日本語の「好き」はなぜ名詞なのか
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好んでいたり愛していたりする状態を表すなら形容詞や動詞の方がしっくりくるのではなかろうか。
口語では「好きくない」と形容詞化した用法も見受けられる。
それでいて、似たような意味の単語「好む」「愛する」は動詞である。
好き、だけが名詞の不思議。 >>34
腹が立つの立つが動詞だから何だって?
悪いのは容疑者(61)であって、動詞じゃないだろ
わざわざ他スレまで出てきて工作とはご苦労なことだな、バナナスレの形容詞信者w 形容詞信者は広辞苑は形容動詞を認めていないことを根拠の一つにすることが多いが、
その広辞苑を作っている出版社は 形 容 動 詞 を 肯 定 す る 橋 本 新 吉 が
書 い た 本 を 出 版 し た こ と が あ る 。 スキ の ミチ とか メイシ ヨウホウ の バアイ のみ メイシ。
それ イガイ は ケイヨウ ドウシ の ブンルイ が いちばん ブナン。 好きくないって何?
好きじゃない、あるいは好きではない、だろ 広辞苑に書いてないからとか言ってる奴って、
広辞苑が「言葉そのものを収録した辞書」であって、
言葉の意味が正しいかどうかを定義した辞書ではないという事を知らないようだな
なぜ版ごとに肥大化をしているのか、理解出来てないだろ バナナスレなるものを借りるまでもなく形容動詞はナ形容詞ともいい
機能の上では形容詞の一種であることは明らか
問題はそこじゃない 少なくともこのスレでの問題はそこじゃない
なぜ心理動作を「意味上の目的語を形式上の主語とする形容詞文」で表現するのか
ということ
これは「ガ格目的語」全体の問題でもある
・納豆が好きだ(ナ形容詞)
・納豆が食べたい(動詞+助動詞タイ)
・納豆がほしい(イ形容詞)
・納豆が作れる(動詞の可能表現〜(ラ)レル/〜デキル)
などなど 「好き」なんて、納豆さんの事情は知らずに勝手に片思いしてるだけだし、
「食べたい」ってのも、もぐもぐして胃におさめたいって心の中で思ってるだけ。
「欲しい」や「作れる」だって似たようなもの。
目的語、特に対格らしさってのは、本来相手をぼこぼこにしたり、変化させてしまうようなもの、例えば「壊す」、「殺す」の対象のことで、その例文の納豆が「意味上の目的語」だなんて馬鹿馬鹿しい。
目的語と言いたいなら食ってから言えや。
ってことだろ。 納豆を食べそこねた
納豆を食べずじまいだった
納豆を作りかけた
納豆をご所望だ 「彼が好きな人」
彼 loves 人
なのか
人 loves 彼
なのか >>48
彼の好きな人=彼 loves 人
彼を好きな人=人 loves 彼
で区別すればいいじゃない 可能と自発は区別がつきにくいから
ヲ格には対格を強調する役割がおっ被せられてるのだろう
ヲ格を取らない「好き」「気に入る」は自発の意味を捨てられないニュアンスの表現だ
その反面、主語は有生性・無生性によって判別がつきやすいので
ガ格は主語の仕事に限定されず幅広く振る舞える 日本語の動詞は、基本的に意識的な言動のニュアンスを含んでいるから感情表現に適さない場合がある
更にいえば、状態・様態を表すなら動詞のテイル形か形容詞、形容動詞を使う必要がある
つまり、好むや愛すは意識的且つ刹那的な表現になってしまうため、感情の持つ無意識性や持続性が希薄になってしまう >>46
「目的語であるか否か」だけの問題じゃないだろう
「心理動作ははたして動作と呼べるのか」という問題でもあるんだよ
2年以上経ってるから見てるかどうか知らないが 「好き」みたいな動詞のθロールは通常 経験者と対象の二つの項を取るものと考えるがね
動作主の役割はない 日本語では動詞じゃなかったな
まあ好意を表す述語という意味だ 「対象」?好かれる何かはStimulusかThemeだろう
そっちの用語でいうと Themeの訳語は主題だって聞いた
じゃあTopicは何かというと話題と呼んで区別するんだってさ
θ役割のθはどっちでもないからθと呼ぶしかないわな 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
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