0550名無し象は鼻がウナギだ!
2014/07/23(水) 06:05:29.1301884,5,17
オランダのアムステルダムの郊外ビンケベーン(Vinkeveen)に生まれる
1863
ユトレヒト(Utrecht)大学医学部に入学
1871、6
「羊膜索の先天性奇形発生に関する研究」の卒業論文で医師資格を得る
1873(神戸大学50年史では1874年となっている)
外国人が経営する横浜の病院に勤務
1875、11(神戸大学50年史では1874年となっている)
白井剛策の招きによって新潟病院に月給300円で雇われる
1877
ヘイデンの生理学の授業を小石第二郎が翻訳し、「新潟病院講筵日記生理 編」(全三巻)として新潟で出版
1877、7〜8
小石第二郎、竹山屯とともに信濃川流域のツツガムシ病患者の診療と研究を行う。満期で新潟病院を止めてから一時、横浜に行く
1878、6
白井剛策の招きによって神戸病院に医員兼教師として雇われる
1879、2、22
横浜から神戸港に到着する(ヒョーゴ・アンド・オオサカ・ヘラルド)
1881
イギリス人喀血患者を解剖する
1882
須磨海岸が海水浴に適するかどうかの調査を行う
1882、10、22
満期解任となってオランダに帰国
1884〜1885
精巧な顕微鏡とともに再び来日する。また同年12月に帰国したベルツが帰国したため、一時的に東京大学において内科を講義し、産婦人科の手術を行う
日本薬局方の制定にスクリバとともに参加。その後横浜にわたり開業
1894
病気療養のためフランスにわたり、その後故郷で亡くなる
http://tsukaken2.world.coocan.jp/tukakenHP1/tukakenHP/PROJECTS/tsukaken.pro_archive/kobe-igakuproject/heiden-oitati.htm