「好き」なんて、納豆さんの事情は知らずに勝手に片思いしてるだけだし、
「食べたい」ってのも、もぐもぐして胃におさめたいって心の中で思ってるだけ。
「欲しい」や「作れる」だって似たようなもの。

目的語、特に対格らしさってのは、本来相手をぼこぼこにしたり、変化させてしまうようなもの、例えば「壊す」、「殺す」の対象のことで、その例文の納豆が「意味上の目的語」だなんて馬鹿馬鹿しい。
目的語と言いたいなら食ってから言えや。

ってことだろ。