>>147
BIFFが言うには、正鵠は江戸時代よりずっと前から日本に来て、物事の核心として使われている。
それで的を得るの用例が一例確認された江戸時代には、正鵠という言葉にマトという振り仮名がつけられている。
普通に考えたら、正鵠=的であるから「正鵠を得る」と言いたいのだろう。
だがそうすると正鵠と得るを組み合わせることはあり得ないから完全に誤訳となる。
そして1250年頃に的を射るという言葉自体が使われているので、それから江戸まで的を射るを無視して的を得るが誕生したとは考えにくい。
そもそもその的を得るの江戸時代の用例が一般化されたものなのか解らない。
よくわからんなら、軽々しく認めていいとか言わないでよ。
的を得るを認めた瞬間「糞うぜぇマジshine」を「糞うぜぇマジ輝き」と訳すのが大正解になるんだぞ?