世界語文典が出版された年が1988年だとすれば、ヴォラピュクの人気がピークに達した時であると同時に、エスペラントにその地位を追われる起点となった時と重なる。
ヴォラピュクの創始者シュライヤーとヴォラピュク愛好者との確執や、1987年にエスペラントの最初の教科書「Unua Libro」出版などの影響を考えると、この時期が、ヴォラピュクの終わりの始まりだったんだろう。
世界語文典は、ヴォラピュクが最も盛り上がった時の教科書だったんだね。