句の範囲は曖昧というより、用語の混乱と見た方がいいのかもね。

英語等のヨーロッパ言語の文法と日本語のそれとの整合性を取ろうとして、
clauseとphraseを節と句に対応させたけど、日本語のような膠着語の場合は
その性質上、句と(広い意味での)複合語が形式的に同じケースが無数に出て来てしまう。
つまり語より上の単位の句と、語と同じレベルの句との2つのもののいずれも
同じ「句」という名前で呼ばざるをえない。

それを上の方のやりとりでは曖昧と言ってるわけで、今までとは別の類型化の
枠組みを用意しない限り、仕方がないことってことだね。

ってことは、境目を度数で表す云々はまったくのナンセンスってことになるわけか。