使用する言語の差は脳に影響を与えるか?
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>>69
これhttp://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B26/B2685732/1.pdf
の1−4−2が結構面白いこと書いてるよ。
これも言語によって感覚を表象化したことによる感じ方の違いだろうか。
その言語形態において、ある感覚に対して存在する情報量の差によって記憶からの感覚の呼び出しが起こって、同じものでも感じ方が変わるという。
おー、今回自分でも日本語でokと思ってしまうが、それはともかくけっこう面白いこと書いてる。 memo(>>70に対して)
感覚経験は無意識のレヴェルに影響を与える。
言語による感覚の記号化(思考経験)は意識のレヴェルに影響を与える。
>>69
語彙の豊富な感覚は文化的な面でよく引き合いに出されますよね。
ということは・・・
「言語」は専ら、視覚、聴覚によって伝達するものについて言いますが、
その辺りでも何か考えられそう。
>>70のにおいの感じ方の違いというのは、
まずにおい刺激をそのまま取り込んだ後、
その取り込んだものを様々な前情報(経験、言語…)によって派生させていき、意識的に扱われる状態にまで上らせる。
その派生プロセスによって生じる違い、という感じですかね?
生の感覚に記憶の感覚を負荷させることはあるでしょうか。
そもそも記憶とは感覚的なものでしょうか。
記憶について調べるのも意義があるかもしれません。
特に陳述記憶の部分はこの議論に深く関係しているような気がします。
ホリエモンのブログ 元ニート
この人のコラムやばすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
クッソワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ディスクレイシア(読字障害)は、フランス語イタリア語ドイツ語など他の欧語とくらべ、
英語圏に有意に多く、また日本では有意に少ないと聞いたことがある
英語圏でこの障害で多いのは、アルファベットの読みが他の欧語に比べて複雑
(たとえば「a」の綴りだけでも何通りにも読む)からだといわれている
そんなら日本で少ないのはなぜか、というと、これはアルファベット使用国と
また事情が違い、漢字は脳の中ではむしろ「絵」として、カタカナひらがなとは別の場所で
情報処理されているから、という説がある
生まれつきの聾で、手話ネイティブの人は、とうぜん、脳の言語を担当するとこの
発達が視覚中心に反応するようになるのだろう
。 それと似た話…かどうかはわからんが、
日本人と中国人は、言語処理をするところが他の言語使用者より、
ちょっと視覚優位になってるって傾向がありゃしないかな
学生時代古本・中古DVD販売のバイトやってたとき、
外国人客が時々来たんだけど、
言葉がわからなくて(その頃英語話せなかった)、「何て言ってるか書いてくれ」ってジェスチャーして紙とペンを渡すと、
中国人は、いやがらずに書いてくれる(漢字でね)
だが英語ネイティブ(アメリカ人だと思うが)は、「は?なんで書かなきゃならんの?」って
顔をする。筆談すればコミュニケーションできるじゃん…とこっちは思うんだが、
そういう発想があんまりないらしい これは文化的なものだと思ってたけど、実は
文化・習慣を通って、それを一段を超えた、脳的な傾向もあるのかも
しれないと思った。欧語人脳っていうのは、日本語脳にくらべて
口頭・音声コミュニケーションが大事・得意で、その分視覚は劣位で、
書くのなんか、まどろっこしくて嫌なのかなと。 アルファベットは26文字だが発音可能な組み合わせは限られてくる。
日本語は漢字に様々な読みを組み合わせが無制限に可能。これは、歴史の中で紙や口承という限られた手段によって継承されてきたこれまでで差膨大な量に上っている。
テレビのクイズ番組などでは「伯林」、「流石に」などというどうでもよい読み書きを教養と勘違いしている。
現在のように情報通信の手段能力、流通量も過去とは比較にならないくらい増大したこの時代の日本においても漢字と仮名の組み合わせによる日本語の読み書きの天文学的複雑さは野放しのようだ。
ひとりひとり考え方や立場の違う人間が理解しあうための公共財が言語である。
しかし、日本人は個人の無責任な自由を尊重あるいは野放し続け、それが日本の今の混沌を招いている。
寡聞にしてあまり知らないが、いま日本で漢字の使用や読みを合理化したり、敬語謙譲語を簡素化したりして日本語を簡素化合理化しようという有効な動きはあるのですか。
今これをやっておかないと日本語の過去ログはさらに膨張を続け過去もみ未来もない現在だけが繰り返される日本という国が意味もなく衰退してゆくような気がする。
もし、政治家や学者がこのようなことを考えてくれているのなら、手始めとして子供の名前の読みの規制をやってほしい。
真剣(まじ)、泡姫(ありえる)、美俺(びおれ) 、黄熊(プー)、金星(まぁず)・・・もっと酷いのもある。
これは個人の無秩序な自由によって、過去(歴史)を軽視し未来(子供の幸せ、文化の継承)を破壊する行為に他ならない。
>>76
それはただ単に、
「は?なんでしゃべって通じないものを、書いたら通じると思ってんだこいつは?」ってことじゃないのか。
中国人なら、日本人も漢字を使うってことくらいわかってるんだから
「ああ、漢字書いたら通じるから書けって言ってんだな」ってすぐわかるのが普通だろう。 >>77
ニホンゴ の ヒョウキ は デタラメ だ な。
とくに チュウゴク モジ の ヨミカタ は ナンデモアリ の ジョウタイ。
ほんらい ハツオン が やさしい ニホンゴ は ヨミカキ も しやすい ゲンゴ な のに、
チュウゴク モジ が せっかく の ニホンゴ の ヨサ を ダイナシ に して いる。
チュウゴク モジ が ニホン の ミンゾク モジ なら しかたない メン も ある が、
ニホン の ミンゾク モジ は カナ モジ。
この カナ は ニホンゴ の ため に つくられた モジ だ から ニホンゴ とは とても アイショウ が いい。
セカイテキ に みて も カナ くらい ヨミカキ しやすい モジ は ない だろう。
ヨミカキ しやすい ミンゾク モジ が ある のに、
ガイコク の ナンカイ な モジ を ありがたがって いる の は おろか な こと。 >>79は使用する「文字」が使用する言語に影響を与え、ひいては脳に重大な影響を与えるという良い例である。 南米なんかもはやターミネーターの世界だね。資源売れるだけマシだが開発、研究にはダメな言語か。 >>80
ゾウは病気だから構ってやるなよ。
あいつは語彙があまりにも少ない事をコンプレックスにしていて、それを日本語は漢字を使っているから悪いと思い込んで、自分の問題から現実逃避してるんだ。
彼とまともにコミュニケーションをとる事は現代医学では不可能とされている。 ゲンゴ イタ に いながら チュウゴク モジ と カンゴ の クベツ さえ できない キミ に いわれたく ない なw チュウゴクという概念は漢字ができた頃にも漢字が日本語として使われ始めた頃にもまだ存在しない事実から目を背ける病身ゾウ。 自分が思った事を言葉にして思い浮かべるヴィパッサナー瞑想は脳に素晴らしい影響を与えてくれる。
つまり少なくとも言語を使用するという事が脳に確かな違いをもたらすということだ。 >>1
こんな痰壺でグダグダ言ってないで本の一冊でも読めよ。
とりあえず「プルーストとイカ」だ。 英国人が絵を描いていると、日本人が話しかけた。「何を描いているんだい?」
英国人はこう答えた。「見ればわかるでしょう」 究極の外来種である原子力と愛国が結びついているところに、
日本の愛国心理のねじれが集約されているな。
おそらくは原発の背後にアメリカの幻影を見ているんだろうけど。
>>89
何を描いている(つもりな)んだい?
って主観を聞いてるんだよね、大抵の日本人は。 あと『ちょっとそこまで』とかw
*行き先を聞かれて 昔、笑っていいともに出演したアイドルで
「私はタ行がうまく言えないんです」と言って
その人は「タティトゥテト」と披露してみせた、観衆はどっと驚いていたが、
音声的にはそちらの方が正しいともいえると思ったものだ、
脳科学的にはどういうことが起きているのだろうか?
脳の機能と言語行動に関するスレをたてようかと思ってたんだけど
こちらのスレで充分かな? 各国の色の識別の境界やカテゴリー知覚などについてはスレ違いかしら >>1
語順の違いが、物事への捉え方や思考の構築&構造の違いを産み出している可能性は、あると思います。 思考とも関係してくるけど,『ピダハン』読んで文化が言語に影響を与える説は面白いな >>95
音声的に正しい?
ま、同じ子音を使うという意味ではそうかもな。
>>97
いいと思うよ。 >>99 文化が言語に影響を与えるのはどの言語でもあることだと思う
ピダハン語がユニークなのは、そうやって生じた言語の欠落部分を、何とかして埋めようとしないまま、言語として存在してることだと思う 例えば、表意文字と表音文字では使う脳(右脳・左脳)に違いがあって、〜の人は論理的とか、〜の人は感性的とかそういうこと? 面白そうだね。 >>104
逆もあるかもしれないね。
脳に微妙な違いがあるから表意文字や表音文字を選んだ。 >>105>>98
言語及び使用文字によってある種の社会的な性格が決まる。
(あとは人種とか)
これは思うに論理的な思考組み立ての速さに関係してくる。
あと細かい事が気になるかどうかという空間的な領域の使い方とか。
例えば大阪弁と標準語を比べても分かるが大阪弁は喋りやすい、
一方標準語は喋りづらい。
また標準語は聞いてて耳障りはよいが、一方大阪は聞いてて耳障りが悪い。
そこで空気感や意識の違いがでてくる。
つまり性格からくるスタイルの違いが。
まあ文字までを絡めないと詳しくは語れないけども。
あとこれは日本語と中国語を比べてもそうだ。
例えばニュースで中国の政治家や向こうのテレビ局のキャスターが
流暢に話してるのを聞いた事があると思う。
我々から聞くととても早口に聞こえる。
しかしこれは中国語が空気中の音声伝達から耳に入って脳の論理的な思考の
組み立てまでにかかる時間が早く効率的である事をしめす。
英語もそうだが。
その意味で標準語はダメな言葉だと言える。 >>106
みんな仮説として楽しんでると思うが
そこまで断定するなら科学的な証明がいるだろう。 >>106
>例えば大阪弁と標準語を比べても分かるが大阪弁は喋りやすい、
一方標準語は喋りづらい。
また標準語は聞いてて耳障りはよいが、一方大阪は聞いてて耳障りが悪い。
>しかしこれは中国語が空気中の音声伝達から耳に入って脳の論理的な思考の
組み立てまでにかかる時間が早く効率的である事をしめす。
このへんの証明は特に大変だろうね。 あと言葉によってその国がひょうきんか根暗か〜みたいな事も関係してるよなw
明らかに英語とスペイン語ではノリみたいなのが違うしw >>106
主観に走りすぎ。
てか耳障りが良いって何だよ。障るのに良いのかよ。 中国語と英語は言葉がかなり早くかつサクサク意味を組み立てられるように効率的にされてる。 単語が元から短く、入声が消滅したりしても、中国語話者は同音異義語で混乱することはないのかな
北方語の方言によっては声調が3つしかないのもあるようだけど >>113
熟語を多用したり「児」「子」などをやたら付けるようになって多音節化が進んだな 英語とかだと先に結論をいってあとは枝葉を付けていく順番だから
どう考えても日本語より論理展開しながら喋るのには向いている。 角田先生を呼びつけて、言語と脳について講義してもらった。聞き手は4〜5人
だった。自動翻訳のソフトを色々検討する委員会だったなあ。
日本語は国連の公用語に入っていなかったが、ルクセンブルグの翻訳本部を訪問
し、意見交換もしたな。母音に意味がある言語は世界的に珍しい。母音認識がいつの
間にか、虫の鳴き声を「風情あり」と認識する。欧米語人は雑音処理して、殆ど
意識しない。事体験で成る程と思った。 性名詞がある言語の共同体はイメージが
植えつけられるからジェンダー感が強い 日本にはスピーチの文化ないよね
YouTubeとかでも英語圏の子供はスピーチみたいのあげてるけどしっかり自分の意見持ってる印象がある
それも結論から話していく英語の文化から来てるのかな
結論から話す故に自分の意見を示さなければいけないみたいな
そもそもスピーチのノリって日本語に合わないよね >>109
そこらへんは気候が関係してくる
自分は以前西海岸性気候に住んでたが、
性格が明るくフレンドリーになった
あとファッションも原色の派手目になって
帰国した
カラッとした日差しが強い気候では原色の青や黄色や赤、緑が綺麗に見えるが
日本のじめじめ気候だとチンドン屋に見えるから不思議。マジで http://www.geocities.jp/sugaetsunori/sigo.html
死語をまとめたサイト
だけど、俺の住んでいる千葉県ではこれらの言葉の9割が健在なんだけど。
で、恥ずかしくもなんともないから普通に使える。
これが時代遅れの千葉県。 大丈夫だ。東北なんか奈良時代の言葉を今でも使ってるから 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
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