和語の造語能力を向上させるべき
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最近の日本語は漢語や洋語のみになってしまった・・・ >>38
文字としては戦後に作られたというのはありえないでしょ。
どこをどう調べたのやら。 思った事をいくら並べても事実にはならない
それを仮説にして証拠探ししなきゃね >>39
別に読まなきゃ解決するんじゃないかな。
「はじめてのアルカ」を読んでまったりすればいいと思うよ。
>>40
人工言語史を知る者の勘と、上記のサイトの多くの神代文字のうち、
唯一不自然にも「ゐ」と「ゑ」がないところだけかな。
これらの文字がないって、1945年以前に教育を受けた人だったらありえないよ。
そこから類推できる事実として、ヲシテもじは、1946年以降の現代仮名遣いで
教育を受けた人物による創作の可能性が高いと言う、ただの時代考証だね。
はじめて出版された年が1971年ということから、当時32歳以下の皇国教育をうけなかった人物と推測され、
人工言語作りをする人は10代〜20代に集中するという事実とか、ただの状況証拠による推論だね。
もし、江戸時代の文献だとするものが見つかって、その文献が分布的に見ても
江戸時代には存在しない現代文的な用法が存在しないことが確認されれば、簡単に覆る妄想だね。
確認されなければ、否定も肯定もできないオカルト話で、一部の人が信じてしまう話になると思うよ。
これもまた、嫌ならば見なければいいだけの話だね。
>>41
ヘブライ語の手法でいいと思うよ。
そしてアーヴ語という先行事例に学べば、それの前身であるトヨアシハラ語が
このスレで想定されている理想の言語にきわめて近いもので既出、と言うことで結論が出ちゃったから
再利用されているんじゃないかな。
>>42
別に事実にする必要もないと思うよ。
ネットで分かる情報を組み立てて推理したただの個人の妄言にすぎないのです。
これは違うと思うなら、そんなトンデモは間違っていると資料を提示して反論すればいいだけの話だよ。 >これらの文字がないって、1945年以前に教育を受けた人だったらありえないよ。
それだけ古い(神代)って主張したかった訳だろ。
何の証拠にもならんよ。
もしそういう主張がなく、戦後というのも否定できたとすれば、一体いつの時代が自然だと思うのさ?
推理は構わないが、妄言や宣伝を書くなら板違いだよ。 >>44
ええと、奈良時代の上代日本語、平安時代の中古日本語ではまだ、
/wi/と/we/があるからそれ以降だね。
音韻的に言えば、中世日本語、つまり12世紀から15世紀にかけて、
/wi/と/i/が[i]に統合され、/e/と/ye/と/we/が[je]に統合されたことから、それ以降だと思うけど、
文字面における弁別は1945年まで続いたよ。
それは江戸時代の阿比留文字や戦前に作られた者とおぼしきイスキリス文字などで、
「ゐ」「ゑ」にあたる文字が存在していることから明らかだね。
ええと、
[je]と発音された「え」と「ゑ」が現代のように[e]になったのは、17世紀末から、18世紀初頭以降、
[wo]と発音された「お」と「を」が[o]になったのは18世紀ごろとされるから、
とされるから、「ゐ」と「ゑ」の不在問題を除けば、1764年ごろという従来の江戸時代説は
音だけというならおおむね妥当と言えるよ。
「くゎ」「ぐゎ」が「か」と「が」に統合されたのも18世紀中ごろとされるし、
音だけを注目する江戸時代の人が作ったとすれば、ほぼ現代と同じような音韻体系にはなるだろうね。
もし江戸時代の人だとすれば、本格的な文字教育を受けていない人ってなるね。 平田篤胤『神字日文傳』(1819年)の疑字篇の画像が、
早稲田大学図書館古典籍総合データベースでみつかったよ。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_04229/index.html
PDFの17ページから、18ページにヲシテ文字がイロハ順で載ってたね。
ええと、「ゐ」に当たる文字はyiにあたるもので、「ゑ」はyeにあたる文字だったよ。
これは、17世紀末から18世紀初頭に音韻が統合される前の「え」と「ゑ」が[je]という発音で、
12世紀、鎌倉時代には、「い」と「ゐ」は既に[i]になっているわけだから、
「ゐ」が元々ワ行のwiだと言うことを知らず、この本が出る100年ほど前まで、
ゑを[je]つまり、イェみたいに発音していたとすれば、
「ゐ」と言う文字はヤ行に属すると誤解するのも自然な流れだね。
ヲシテ文字、戦後創作説はあっさり消滅したね。従来の江戸時代説であっていたよ。
こうやって資料を出すという手法を取れば早かったんだと思うよ。 >もし江戸時代の人だとすれば、本格的な文字教育を受けていない人ってなるね。
日本語の文字を作った人が、文字教育を受けていないとすれば、それこそオリジナルの文字と言えるね。
っていうかホツマツタヱって言う位だからヱはあるんじゃないの?どういうこと? >>48
現代人はワ行だとおもってるから、weとwiのところを探したらなかったけど、
上記の平田篤胤『神字日文傳』(1819年)を見たら、
yiとyeに当たる文字で「ゐ」と「ゑ」を表現していたと言う単純な話だったよ。
当時の一昔前の日本語の音韻史を調べてみたら、なるほどと納得しただけだね。
戦後論は妄言だっただけだね。 どうして造語能力のスレのはずなのに文字の話ばかりになってるのか?
この板はどのスレを覗いても文字文字文字文字…
どれだけ日本人の言語に対する関心が書き言葉に偏っているかが分かるが
文字マニアがこういうスレでも暴れまわってるのは本当にうんざりだ だから>>20と言ってるわけで、新しい文字の話がしたい奴の言うことは
結局妄言でしかないことが判明しただけだね。 ラテン語の-alisとか、英語の-yのような、
名詞につけて形容詞をつくる接辞が日本語にはないよな。
-ぐむ、-ばむ、-めく/-めかしい、-げなはあるが、
どれも単純に名詞を形容詞にするだけで意味に中立というわけにはいかない。
ここを補わないといけないな。
>>53
「犬っぽい」とか、「日本的な」とか、「ナウい」みたいなのは違うのかな。 >>54
基本的に漢語にだけつく「的な」と、俗語の「-い」と、口語的な「っぽい」を挙げてもしょうがないと思わないか?
自分はあえて言わなかった。
>>55
造語力の強化が目的なら、俗語でも口語でも使える物はなんでも使えばいいんじゃないかな。
「あはれなり」とか、「堂々たり」の「なり」「たり」とか、形容動詞の活用語尾でも行けるんじゃないかな。
単純に「駄目な」の「〜な」でも行けるんじゃないかな。
アーヴ語っぽく語尾を-aにするという手もあるし、雨盛り、金物、稲穂、木陰、黄金みたいな
不規則変化で語形を変えて見るのもいいだろうね。 日本語にない概念を日本語にしたいなら今までにない全く新しい言葉を作ればいい 「山登り」「ケーキ作り」は趣味なのに
「絵描き」は職業になってしまう そもそも和語で「絵」を表すものがあったか?
ないなら「描き物」と表せばいいと思う チュウゴク モジ を ハイシ して カナガキ に したら マチガイ なく ヤマト コトバ の ゾウゴ は ふえる だろう。
ベツ の スレ で ダレ か が かいて いた が、
カナガキ なら 「マウス を クリック する」 の カワリ に 「ネズミ を カチン する」 でも、
ぜんぜん イワカン が ない。 マウスをダブルクリックする。
おすのはふたたびねずみに。 英語の語感からすれば、「ネズミをカチカチする」で充分なはずなんだが
日本語話者は漢語か洋語でないと収まりが悪いと感じるようになってしまっている 先の京(みやこ)になってからこのかた、
新しい言葉を作るのに唐言葉ばかり使ってたせいで
大和言葉の言葉を作る力が育ってないんだよな というか和語だけでなく古語も活用すれば漢語とかいらなくないか? 「ひと」を複合語に使うとき、今後作られるものはすべて
規則的なひと/びとがいいだろうかそれとも
あきんど、なこうど、わこうどなど変則的な形を使うべきだろうか? >>69
現代に即した形をとるなら「ひと/びと」という簡素な形がいいと思う 漢文の陳人(ちんぴと)みたいに
イランぴととかスーダンぴとになるのだろうか >>72
さすがに和語以外にはそのまま複合できないんじゃないか。 >>72
イランびと、スーダンびとでいいだろう
あと、「〜山」(さん)、「〜港」(こう)みたいなのも「〜やま」「〜みなと」でいいと思うんだけどな
特に港は「みなと」と呼んだほうが耳で聞いて分かりやすいと思う
「〜駅」(えき)はもう半分和語みたいな感覚だし耳で聞いても分かりにくくないからいいと思うんだけど >>75
境港と堺港と紛らわしいと思うの。
山陰でお魚いっぱいの境港と、阪神港の一部で昔南蛮貿易今工業地帯の堺港って
全然違うでしょ? >>75
「イランジン」 を 「イランビト」 に する の は ビミョウ な ところ だ が、 ヤマ や ミナト など を わざわざ カンゴ に いいかえる ヒツヨウ は まったく ない な。
「イワテ-サン」 や 「シミズ-コウ」 では なく、 「イワテ ヤマ」 や 「シミズ ミナト」 と よんだ ほう が わかりやすい。
>>79
チメイ が サカイ ミナト で あって、 ミナト の ナマエ は 「サカイ-コウ」 と ドチラ も よむ から まぎらわしい の は イマ でも おなじ。
そもそも クベツ の ため なら 「コウ」 なんて ドウオン イギゴ の おおい カンゴ に する べき では ない。 「水な們」なんて長い言葉使わなくても
「〜(の)つ」でいいんじゃね
>>82「いずみおおつ」>>83「しりべしやま」でいいじゃん。 >>80
境港を「さかいこう」と呼ぶことも
堺港を「さかいみなと」と呼ぶことも
現在のところ皆無ですよ ttp://ja.wikipedia.org/wiki/境港_(港湾)
>>85
そんなに大きな都市でもないし別に困らなそうだけど
そもそも港が先にあって町は後からできたんでしょ?
>>91
港だけぽつんとあるような鹿島港みたいなものを想像しているのかい?
古くは光明皇后の領地だったりして古くから開けているわけなんだが。 いわきや静岡、飛騨高山くらい広いなら困るってのもわかるけどね
港あっての町なんだし文脈でわかるから別によくない?
わからなかったら「〜の町」「〜の港」と付ければおk >>93
めんどくせえ。
現状どおり港は「いずみおおつこう」街は「いいずみおおつし」でスッキリしてる方がいいじゃん。
地域エゴだな
橋下みたいな政治家が出ないとにっちもさっちも行かなくなるのがわかるわ 言語ってそういうものだろ。
皆の認識が一致してはじめて動き出すんだよ。 >>90
行政上の正式名称だろうが、境港を「さかいこう」と読む人なんていねえよ。
地元でも魚市場でも行って訊いてみろよ。
「この港の名前は?」「この魚の水揚げされた港は?」って訊いて「境港」とか答える人はいねえよ。
国土交通省の予算関連では言うだろうが、そういうポリティカルコレクトな用語、普及してねえよ。 テレビ や ラジオ で フツウ に つかわれて いる 「サカイ-コウ」 が トクシュ な ヨウゴ とは おもえん が なw >>96
ヤマト コトバ の ヨウゴ どころ か、
ハシモト は ニホンゴ を ハイシ して エイゴ に しそう だ な。
ミンゾクセイ や ブンカセイ が かけて いる の が まさに サカモト リョウマ と おなじ。
ジブン で サカモト リョウマ に なぞらえて いる の も わかる。 >>100
イッパン ヨウゴ を しらない から って、
サベツ ヨウゴ で ハンロン するな。
ニンゲンセイ を うたがわれる。 トクシュなヨウゴだと思うか思わないかの問題にしたのは誰よ? ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E5%BA%B7
ラジオでフツウにつかわれている「サカイ-コウ」。 キミ は オンセイ ゲンゴ を リカイ する のに そうとう クロウ して そう だ な。 なんとかして和語を広めたい
先祖が作ってくれた素晴らしい言葉を廃れさせる訳にはいかない >>108
まず ミンナ が しって いる コトバ なら ヤマト コトバ を ユウセンテキ に つかう。
×ワゴ
○ヤマト コトバ コレ は ガイライゴ の ハイジョ にも いえる。
ニホンゴ を ユウンテキ に つかう だけ で ガイライゴ の シヨウ は オオハバ に へらせる。 とりあえずユウセンテキをヤマトコトバに言い換えてからだな。 ほかにもいっぱいあるぞ
明治の文士が大量に作った和製漢語をどうなおすかだ。
ガイライゴ ハイジョ ニホンゴ
こいつらどうするよ これはよそからのことばのおいだしにもいえる
うちらのことばをなるべくつかうだけでよそからのことばのつかいどきはおおいにへらせる なぜみんな>>15にもっと注目しないのか
けっこう重要な指摘じゃないか? ガチャガチャのグニョグニョをペタペタしてチンしてフーフーしたらカチカチでツルッとしてパリンよ。
…どこの妖精語ですか? >>113
外来語:そとことば
排除:おしのける
日本語:ひもとことば
でいいと思う そもそも いまの ひもとの ことばの こえの だしかたは むかしの こえのだしかたより かなりあっさりと なりたから おなじおとの ことばが おおくなりた
こえの だしかたを むかしかなづかいに なおすべきだと 思う そして 漢語の かきかえについてだが、 表現 のようなことばは おなじようなことをしめすことばだから どちらかの文字の意味をつかえばいい
正常 などのたぐいの 漢語は 書き下して 常の正しさと いえばいい
政治や 議会などの 明治のあらたな ことばは それぞれ まつりごと はかりあい のように もっとも意味がよくあうことばを さがすほかない >>120では意味ということばを つかったが これからは わけ ということばをつかう
また 理由 という ことばに よし ということばを つかいますがよろしいでしょうか いまさら かんご や えいご を すてさる ことも あるまい。
しぜんーとうた に まかせる より ほかに みちは ない。
せいじ ぎかい のど むりして まつりごと はからい などに するのは むだな こころみだな。 >>123
だが はなしことばや 漢字 が ない やりとりにおいて 漢語の 同音異義語の多さは 必ず わるい はたらきを もたらすことになるぞ ここはいまあるものからことばのはばをふやすスレ
せばめることしかかんがえられないやつはでてけ そう だよ、わかちがき に しない と よみにくい よ。たんご の ひんし ごと に 1じ くうはく を いれる こと だよ。
1 わかちがきなどというしきたりはまずしいことばからくるしまぎれにうまれたもの
ことばがゆたかになればそんなひつようはない ここは漢字廃止スレではない
日本語から漢語や西洋語を全く無くするスレですらない
ただ大和言葉をもう少し増やしたい、それだけだろう
カナモジ論者はスレ違いだから他のスレでやれ わかちがき を そまつに すると 将来は ないよ。きんぎょ の ふん みたいな かきかた は みなに きらはれて のぞみ なし だよ。
おれ は ろーまじ論者 で カナモジ論者 では ない。スレちがい など 関係ない。言語イタに へんちくりんな ニッポン語表記が ある と きになる ので かきこむ まで だよ。 ひと を バカよばわり は やめた ほうが りこう だよ。おのれ ひとり が
唯我独尊だよ。仏教の たたり かな。 誰も名指ししてないけどね。
自己紹介なら不要だよ。 とりあえず、和語からどのように新しい言葉を作り出すかについてはなそ まずは今までのレスを手がかりに新しい和語をつくってみよう
まず手始めにアイデンティティという言葉を和語であらわして アイデンティティ
1 自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。「―の喪失」
2 本人にまちがいないこと。また、身分証明。
「Identity」の語源は古典ラテン語の「idem」=同一人、同様のものにある。
その後、後期ラテン語の「Identitas」を経て、フランス語の「identite」から英語になった古い言葉である。
上のような意味から和語では「己たること」という風に言葉を作ることができるがどうだろうか? 日本語辞典に「Identity」の 1項目を 増やせば、すむ 問題に すぎない。いまさら 翻訳しても 無意味だよ。 >>135
すでにあんじゃん。
「我」
たとえば、
「我を忘れて」の“我”なんて、まんま、
“ 自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。”
だろ。
ちょっと品の無いの大阪弁でいう言い方
「我、だれや」
は、本人の証をたてろ、という意味だから、まさしく、2の意味だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています