赤ん坊の最初の鳴き声は特定の感情の不完全な表現だと思われがちだが
そんな目的が完成されたものではなく、もっと「未分化」な何かだと考えるべきだ
それは母親との接触によって、特定の感情の「表現」として、また取引の道具として、
いったん発達して「意味」を獲得していくが、そうなる以前の鳴き声が
意味と表現が未分化の言語だと考えることはできないか

言語が細分化された音声と意味のつながりを獲得し、二重分節と呼ばれるシステムに
組み上げられていくのは、原初の鳴き声が分化していった結果ではないだろうか
コトバは「増えていった」のではなく「細かくなっていった」というイメージなのだが