助詞「の」は不必要
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助詞「の」は和歌文化において字数を調整するために用いられた言葉であって、
日常においては無用なものである。
■和歌における「の」活用例
ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲
↓省略しても意味は変わらない
ゆく秋、大和国薬師寺塔上なるひとひら雲
こうした、文章を冗長させる助詞「の」は日本語文法から抹殺すべきである。 >>84
>「に渡す」の「に」は与格だから、「へ」はその代わりになれないんだよ。
與格が「に」だけと思ひ込むのはお前の腦内だけにしておいたはうが良いぞ。
眞艫に二外を勉強した經驗がないのがバレバレだからな。 >>84
How's it goin', dude? >>85
「に」は与格(dative case)で
「へ」は向格(allative case)だよ
議論の末に、一つの形態に諸機能を踏まえてその代表的なものを反映した一つの名前をつける
という方向になっている
「格」は用法(文法機能)ではなくあくまで形式につける名前になった >>88
さうでせう。あくまでも印歐語における格の譯は代表的な物を出してゐるだけですからね。
ところで、古語辭典で方角や對象を意味する「へ」を引いたら當初は「に」が
使はれてゐたが平安以降は「へ」との混用が生まれたと書かれてありました。
それにしても「に」は間接目的語の與格だけなどと嘘八百を垂れ流す奴は何なの
でせうね。まあ「に」一本にすれば移民が使ひやすくなりますね(笑)
國語を格變化が消滅した英語のやうな蠻族語にさせたいのでせうね(笑) 彼「に」會ふ為「に」家「に」向かつたが其処「に」はゐなかつたので自宅「に」歸つた。
斯う云ふ惡文を書けとほざくカスの言ふ縡なんざ聞けませんわ。 >>90
そもそも「へ」は「方向」を意味する普通名詞だったのですよ
「行方(ゆくへ)」の中にその時の名残りがありますね
現代語でも「学校のほう行ったよ」のように、
方角を示す形式名詞があるとその後の格助詞が省略しやすくなりますね
「へに」と言っていたのが省略されて「へ」が方向専門の格助詞になったわけです
「に」の守備範囲はもっと広く、最初は言語学でいう「斜格」の大半を請け負っていました
斜格とは簡単に言えば主語と目的語以外の格といった所でしょうか
「へ」のように常用の格助詞が増えるにつれて「に」の用途も減ってきていますが
古い文体の影響からまだまだ可能な範囲は広いです
読書する人ほど「へ」を「に」の単なる高級表現とは考えず、方向の時にのみ使っていますよ
近代の規範的な文学作品を読むことをおすすめします
>>91
それを悪文と言い放つ根拠は何ですか
あなたならどう書きますか おっまんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお >>93
>現代語でも「学校のほう行ったよ」のように、
>方角を示す形式名詞があるとその後の格助詞が省略しやすくなりますね
いや小生には明確に移民言葉のやうに聞こえますね。
やはり學校の次には「へ」或いは「に」が必要です。
助詞に相當する概念が希薄な馬鹿言語を使ふ英米人や支那人移民の特徴ですね。
>>91
>それを悪文と言い放つ根拠は何ですか
>あなたならどう書きますか
くどいからだよ。どこかで「へ」も入れて變化を附けたはうが良い。
「彼へ」「家へ」「自宅へ」を一つか二つ使つたはうが讀者は飽きない。
なほ他の「に」は「へ」での代替は效かない。 おっちんぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお >>97
日本語しか話さない親子の会話で
「今日学校帰ったらどうする?」という言い方は首都圏では普通にします
会話文において「が」「を」の省略が安定しやすいことは周知のとおりですが、
「に」はそれに次ぎ、後に移動・搬送の動詞しか来ない「へ」は安定して省略できます
会話文か文章語か、文体は格式張ったものか肩の凝らないものか、
そういう文体差の考慮ひとつないのがあなたが言語というものについての見識の限界です
ネットで罵倒なんかしてないで、外へ出て普通の日本人の会話というものを観察することをおすすめします
あなたの基準ではあなたの親もあなた自身もどこかからの移民ですよ
>くどいからだよ
いいえ、そう感じるのは文法的な理由ではなく、綺麗な文を書こうという美的興味に基くものでしょう
しかしその内容なら「に」を「へ」に替えなければならない文節、替えることのできる文節は一つもありません
美的でないと思うのなら、そもそもそれだけの数の「に」で終わる文節がずらずらと並ぶような
一つのセンテンスを作らなければいいだけのことです
自分なりの基準の美的基準と文法的制約の両方を守って作文することなど文章家ならみんなやっていることです
そんなこともできないあなたは本当に日本人なのですか
「飽きる」「飽きない」なんていう修辞法にすらなっていない曖昧で他人の顔色をうかがうだけのとんちんかんな基準で
「に」と「へ」の使い分けを論じるあなたの脳内には両者の違いは本当に存在しないのでしょうか >>99
>「今日学校帰ったらどうする?」
移民言葉ですね。薄汚い血筋は隱せないやうであります。
これに「へ」が使へると考へてゐるやうですから開いた口が塞がりません。
どう考へても「學校から」と「から」を使ひます。移民は「今日學校へ歸つたら〜」
と考へてゐるのですね。御國に歸られたらいかゞでせうか。 >>101
「彼に会うために家に向かったがそこにはいなかったので自宅に帰った」
>>91のこの例文についてあなたは>>97で
「彼へ」「家へ」「自宅へ」の言い換えが可能だと言ったが
「彼へ会う」なんて言いますか?
「あなたへ会いたい」「明日みんなへ会おう」「さっきそこで先生へ会ったよ」なんて言いますか?
これが一番の疑問です あなた日本語をよく知らない外国人じゃないですか?
次の「家に向かったが」ですが、動詞に「向かう」を選んだ時点で目的語は移動の方向であることは自明で、
終着点とか目的地といったものではなく「方向」に限定されている以上、方向を意味する助詞の「へ」は
いささか「くどい」とむしろ私には感じられます よって文法的な理由ではなくそれこそ修辞的な理由で
「向かう」には「〜に」を勧めたいところです(文法的にはどちらも可能)
しかしそもそもこの文の場合「向かった」結果彼が「いない」ことがわかった、つまり到着しているので
結果を示さず移動の意思に重点を置く「向かう」を使う事自体が内容的に不自然です
よって「彼の家に/家へ行ったが」とすればよいでしょう ここも方向ではなく到着点を明示してる「に」のほうがより適切です
「自宅に/へ帰った」も同じです 「に」がいくつ重なろうが詩や短歌じゃないんだからバランスなんか気にすることはありません
助詞の数は重要じゃないし、そんなに気になるなら一文の文節数を欲張らなければ良い それも文法じゃなくて作文術の領域です
あなたはどうも文法というものが根本的にわかってないんじゃないかなあ >>102
>「彼へ」「家へ」「自宅へ」の言い換えが可能だと言ったが
>「彼へ会う」なんて言いますか?
自分も最初そのやうに考へたが「彼へ會ふ爲に」と此處まで出すと比較的に自然に
感じられたので候補に入れたまでだ。「彼へ持つ」はをかしいが「彼へ持つて來るやうに」は
をかしくはない。ただ、小生であれば此處は「に」を使ふかもしれない。
二番目の質問は其方が文法的に可能と書いてゐる以上嗜好の相違であるためこれ以上
書くことはない。小生が問題にしてゐるのは「に」だけを使へと詭辯を吐く輩に對して
それでは助詞が發達した歴史そのものを否定するし、何よりも使へる助詞が減ると
含蓄のある文章が書かれなくなる爲に知能の劣化をも招く縡を懸念してをるのだ。
三番目は「向ふ」を使はうが「行く」を使はうがどちらでも良いよ。完了「た」の意味が
分からない移民と議論をしても意味がないからね。
古語辭典で「たり」を引いてくれと言ふほかない。
「向ふ」「行く」と動詞でしか判斷しないのは助動詞の概念が薄い英米人や支那人
の特徴のやうに感じる。
さて、小生はこれから勉強をするので君の相手はこれまでとする。 >>103
「彼へ会う」ならダメだが「彼へ会うために」んだら比較的自然に感じられるというのは
その後に移動の動詞が来て「彼へ」がその移動の動詞に対する連用修飾語になる
可能性が生じたかのように一瞬感じさせるからで、いわば「見込み上の非文判定留保」にすぎません
しかしできあがった文を見るとその構造上「彼へ」はやはり「会う」に対する連用修飾語のつもりにしか見えません
したがって「ために」が付こうが「彼へ会う」はダメです
またあなたは「彼へ行く/向かう」なども大丈夫と言い張りますがそれは「彼」を「場所」
とみなして「彼の所」と言うのを省略して言ったという解釈を通じてはじめて許されるものです
外国人留学生が「さっき先生へ行きました」みたいに言うのを聞いて「の所」を入れるよう直してあげたことがありますが
あなたなら直さないのでしょうね(続く) (>>103続き)
『基礎日本語文法』ではニ格の用法に「人やものの存在場所」「所有者」「移動の着点」「動作の相手」
「動作の対象」「状態の対象」「原因」を挙げていますが、ヘ格の用法には「方向・目的地」を表すとあるだけです
すなわちニ格の「移動の着点」とヘ格の「方向・目的地」が重なっているわけですが、場所や方角以外に
受け取り手の「人間」にヘ格を使うというあなたの強弁には全く根拠が感じられません
私の言うことが詭弁だとおっしゃるのなら一体どこにどんなごまかしがあって詭弁を成り立たせているのか
はっきり説明したらどうですか
「家に向かった」の「た」が「たり」から発達したことが一体何の関係があるのですか
「た」であれ「たり」であれ「向かう」という動作がここでは成立していて、動詞の連鎖が時系列順に
次の動作に移っていることは明らかでしょう
あなたにもわかるように言ってあげましょう
「彼の存在を確かめに行く」→「見たら彼はいなかった」という観察の結果を導くために動詞を連続させるのに、
移動が確実に成立した「行く」ではなく、移動への意思しか示さない「向かう」を選んでしまうあなたの
文章のセンスが日本語ネイティブとしては哀れなほど鈍いって言ってるんですよ
悪いことは言いません、明日から図書館に通いなさい そして児童書からでいいのでたくさん本をお読みなさい
そうすればいくらか文章センスも磨かれて、他人を顔色をビクビク伺うような国語観じゃなくて
筋の通った論理的な言語観ができあがるでしょう
こんな所で板違いの間抜けなチョン認定なんかしてる場合じゃないですよ 『基礎日本語文法』などと言ふ胡散臭い物を讀んでゐるから頭が惡くなるのだよ。
>受け取り手の「人間」にヘ格を使うというあなたの強弁には全く根拠が感じられません
旺文社 古語辭典
「へ」
B動作・作用の行はれる相手を示す。〜に對して。
此の由を院「へ」申してこそはと言ひければ (宇治拾遺・十二・二二)
鎌倉殿「へ」參つて申し預かり候はん (平家・十二・六代)
廣辭苑
延慶本平家
此の次第を鎌倉殿「へ」申さではいかに
「彼へ」を檢索してみな。直後に動詞を伴ふ用例がいくつもかかる。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~tanomura/kwic/aozora/
>文章のセンスが日本語ネイティブとしては哀れなほど鈍いって言ってるんですよ
>そうすればいくらか文章センスも磨かれて、他人を顔色をビクビク伺うような国語観じゃなくて
>筋の通った論理的な言語観ができあがるでしょう
此の三行だけでも山ほど直す處がありますが、まあ自己紹介を受けたと思つておきませう。
よくまあ、それだけ妄想をつらつら御書きになれますなあ。或る意味歓心致します。 >>106
勉強するのでもう相手にしないんじゃなかったのかなあ
自分の言ったことも守れないようでは信頼度ゼロですね
さて国語の口語文の用法を論じるのに伝統主義の『広辞苑』はいいとして
古語辞典を引くのは意味不明です
わざわざ『古語辞典』と銘打っているのは「現代語では当てはまらないことがあります」と
断り書きをしているのに等しいのですから
挙げられている用例ですが第一に「へ」の前に挙げられているのは「人物」ですが、
彼らがみな「移動」していった先にいる人、移動を前提として登場する人であることは注目に値します
第二にそれらの人が「殿」「院」といった空間を指す概念が転じた表現であることも興味深いです
>>93でも触れたように「へ」は「方向」を意味する普通名詞が形式名詞を経て助詞に変化したものです
こうした変化を「文法化」と言いますが、これらの時代においては「へ」の用法に形式名詞としての意味が
まだ残っているように感じられます
この時代の「へ」は単なる「に」とも訳される助詞とばかり見るより、「の方へ」「の所に」といった
複合的な後置詞に近いものだったのではないでしょうか
上代から中世におけるこうした「人の『へ』」における「人」は施設名で間接的に表現されるような人物、
おそらくは「貴人」に限られたのでしょう
間接表現の動機は様々ですからこうした空間表現を応用した間接化は極端な賎人や忌避の対象となる
宗教的地位にも使ったかもしれませんね(続く) (>>107続き)
すなわち挙げられた例からも「へ」の使用は「場所」を出発点とした派生的な用法なのであり、
その用法が「方向、目的地」であるという現代語の制約に連なるものであることが明確になったのです
あなたのくだらない無内容な煽りなんかより有意義なのでこういう引用は歓迎します
ただ見解がどうにも古いですけどね
私は>>93で「へ」について「「へ」は「方向」を意味する普通名詞だった」と語源的な通説も踏まえていますが
あなたは古語辞典を引きながらそんな基本事項も押さえずに揚げ足取りを試みて失敗しただけなのですね
それでよく伝統主義の立場を取れるものです
「妄想をつらつら」というのならどこがどう妄想なのか万人にわかるように説明なさい
>>105で言ったようにどこにどんなごまかしがあって「詭弁」を成り立たせているのかもはっきり説明しなさい
あなたは「妄想」「詭弁」「移民」という言葉を根拠なく使った
自分の言ったことには責任を取りなさい
私は根拠の無いことなんか言っていませんから自己紹介乙なんて言われても痛くも痒くもありません
あなたはどうなのですか >>107
検索したの?w
言語屋は本当に馬鹿だなw
支那人は帳簿へペンを走らせながら、目も挙げずに「彼へ」話しかけた。「アアル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バ 芥川竜之介「馬の脚」
トルストイはこちらへ歩み寄りながら、声高に「彼へ」問ひかけた。「中つたとも。石のやうに落ちて来た。」 芥川竜之介「山鴫」
彼の学殖、そして、彼の通るときに知人の「彼へ」示す挨拶の仕方などを察するとき、梶には、ヨハンがた 横光利一「罌粟の中」
誰「彼へ」書いていらっしゃるのかもしれないと思って居りました 宮本百合子「獄中への手紙 05 一九三八年(昭和十三年)」
そして一枚の葉書を「彼へ」差出した。「今朝、宮原さんから来たのよ。読んでごら 豊島与志雄「野ざらし」
これは余談であるが、さて「彼へ」送つた書置き中の「これこれへ書きとめておいたもの」 坂口安吾「手紙雑談」
泣きながら女の喋舌る声が、すぐ「彼へ」聞こえて来た。「妾、もうもう待てません。……これで 国枝史郎「十二神貝十郎手柄話」
ハンカチーフを贈られ私は寝衣の着換えを「彼へ」進上して別れたことがあった。 私は多くの蚊よりもた 小出楢重「めでたき風景」 >>109
面白い 全部きれいに「〜の方に向かって」と言い換えできる例ばかり しかもあなたはそれらに共通する特徴に全く気付いていない
話し「かける」 問い「かける」 は距離の離れたものに意思だけを示していて、
それが到達するかどうかは関知しないという描写
差し出す も受け取るとは限らず、差し出されたままの状態の葉書に読者の目が留まるように仕向ける効果的な描写
「家に向かったがそこにはいなかった」なんて「向かう」で無駄に視点が決意の場面に留まるだけで意味が無いでしょ
自分のそんな悪文を文学者と並べる厚顔無恥を反省したほうがいいですよ、明きめくらさん
〜へ聞こえてきた も距離を前提にした言い方で、聞いている「場所」が遠いことを暗示する
単純に「〜へ聞こえた」とは言いにくいのだ 「へ」を「に」と同一視するあなたはその違いに無神経すぎでしょう
〜へ挨拶を示す、〜へ手紙を書く、〜へ書き置きを送る も然り 距離感と届かない可能性を残した言い方
目の前にいる人物に「〜〜へ手渡した」「〜〜へあげた」のたぐいは出てきにくいということだ
話が封建社会で相手がよっぽど高位なら階級的な距離感を示すために「へ」もあり得るが
「へ」と「に」を完全に同一視するあなたより場所・距離感といったキーワードで両者の違いを説く私のほうが
よっぽど精密に繊細に、しかも文法を根拠にして論理的に文学を鑑賞できていますね
あなたごときを比較対象にしたのでは自画自賛ともいえませんがね
で、あなたは今回はどんな罵倒語を使ったんでしたっけ?どうでもいいですけどねw >>110
>話し「かける」 問い「かける」 は距離の離れたものに意思だけを示していて、
>それが到達するかどうかは関知しないという描写
はあ?w何の妄想だよw
距離の離れたものに意思だけを示す?w
↓を読んでそんな残念な解釈になるのかよw
絶望的に才能がないな。
支那人は帳簿へペンを走らせながら、目も挙げずに「彼へ」話しかけた。「アアル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バ 芥川竜之介「馬の脚」
トルストイはこちらへ歩み寄りながら、声高に「彼へ」問ひかけた。「中つたとも。石のやうに落ちて来た。」 芥川竜之介「山鴫」 >>111
一番目は目がそっちを向いていないのだから、相手が聞いているかどうかを確認していないわけです
意志的な働きかけを表す「かける」があるので行為の達成度は保証されなくなるのです
よって「相手へ話した」ならずっと不自然度が増します
二番めも同様 「彼へ問うた」となぜ言わなないのか
「に」を使わないと不可能ではなくても不自然だからです
あなたはそんなことも感じ取れないのにセンスを云々するのですか
移民か田舎者なのはそっちではありませんか 芥川に文句を附ける割には辭書すら引かないのだから呆れ果てる馬鹿だな。 >>113-115
反論もできずに連投で多数派工作ですかw
レベル低すぎです
せめて言語学用語の一つも使えばいいのに
勉強って言うから期待したら何も学んでいないじゃないですか
ここは言語学の板なんだから言語学の話ができない人は来なくていいんですよ? 別に多數派工作なんかしてゐませんよw
こちらは露助語の勉強をしてゐて忙しいのですよ。
小生の殘念脳味噌では露助語は難しくてねえw >>117
そりゃ難しいだろうね
「〜で」と動作の場所を言うのに前置詞вを使うかнаを使うか
気になったことがないんだろうから
「どっちでも同じだ!決まってる!違うっていうやつは移民だ!文豪もこう書いてる!」
って引用してどや顔 >>117
与格をロシア語学用語と思い込んでいるから
に≠與格と言い張っているのか・・・ 確実にどんな人でも可能な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
X2BIZ おら見ただとか「の」を使わない方言もあるな
これはある意味進化してるわけか 確かに日本語は「の」が多すぎる
きょくりょく使わないようにしよう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています