これを言い出すと慣用的に使い続けてきた訓読みの多くも修正の必要ありってことになるけど、
「体にさわる」や「誰某とあう」等、一部文章の解釈に必要以上の幅が生まれるから難しいな
(勿論、その解釈の広さが和語のもつ本来の性質だし、意味も文脈で分かるといえば分かる)

そして最大の問題は、訓の使い分けを減らす、つまり和語に充てる漢字をより原義に近いもののみにすると、
現実に常用する漢字が極端に減ってしまい、最悪漢語の読み書きに支障をきたす可能性があるということだね

例えば、「黎明」という漢語に含まれる漢字のうち、「明」は「明るい」という訓読みに依存して
容易に解釈することができるが、一方で「黎」は常用訓がないばかりか原義に基づく訓もないため、
「明」のように容易に解釈することはできないということが分かると思う
(因みに黎の原義は、きび[黍]をたがやす[利]ことから「おおい」であり、
 派生の意味は、黍を耕せるだけの未開の地であることから「くらい(常用外訓)」である)