アルファベットは26文字だが発音可能な組み合わせは限られてくる。
日本語は漢字に様々な読みを組み合わせが無制限に可能。これは、歴史の中で紙や口承という限られた手段によって継承されてきたこれまでで差膨大な量に上っている。
テレビのクイズ番組などでは「伯林」、「流石に」などというどうでもよい読み書きを教養と勘違いしている。

現在のように情報通信の手段能力、流通量も過去とは比較にならないくらい増大したこの時代の日本においても漢字と仮名の組み合わせによる日本語の読み書きの天文学的複雑さは野放しのようだ。
ひとりひとり考え方や立場の違う人間が理解しあうための公共財が言語である。
しかし、日本人は個人の無責任な自由を尊重あるいは野放し続け、それが日本の今の混沌を招いている。

寡聞にしてあまり知らないが、いま日本で漢字の使用や読みを合理化したり、敬語謙譲語を簡素化したりして日本語を簡素化合理化しようという有効な動きはあるのですか。
今これをやっておかないと日本語の過去ログはさらに膨張を続け過去もみ未来もない現在だけが繰り返される日本という国が意味もなく衰退してゆくような気がする。

もし、政治家や学者がこのようなことを考えてくれているのなら、手始めとして子供の名前の読みの規制をやってほしい。
真剣(まじ)、泡姫(ありえる)、美俺(びおれ) 、黄熊(プー)、金星(まぁず)・・・もっと酷いのもある。
これは個人の無秩序な自由によって、過去(歴史)を軽視し未来(子供の幸せ、文化の継承)を破壊する行為に他ならない。