであって。 二重母音においては前か後ろのいずれかの母音が弱母音化されたり 半母音化(半子音化)されたり曖昧な母音になる、 という音声学的な客観的現象が確認されているとして、 それが音声学的な二重母音の実体だとすれば、 音声学的には日本語にも二重母音がある。 しかしそれを日本人が意識しているか意識していないかは別問題で、 そこに音韻論が出てくるとすれば、日本語には二重母音がないことになる。 二重母音は前後の片方の母音が弱化・半母音化する母音であるっていう定義は 無理があるだろ。 そうなると、学校教育において第二言語的に獲得した国語認識が、 母語としてではなく二次的に二重母音かそうでないかを決定しているのではないかな。 二拍にまたがる2母音を速く発音すれば、英語の二重母音は出せるし、練習によって習得は可能だ。 できないやつは怠けているだけ。そういうやつは反復練習がおそろしく少ない。 日本語の話者だからといって、英語を第二言語として修得することが不可能であるわけがない。 言語学をどうこねくりまわしても、怠けごころを正当化する科学的根拠にはならない。 >>88 その定義に無理がある理由をもっと具体的に >>91 古語と現代語でそれぞれ別の問題がある。 二つの母音がならんだ(ように文字の上で見える)ときに半母音化・弱化が起きたかどうかは、文献からは確認できない場合が多いと考えられる。 また、音声的に二重母音的になるか、それともならないかで音価の体系が変わってくる以上、 古語についても二重母音的になるか、ならないかが確定されるのが望ましい。 そこで半母音化・弱化を基準にして二重母音を定義しようとすると、古語においては母音について(本源的に)断言できないということになる。 たとえば「江戸時代には日本語に(音声的な)二重母音があったか?」という問題はどうやれば白黒つけられるだろう。 もともと古語の音韻というのは不明な点があるのが常だが、 二重母音の定義を半母音化・弱化に求めると さらにそれを分からなくすることになる。話をまぜっかえすだけで益はあまりない。 現代語については、三段階A-B-CのうちBが弱化してAとCが弱化しない場合には 二重母音A-Bと単母音Cなのか、単母音Aと二重母音Cなのか、それとも三重母音なのかという問題が生ずる。 たとえば「青へ」(/aoe/)のoが弱化してaとeが弱化しないという場合が考えられるが、 そのときaoが二重母音なのかoeが二重母音なのか。それとも三重母音aoeなのか。 言語学に通じてるなら「音韻」と「音声」のズレ(環境異音)で片付ける問題じゃないですか。 何を今更。 >>93 君は馬鹿だねー。 「江戸時代の日本語では、母音連続は環境異音として音声的に二重母音になる」 ということはどうやって証明するのよと言ってるわけだよ。 >>92 古語は別です。現代日本語の二重母音の話をしているんです。 それに、古語における音声の科学的証明が困難だという事実と定義とは別問題です。 困難だという事実は困難だという事実として受け止めるべきで、 定義でごまかすべきではありません。 >二重母音においては前か後ろのいずれかの母音が弱母音化されたり >半母音化(半子音化)されたり曖昧な母音になる、 >という音声学的な客観的現象が確認されているとして、 >それが音声学的な二重母音の実体だとすれば、 これって母音の一般的な話じゃないのか?現代日本語に限定された話なのか? ゲンダイ ニホンゴ には チョウボイン や タンボイン の レンゾク は ある が、 ニジュウ ボイン は ソンザイ しない。 >>96 一般的な話です。「として」とか「とすれば」としてあるので、仮定の話ですが。 >>97 音声学的には存在するようです。つまり日本語の二重母音は客観的には存在するんです。 音韻論は主観的な問題なので、さらに複雑になりますが、仮に音韻論的実体を想定すると、 それは国語教育の二次的な所産でそう主観されているにすぎないのではないかという話です。 >>95 古語の場合は一度おいておこう。で92で挙げた三重母音についてはどうだ。 日本語に客観的に三重母音はするのか? >>94 君の方が馬鹿だ。 なぜならシラブルを分ける事に絶対の基準など存在しないからだ。 母音と子音が一つずつ含まれた音節が連なった語の場合 ロシア語ではCV-CVといった風に分けるが、英語ではCVC-Vとなる。 セイリッシュ語族のヌハルク語では「我々は歌ったものだ」を[nujamɬɬɬɬ] 、「向こうにあるのは私の獣脂だ」を[st͡sʼqʰt͡sʰtʰx] と言い、シラブルの概念自体が存在しない。 実際に母音の発音に強弱があったとしてそれは弁別には作用しないため、日本語では便宜上二重母音という音素体系は存在しないとされているだけだ。 日本語において連続する母音のどちらかを弱く発音するかしないかはラングのレベルではなくあくまでもパロールのレベルでの問題であるため、日本語全体まで拡げる話しではない。 >>99 いいえ、古語の話を含んだ場合についても、>>95 で反論しているので それについてはどう答えるんでしょうか。 用語は何らかの利益のために立てられるものよ。 音声的な二重母音という概念を持ってくるのはいいが、 それを持ってきたことで議論がどうなるかということは吟味される。 音声的な二重母音が日本語にあるといったところで 古語については分かりようがないわけだが、 日本語史の教科書に「アイ、オエなどの連母音は古くから日常会話では半母音化あるいは弱化をともなったと考えられるが それに関する文献上の証拠はなく、音声的な二重母音であるかどうかその実否の判別は困難である」という一文を加えることに 何か意味があるか?この文は古語の実態について何も情報を付け加えてないだろ? 少なくとも古語の範囲では、音声的な二重母音という概念はあっても使い道がない。 自分は使い道がない用語を定義してもしょうがないと思うのだよ。 そうだな、たとえば「微口蓋化」という用語を新たに設けよう。 いわく、ケ/ke/の子音/k/が音声的にわずかに口蓋化するというのだ。 そして「古語では音節ケにおいてその子音kに微口蓋化があったと考えられる」というのを 日本語史に加えろと唱えたとする。それを見た人はどう思うか。 あるにはあったかもしれないが、わざわざそんなもの設けなくてもよくないかと思うだろうな。 音声的な二重母音なるものはこれと五十歩百歩だ。 >>102 言語学はあくまで科学なはずなので、まだまだ実証できない未知のことがあったら それはそれとして認めるべきで、その問題と二重母音をどう定義するかは別の問題だよね。 それによって音声学がすでに実証した事実までを隠蔽して定義をつくってはならない。 >>100 音節が恣意的だということまで認められるならば、その恣意性がどのように 形成されているかだけの問題になるよね。 それが学校教育ではないかという疑いが拭い去れないんだな。 母音連続は、実際の語には出てこない極端なものまで含めれば、いくらでもその数を増やすことができ、 n個の母音連続というものが想定できる。 母音連続と二重母音について単純に概念的な垣根を取り払うと、 たとえば31重母音というものも考えうるわな。 さすがに「うえおいおうあいあいあえういあ……」という極端に長い音のならびを 音声的にはn重母音であるといっても詮ない話だから、 何重母音がありうるかという点については決めておかねばならない。 現代日本語で音声的な三重母音はあるのか? ないとすればなぜ二重母音は存在して三重母音はないといえるのか?という問題があるだろう。 これについてはどうだ。 三重母音まではよく目にしますね。四重母音なんてのはあるのかな。 母音が連続した場合、ある母音以外の母音が弱母音化されたり半母音化されたり して発音された場合に、それを重母音と定義することは音声学的な実体を想定しても 可能じゃないかなあ。音声学的な実体が確定できるなら客観的事実にそくした定義もできる。 音声的な二重母音を「二つの母音の前後どちらかについて、音声的な半母音化・弱化が見られるもの」とすると、 そのままこれを三重母音に横滑りさせれば、「三つの母音の前・中・後のどれかについて、音声的な半母音化・弱化が見られるもの」となるだろう。 これを単純に受け取れば、日本語で母音が三つならんでいるものは日常会話では音声的な三重母音となるだろう。 しかし、それは三重母音ではなくて、二重母音と単母音ではないのかという疑問がわく。 二重母音+単母音と三重母音の区別はどこに求められるのか。 母音連続(二つの異なる母音)と二重母音の区別を(音声の上で)解体した以上、 二重母音と単母音を区切る方法もないと思うのだが、どうか。 >>108 > 母音連続(二つの異なる母音)と二重母音の区別を(音声の上で)解体した以上、 単母音の連続と二重母音との区別は音声学的にはあるらしいです。 日本語にもその定義の上では音声学的に確認されるらしい。 ですから音声の上で解体できていません。 なのに日本人話者が一様に二重母音を発音することはないと意識しているとすれば、 これは音声学的事実と矛盾することになります。 三重母音はどうなんでしょうかね。 >>110 拗音は子音の二次調音だ。 音素としては便宜上/kja//kju//kjo/みたく子音の後に接近音がある様に書かれる事があるが、 実際の音声は子音自体の調音位置がずらされていたり同時調音していたりするので[kʲa][kʲu][kʲo]もしくは更に厳密に表記すれば[ca][cu][co]となる。 だからキャシャチャニャミャリャは厳密には/ca//ɕa//ʨa//ɲa//m͡ja//ɽ͡ja/となる。 外来語の表記はもっと保守的になった方がよいと思う。例えばアウェイをアウエーに、デイサービスをデーサービスに、オーディオをオージオに。 「オージオ」はないな 今どき[o:dio]と発音できないのなんて年寄りだけだろう 「ラジオ」はありだけど、その違いは入ってきた時代の差だ ビルディングもかつてはビルヂングと表記されていたらしく、 昔の小説などを読むとそう記されているね。 実際にそう発音されていたのかもしれない。 ある世代より上になると、ディズニーランドもデズニーランド と「発音」しがちな人がちらほらいる。 さすがにジズニーランドやヂズニーランドはないけど。 >>111 > 更に厳密に表記すれば[ca][cu][co]となる。 [c]という音声記号はほとんど見かけないですが、音声学的にはどういう名称なんですか? >>117 BMWのことをベーエムベーと言っていた時代があったそうだけど、 ドイツ語式発音から来ているのかな。 しかし実際にドイツ語を聞くと、ビーエムヴィーとィが入っているように聞こえるけどね。 >>118 それは[e]と[ε]の両方がドイツ語にあって、 文字の名に入っている前者の発音が「狭い」ためにイに近く聞こえるからではないかな。 どうやら日本語のエは後者に近いようだ。 ドイツ語は最近実際に長母音のeeがiiに移行しつつあるらしい >>120 そうするとベートーベンはビートービンになるのか。 >>121 いやそれはない Beethowenは本来はベートホーヴェンとなるので 長いeをiにするとビートホーヴェンだ。 あ、間違えた Beethovenだからビートホーフェンな ドイツ語入門のアルファベットには 日本語では アー、ベー、ツェー、デー、エー、エフ、ゲーなどと 表記されているのだけどね、実際にドイツ人の発音を聴くと違う。 ドイツ語の方言によるのかな? ドイツ語のBはビェー。 「ビー」と「ベー」の中間みたいな音。 >>125 ロシア語ならどう聞いてもアー、ヴォエ、ソエ、デーと言っている。 >>113 オージオメーター(audiometer)はどうなるのですか? またジェスチャーを昔はゼスチュアと表記・発音していましたな。 子音字+y の場合の表記 ―伝統的には長音符号“ー”を付けて表記 セキュリティー,ライブラリー ―原音主義では長音符号“ー”を付けずに表記 セキュリティ,ライブラリ 一つは長母音と短母音という概念があまりないから。 一つはアクセントのない母音は短めに発音されるから >>130 TOSHIBA to Hbonsiki de kaku node [tosiba] to yomu. TOOSIBA to Nihonsiki de kakeba, [toosiba] tto yomu. >>129 技術系ではバイト節約のためと聞いたが? 技術系のひとはDTをデーテーとか読む 一般人からすればネーヨだろうが アウェーをアウエーと表記するメディアも多いですな。 元祖のラテン語も長母音と短母音の表記を区別しなかった。 学習者にとってはとてもやっかいなのだが。 そこは文字重視でtoukyouにしてほしかったよな 東欧の方を覆う、とか難しい? Touounohouwooou >>142 それだと少なくとも大抵の英語母語話者は、日本人に「トゥーキユー」と聞こえる発音するぞ それか「タゥキユー」 英語は日本語の「オ」に相当する二重でない母音がないからな ラテン文字使ってる他の言語は知らんけどローマ字ってそこまで考える必要ないし >>144 英語訛りなんてきにするなよソウルなんてseoulシーウルみたいに発音されちゃうけど韓国人きにしねえぞ >>145 Seoulは英語でもIPAで書くとsoulと発音される カタカナだとソウルが近いな >>144 英語圏民が日本のローマ字をどう発音するかはどうでもいい。 しかし 東野(とうの)と遠野(とおの)と殿(との)がTonoと書かれていては 日本人さえ見分けられない。 それは問題。 >>147 名前なんて漢字で書いたらなんて読むかわかんないのばっかなのに何言ってんの ローマ字ではTōkyōまたはTôkyôと表記するのが正式なのだろうけれど、 字上符を使ったōやôがアスキー文字でないためにあまり普及していないね。 某言語学習系SNSではTo-kyo-なんて記述されていたりした。 外国人学習者がそれを見てTo-kyo-と記述していたので カタカナ文字とローマ字とを混同してしまっている間違いだと思い、直して上げたら、 SNSが用意している日本語教材にもそう記してあったと反論されてしまった。 教科書は原則として新聞・放送等が行っているように表記してほしい。 ギリシア→ギリシャ,コンピュータ→コンピューター,メイクアップ→メーキャップ >>149 TOOKYOO, Tookyoo. aa ii uu ee oo de tyoo^on wo arawasu. >>150 Oou tihoo no han^i wa Toohoku 6 kens de aru. >>151 London, computer, make up. Genti tuduri wo saiyoo suru. Eigo tuduri demo yoi. Greece[E], Grece[F],Girisya[N] 現代の日本で普及しているヘボン式ローマ字表記則には長音表記はないことになっているから、 各自がある意味で勝手に、ドイツ語がやっているみたいにhを使ったり同じ母音を二つ並べたりして 長音を表している。あくまで勝手にやっているだけで、日本語ローマ字表記の規則にはない。 >>153 [Oo mozi no ba^ai niwa boin wo narabete kaku ] toiu kimari ga aru.]sore wa kakudai kaisyaku site, tyoo^on wa boin wo kasaneta. B etuni mondai wa nai. Kisoku ni torawarezu ni, kisoku wa warewaree ga tukuru mono bde nani mo mutyana kqangae dwa nai. Kisoku ga nakereba, gooriteki sisaku de tukuru noga, ningen da yo. tuduki 1954 nen siki Roomazi no kakikata wo kenky7uu saretai, 私たち外来語表記部会は,大型連休中も外来語の表記はどうあるべきか思案いたしております。 私どもといたしましては,外来語は国語としての発音を片仮名で表記すべきだとの立場で一致いたしております。 例えばシティー,ネーティブ,フルフェースなどと表記すべきだということです。 1. genti^tuduri de kaku. rei; center, televi, casting vote, >>156 heisei 3 nen 6 gatu 3ka no naikaku kokuzi dai 2 goo ni 外来語の表記 ga arimasu. 特に注意すべきもの メーン(×メイン) バーモント(×ヴァーモント) コネティカット(×コネチカット) ペンシルベニア(×ペンシルバニア,ペンシルヴァニア,ペンシルヴェニア) デラウェア(×デラウエア) バージニア(×ヴァージニア) インディアナ(×インジアナ) ミシシッピ(×ミシシッピー) ギリシャ(×ギリシア) ペルシャ(×ペルシア) ベネツィア(×ベニス,ヴェニス,ベネチア,ヴェネチア,ヴェネツィア) チューリヒ(×チューリッヒ) シュトゥットガルト(×シュツットガルト) ライプツィヒ(×ライプチヒ) スカンディナビア(×スカンジナビア,スカンディナヴィア)ただし,スカンジナビア航空 Katakana de kaku no wa yamete kure. Mite iru to kibun ga waruku naru yo. Gaikoku no timei wa english de kake yo, sekai ryokoo no toki ni magotuku kara da. Kana wa kanzi no on: oto,yomi wo motte ori, zi no katati wa kanzi no kanryaku-kei dakara kanzi no 1 syurui da. あいかわらず ハンロン には こたえず アチコチ で カナ の ヒボウ を くりかえして いる な。 キミ の カナガキ を みて いる と キブン が わるく なる と いう の は カンジョウ に すぎない が、 ラテン モジ ブン の バアイ は よむ と じっさい キブン が わるく なる。 ラテン モジ ブン は わざわざ ニホンゴ の オンセツ を シイン と ボイン に ブンカイ して いる うえ、 ジケイ が カナ と くらべて トクチョウ が ない から きわめて よみづらい。 コレ が ストレス と なって キブン が わるく なる。 メ も つかれる。 とうぜん ラテン モジ ブン では コウリツ は おちる。 だから アメリカ センリョウ グン で すら シッパイ した の が ニホンゴ ヒョウキ の ラテン モジ-カ。 >kanzi no 1 syurui da. いいかげん この シュチョウ は セカイ の モジ を ヒテイ して いる こと に きづく べき だ な。 モト の モジ から ジケイ や モジ コウゾウ が これだけ ヘンカ した カナ で すら ドクリツ した モジ と して みとめない なら、 モト の モジ と ジケイ も モジ コウゾウ も ほとんど かわらない ラテン モジ は とうぜん みとめられない。 コンド から おなじ よう な ヒボウ には コレ を コピペ する こと に する か。 ハンロン に こたえない なら コピペ で ジュウブン だ な。 これはまた随分ずれたご返答 ずらして書いたのかもしれんが >>>>>ハンロン に こたえない ごうに いっては ごうに したがえ、かなで かく。 なにに ついて ハンロン でした か? 「ろぼう の いし」 やまもと うじ が 「じぶんの くにの ことは じこくで かいけつする」 と いい きょひした。そのご しきじりつ の ちょうさ で たかい しきじりつ が でた ので さたーやみに あいなった。その ちょうさいん は ろうまじろんじゃの あの ゆうめいじん だった。 >>163 きょういく しせゆだん の ろうまじ かんこく。GHQ では ないぞ。 れきしは じじつを せいかくに きじゅつ されたい。 じぶんの つごうの よい ように れきいを かたる のわ やめる こと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる